饒舌・夏 第2話
饒舌・夏 その2
その日、新荷は教卓の上に腰かけていた。じつに行儀が悪い。しかしこいつの行儀の悪さは今に始まったことではないので、特に何も言うまい。新荷は機嫌よさそうに足をぶらぶらさせながら、俺の目線よりもすこしだけ高い、そんな位置から俺を見下ろし、にやにやと笑う。ずいぶんと満足そうである。教室の中は外の強い日差しが奥まで入り込み、日差しの赤色と影の黒色が塗り分けたようにはっきりとコントラストを作り出していた。新荷の座っている教卓は、ちょうど日陰になっている。
「やあトワ君、よく来たね」
心なし、口調も普段より1割増しくらいで偉そうだ。
「ふふふ、知っているかい、動物は本能的に、自分より高い位置から見下ろされると委縮してしまうものらしい。猫や犬はその傾向が観察されるというけれど、残念ながら私はそれを実験したことが無いから、ためしにトワ君で実験しているのだけれど、どうだい、トワ君。今の気分は」
上から問われて、俺はふむ、としばし考えた。犬猫と同じ扱いを受けたことに関しては、とりあえず流しておこう。こんな程度のことにいちいち反応していたら、新荷の相手は務まらない。連想を働かせ、ふと思い出す。
「……うちの婆ちゃんが昔猫飼ってたんだが、そいつ、まだガキだった俺に対してどうもなめてかかってたらしくてな。呼んでも反応しないし、なでてやろうとしたら嫌がるし、かまってやろうとするとすぐに棚の高いところに逃げて、俺としてはずいぶん悔しい思いをしたもんだが、なるほど、自分が上位だと言いたかったわけか。そうだよな、いくらガキとはいえ、猫が人間の身長に勝てるわけないもんな」
何年来の謎が解けて納得する俺に、新荷は、むぅ、と口をとがらせた。
「君が無駄に背の高いのは別段なんの自慢にもならんよ。単純に生物上、いや、物理上の特性であるだけだ。普段私に身長として勝っているからといって、数字上の意味以外無いぞ。そんなことより質問に答えなよ。どうだい、今の気分は」
話を逸らしたのがばれたようだ。新荷はこの“実験”の効果をどうしても確認したいらしい。やれやれ。
「とりあえず、珍しいもん見たなという気分ではあるな。俺としてはいつも見えてた新荷の頭頂が見えないってのは新鮮だ」
「と、頭頂? 君はいつもそんなものを見ていたのか、趣味が悪いぞトワ君」
驚いたように頭を両手で護るように抱える新荷。
「いや、今は見えないって話だよ、今隠しても意味はない。それに見たくて見たんじゃない、目に入るんだから仕方ないだろ」
「見えても見ないのが紳士的ふるまいと言うものだ。ま、君に紳士的ふるまいなんて高度な態度を要求する方が酷といったところかね。君は昔からデリカシーと言うものがない男だからな」
「昔からって、俺と知り合ったのは去年の夏くらいじゃなかったか?」
「去年の秋だよ。だが、男子三日会わざれば括目して見よというくらいだ。三日でもう目をこすって見直せって言われるくらいだから三日も一年も、けだし年月など些末なことさ。問題はどれほど相手を知っているかということだ」
「つまり俺のことは何でもお見通しだってわけだ」
「『何でもは知らないわ、知っている事だけ』。つまり学校内に限ってという限定条件付きで、だけどね。まあ、トワ君の場合、学校の様子で家での様子も推測可能だ」
コイツの場合、本当にそうだから始末が悪い。
「……学校じゃそう見えないかもしれないが、実は家じゃ勉強三昧だぞ」
「くっくっく、すぐばれる嘘をつくのは頭の悪い証拠だぜ。教材すら持ち帰らない人が何を言っているのだって話だね。登下校時のトワ君のカバンの薄さを見れば一目瞭然、証拠品を出すまでもない、『異議あり!』だ。とんがりアタマの弁護士もさじを投げるレベルだよ」
新荷が俺の知らないたとえ話を説明なしに使うのはいつものことだから流しておくが、しかし、左手の人差し指をビシッと突き付けられている今の状況はスルーしにくかった。目前にある新荷の手を払いのけ、ようとして思いとどまる。そのまま体をそらすように移動して、新荷の指先から距離をとった。
「近っ。危ないだろうが」
と意味のない突っ込みを入れてみるが、当たり前のように鼻で笑われた。
「近いからどうだというのだ。私は君に危害を加えることはない、それはできない。そんなこと、トワ君だって百も承知だろう?」
「気分の問題だ。目の前に指突き付けられて気分のいい奴なんかいるもんか」
「くっくっく、なるほど、探偵もので探偵に指摘された犯人の気分を味わったわけだ。そいつは重畳。これで、いつ犯人になっても安心だね」
「犯人になるの確定してんのかよ。俺がなんの罪を犯すってんだ」
こんなに無害な男はほかにいないってのに。
「人間は生まれながらに罪を負っているものなんだよ。原罪という名の罪をね。くっくっく、人間どこでも考えることってのはたいてい同じらしくて、この原罪という考え方は言わずと知れた旧約聖書からの引用だけども、生きることそれ自体が苦であるとか、ほかの宗教でも言及されていることだ。ま、宗教なんてのは生きていくのが辛い人間がすがりつくものなんだから、『人生はつらい』と嘆く信者に『そうだねつらいね』と同意してあげる必要があるわけで、そう考えれば当然といえば当然だけどね」
「世界中の宗教信者を敵に回さなかったか、いま」
「世界宗教の信者数を考えると、彼らを敵に回したら即パブリックエネミーナンバーワンになれるな。その名称には少々憧れるところはあるが、ふむ、想像でも不気味な泡に遭うのは、少々恐ろしい気がするねえ」
「ぶきみなあわ?」
「失礼、小説のネタなんだが、古すぎたかもしれないね。名作だからトワ君にも読んで欲しいところだが、君は本嫌いだったか」
「あいにくとな」
本屋くらいならマンガを買うために行くことはあっても、図書館というものを利用した記憶がない。おかげで未だに学校の図書室の場所もよくわからん。……いや、さすがにこれは嘘だが。
「やれやれ、人生の九割を損しているに等しいぞ。青年よ、書を捨てるなかれ。勉学に励むからこそ学生と言うんだぞ」
言葉通り、実際に『やれやれ』と肩をすくめる新荷。
「九割は言いすぎだろ……」
「はっ。言いすぎなもんか。足りないくらいだよ。いいかいトワ君、本は友人であり師であり親であり指針だ。だから、それら全てを持たない人生は、一割ほどの価値しかない、と言っても過言ではないだろう。それとも、トワ君、君は友も親も要らないというのかい」
「要らないとは言わないけども」
新荷も一応“友”に入れても、だ。
「ならばそれが証拠でそれでQEDだ。トワ君の人生のために、そうだな、せめて私が本の代わりをすこしでも務めようじゃないか。親として師として指針として、とまでは言わないが、まあ、この饒舌を思う存分に聞かせてやろうということだ。これは実に稀有な事象だからね、是非ありがたがっていただきたいものだな」
「それ、いつもとどう違うってんだ?」
むしろ有難がるように要求されている分負荷が上がっている気さえする。
「違いのわかる男にならなくっちゃダメだよ、トワ君? ……なんてね。くっくっく、つまりいつもどおりでいいってことだよ、我が友」
「結論はそこかよ。相変わらず大仰だな」
「大仰で結構、これは私の癖みたいなものだからね。無くて七癖、わかっているだけマシだと思ってくれたまえ」
「自覚はあったのかよ」
「トワ君にだってクセはあるじゃないか」
「あ? そうか?」
「知らぬは本人ばかりなり、とはこのことか。かわいそうに」
「同情された……」
どんな癖だかわからないが、新荷に同情されるとか、思ったよりショックだった。ずぅん、という効果音を背負って俺がうなだれていると、
「落ち込んでるところ悪いが、そろそろ時間だよ、トワ君?」
まったく悪いなんて思っていない口調でそう声をかけられた。ハッとして顔を上げる。
「おっと、やべ。そういや遅かったんだっけ」
慌てて帰り支度をする俺に、新荷はにやにや笑いながら、声をかける。
「また明日、トワ君」
「応」
俺も返事をして、大急ぎで教室を出た。
第2話でした。残り6話です。




