セリーヌとクマ
ラバン国の城内に建てられたスウェイン宮殿。
宮殿ないにある豪華な内装や調度品、一年中花が咲き乱れる庭園やティーサロン、西と南側にある全ての部屋、これらは愛する王妃の為に現国王が造り揃えたものである。
王妃のドレスルームは王家の宝物庫と称され、その部屋の中にある物だけで数年は国費を賄えるだろうと噂されるほど。
愛してやまない王妃の為に働いていると常日頃から口にしている国王は、王妃のドレスを作らせるために今日も服飾師を宮殿に派遣した。
南側に置かれた客室では、子供を二人産んでも衰えない美貌を持つ王妃が娘である幼い王女を侍女に任せ、数名の服飾師と侍女に囲まれ右往左往している。
「セリーヌ、もう少しだけ待っていてね」
「はい、お母様」
普段から母親である王妃と過ごしているセリーヌは、こうして母親が忙しそうにしている日は侍女と共に部屋の隅で静かに遊んでいる。
部屋の隅にはセリーヌ専用の遊び場があり、そこには父親である国王と兄である王太子から贈られた様々な玩具があるが、セリーヌが気に入って持ち歩いているのはたったひとつだけ。
「クマさん。今日は何をして遊びましょうか?」
生まれたときから側に置かれていたというクマのぬいぐるみ。
何を模して作られたのか分からなかった人形は、言葉を話せるようになったセリーヌが「クマ」と口にしたことで、あの大きくて危険な動物を模した物だと発覚した。
確かに耳と目と口は似ているが、それなら他にも当てはまるものがあると言う周囲の言葉に決して頷かず、頑なに「クマさん!」と言うセリーヌに負け、今では王女が抱えている人形はクマさんと周知されている。
「セリーヌ様、甘いお菓子をお持ちしますか?」
「はい、欲しいです」
「では、少しだけ、あの距離までお側を離れますね」
母親の侍女でありセリーヌの乳母である老年の侍女が、数メートル先にあるテーブルへと歩いて行くのを眺めながら、セリーヌは親友であるクマさんに悩みを打ち明けた。
「あのね、今日はまだ、お兄様にお会いしていないのよ?」
毎朝必ずセリーヌを起しに来てくれる兄が今日は現れなかったのだ。
習慣となっていたそれがなければ気になるもので、兄であるレイトンに会いたくて仕方がないセリーヌはぷくっと頬を膨らませる。
「だから、今日はお兄様を探しにいきましょうか?」
それが本日の遊びなのだと、先程から頻繁に開け閉めされている扉をジッと見つめたあとセリーヌはクマを抱いて立ち上がり、扉ではなく庭園に出られる大きな窓へと歩き出す。
小さなセリーヌとクマが部屋をウロウロする光景は大変可愛らしく、皆が頬を緩める。
普段から大人しく、勝手な行動を取らないお利巧なセリーヌ王女。
その信頼が仇となった。
部屋を抜け出そうとしているなどと誰も予想できず、乳母が少し目を離した隙に小さな王女は忽然と部屋から姿を消していたのだ。
※
「ここは、どこかしら……?」
自身の身体の半分はあるクマのぬいぐるみを抱え、庭園から宮殿内の通路まで奇跡的に辿り着いたセリーヌ。
だが、今自分が居る場所も、どこへ向かえば兄であるレイトンに会えるのかもさっぱり分かっていない。
「お兄様のお部屋はどこかしら?」
キョロキョロと周囲を見回すが、セリーヌには全て同じに見える。
取り敢えず黙々と通路を歩き続けていれば、通路が左右に分かれてしまった。
「ん、クマさん」
困ったときは日頃から共に暮らし、悲しいときも嬉しいときも、いつも一緒にいたクマに頼ればいい。
「はい」
通路の床にそっとクマを座らせ、正面にしゃがみ込む。
「クマさん、どっちかしら?」
小さな宝石の瞳をジッと見つめながら、クマの両腕を軽く振ると、クマは右でも左でもなく真後ろへと倒れた。
右と左は通路が続くが、真後ろには……。
「またお外?」
通路はなく、ただの庭園。
「お兄様はそっちなのね?」
クマは絶対。クマが白と言えば白になり、真後ろだと言うのなら真後ろなのだ。
「ふんふふん……ふふ、ふふふっ」
クマを抱き上げ再び庭園へと入って行けば、当然だがそこはやはり草木や花しかない。
このどこかにレイトンが居ると信じでいるセリーヌとクマは、鼻歌を口ずさんで尚も突き進む。
その頃、王女がいなくなったことに気付いた王妃が慌てて国王の元へと走り、取り乱した妻のために政務を放棄した国王が騎士を総動員させるという事態が起こっていたが、そんなことはこの一人と一体には関係がない。
「お兄様?どこですか?」
随分と奥まで歩いたため、室内履きだったセリーヌの足は限界を迎えていた。
ぬいぐるみとはいえ身体の半分の物を抱え続ければ腕も疲れるし、この時間はいつもお昼寝をしているので目がショボショボしている。
「……あ」
眉が下がり視界がぼやけてきたセリーヌの前に、小さな小屋が現れた。
その小屋は庭師が庭園の手入れに使う道具を置いている倉庫で、施錠はされていない。少し開いていた扉の隙間から小屋の中を覗いたあと、セリーヌは扉を開け中へ足を踏み入れた。
「……」
小さな小屋の中は少しだけ暗く、見たことのない道具が沢山置かれている。
「……んっと」
窓の側にあるテーブルと椅子を素通りし、その横に積み上げられている藁の上へセリーヌとクマは腰を下ろす。
狭くて暗い小屋の隅、固くてチクチクする藁の椅子。幼い子供なら泣き出してしまうはずなのに、何故かしっくりとくる様子にセリーヌは目をパチパチと瞬かせる。
「……クマさん、ここでお兄様を待ちましょう?」
隣に座らせたクマに寄り掛かり、この小屋を気に入ったセリーヌは目を閉じた……。
『またこんな隅で寝て……どうしてベッドじゃなく絨毯の上で寝るのかしら。風邪ひくわよ?』
優しい声に閉じている瞼が震え。
『電気を付けないでまたパソコンを触っていたのね。まったく、カーテンを開けるわよ』
怒られているのに、頭をそっと撫でられ頬が緩む。
『クマを抱いて眠るなんて……まだまだ子供ね』
初めて貰ったプレゼント。
とっても大切なクマだからと口をもごもごさせれば……。
『ほら、もう起きなさい』
壊れ物を扱うかのように優しく肩を揺すられ……。
「……ヌ?セリーヌ!?」
パチッと目を開けた。
「お兄様……?」
「良かった!ただ眠っていただけだね?どこも怪我などはしていないかい?」
突然目の前に現れた兄に抱き締められながら、セリーヌはキョロキョロと周囲を見回す。
あれ……?あの……?と口にしながら何か大切なことが抜けているように思えるが、それが何か分からず首を傾げる。
「どうしてこんなところに?母上がとても心配されているよ」
「あのね、お兄様に会いにきたのよ?」
「……僕に?」
「今日はまだお兄様にお会いしていなかったでしょ?だから、クマさんと会いにきたの」
溺愛している妹から可愛らしいことを言われたレイトンの顔は緩み、自分を見上げニコニコと微笑むセリーヌをぎゅうっと抱き締めた。
「それなら僕の所為だね。ごめんね、今日は朝から忙しくて。これからは、何においてもセリーヌを優先するから、ね」
最後の一言は、レイトンが背後に立つ侍従に向けて言った言葉である。
国王である父親との政務の時間がズレ、セリーヌの顔だけでも見たいというレイトンの願いが却下された結果がコレだ。
やはり今朝顔だけでも出すべきだったのだと、殺気立つレイトンに侍従の身体が震える。
「さぁ、母上のもとへ急ごうか?母上が悲しむと父上が暴走するからね」
レイトンに抱き上げられたセリーヌは肩に頬をのせ、またあの夢が見られるだろうか?と目を閉じた。