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互いのくちびるをそっと触れ合わせるだけの控えめな、しかし今までで一番長いくちづけから彼女を解放した後で、ニコラスは


「ナルフィ城に戻ったら、剣の手合わせをしよう」


と言った。


もう彼女と自分の間には何の憂いもわだかまりもないのだ。だから、この数カ月間、二人の気持ちの行き違いのせいでできなかった二人にとっての恒例行事を、ニコラスは復活させたかった。


「え……?」


彼女のくりくりとした大きな瞳にまた驚きが宿った。


シルヴィはもう自分とは対戦したくないのだろうか。


もちろん、彼女が望まないのなら無理に続ける必要はないが、あれだけ執着していた自分との手合わせを、シルヴィはやめたいのだろうか。


ニコラスが疑問に思いながら


「俺を負かしてスヴェンに剣を教えてもらうんだろう?」


と訊くと、想像もしていなかった反応が返ってきた。


「い……いいの……? 私、剣をやめなくても、いいの……?」


ニコラスはシルヴィの言葉の意味が理解できなかった。


「何で剣をやめるんだ?」


「だって、剣を使うなんて、全然女っぽくないじゃない!?」


「……………」


言われてみれば、この平和な大国ティティスで武器を持つ女性というのは滅多に見かけない。


ニコラスは剣を持つシルヴィが女っぽくないか否かを改めて考えてみようとした。だが、すぐに考えるまでもないと思い直した。


以前、自分にとってシルヴィがまだ『親友の妹』にしか過ぎなかった頃、ニコラスは彼女を女性として見ていたわけではなかった。シルヴィを弟のように思っていた時期があったことも事実だ。


しかし彼女への恋心を自覚したその瞬間から、ニコラスにとってシルヴィはまぎれもなく一人の女性だった。彼女がその手に剣を取ろうが取るまいが、ニコラスの気持ちは少しも変わらない。


「確かに、よく考えてみるとティティスでは一般的じゃないな。でも、前にお前が言ってたじゃないか、『強ければ強いほど、大切なものを守れる』って。俺もそう思うよ」


彼女が自らの意思で剣を手放したいのなら、ニコラスとしてはそれはそれで構わないのだが、女っぽくないからなどという理由で無理に剣を手放そうとするのなら、それは馬鹿げたことだ。ニコラスはそう思った。そんな理由で諦めてほしくなかった。


「それに、剣を持たないお前なんて想像できない」


ニコラスがそう言ったところ、シルヴィはすがるように


「じゃあ、いいの……? 私、剣の練習をやめなくても、いいの……!?」


と尋ねた。


瞳に涙をにじませたシルヴィとしっかり目を合わせて、ニコラスは重々しくうなずいた。


「ああ。お前は剣を持っている時が一番輝いていると思うしな」


ニコラスが笑いかけると、シルヴィは嗚咽をこらえるようにぎゅっと下くちびるをかんでうつむいた。きつく閉じた目尻から次から次へと涙のしずくがこぼれ落ちた。


「ほら、泣くなよ」


ニコラスはそう言ってシルヴィの頭を撫でたが、泣きたいなら思いきり泣けばいい、と心のどこかで思った。


悲しい涙ならこぼしてほしくないと思うし、慰めたいとも思う。けれど今のシルヴィはきっと悲しくて泣いているのではないだろう。


感情を隠さないことこそがニコラスがシルヴィに惹かれた彼女の魅力のうちの一つだから、ニコラスは彼女を思う存分泣かせてやりたかった。


ニコラスはシルヴィを抱き寄せた。


するとシルヴィは彼の胸に顔を押し当てた。頻繁に肩を上下させて、どうやら泣き声を殺したいようだ。


我慢しなくていいから、誰にも遠慮せず、声を上げて泣くといい。


そんな気持ちを込めながら、小刻みに震え続けるシルヴィの背中をニコラスはゆっくり撫でた。


それが伝わったのだろうか、シルヴィはとうとう我慢できなくなって一度嗚咽をもらし、それを合図にしたかのように、ニコラスの素肌と彼女を隔てる彼の白い薄手のシャツをぎゅっと両手で握りしめ、激しくしゃっくり上げて泣いた。


シルヴィの背中で自分の手を上下に動かしながら、ニコラスは腕の中の少女を守りたいと強く思った。彼女が泣きたい時にはちょうど今のように泣ける場所を作ってやりたいと思った。彼女がいつどんな時にも彼女らしくいられるように、自分が彼女のためにできることを全てしたいと思った。


そして、彼女のあの飾らない、少しも気取ったところのない心からの笑顔が見たい。彼女の笑顔も、凛とした強さも、華奢な体つきの彼女に似つかわしくない勇敢さも、ひたむきさも、きっと太陽のように明るくニコラスを照らしてくれることだろう。


ようやくシルヴィが落ち着いた時、ニコラスは今までずっと抱きしめていたシルヴィの体を一度離してから、彼女に手を差し出した。


「城へ帰ろう」


シルヴィは彼のそれより小さな手をニコラスの手に重ねた。そのままぎゅっと握られたので、ニコラスもしっかりと握り返した。


手を繋いだ状態で自分たちの馬を目指して歩いているうちに、二人はどちらからともなく指を絡ませ合った。


シルヴィとの心の距離がいっそう縮まったような気がして、ニコラスの胸が甘い気持ちと彼女へのいとおしさで満たされる。


押し寄せる幸福感でニコラスの胸はいっぱいになってしまった。こんなことがあるのか、と彼自身も驚いたのだが、あまりの甘心に苦しいとさえ思った。


ニコラスは暗くなった東の空に輝く星を見ながら、幸せなため息をそっと逃した。


このお話はシルヴィ視点の『あまりてなどか 人の恋しき』(https://ncode.syosetu.com/n6829et/)と対になっています。


『フェーベ大陸の恋人たち』シリーズの話の流れとしては、『気難しい王子とそんな彼の婚約者』(イヴェット編)に続きます。

シルヴィとニコラスの今後は『こひぞつもりて』で扱っています。

(なお、以上の二つはムーンライトノベルズのほうで公開しています。)

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