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都会に疲れて通販テントで寝たら、異世界最強の安全地帯でした 〜もう一泊で帰れるけど、今日も誰かに眠れる夜を渡しています〜  作者: TimeBender


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第1話 通販テントで眠ったら、景色が変わっていた

泊一夜が自分の時間を失ったのは、いつからだっただろう。


「泊さん、これ今日中に先方へ確認お願いできますか?」


「今日中、ですか」


「はい。できれば午前中で」


 午前11時47分。


 今日中と午前中は、同じ意味ではない。


 そう指摘できるほど、一夜は強くなかった。


「……分かりました」


「助かります。あと、昨日の納期変更の件もお願いします」


「そっちは午後で大丈夫ですか?」


「なるべく早めで」


 結局、早めとは何時までなのか。


 聞いても仕方がないので、一夜は画面の隅に開いていた昼食候補のページを閉じた。


 昼休憩に入れたのは、午後2時を過ぎてからだった。


 コンビニで買ったおにぎりを口へ運びながら、スマートフォンを見る。


 メッセージが3件。仕事の通知が2件。通販サイトから、おすすめ商品の案内が1件。


『初心者でも簡単設営。自然の中で、あなただけの時間を』


 表示されていたのは、濃い緑色の小さなテントだった。


「あなただけの時間、か」


 現在、一夜にあるのは、遅れて始まった30分の昼休憩だけだった。


 しかも、そのうち5分はおにぎりを食べるために消える。


 土日は寝て、起きて、洗濯して、また寝る。


 たまに動画を見ようとしても、再生開始から10分ほどで眠くなる。


 遊びに行く気力もない。


 誰かに会う元気もない。


 休みの日は、次の出勤日に備えて体力を戻すだけで終わっていた。


「キャンプ、ねえ」


 経験はない。


 虫も得意ではない。


 そもそも、休日に外へ出られるのかという問題もある。


 それでも、一夜の指は商品ページを開いていた。


 初心者向け。設営簡単。1人用。収納袋付き。


 価格は、少し迷うくらい。


 人生を変えるには安すぎて、使わずに押し入れへ入れるには高すぎる値段だった。


 一夜は画面をしばらく眺めた。


「……家で寝ても、疲れが取れないしな」


 何かを変えたい、というほど大げさな決意ではなかった。


 ただ、仕事とも通知とも関係のない場所で、誰にも呼ばれずに眠ってみたかった。


 気づけば、購入確定の表示が出ていた。


     


 テントが届いたのは、3日後の金曜日だった。


 段ボール箱は思っていたより小さく、本当にこの中に人が眠れる空間が入っているのか不安になった。


 一夜は箱を開け、濃い緑色の収納袋を引っ張り出す。


「思ったより重いな」


 テント本体、ポール、ロープ、ペグ。


 その下に、折り畳まれた説明書が入っていた。


 表紙には商品名と、簡単なイラスト。


 中身も普通だった。


【設営前に地面の状態を確認してください】


【ポールを組み立て、本体へ通してください】


【4か所をペグで固定してください】


【テント内で火気を使用しないでください】


「火は駄目。まあ、そりゃそうか」


 ページをめくる。


 設営方法。収納方法。雨天時の注意。破損した場合の問い合わせ先。


 だが、説明書の後半に差しかかったところで、一夜の指が止まった。


 残りのページが、すべて白紙だった。


「……印刷ミス?」


 ページ番号は振られている。


 目次にも、後半部分の項目がある。


 けれど、肝心の内容だけがない。


 返品するほどではない。


 設営方法は書いてあるし、通販サイトには動画もあった。


「まあ、初心者向けテントに、そんなに説明することもないか」


 一夜は説明書を収納袋へ戻した。


 その判断が間違いだったと知るのは、翌朝のことである。


     


 土曜日。


 一夜は電車とバスを乗り継ぎ、初心者でも利用しやすいと紹介されていたキャンプ場へ向かった。


 受付を済ませ、指定された区画へ荷物を運ぶ。


 周囲には、慣れた手つきで大型テントを設営する家族や、見たこともない道具を並べるキャンパーたちがいた。


 その中で、一夜はスマートフォンの動画と説明書を交互に見る。


「ポールを通して……いや、こっちが先か」


 テントの布が裏返る。


 ポールが外れる。


 ペグを打とうとして、石に当たる。


 簡単設営という言葉を考えた人間は、初心者を甘く見ている。


「……会社の調整よりは簡単だな」


 誰にも聞かれていないのに、そんな言い訳を口にした。


 設営開始から40分。


 ようやく、緑色の小さなテントが形になった。


 きれいとは言い難い。


 少し傾いている気もする。


 それでも、自分で作った空間だった。


 一夜は入口を開き、中をのぞく。


 寝袋を広げれば、それだけでほとんど埋まってしまう。


「狭いな」


 だが、不思議と嫌ではなかった。


 スマートフォンを機内モードにする。


 仕事のメールも、連絡も、ニュースも入ってこない。


 お湯を沸かし、インスタントのコーヒーを作った。


 紙コップを持って、テントの前に座る。


 夕方の風が木々を揺らしていた。


 誰にも名前を呼ばれない。


 何時までに何をしてほしいとも言われない。


 一夜は湯気の向こうに沈んでいく夕日を見つめた。


「これが、自分の時間か」


 何をするでもない。


 誰かの役に立つでもない。


 ただ座っているだけ。


 それなのに、久しぶりに呼吸が深くなった気がした。


 夕食はレトルトカレーだった。


 キャンプ場まで来てレトルトかとも思ったが、初日に凝った料理をして失敗するよりはいい。


 食べ終える頃には、辺りはすっかり暗くなっていた。


 一夜はテントへ入り、寝袋に潜り込む。


 薄い布の向こうから、虫の声と風の音が聞こえる。


 いつもの部屋とは違う。


 枕元にスマートフォンを置いたものの、画面を見る気にはならなかった。


「明日、帰ったら洗濯か」


 現実的な予定を思い出してしまう。


 それでも、月曜日のことまでは考えずに済んだ。


 一夜は目を閉じた。


 思っていたより早く、眠りへ落ちた。


     


 鳥の声がした。


 聞いたことのない、高く澄んだ鳴き声だった。


 一夜は寝袋の中で目を開ける。


「……朝か」


 体を起こす。


 よく眠れた。


 キャンプ場の硬い地面で寝たはずなのに、いつもの休日よりも頭が軽い。


 スマートフォンを確認すると、午前6時12分。


 圏外。


「山だし、そんなものか」


 テントのファスナーへ手を伸ばす。


 外へ出たら、顔を洗ってコーヒーを飲もう。


 それから撤収方法を確認する。


 一夜は入口を開いた。


「……あれ?」


 昨日まであったはずのキャンプ場が、消えていた。


 管理棟もない。


 隣の区画もない。


 家族連れの大型テントも、車も、整備された道もなかった。


 代わりに広がっていたのは、朝もやに包まれた森だった。


 見上げるほど巨大な木々。


 青みがかった葉。


 地面を覆う、灰色と緑の入り交じった苔。


 遠くでは、何か大きな生き物が枝を折る音がした。


 一夜はファスナーを半分閉めた。


「キャンプ場って、朝になると森になるんだっけ」


 ならない。


 少なくとも、予約ページには書いていなかった。


 位置情報を開く。


 現在地を取得できません。


 電話をかける。


 圏外。


 昨日の景色を撮った写真は残っている。


 夢でもなさそうだった。


「……落ち着こう」


 一夜はテントの中へ戻った。


 こういう時こそ、温かい物を飲んだ方がいい。


 現実逃避ともいう。


 小型バーナーをテントから離れた場所に置き、水を沸かす。


 コーヒーの袋を開けた時だった。


 低いうなり声が聞こえた。


 一夜の手が止まる。


 木々の隙間から、黒い影が現れた。


 狼に似ている。


 ただし、犬より少し大きいという程度ではない。


 四つ足の状態で、一夜の腰ほどの高さがある。


 黒い毛の間から、紫色の筋が脈打っていた。


 口元からは長い牙がのぞき、赤黒い唾液が地面へ落ちている。


「……犬、ではないな」


 狼のような魔物が、ゆっくりと近づいてくる。


 一夜は後ずさった。


 逃げるべきだ。


 だが、どこへ。


 知らない森を走ったところで、追いつかれる未来しか見えない。


 一夜はテントの入口まで下がった。


 魔物が地面を蹴る。


「うわっ!」


 黒い巨体が飛びかかってきた。


 一夜は反射的に頭をかばう。


 その直後。


 ごんっ、と鈍い音が響いた。


「……え?」


 魔物は、一夜の目の前で止まっていた。


 正確には、何もない空間へ顔面をぶつけていた。


 鼻先がつぶれ、牙が透明な壁を引っかく。


 魔物と一夜の距離は、1メートルほど。


 何も見えない。


 だが、確かにそこには壁があった。


「何だ、これ」


 魔物が再び体当たりする。


 透明な何かが、波紋のように揺れた。


 一夜は恐る恐る手を伸ばす。


 指先は、何の抵抗もなく外へ出た。


「内側からは触れる……?」


 魔物の爪が振り下ろされる。


 一夜は慌てて手を引っ込めた。


 爪は見えない壁に弾かれた。


「危なっ」


 安全らしい。


 完全には理解できないが、少なくとも今すぐ食べられることはなさそうだった。


 やかんから湯気が上がっている。


 一夜は魔物から目を離さないまま、コーヒーを作った。


 紙コップを両手で持つ。


 透明な壁の向こうでは、魔物が何度も体当たりを続けている。


 そのたびに、重い音が森へ響く。


 一夜はコーヒーをひと口飲んだ。


「……あ、うまい」


 状況にはまったく合っていない。


 だが、昨日より少しだけ上手に淹れられた気がした。


 その時、テントの中から紙の擦れる音がした。


 一夜は振り返る。


 収納袋から、説明書が半分ほど飛び出していた。


 風はない。


 一夜はコーヒーを持ったまま、説明書を開く。


 昨日まで白紙だったページに、黒い文字が浮かんでいた。


【テントレベル:1】


【追加機能:簡易保護領域】


【設営完了後、テントの中心から半径1メートル以内に保護領域を展開します】


【使用者に対して、明確な敵意または害意を持つ存在の侵入を防ぎます】


【保護領域内では、負傷の悪化を抑制し、疲労を軽減します】


【注意】


【保護領域外での安全は保証されません】


 一夜は文章を読み終えた。


 透明な壁の向こうで、魔物が大きく牙を鳴らす。


 もう1度、説明書を見る。


「いや」


 一夜は、白紙だったページへ静かに言った。


「最初から書いとけよ」

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― 新着の感想 ―
Xで説作に反応頂き、誠にありがとうございます。 著作読ませて頂いてます。 テント買って寝たら異世界だった!? 斬新な設定ですね! 読んでいて楽しかったです。 ブクマ、星5つ評価させて頂きました。…
テントの中心から1mではテント自体が入り切らない可能性があるのでは?せめて1.5mか2mぐらいにした方が良いかと。 読み始めなので先が楽しみです
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