下腹部脳
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〝本当にいいのか?〟
俺の問いにポレポレが頷く。
〝うん。あたし、ザイレンさんのこと信じてるから〟
マニュが、いつものように俺だけにいう。
〝マニュCの予想通りでしょう? 彼女がご主人様の提案を嫌がるなんてことはありえません〟
〝だからって、生きたまま食べるってのはな〟
〝食べる端から再構築するんですから、何の問題もありませんよ。彼女には痛覚センサーが搭載されていませんから、苦痛はありません〟
〝でもなあ〟
〝ご主人様、この議論はご主人様C、マニュCとともに仮想空間内時間で八時間も話し合ったではありませんか。この方法以外に策はなく、実行しなかった場合、ポレポレさんが旅の途中で破壊される可能性は32%も高まるんです。ご主人様Cも承知くださいました〟
しかし、俺は俺Cと違い〝親〟としての感情が強い。
俺は娘の麻里子に三種混合ワクチンを接種させた時のことを思い出した。
俺は理系人間だから、論理的にはワクチンを打つことが娘の命を守ることにつながると理解していた。それでも、接種は躊躇われた。どれほど確率が低くとも副作用が出る可能性はあるのだ。
とはいえ、すべきことはするしかなかった。
俺は覚悟を決めると、荷台に横たわったポレポレの足元に移動した。
運搬車の運び虫は、ゴミ山の合間にある盆地の底に停止していた。あたりには、とくに危険な機械生命はいない。頭上の空には穏やかな黒雲に広がり、嵐の気配もない。
〝それじゃあ、始めるぞ〟
俺はポレポレの爪先にのしかかった。爪先といっても人間のように五本の指があるわけではない。足の甲の先は足袋のように二つに分かれている。大きな二本指は腐食止めオイルで黒く汚れている。
腹部分のスキャン装置が表面的なデータを読み取る。
しかし、これでは内部構造および細かな電気回路の働きは確認できない。
マニュが俺の腹部にある取り込み口を開放し、俺はポレポレの指先を〝食べた〟。
瞬時に、ポレポレの指先の完璧な構造データが流れ込んでくる。俺は物質構築機を用いて、そのまま再構築した。
〝問題ないか?〟と、俺。
ポレポレが頷く。
〝なんか変な感じ。虫除けの電磁罠を間違って踏んだときに似てる。でも、我慢できるよ〟
俺は爪先から足の甲、さらに足首へと食べ進んだ。
取り込んだデータは俺CとマニュCの仮想研究室に送る。彼らはポレポレの身体のコピーを仮想空間内に再現し、細かなパーツの働きを確認したり、改良法を模索する。
膝、腿、腰と進んだところで、マニュが身体を急停止させた。
俺が〝どうした?〟と訊くと〝脳回路です。危うく食べてしまうところでした〟との答えが返ってきた。
マニュがスキャンしたばかりのデータをよこす。下腹部の三重の金属板の下に、大事に守られた直方体がある。
なるほど、人型だからといって脳回路を頭部に置く必要はない。というより、人間の脳が頭部にあるのは進化の流れがたまたまそうだったというだけの話だ。脳の位置を自由に決められるなら、人体のより衝撃に強い場所に置くべきだ。
俺は慎重に脳回路を避けた。ここだけは単純に複製するということができないからだ。ポレポレたちの回路は一種の量子コンピュータだ。完全複製のためには遥かに大量のエネルギーを投入して、構造だけでなく量子状態までコピーせねばならない。そうしないと、出力されるのは、ポレポレにそっくりな別人ということになりかねない。
脳回路以外の全てを食べて再構築したのちも、俺は盆地に留まり、俺CとマニュCの仮想空間に全エネルギーを投入した。
二十二時間後、ポレポレのアップデート準備が完了した。




