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都会に疲れて通販テントで寝たら、異世界最強の安全地帯でした 〜もう一泊で帰れるけど、今日も誰かに眠れる夜を渡しています〜  作者: TimeBender


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第55話 同じ顔でも、同じ名前ではない

「俺も、約束した場所へ帰ってきました」


 一夜と同じ姿をした模倣体が、安全地帯へ足を踏み出す。


「止まれ!」


 ダリウス団長の声が響いた。


 騎士たちが武器を構える。


 だが、誰も境界の外へは出ない。


 事前に決めた手順通り。


 模倣体は、安全地帯から3メートル離れた場所で立ち止まった。


「どうして止めるんです?」


 一夜と同じ声。


 困った時に、少しだけ眉を下げる癖。


 無理に笑おうとした時の口元まで似ている。


「武器は持っていません」


「帰還ロープは?」


 ガレスが尋ねた。


 名前は呼ばない。


 本人としても扱わない。


 模倣体は、自分の腰を見る。


「地下で切れました」


「前後にいた者は」


「いません」


「どの経路を通ってきた」


「第0貯水槽から、黒い鏡を通りました」


「それは帰還経路ではない」


「ですが、ここへ戻ってきた」


 模倣体は緑色のテントを見る。


「俺が帰ると約束した場所です」


 一夜は説明書を開いた。


【自己識別模倣体を確認】


【模倣完成度:78%】


【帰還経路:不一致】


【物理的接続:なし】


【第三者による本人認定:未成立】


【保護領域への入域:保留中】


「拒否ではなく、保留になっています」


「入れる可能性があるのか?」


 ダリウスが尋ねる。


「分かりません」


 表示が追加される。


【対象は現在の設営者との同一性を主張しています】


【設営権限の重複は許可されません】


【入域には、識別状態の確定が必要です】


「俺と同じ人間としては入れないみたいです」


「ならば、偽物だと確定させろ」


 ガレスが言った。


 一夜はすぐには答えなかった。


「それも違う気がします」


「何がだ」


「俺ではないことと、存在しないことは別です」


 模倣体が一夜を見る。


 同じ顔。


 同じ高さの視線。


「俺は、あなたです」


「違います」


 一夜は静かに答えた。


「どうして言い切れる」


「俺は地下へ行っていません」


「記憶が書き換えられている可能性は?」


「あります」


「では、そちらが模倣体かもしれない」


「それもあります」


 騎士たちが一夜を見る。


 リディアだけは、視線を動かさなかった。


「認めるんですか?」


 模倣体が尋ねる。


「自分が偽物かもしれないと」


「完全に証明する方法はありませんから」


「ならば、俺を入れてください」


「それはできません」


「なぜ?」


「今のあなたは、俺と入れ替わろうとしている」


 一夜は説明書を読み上げる。


【現在の意図】


【設営者との置換】


【自己識別情報の取得】


【設営権限の奪取】


 模倣体の表情が消えた。


「説明書が間違っている」


「その可能性もあります」


「ならば」


「でも、今は従います」


「自分より、天幕の文字を信じるのか?」


「俺1人で判断しているわけではありません」


 一夜は周囲を見る。


 地上へ残った者。


 地下から帰還ロープで戻った者。


 決めた手順を守った者。


「皆で確認した経路を信じます」


「記憶よりも?」


「はい」


「顔よりも?」


「はい」


「リディアさんよりも?」


 模倣体が、初めて名前を呼んだ。


 リディアの肩がわずかに動く。


「コーヒーは濃い方が好きです」


 模倣体は続ける。


「片手で開く水筒を渡しました」


 リディアは答えない。


「ハルト村へ戻る約束もした」


 模倣体が親指を立てる。


「これが、俺たちの合図です」


 リディアの右手は動かなかった。


「どうして返してくれないんです?」


「その記憶は、奪ったものだ」


「共有しているだけかもしれない」


「ならば聞く」


 リディアが1歩前へ出た。


「私が地下へ入る前、何を約束した」


「地上で待つことです」


「言葉は」


「俺は地下へ行かない。戻る場所を守る」


 正しい。


 一夜自身も覚えている。


「すべて合っている」


 模倣体が言った。


「まだ疑うんですか?」


「ああ」


「なぜ?」


「約束は、正しい言葉を答えるための問題ではない」


 リディアは模倣体を見つめた。


「守るためのものだ」


 模倣体の親指が、ゆっくり下がる。


「地上で待つと約束した者が、地下から現れるはずがない」


「状況が変わった」


「ならば、戻ってから説明すればいい」


「説明している」


「入れ替わろうとせずにな」


 一夜はリディアの横顔を見る。


 外見。


 声。


 記憶。


 合図。


 すべて模倣されている。


 それでも、彼女は正解を答えた方ではなく、約束を守った経路を選んだ。


「俺を信じてくれてるんですね」


 一夜が言う。


「今さら確認するな」


「すみません」


「だが、顔を見て信じたわけではない」


「分かっています」


「そこにいるからでもない」


「はい」


「帰還ロープが、あなたのところへ戻ってきたからだ」


「ありがとうございます」


「礼を言うところではない」


「言いたかったので」


     


 模倣体の足元から、黒い糸が現れた。


 黒い鏡。


 地下。


 第0貯水槽へ続いている。


『泊一夜』


 地面の下から、無数の声が響く。


『名乗れ』


 模倣体の口が開く。


「俺は、泊一夜――」


 途中で声が止まった。


 顔が苦しそうにゆがむ。


『名乗れ』


「俺は……」


 模倣体が胸を押さえる。


「泊、一夜……」


【模倣完成度:81%】


【自己識別情報の固定化が進行しています】


「止めてください!」


 一夜が叫ぶ。


 模倣体が顔を上げる。


「何を?」


「その名前を名乗ることです」


「俺の名前です」


「違います」


「では、俺は誰です?」


 一夜は答えられなかった。


 偽物。


 影。


 模倣体。


 どれも一夜たちが便宜上呼んでいるだけだ。


 本人が選んだ名前ではない。


「分かりません」


「また、それですか」


「はい」


 一夜は境界の内側から、模倣体へ向き直る。


「でも、俺ではありません」


「俺でなければ、何もない」


「何もないわけではありません」


「名前も、記憶も、顔も、全部あなたから作られた」


「それでも、今ここで話しているのは俺ではありません」


「何が違う」


 一夜は考える。


 模倣体が求めているのは、正解ではない。


 自分が存在していい理由だ。


「あなたは、地下から来ました」


「それだけ?」


「俺とは違うものを見たはずです」


「見た」


「俺の知らないことを知っている」


「知っている」


「なら、それはあなたの記憶です」


 模倣体の目がわずかに開く。


「俺から写した物ではなく?」


「地下であなたが見たものは、俺にはありません」


 一夜は続けた。


「今、境界の外で俺たちと話している時間も」


「これも、俺の記憶?」


「はい」


「あなたと同じ顔で?」


「顔だけで、自分が決まるわけではないでしょう」


 模倣体は、自分の両手を見る。


『名乗れ』


 地下の声が強くなる。


『泊一夜として、設営権限を奪え』


 黒い糸が模倣体の足首へ巻きついた。


「俺は、泊一夜だ」


【模倣完成度:84%】


「違う!」


 リディアが叫ぶ。


 模倣体の視線が彼女へ向く。


「何が違うんです?」


「その男は、私の傷を確認してからコーヒーを淹れる」


「記憶にあります」


「あなたは、先ほどから自分が入ることしか考えていない」


 模倣体の顔がこわばる。


「設営者は、誰かが安全地帯へ入れるかを先に考える」


「俺も入れてほしいだけです」


「ならば、置き換わろうとするな」


「置き換わらなければ、入れない!」


「試していないだろう」


 リディアは境界を指した。


「泊一夜ではなく、別の者として助けを求めろ」


「別の者……」


「あなたは俺ではありません」


 一夜も言う。


「でも、ここへ入りたいと思っているなら」


 説明書を見る。


【入域条件】


【現在の設営者との同一性主張を解除】


【設営権限への干渉を放棄】


【独立した宿泊者候補としての意思確認】


「俺になるのをやめれば、別の宿泊者として入れる可能性があります」


「宿泊者」


「はい」


「保護する対象にするということか」


「安全地帯は、人間かどうかではなく、今の敵意で判断します」


「俺が敵ではないと?」


「それを決めるのは、これからです」


「入った後、斬らない?」


 リディアが答える。


「何もしなければ」


「騎士団は?」


 ダリウスが剣を下ろさずに言う。


「隔離し、話を聞く」


「捕らえるのか」


「置き換わろうとした者を、自由にはできない」


「正直ですね」


 一夜が言うと、ダリウスは模倣体から目を離さずに答えた。


「嘘をついて招き入れるつもりはない」


     


 黒い鏡が大きく揺れた。


『戻れ』


 地下の声が響く。


『役割を果たせ』


 黒い糸が模倣体を引く。


 体が1歩、後ろへ下がった。


「待って!」


 一夜は境界まで進んだ。


 リディアが腕をつかむ。


「外へ出るな」


「出ません」


 一夜は透明な境界へ手を当てた。


 模倣体も、反対側から同じ場所へ手を伸ばす。


 見えない壁を挟み、同じ形の手が重なった。


「俺の名前を使わなくても、ここへ来られます」


「何と名乗ればいい」


「自分で決めてください」


「何も浮かばない」


「今すぐ決めなくてもいいです」


「名前がなければ、誰にも呼ばれない」


「呼び方は後で考えます」


「役割もない」


「なくても休めます」


 カイルへ言った言葉と同じだった。


 帰る場所がなくても。


 役割がなくても。


 今は休む場所があればいい。


「あなたは、何を望んでいます?」


 一夜が尋ねる。


「泊一夜になることではなく」


 模倣体の顔が歪む。


「地下へ戻りたくない」


『戻れ』


「命令されたくない」


『お前は模倣するために作られた』


「俺は……」


 模倣体が頭を抱える。


「俺は、誰にもなれない」


「誰かになる必要はありません」


「では、何者だ」


「それを決める時間を、ここで作ってください」


 模倣体が境界を見る。


「入れるのか」


「自分で確認してください」


 一夜は説明書を開いた。


「俺と同じだという主張をやめられますか?」


 長い沈黙。


 地下から伸びる黒い糸が、体を引き続ける。


 模倣体は、一夜と同じ顔を両手で覆った。


「私は……」


 声が変わる。


 一夜と同じ声が、少しだけ低く揺らいだ。


「泊一夜ではない」


【同一性主張:解除】


「設営権限を奪いますか?」


「奪わない」


【権限干渉:放棄】


「ここへ入る理由は?」


 模倣体は顔を上げる。


「休みたい」


【独立した宿泊者候補の意思を確認】


【現在の敵意:低下】


【救助要求:確認】


【入域を許可します】


「今です!」


 模倣体が境界へ足を踏み出す。


 今度は止まらない。


 右足。


 左足。


 全身が安全地帯へ入る。


 同時に、足首へ絡んでいた黒い糸が境界で切断された。


『戻れ!』


 地下から叫び声が響く。


 黒い鏡が大きく膨らむ。


 だが、安全地帯の中へは入れない。


 模倣体の体が崩れ落ちた。


 一夜とリディアが左右から支える。


「重い……」


「自分と同じ体格だろう」


「自分を支える機会がないので」


 模倣体の顔が揺らぐ。


 一夜と同じ目。


 鼻。


 口。


 輪郭が、黒い霧となって少しずつ崩れていく。


 下から現れたのは、特徴の少ない若い男の顔だった。


 黒い髪。


 青白い肌。


 閉じた目。


【新規宿泊者候補:1人】


【自己識別:未成立】


【外部接続:切断】


【模倣完成度:計測不能】


【朝到達意思:未確認】


 黒い鏡は、形を保てなくなったように縮んでいく。


 最後に、地下から一夜の声が聞こえた。


『次は、本人を迎えに行く』


 鏡が閉じる。


 中庭へ静けさが戻った。


     


「本当に入れたな」


 ガレスが倒れた男を見る。


「安全地帯が救助要求を認めました」


「信用できるのか?」


「信用するのは、これからです」


 一夜は答えた。


「少なくとも、今は俺と入れ替わるつもりはありません」


「再び意図が変われば?」


「安全地帯が反応すると思います」


「思う?」


「まだ初めてなので」


 リディアが男の呼吸を確認する。


「生きているのか?」


「呼吸はある」


「人間ですか?」


「分からない」


 一夜は説明書を見る。


 種族も。


 名前も。


 何も表示されていない。


「目を覚ましたら、聞きましょう」


「何を?」


 ダリウスが尋ねる。


 一夜は、自分とは違う顔になった男を見る。


「何と呼ばれたいかです」


 男のまぶたが、わずかに動いた。


「……まだ」


 かすれた声。


 一夜とは違う声だった。


「名前は、ない」


「では、決まるまで待ちます」


「待っていいのか」


「はい」


 男は目を閉じたまま、小さく息を吐いた。


「ここでは……何もしなくていい?」


「今は」


 一夜は寝袋を広げる。


「休むだけで大丈夫です」


 その言葉を聞き、名のない男は眠りについた。


 同じ顔でも。


 同じ記憶を持っていても。


 同じ名前を奪う必要はない。


 誰かになれないなら。


 これから、自分になる時間を作ればいい。

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