第253話 姉さんの……
放課後、羽依と手を振り、別々の道を行く。それが少し切なかった。
遥さんが気がかりだったので、足早に帰宅の途に着く。
九条邸の駐車場に黒塗りの高級車が停まっていた。
黒川さんの車だ。
急いで玄関に向かい、「ただいま戻りました」とリビングに赴く。
そこには男性が二人。社長と黒川さんがいた。
「やあおかえり蒼真くん」
「おかえりなさいませ、ぼっちゃん」
黒川さんは俺を見てニヤリと口角を上げる。
「ああ、ただいまです……って、『ぼっちゃん』てなんですか?」
社長が気まずそうな表情を浮かべて俺と黒川さんに視線を泳がせる。
「黒川くん……いや、駿には“こっち側”についてもらったんだ」
「話は聞いたよ。お前、悠翔さんの実子なんだってな」
「はあ……ええ、まあ……そうみたいです」
黒川さんは頭を抱えた。そして改まって社長に向き合う。
「あまり社長には強く言いたくはないですがね……蒼真があまりに不憫ではないですか? 実の息子にこんな下働きみたいな仕事させたりして」
「返す言葉もないよ。まったくその通りだ」
黒川さんの言葉にはカチンと来た。
「黒川さん……俺、今の生活が気に入ってるんです。不憫って言われると……正直、気持ちがいいものじゃないです」
黒川さんは目を見開き、俺を見る。そして両手でパンと自分の頬を叩いた。
「すまん! 別にお前のプライドを傷つけるつもりはなかった。ただなあ……ああ、いや……もう何も言わん」
「すまないね、二人とも。すべては私の責任だ」
正直俺のことなんてどうでもいい。今は姉さんのほうが気がかりだった。
「それより……遥さんの容態は……」
社長は心配するなと言わんばかりに片手をあげる。
「遥は部屋で寝ているよ。ずっと眠れなかったそうだ。よほどショックだったんだろう」
「ショックって……ご実家でいったい何があったんですか?」
「遥の祖父――つまり私の実父だが――が縁談を持ってきてるんだよ」
一瞬、心臓が跳ねた。
――よくフィクションでは見かけるけど、実際にあるんだ……上級ならではということか……。
「……それって言うのは遥さんの意思とは関係なしに進められる感じのやつですか?」
「まあそういうことだ。お相手は旧華族の名門筋の方だ。幅広い人脈を持っておられる。九条がさらに飛躍すること間違いなし。――だそうだ」
苦々しい表情を浮かべている社長。どうやらこの件は彼にとって不本意なようだ。
「それはまた、なんとも……悪い話ではないんですかね……」
「そうだね……遥の写真を見て一目惚れだそうだ。きっと愛されはするだろうね」
そう言ってプロフィールの資料を見せてくれた。
五十代手前で不健康そうな小太り。写真にはそんな男が写っていた。性格は短気で乱暴、社会経験なし。人脈とは……。
「うわあ……」
上級ニートってやつなのだろうか。この話、遥さんはどう受け止めるだろうか。
――ああ、それで不眠になるほどショックを受けたということか。それなら納得できる。
「あまりにも遥が不憫だったからね。この話は私のところで止めておいたんだよ。留学もそのためだった。要は時間稼ぎだね」
「なるほど……そっか、だから急な留学と……」
すべては遥さんのためだったんだ。
社長なりの愛情ゆえ、ということか。
「今回の件、正直言って私は気が進まない。そんな古い血筋に頼らなくても我が社の経営は揺らぐことはない。逆に足かせとなるのは明白だ」
物腰の柔らかい顔つきが明らかに変わった社長。畏怖すら感じる眼差しは、大企業の社長の風格そのものだった。
「それで、遥さんのお祖父様は――って俺の爺さんでもあるのか。ややこしいな――遥さんになんて言ってきたんですか?」
突如、社長は怒りの形相を浮かべた。――ああ、やっぱり遥さんのお父さんだ。マジで顔が怖い。
「あのくそじじい……遥に高校中退して嫁げと言ってきやがった……! 嫁は若いほうがいいと……!」
ぎり……っと噛み締め、言葉を押し出すように言った。
「社長、落ち着いて……地が出ちゃってますよ!」
「おっと、いけない……思い出しただけで腸が煮えくり返ってしまった……」
――いや、そりゃ社長も怒り狂うって。何考えてんだその爺さん。
社長は大きく息を吸って吐くのを繰り返す。彼なりのアンガーマネジメントなのだろう。
「――そういう理由で状況が少し変わってきたんだ」
落ち着きを取り戻し穏やかな表情に変わるが、さっきがあまりに怖すぎたので直視しづらい。視線を逸らしつつ言葉を探す。
「えっと、何か俺にできることは……」
「蒼真は今のまま頑張ればいいんだ。一位目指してるんだろ?」
突然、黒川さんが横やりを入れてきた。その内容にも驚いた。
「え? なんでそれを?」
「遥から一位を取るようにと言われたね? その話は、実は私からなんだよ」
「えっと……なぜです?」
社長はしっかりと俺の目を見据え、温和な表情で口を開く――。
「蒼真くん……うちの子にならないか?」
一瞬、時間が止まった。
音が消え、鼓動だけが耳の奥で響く。
何を言われたのか、脳が理解を拒んでいる。
「はあ? いや、どういうことですか?」
「社長はな――蒼真に九条の“跡取りになれ”って言ってるんだぞ」
黒川さんは、半ば呆れたように口角を歪めた。
冗談にしては笑えない。だが、どうやら本気らしい。
まあ、養子ってことはそういうことだよな……。
ちょっと理解が追いつかないが、九条家の養子って……そんなこと……あり得るのか?




