第三部:1
年をまたいで一月四日の午前十時頃。
小学二年のときから高校三年の約十年間を過ごした二階に与えられた部屋で俺は目を覚ました。現在、俺と五花はアパートから電車とバスを乗り継いで四十分ほどかかる隣町の実家に帰省していた。そこまで長くない距離。しかし、ただでさえ朝の弱い俺には御来屋がしているような実家通学は不可能だった。早起きなんてぶっちゃけありえない。
(でもまあ、あいつは朝から元気だよなあ)
ベッド脇のカーテンをほんの少しだけ開けて窓から見下ろすと、裏庭でせっせとスコップでガーデニングをしている五花が目に入った。
官公庁や多くの企業の正月休みは昨日で終わり今日から平日である。親父は会社に行き、お袋はパートに出かけた。そのため、家には(正確には敷地内だが)俺と五花しかいないことになる。
(リビングのソファでテレビでも観ながらごろごろするか)
これと言った趣味がない俺にとって休みは暇でしかない。本をうっかりアパートに忘れてしまったのも大きい。得てして正月のテレビ番組はつまらないものが多いが、三が日も終わったのでそろそろまともなものを提供してくれるに違いない。
(そういえば、湖山さんはいつ唐王に戻ってくるのだろうか?)
十二月二十六日。地元の愛媛からやってきた母親に連れられて湖山さんは実家へと帰省した。ツイッターを見てみると、まだ唐王市に戻っていない様子。もしかして高校時代とかに仲の良かった男と遊んでいるのではないかと心配してしまうが、俺がどうこうできる問題ではない。愛媛の具体的にどこに実家があるのかはツイッターで把握できなかったし、たとえ男と一緒に歩いてる姿を見かけたとしても、手を引っ張って連れ去る勇気がないからだ。唯一できるのは、黙って指をくわえながら杞憂であることを祈るのみ。スマホは度重なるフリック操作で細菌まみれなことだろう。便器よりも汚い。
そんな無力な自分に憂鬱さを感じながらベッドから降り立つ。すると、十二月二十六日の起床時から続く例によって例のごとくハラリと一枚あれが落ちた。
(また一段と黒くなったなあ……)
常磐色が完全になくなった黒い葉を眺めながら俺はぼやく。この異常な形で出現してくる葉は今日で十枚目。いや、二十五日に紛失した分も合わせれば十一枚目となる。
(黒点の数は表と裏を合わせて一〇二四個かな)
一瞬で数えたわけではない。数えるのは一昨日にやめた。ある法則性に基づいての浅慮なる判断だ。その法則性が分かりやすいよう一日ごとに現れる葉の黒点の数――表と裏の合計を次に示していく。
①十二月二十五日、不明。
②十二月二十六日、二個。
③十二月二十七日、四個。
④十二月二十八日、八個。
⑤十二月二十九日、一六個。
⑥十二月三十日、三二個。
⑦十二月三十一日、六四個。
⑧一月一日、一二八個。
⑨一月二日、二五六個(推定)。
⑩一月三日、五一二個(推定)。
⑪一月四日、一〇二四個(推定)。
お分かりいただけただろうか? 不明や推定を除いて考えてもらっても分かる通り等比数列的に黒点が増えているのだ。一月二日以降は黒点が重なり始め、数えるのが難しくなったのであくまで推定でしかない。十二月二十五日の『不明』というのはしっかり葉を見る前にベランダに捨てて紛失してしまったためだ。しかし、これは一個だったのだろうと推測できる。初項一、公比二の等比数列。とんだ高校数学だ。そして、生物でもあった。ねずみ算という言葉があるように個体群生態学の範疇において生まれる子が死なない限り生物は幾何級数的に増えていく。かのイギリスの経済学者マルサスだって人口増加による食糧難を案じていた。これは黒星病のような植物に寄生して生育する病原菌にも当てはめられるのではないだろうか?
また、もう一つ不思議なこと。それは俺が目を覚ましてから葉を見つけるまでの間、その葉について忘れてしまっているということだ。さっきだってリビングでごろごろすることや湖山さんのことしか頭になく、俺とともにベッドから床に着いた葉を認識して、ようやく思い出した。
十日ほどそれが連続で続けば単に寝起きで寝惚けているだけとは説明がつかない。それに朝の弱い俺がベッドから降りるときは、四則演算ができるくらいには覚醒した状態である。葉が一緒にベッドから落ちると事前に予測できてもいいものなのだが……。
(まあ、あれこれ考えるより五花に聞いた方が早いよな)
しかし、「毎朝、起きたら黒点がついた葉があるんだ」と言っても一笑されるだけなのは想像に難くない。今まで聞かなかったのはそのためである。だから、今回は葉の種類を問うだけに留めよう。たったそれだけでも何か大きな手がかりになるかもしれない。
どの葉を見せるのが最適だろうか?
俺たちが実家に帰省したのは三十日の夜のため、二枚目から六枚目までの葉はアパートのこたつの上に置かれている。なので、選択肢から除外。そして、七枚目から十枚目は未だに小学生の頃から捨てずにいる勉強机の引出しの中にある。十一枚目は言わずもがな俺の手の中だ。
(よし、七枚目かな)
かろうじて常磐色を窺うことができる七枚目。種類判別にはそれを見せるのが最善だろう。
すーうと滑らせるように引出しを開け、中からその一枚を右手で掴み取る。表に三二個。裏にも三二個。合計六四個の黒点は常磐色を背景にして水玉模様を描いている。それから今度は南向きに設置されたカーテンと窓を開けた。
「おーい、五花。今、暇か?」
俺は質問の事前承諾を得るために下の裏庭にいる五花に呼びかける。彼女が忙しいときに行けば門前払いされる可能性があるからだ。できるだけ無駄足は踏みたくない。
「天地返し中なんだから暇なわけないでしょ。というか、お兄ちゃんもだらだらしてるんだったら手伝ってよ」
必殺技っぽい響きだが、天地返しとは花壇の土を三十センチほど掘り返して寒気に当てることで、害虫や土壌病害の原因となる病原菌を退治するためのものだ。冗談じゃない。庭にある花壇はベッド三つ分ほどの広さを誇っている。しゃがみながらそこの土を掘っていれば確実に服が汚れて身体は疲れてしまうじゃないか。
「悪い。俺には無理だ。肉体労働は専門外なものでな。お前が終わってから要件を言うよ」
だから、ここは一旦、引き下がろう。特に急ぐわけではないのだ。
「まったくもう、それが人にものを頼もうとする態度? んじゃあ、代わりにお昼から買い物に付き合ってくれる? もちろん、お兄ちゃんが荷物持ちで。ここの土を掘り返すよりは楽だと思うよ」
「結局、肉体労働じゃねえか」
ちょっとものを尋ねるだけなのに対価がでかすぎる。しかし、今日は『ワンピース』の最新刊の発売日なのでちょうど書店かコンビニ行きたいと思っていたところでもある。付き合ってやるのも悪くない。
「分かった分かった。昼からデートな」
「ちょ、ちょっと! 誤解を招くようなこと言わないでよ! ご近所に聞こえ……」
パタンと窓を閉めた途端、五花のうるさい声はかき消される。買い物に付き合うことをデートと言っても構わないじゃないか。俺たち兄妹が街中を歩いている姿を見れば大抵の者はカップルだと思うはずだ。
(さて、昼まで暇になったな)
正確に言うなら昼から予定ができてしまった。元は一日中、暇なのでリビングでごろごろしながらテレビを観るはずだった。実家における暇潰しがそれしかないため。もしここに御来屋がいれば何か遊びをもたらしてくれるのだろうが、あいにくまだ東京を謳歌している最中。思えば、俺が五花の面倒な買い物に付き合うのは彼の代わりでしかない。湖山さんもそうだが早くこっちに戻ってきてくれ……。
(とりあえずテレビを観よう)
だんだんとリビングに向かうのが面倒になってきたが、どうせ洗顔や歯磨きのために下に行かなければならない。湖山さんに好印象を持ってもらうために掲げる今月の目標は「常に清潔感を大事に」。年末年始、いきつけの千円カットの床屋は閉まっていたが、もうそろそろ開いているはずだ。冬休みが終わる前には切られよう。
身体にかかる大気圧を高くしながら階段を一段一段踏みしめる。洗面台のある脱衣所は一階に降りてすぐ左手に位置する。
その脱衣所に入ると隣の風呂場へと続く擦りガラス戸が開いているのが見えた。すると、寒空の下で土いじりをする妹の姿が頭を過った。
(風呂くらい入れといてやるか)
俺は冷えたタイルの上に裸足で立ち、赤い蛇口と青い蛇口を捻りながら湯船に入れるお湯の温度を調整する。勘違いするな。別に五花のことを気遣っているわけではない。どうせ後でこき使われるのを見越しての行動だ。五花が「お兄ちゃん、だらだらしてるならお風呂入れてよ」と言ってきたら、すかさず「もう入れてる」とドヤ顔できるようにである。
(なんか偽悪者アピールしているみたいで嫌だなあ)
まあ、いつもの外連味ってことにしておこう。ごまかすときに便利な言葉。文部科学省あたりに推奨して欲しいくらいだ。
「ふぅ……」
顔と歯を綺麗にした俺は一息つきながらリビングのソファにドカッと座る。目の前にある膝くらいまでの高さのガラステーブルの上にはリモコンが二つ。白いのはエアコン。もう片方の黒いのはテレビのものだ。
白の方をまず手に取ってピピッと鳴らしながら今度は部屋の温度を調整しにかかる。初め暖房にするところを冷房にしてしまうというミスをしたものの、エアコンは徐々に暖かい風をリビングに渡らせていった。
お次は黒の方。お袋が見栄を張って買った52V型液晶テレビ。それに対してリモコンの先を向けて親指で赤い電源ボタンを押した。ビビビと赤外線ビーム発射である。すると、テレビ画面は芸人がガヤガヤと騒いでいるだけのバラエティ番組を映し出した。
(くだんね……)
年々、テレビの質というものが下がっている気がする。インターネットなどの他のメディアが台頭している時代では仕方ないのだろうが。
(NHKなら真面目な番組をやってるはずだ)
最近、テレビはNHKしか点けていない。日本一NHKを観ている大学生と言っても過言ではない。受信料支払いが免除されてもいいくらいリスペクトする名誉視聴者とも言えよう。
(ビビビ……)
と、オノマトペを胸の内で発しながら再度、赤外線ビームを発射。すると、NHKは我が県内のローカルニュースを放送していた。
『先月、十二月二十四日の夜から行方不明となっている唐王市内に住む唐王調理師専門学校一年生、末恒美咲さんの公開捜査を唐王署は開始しました』
(行方不明か……物騒だな)
別に行方不明自体は珍しいものではない。実際、一年間に日本で出される家出人捜索願の数は八万件にも上る。しかし、そのうちの九割以上はすぐに発見され、毎年の未発見者は二千人にも満たないらしい。さらにそのうちで警察による公開捜査が為されるのは、拉致や誘拐などの何らかの事件性があり家族の了承が得られた場合のみである。だから、俺は物騒だと思ったのだ。
『末恒美咲さんが最後に確認されたのは二十四日午後八時二十四分。彼女の住むアパートから三百メートルほど離れた小売店に設置されていた防犯カメラの映像に残っており、それ以後、彼女の姿を見たものはいません』
行方不明となった専門学校生、末恒美咲の顔写真を公開しながら報道は続く。柔和で可愛らしい顔立ちをしているなと思うのは不謹慎だろうか。
『翌々日、二十六日午後二時十五分頃。福岡県北九州市に住む母親は美咲さんと二十四日以降連絡が取れないことを不審に思い、××県警唐王署の方に捜索願を提出。そして本日、一月四日。唐王署は事件に巻きこまれた可能性があるとして公開捜査に踏み切りました』
(『事件』ねえ……)
その単語を聞いて、俺は路地裏に生えた不可解な樹のことを思い出す。
結局、あの樹を現象と事件のどちらで片づけたのだったか。いつもの便利な外連味で片づけてしまったのではないのか。
(そういえば、あれは一月上旬頃に除去されるんだったな……)
何日か前のニュースでそう知らせていた。根こそぎ根元から切断した後、県外の研究機関に運びこむのだと。それについて反対する者は誰一人として皆無。囁かれるのは「邪魔」「不気味」「気持ち悪い」といった否定的な言葉だけであった。
(せめて一人くらいは認めてやってもいいじゃないか……)
なぜそんなことを思ってしまったのか自分でも分からない。俺はあの樹を不気味で理解できないものとしたはずなのに。
『現在、県警では情報提供を求めています。次のニュースで……』
パチンと画面は暗転する。俺が行方不明に関してのニュースが終わるやいなやテレビの電源を落としたためだ。少し静かな場所でこの引っかかりについて考えたい。
そのとき、俺は気づいていなかった。湯船に入れているお湯がドバドバと溢れだしてしまうことに――。




