合わせ鏡の呪縛(前)
ゆったりとした二人だけの時間が過ぎ、馬車が家にたどり着く。キースの手を借り馬車を降りると、報せを受けたのかルカの姿があった。いつもと違い落ち着きのないルカは、ソワソワしたように手をこすり合わせている。
「お嬢様ー」
「まあルカ、お客様の前よ」
馬車を降りてきた私にルカが泣きながら駆け寄った。そしてそのままの勢いで、私に抱きつく。
「申し訳ございません。ですがルカは」
「ええ、分かってるわ。心配してくれてありがとう」
取り出したハンカチでルカの涙拭った。ルカだけではなく、父と母も心配していることだろう。あまり無茶をしないようにしないと。でも申し訳ないと思うと同時に、やはりそんな優しさがうれしく感じる。
「侯爵へ話したいことがあるのだが」
「はい。旦那様からも、もし殿下がお見えになるようなら書斎へご案内するように賜っております」
「お父様が、キース様に?」
何の話だろう。いくら父でも、王弟殿下であるキースに苦言を呈すことはないと思うのだが。
「あの、それよりも今ミア様が戻っておいでになられて……」
「ミアが? しばらく領地にて謹慎となったはずなのに」
それに私が倒れてしばらくしてから、グレンがミアのところへ向かったはずだ。それなのに、どうしてミアだけ戻って来たのだろう。いや、そもそも時間的にグレンとすれ違っってしまったのだろうか。しかし王都から領地までは一本道だったのはず。道が一本しかないのに、侯爵家の馬車に乗ったミアをグレンが気づかないなんてことは、絶対にありえない。
「グレンはどこに行ってしまったのかしら、こんな時に」
そう言って、ふと違うことを思いつく。もしかするとミアは領地には戻っておらず、謹慎するフリをしてどこかの王都のホテルにでも滞在していたのではないか。ミアの侍女たちは皆、ミアに妄信的だったし、領地での謹慎なんてと言っていそうだ。そう考えれば、ミアとグレンが会えなかったということも納得がいく。
「それで、ミア様が、今ご自身の侍女は皆解雇されてしまって誰もいないので、ソフィア様に部屋に来て下さらないかとおっしゃっているのです」
「それは、ソフィアに侍女の真似事でもしろということか」
「キース様、さすがにそれは考えすぎです。どうせ自分で私を呼びに行くのも面倒なので、きっとルカに伝言を頼んだだけだと思いわすわ」
「それにしてもだ。何も今日会う必要はないだろう。倒れたばかりだというのに」
「……でも私も話したいんです。ミアと、ちゃんと」
「ソフィアはいつも無理ばかりするから、俺としては大人しくしていて欲しいのだが」
「ん-、そうですね……明日からちゃんと考えます。それよりキース様、あのプレゼントを今もらえませんか?」
手を差し出す私に、一瞬なんのことを言っているか分からなかったキースの動きが止まる。しかしすぐに先ほどの小包のことを言っているのだと理解したキースの顔色が変わった。
「何言ってるんだソフィア。あれは、ダメだ」
キースは力強く首を横に振る。
「でも、ちゃんとキース様が選んで下さったんですよね。だったら、私頂きたいんです。今の私なら、大丈夫です。お守り代わり、ダメですか?」
そう今の私なら、ちゃんと身に付けることが出来る。それにどんな思惑があったにせよ、これぐらいではもうブレない。むしろちゃんと、ミアの前でも胸を張っていられる。一番欲しかったものをやっと手に入れられたから。
キースは何かを言いかけ、しかし諦めたようにため息を一つつくとプレゼントを取り出した。包み紙がヨレヨレになってしまっているものの、中の箱は崩れてはいない。私は丁寧にその箱を開けると、中から三日月の細工に小さな茜色の石の付いたペンダントが入っていた。
「この石はキース様の瞳の色ですね」
「ああ。こういうのは、自分の色の付いたものを贈る方が喜ぶと言われて」
ミアにそうアドバイスをされたのだろう。なんでなのだろう。ミアは私を嫌っているはずなのに、このプレゼントはちゃんと選ばれている。派手ではない装飾も、キースの瞳の色の石も、全て私の好きなものだ。
「……」
「ソフィア、やはりこれはやめておこう」
「いえ。そうじゃないんです。むしろびっくりするくらい、私のこと分かってるなって、少し感心しただけです。キース様、付けて下さいますか?」
「ああ」
付けると、その小さな石がキラキラと胸元で輝いて見える。ただそれだけで、キースが側にいてくれるような安心感があった。
「ルカ、キース様をお父様の元へ案内して。私はミアに会ってくるわ」
「畏まりました。あとでミア様のお部屋にお茶をお持ちさせていただきますね」
「ええ、お願いね。ではキース様、また後で」
「とにかく、無茶なことだけはしないでくれ」
「はい、もちろんです」
ルカがキースを連れ、父の元へ向かったのを見届け、私は一人ミアの部屋へと向かった。
自分からこの部屋に入るのはいつぶりぐらいだろうか。小さい頃は、どこにでもいる普通の姉妹として二人で遊べていた気がする。ミアが瑞希としての記憶を取り戻したのは、たぶんあの子が10歳になる少し前くらいだろうか。あの頃はよく何かに取り憑かれたように泣き叫ぶことが多く、いろんなお医者様に父たちが診せていた気がする。そしてどこにいても私にべったりとくっついて、いつも気付くとベッドにもぐりこんで来ていた。縋りつかれてかわいいと思う反面、父と母を独り占めにしているようなミアが、私はやはり嫌いだった。そんなことでも、きっと過去を引きずっていたのだと思う。
「ミア、入ってもいいかしら」
「どうぞ、お姉さま。お入りになって」
ペンダントを一度ぎゅっと握りしめ、深呼吸をしてから私はドアを開けた。
ミアの部屋は全てをピンクで統一されていた。簡素で実用的な私の部屋と違い、ぬいぐるみやふわふわとしたクッションなどが至る所に置かれている。猫足の椅子には、その一つ一つに、リボンまで巻かれる念の入りようだ。何から何まで正反対というのは、このことを言うのだろう。
「お姉さま、王宮で倒れられたと聞いて、もうわたしびっくりしたのですよー。さあ、また具合が悪くなるといけないから、座って座って」
ミアがティーテーブルの椅子を勧める。体力がない私は、仕方なくその椅子に座る。そしてミアがその対面に座った。
「何日か前から風邪を引いていたの。だけど、熱が下がったのでいいと思って登城したら気分が悪くなってしまったのよ」
「まったく、無理するからですよ? 姉さま」
「ねえミア、あなたグレンと会わなかったかしら? 私が倒れた後、グレンがあなたに会うために領地へ向かったはずなんだけど」
「え、グレン様が……」
「ここから領地までは一本道だったはずだから、あなたがここへ帰って来たなら、どこかで会えたはずなんだと思うんだけど」
答えが分かっていながらも、あえてミアに尋ねる。
「わたしが……朝早く領地を出発したから、きっと行き違いになってしまったのだと思うわ」
視線を合わせることなく、ミアが答える。ミアは何度か視線を動かし、ティーカップに手をかけてみたり、離してみたりと落ち着きがない。まさかグレンが自分を追いかけて領地まで行くなどと、思ってもみなかったのだろう。その挙動不審な態度は、嘘を付いてますと言わんばかりだ。
「ミア、このお茶どうしたの?」
ルカはミア付きの侍女がいないから、あとで茶を持ってきてくれるといっていたのに、すでに私たちの前にはティーカップに注がれたお茶が湯気をたてている。まだ淹れたてらしいそのお茶は、何かが私の中に引っかかった。
「こ、これは、わたしが姉さまのために淹れたものですわ。せっかく淹れてみたので飲んでくださいな」
見たところは本当に普通のお茶のようだが、ミアがわざわざ私のためにお茶を淹れるなんて。
「でも姉さま、ホントに風邪で倒れたのですか?」
「ええ、もちろんよ。変なこと聞くのね、ミアは。そうだ、これ、ありがとう。キース様から頂いたわ。私のためにあなたも一緒に選んでくれたなんて、私うれしいわ」
にこりと笑いながら、身に着けたペンダントをミアに掲げて見せる。
「今、帰り道にキース様に付けていただいたの。どう似合うかしら」
「ええ、とっても……。キース様に付けていただくなんて、それは良かったですわね、お姉さま」
平然とペンダントを身に付けている私に、ミアは露骨に顔を顰める。こんな風に、ペンダントを受け取って身に着ける余裕のある私を、見たかったわけではないはず。だからあえてそれを、逆手に取ったのだ。
「ずいぶん幸せそうですね、姉さま」
「ええ、もちろんよ。何が……誰が大事なのか、よく分かったから。今日、キース様の求婚を受けることにしたの。それもこれも、全部あなたのおかげよミア。あなたが私に、分からせてくれたから」
「姉さま、それはわたしに対する嫌味ですか」
「なに言っているの。これは、本心よ。だってそうでしょう? 私に、欲しいものは欲しいとちゃんと言わないとダメだって、あなたが教えてくれたんだもの」
「なんなんですか、それ」
机をバンっと叩き、ミアが立ち上がる。その顔は今までの余裕など微塵もない。
「今まで、姉さまはわたしのことなんて見向きもしなかったくせに。なんで今になって、そんな目でわたしを見るのよ!」
「ミア、あなたの言ってる言葉の意味が私には分からないわ」
「姉さまはグレン様より地位の高いキース様と結婚することで、わたしに勝ったって言いたいんでしょ。わたしのこと、見下してそれで満足なのですか」
「ミア、あなたはどうしてそんな発想になるの。私が誰と結婚したって、あなたが誰と結婚したって、そんなのは勝ち負けの話ではないでしょう。私たちは幸せになるために、一緒になるのよ。そんなつまらないことに対抗心を抱いてどうするの」
何がそれほどまでに、ミアに私や地位を固執させているのか。結婚ですら、私との勝ち負けの対象にしようとしていたなんて。そんなの絶対に間違っている。
「いい加減にしないさい、ミア。前にも私は言ったはずよ。あなたは、このブレイアム家の侯爵夫人となるの。そんなことで、どうするの」
「そうやって上から見下している姉さまには、わたしの気持ちなんて絶対に分からないわ」
「私がいつ、あなたを見下したというの」
いつでも私は見下される存在だったというのに、ミアの瞳に私はどう写っていたのだろうか。
グレンか誰かが間に入れないと、もうこれ以上の話し合いは喧嘩になるだけだ。私はティーカップに手をかける。ミアが淹れてくれたというお茶だけ飲んで、退出しよう。
「もうこれ以上は二人で話すのは無意味だわ。明日以降で、グレンかお母様のいる時にまた話ましょう。お茶、ご馳走様でした」
私はそのまま、ぐっとお茶を流し込む。
「?」
匂いは確かにいつもの紅茶だった。ただ一気に流し込んだお茶は、明らかに味がおかしい。すぐに口の中や喉、その全てが焼け付くような痛みが走る。
「ゲホっ」
思わず吐いた物に血が混じる。まさか、毒が入っていたなんて。
「なにこれ、なんでこんなことに、嘘でしょ」
ひどい吐き気とむせ込みから、しゃべることが出来ない私をミアが真っ青な顔で見ていた。
「わたし、こんな、うそだ……。ただ姉さまに嫌がらせがしたかっただけなのに」
ガタガタと震え、訳の分からないことをミアが繰り返す。私は倒れこみながらも、テーブルの上のティーカップたちをを叩き落とした。
「だ、誰かー! お姉さま、しっかりして下さい。誰か、誰かきて! 医者を呼んでー」
ティーカップの割れる音で我に返ったようなミアが、倒れこむ私を抱きかかえ、大声で叫んだ。遠くから、バタバタと走る足音が聞こえてくる。
「なんでこんなことに、姉さま、しっかりしてください。わたし、わたしは……」




