第281話 最終回 藤崎蒼真、最後の日
春休みの初日。
ついにこの日がやってきた。
黒川さんの運転する車に社長と同乗し、千葉の九条家へ向かう。
現地には弁護士の先生と遥さんの母親、そして妖怪と言う噂の九条家当主が待ち構えているそうだ。
「緊張するなって言う方が無理だね。今の気分は?」
社長はそう聞きながら、車載の冷蔵庫からコーヒーを取り出し手渡してくれた。車の中は暖房で少し暑いぐらいだったので、缶の冷たさが心地よかった。
「正直わからないです。自分で決めたことだけど、現実味がまったくなくて……」
そう言ってからプルタブを上げて一口飲む。喉を通る冷たさに癒やしを感じた。
「今から会う私の父――まあ君の祖父でもあるわけだが。彼のことは遥から色々聞いているだろう。きっと散々な言われようだったと思うが、変わり者なのは間違いない」
――そこは否定しないんだな……。
「遥さんは『お爺さんには逆らうな』と言ってました。それだけ怖い人なんですか?」
「はは、正直言えばわからないんだよ。現当主には逆らった人がいないからね」
社長は決して臆病な人ではないのはわかる。それでも逆らったことがないというのは、それだけ厄介な人物なんだろう。
「……まあ、酷い目に会うと思えば……誰だってそうですよね」
社長は一瞬だけ苦々しい顔を浮かべるが、すぐに穏やかな笑みに戻った。
「そうだね。だからこそ、我儘になってしまったんだろうな。――まあ会えばわかるよ」
俺は「はあ……」とだけ答え、流れ行く車窓をぼんやりと眺めていた。
景色は段々と見慣れた場所に変わっていった。きっともうすぐ着く――。
小高い丘の上に大きなお屋敷がある。俺が住んでいた場所からはそう遠くない。見覚えはあったが、気にも留めていなかった。以前の俺にはその程度の場所だった。
屋敷の駐車場に停車し、外に出る。
今日は春の穏やかな日差しが降り注ぎ、絶好の行楽日和だ。
こんな日は朝からお弁当を作って彼女たちと公園に行ったらさぞかし楽しいだろうな。などと考えてしまうのは現実逃避だろうか。
緊張で胃に穴が開きそうだった。
「蒼真くん! 久しぶりね!」
屋敷の入口で声を掛けてきたのは弁護士の浅見さんだった。
「お久しぶりです! ――ああそっか。九条家で弁護士の先生って言ったら浅見さんに決まってますよね」
久しぶりの再会を喜んでくれるように朗らかな笑顔を俺に向ける。清楚なスーツに身を包み、飾り気のない化粧でもその綺麗さは目を見張るものがあった。
「蒼真くんがまさか九条家の養子に選ばれるなんてね。聞いた時はびっくりしたよ!」
「浅見さんがびっくりしてることにびっくりですよ。既定路線じゃなかったんですか?」
俺の言葉に浅見さんは肩をすくめる。
「そんなはずないじゃない。君が思うよりも私は何も知らないし、君の努力次第でどう転んでもおかしくなかった話よ。――ホントによく頑張ったわね!」
そう言って浅見さんは俺の手を取りギュッと握ってきた。温かいぬくもりに、彼女の思いがしっかりと伝わってきた。
「まあそういうこった。俺も理央には全部を話してるわけじゃないからな。守秘義務はきっちり遂行する」
トランクから荷物を取り出してきた黒川さんが、俺たちにそう声をかけた。
「まったく……この件は貸しだからね、駿」
浅見さんは頬を膨らませ、黒川さんを肘でつついた。
社長が仲睦まじい二人を見つめ、穏やかな微笑みを浮かべていた。
「はは、相変わらず二人は仲が良いね。今年に式をあげるんだったね」
「八月を予定してます。長期休暇をいただきますので、すみませんね社長」
そう言ってニヤリと笑いつつ、ぺこりと頭を下げる黒川さん。
「ああ、たっぷり楽しんでおいで」
社長は嬉しそうにそう言った。
「へえ~新婚旅行っすか。ちなみにどこ行くんですか?」
俺の問いに、黒川さんは白い歯を見せて、にかっと笑う。
「アメリカだよ。ラスベガスで一攫千金だ!」
「だめよ駿。あなたはギャンブル向いてないんだから。全財産むしり取られるわよ~」
そう言って口に手を当ててクスクスと笑う浅見さん。なにか前科でもあったのだろうか。
苦々しい表情を浮かべ、踵を返す黒川さんだった。
「ったく……まあ、当主様をいつまでも待たせてはいけないか。社長、そろそろ行きますか?」
「ああ。じゃあ蒼真くん。いざ行こう」
「はい!」
他愛のない話でいくらか緊張もほぐれた。
さあ出陣の合図だ。今更もう後戻りはできない。俺は気合を入れるべく、頬を両手でピシャリと叩いた。
文化遺産のような和風建築だ。玄関を通ると、い草と古めかしい木の独特な香りが漂ってきた。古民家的だが、至る所に意匠がこしらえてある。実に趣深い家だと思った。
民家とは思えないほど長い廊下の先に広間がある。
襖の手前で俺たちは止まる。
「失礼します。悠翔です。蒼真くんをお連れしました。謁見を願います」
「入れ」
厳しい声が響き、社長が襖を開けた。
手前には妙齢の女性が正座で佇んでいる。綺麗な顔立ちはどことなく遥さんを思わせた。この方がきっと遥さんのお母様なのだろう。淡い色合いの上品なワンピースに身を包み、背筋を伸ばして正座するその姿は、見た目の年齢以上の落ち着きを感じさせた。
そしてその奥には九条家当主が俺をじっと睨んでいる。
少し厳つめなご老人、というのが第一印象だ。
しかし、その眼差しは妙に心をざわつかせた。
「てめえが蒼真か。どれ、こっちにこい」
アクの強さを感じる物言いに少し怯みつつも、当主の前に来た。
「ほれ、もっとこっちにこい」
さらに近づけと言うので、もう二歩進む。当主との距離は手の届くところだ。この近さなら一撃で殺れる。
――いや、もちろん殺らないが。
当主は俺の顔をじっと覗き込んで首を傾げる。途端にくぐもった音が漏れた。
「ふふ、はははは、はーっはっはっは!」
「うわっびっくりしたっ!」
「てめえ、俺の目を逸らさねえんだな。やるじゃねえか」
「ああ……どうも……です」
――褒められてるのか……? いったいなぜ?
「つうか、てめえのその目は……」
またも俺の目を覗き込む当主。その眼差しには覚えがあった。遥さんと同じく、相手を威圧し蹂躙する眼差しだ。九条家の血筋の現れなのだろうか。
「……悠翔ぉ……てめえ……このやろう……」
当主の睨みは凄まじく、社長をギラついた目で見据えてる。しかし、当の社長は涼し気な目元で見つめ返している。
「けっ……まあ今はいい……」
ちらっと遥さんの母親らしき方に目をやり、そしてまた俺を見つめる。
「結城のクソジジイがてめえのことをべた褒めしてたからよぉ。ちったあ興味も沸いたが、こりゃあ面白え。予想以上だ……」
――何か勘付いたのだろうか。
俺の血縁は伏せているはずだが、どこまで誤魔化しが聞く相手だか検討もつかない。ただ、当主は酷く満足げにうんうんと頷いていた。
「蒼真だったな。いいぜ、認めてやる。――九条を名乗れ」
張り詰めた空気が途端に和らいだ気がした。正直生きた心地がまったくしなかった。
「ありがとうございます。九条の名に恥じぬよう精一杯務めさせていただきます」
姿勢を正し、頭を下げて、事前に決めていた口上を述べた。
当主は遥さんのお母さんの方を向いて、くいっと顎を上げた。
すっと立ち上がった女性が俺を手招きしてきたので、襖の奥の部屋へ一緒に入った。
襖を閉めて二人きりとなった。薔薇の香りが漂うとても綺麗な女性だ。
「はじめましてね。遥の母親の十香よ。これからよろしくね」
物静かに見えたが、その言葉はしっかりと力強く、芯の強さが伺えた。
「遥さんにはいつもお世話になっています。今後ともよろしくお願いします」
無難な挨拶をする俺に、十香さんは可笑しそうに頬を緩めた。
「ふふ、そんなに畏まらないで。遥からはあなたのことをよく聞いているの。本当にありがとう。感謝しているわ」
そう言って俺の背中に手を回し、ぎゅっと抱きしめてきた。突然のことで驚いたが、悪い気はまったくしなかった。
むしろ受け入れてくれたことの喜びが大きかった。
「お母さん、母上、ママ。なんて呼んでもいいけど……そういや悠翔のことは何て呼んでるの?」
首を傾げて俺を見つめてくる十香さん。初めて会うこの人がこれから義理の母親となるのが、なんだかとても不思議だった。
「ああ……まだ社長としか呼んでません」
彼は実の父親だが、それは当主や十香さんには言えない秘密の話だ。
「なんだか味気ないわね……いいわ、私のことは“お母さん”でどうかしら?」
「え……いいんですか……?」
驚いた俺の顔を可笑しそうに、そして慈愛たっぷりの瞳で見つめる十香さん。
「さあ、呼んでみて?」
「じゃあ、お母さん……これからもよろしく……です」
「ふふ、あなたとは仲良くなれそうだわ。――九条家では辛いこともあるかもしれないけど、私はあなたの味方になってあげる」
「ありがとう……お母さん」
そう言ってまた俺のことをぎゅっと抱きしめてくれた。
涼しげな見た目とは裏腹に、とてもあたたかな人だった。
大広間に戻ると、当主の姿はそこになく、社長と黒川さん、そして浅見さんが書類の整備をしていた。
「蒼真くんのご両親からの印はいただいてるの。あとはこの書類を役場に提出すれば完了ね」
「はあ~……随分と簡単なものなんですね」
「普通養子縁組ならそうね。ケースによっては家裁を通さなければいけないけど、今回は両家の意思が明確だから特に問題は起こらないわね」
「そうですか。浅見さん、いろいろありがとうございました」
浅見さんは笑顔を浮かべつつも、ふと重苦しい表情に変わった。その眼差しは酷く俺を心配しているようにも見えた。
「そうねえ……蒼真くんが大変になるのはこれからだから。当主はあんな感じで気難しいし、分家との付き合いや九条グループを担う重責。平坦な人生は望めないわね。――ねえ、本当にこれでよかったの?」
彼女の心配していることは、俺の想像を超えたところにあるのだろう。この先に何が起こるかなんてまったくわからない。でも――。
「よかったんだと思います。勢いもあったけど、何も持たない俺が無理を通すには、やっぱり無茶しないと駄目かなって。――チャンスがあるだけでも本当に恵まれてると思います」
浅見さんは何度も頷いて、今度はしっかりと俺の目を見つめてきた。
「ふふ、君の前途に祝福があるように願っているわ。おめでとう、蒼真くん」
そう言って優しく抱きしめてくれた浅見さん。きっと俺は恵まれていると思う。親身になってくれる人が大勢いる。その人たちから大事にされていることがはっきりと伝わってきた。
九条家を離れ、帰りの車中。辺りはすっかり暗くなっていた。
高速に乗った辺りで、行きと同じようにコーヒーを手渡してくれた社長。
「はは、こればかりで申し訳ないね。――十香は何て言ってたかな?」
言葉を選ぶように社長が聞いてきた。二人の関係の微妙さを少しだけ感じとった。
「お母さんって呼んでほしいって言ってくれました。優しい方ですね」
俺の言葉に社長は驚いた表情を浮かべた。
「はは……いや……君はすごいな……」
なんとも不思議なものを見るような社長の目に、ことの重大さが伝わってきた。
「え? いつもあんな感じではないんですか?」
「そうだね。一番心配していたのが彼女の出方だったのだからね――当主のあの反応も実に興味深かった」
「はは、蒼真! あの爺さんに気に入られたみたいだったぞ! あんな笑ってる爺さん見たことないや。ねえ社長!」
「駿の言うとおりだよ。君は思った以上に、人たらしなのかも知れないね」
「あ~……よくわかんないです……」
褒められているのか呆れられているのかはわからないが、何にしても九条家の人たちとのファーストコンタクトは十分な結果を残せたようだ。
これから先の不安もないわけではない。
でも、俺はやり抜く。自分のために、そして――あの二人のために。
何があろうとも頑張ろう。そう決心した。
明日はみんなでしーちゃん初主演の映画を見に行く予定だ。楽しみだな――。
完




