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都会に疲れて通販テントで寝たら、異世界最強の安全地帯でした 〜もう一泊で帰れるけど、今日も誰かに眠れる夜を渡しています〜  作者: TimeBender


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第71話 椅子を離れる

 翌朝。


 一夜は、地下へ向かう8人を前にして言った。


「今日は、昨日よりやることが少ないです」


 ガレスが眉を上げる。


「少ない?」


「はい」


 一夜は指を1本立てる。


「ミレアさんを、エリスさんの寝台まで連れていく」


「それだけ?」


 テオが尋ねる。


「それだけです」


「黒い鍵は?」


「触らない」


「奥の部屋は?」


「調べない」


「ほかの寝台は?」


「起こさない」


 一夜は全員を見る。


「目的を増やさないでください」


 リディアがうなずく。


「了解した」


「前回みたいに何か見つけても?」


「持ち帰る」


「その場で決めない?」


「決めない」


「ありがとうございます」


 レイが尋ねる。


「ミレアが途中で行けないと言ったら?」


 一夜は少し考える。


「戻ります」


「説得しない?」


「話は聞きます。でも」


 一夜は答えた。


「今日行けないことと、永遠に行けないことは違うので」


 レイは静かにうなずいた。


「分かった」


 リディアが一夜を見る。


「あなたは?」


「地上です」


「聞かれる前に答えたな」


「毎回聞かれますから」


「危険度」


 一夜は説明書を開いた。


【設営者役割固定危険度】


【現在:低】


「低のままです」


「よし」


「健康診断みたいになってる」


「重要だ」


「はい」


 リディアは満足そうに親指を立てた。


 一夜も返す。


「全員で帰ってきてください」


「ああ」


 地下への扉が開いた。


 甘い匂い。


 青白い灯り。


 今回は。


 前回より静かだった。


 地下班8人が順番通りに入る。


 帰還ロープ。


 接続確認。


 人数確認。


 最後のリディアが扉を越える。


 一夜は説明書を見る。


【地下班:8人】


【接続状態:正常】


「行ってらっしゃい」


 返事は聞こえない。


 それでいい。


 一夜は。


 帰ってくる場所を守る。


 地下では。


 寝台に並ぶ人影が。


 前回と同じように眠っていた。


「数は変わっていない」


 テオが小声で言う。


「数えるな」


 ガレスが止める。


「今日は目的が違う」


「はい」


 寝台の間を進む。


 ロイドの姿もあった。


 だが。


 今日は起きない。


 ただ。


 眠ったまま。


「……副隊長」


 小さく寝言を言った。


 リディアの足が。


 ほんの一瞬止まる。


 それだけだった。


「進む」


 自分で言って。


 前を向く。


 奥の通路。


 歴代ノクスの名前がついた扉。


 エド。


 レオン。


 そのほか。


 誰も触れない。


 そして。


 最奥の部屋。


 昨日と同じ。


 椅子。


 机。


 黒い鍵。


 壁一面の黒い糸。


 そこに。


 ミレアが座っていた。


「来たのですね」


「約束した」


 リディアが答える。


 ミレアは。


 昨日よりも。


 さらに疲れて見えた。


「泊一夜は?」


「地上だ」


「来ないのですか」


「来ない」


「……そうですか」


 少しだけ。


 安心したようにも見えた。


「なぜ安心する」


 レイが尋ねる。


 ミレアが彼を見る。


「彼がここへ来れば」


 黒い鍵へ視線を落とす。


「夜が、彼を選びます」


 レイの表情が変わる。


「鍵が?」


「はい」


「人がノクスを選ぶのではない?」


「最初は」


 ミレアはゆっくり答えた。


「人が、役目を選びました」


 黒い鍵へ触れる。


「今は」


「役目の方が、人を選びます」


 リディアが眉を寄せる。


「だから一夜を呼んだ?」


「……はい」


「自分の代わりにするために」


 ミレアは答えない。


「昨日は」


 リディアが続ける。


「彼へ、エリスを守ってくれと言った」


「はい」


「それも継承だった?」


「私自身にも」


 ミレアは苦しそうに笑う。


「どこまでが私の考えで」


「どこからが役目なのか」


「もう、分かりません」


 レイが言う。


「私と似ている」


 ミレアが彼を見る。


「あなたは」


「地下から作られた」


「名前は?」


「レイ」


「誰がつけたのですか」


「私」


 ミレアの目が少し見開かれる。


「自分で?」


「ああ」


「……そう」


 ほんの一瞬。


 ミレアの顔から。


 ノクスではなく。


 ただの女性のような表情が見えた。


「羨ましい」


 レイは答えなかった。


 リディアが椅子の前へ立つ。


「行けるか」


 ミレアの手が。


 椅子の肘掛けを強く握った。


「分かりません」


「立てる?」


「それも」


「試す?」


 ミレアがリディアを見る。


「手を貸してくれますか」


 リディアは。


 すぐに手を出さなかった。


「立つために?」


「はい」


「引っ張ってほしい?」


 ミレアは少し考える。


「いいえ」


「なら」


 リディアは手を差し出す。


「支えるだけだ」


「……はい」


 ミレアが。


 その手を握った。


 そして。


 223年間。


 座り続けた椅子から。


 腰を上げる。


 黒い糸が。


 一斉に震えた。


「っ!」


 ミレアの膝が崩れかける。


 リディアが支える。


「座るか?」


「……いいえ」


「本当に?」


「立ちます」


 1歩。


 ミレアが前へ出る。


 地下全体が。


 低く鳴った。


 ゴゴゴゴゴ――。


「何だ」


 ガレスが剣へ手をやる。


 壁の黒い糸が。


 1本ずつ。


 椅子から外れ始めた。


「ミレア?」


 レイが呼ぶ。


「大丈夫です」


 2歩。


 3歩。


 ミレアは。


 ゆっくり歩く。


「こんなに」


 自分の足を見る。


「遠かったでしょうか」


 寝台までは。


 数十メートル。


 それだけ。


 だが。


 223年分の距離だった。


 通路へ出る。


 歴代ノクスの扉。


 最初の1枚を通り過ぎた時。


 内側から。


 声がした。


『戻れ』


 ミレアの足が止まる。


『お前がいなければ』


『夜を守る者がいなくなる』


 別の扉。


『戻れ』


 さらに。


『まだ休ませなければならない』


『朝は危険だ』


『外へ出せば死ぬ』


 ミレアの呼吸が速くなる。


「戻りたい?」


 リディアが聞く。


「……分かりません」


「止まるか?」


「止まりたい」


「なら止まる」


 全員が立ち止まった。


 誰も急かさない。


 ガレスが時間を見る。


「まだ余裕はある」


 ミレアが周囲を見渡す。


「皆」


 扉の向こうの声を聞く。


「同じことを言っていたのですね」


「歴代ノクス?」


「おそらく」


「あなたは聞いたことがなかった?」


「ありません」


「なぜ」


「椅子に座っていれば」


 ミレアは答える。


「前の声は聞こえない」


 レイが顔を上げる。


「次ができれば」


「前はいらない?」


 ミレアは。


 小さくうなずいた。


「たぶん」


 リディアの表情が険しくなる。


 継承。


 古いノクス。


 新しいノクス。


 役目だけが続く。


「進める?」


 リディアが聞く。


 ミレアは目を閉じた。


 深く。


 息を吸う。


「進みます」


 再び。


 歩き出した。


 寝台の広間。


 数え切れないほどの眠る人影。


 その間を。


 ノクス自身が歩く。


 人影が。


 次々と寝言を言い始めた。


「行かないで」


「まだ夜だ」


「ここにいて」


「休ませて」


「守って」


 ミレアの肩が震える。


「私がいなければ」


 リディアがすぐに聞く。


「何が起きる」


「皆が」


「起きる?」


「……分かりません」


「なら」


 リディアは言う。


「今はエリスだけ見ろ」


 ミレアが顔を上げる。


 遠く。


 小さな寝台。


 少女。


 エリス。


 眠っている。


「……あの子」


 ミレアの足が止まる。


「います」


 声が。


 母親のものへ変わった。


「本当に」


 1歩。


「いる」


 また1歩。


 近づく。


 エリスは。


 まだ起きない。


「あと少し」


 テオがつぶやく。


 ガレスが睨む。


「急かすな」


「すみません」


 ミレアは。


 誰にも引かれず。


 自分で歩く。


 あと10歩。


 8歩。


 5歩。


 そして。


 寝台の横へ。


 たどり着いた。


「エリス」


 娘の名前を。


 初めて。


 目の前で呼ぶ。


 少女の瞼が。


 ゆっくり開いた。


「……お母さん?」


 ミレアの口が震える。


「はい」


「遅かったね」


「……はい」


「ずっと待ってた」


 ミレアの目から。


 涙が落ちた。


「ごめんなさい」


「寒かった」


「ごめんなさい」


「痛かった」


「ごめんなさい」


「怖かった」


「……ごめんなさい」


 リディアは。


 口を挟まない。


 それが本物のエリスの言葉ではないことを。


 全員知っている。


 でも。


 今は。


 ミレアの中にある言葉だった。


「お母さん」


「はい」


「もう」


 少女が。


 小さな手を伸ばす。


「帰ろう?」


 ミレアの手が。


 その手へ近づく。


 あと少し。


 触れる。


 その直前。


 地下の最奥から。


 金属音が響いた。


 カラン。


 レイが振り返る。


「……何?」


 誰も。


 鍵へ触れていない。


 なのに。


 黒い鍵が。


 机から落ちていた。


 カラン。


 カラン。


 床を跳ねる。


 まるで。


 意思があるように。


 通路を進んでくる。


「止めろ!」


 ガレスが剣を抜く。


 だが。


 ミレアが叫んだ。


「触らないで!」


 黒い鍵は。


 寝台の広間へ入る。


 まっすぐ。


 誰かを目指して。


 レイが1歩下がった。


「私?」


 鍵が。


 床から浮いた。


 黒い糸が。


 一斉にレイへ伸びる。


「レイ!」


 リディアが駆ける。


 ミレアの顔が。


 恐怖に歪んだ。


「逃げて!」


「これは何だ!」


「椅子を離れたから――!」


 黒い鍵が。


 レイの胸元で止まる。


 ミレアが叫んだ。


「それを受け取ったら!」


 レイの右手が。


 自分の意思とは関係なく。


 ゆっくりと持ち上がる。


「あなたが次のノクスになる!」

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