CASE.6 花道標⑤
9
尾行している捜査員に合流したときには、新宿から離れていた。
町田弁護士は、徒歩で移動を続けている。
すぐにおかしいことに気がついた。
徒歩である意味がない。そもそも都心では、いろいろな公共交通機関が発達している。電車だってバスだってある。駅が近くになくても、タクシーを呼べばいい。まがりなりにも弁護士をやっている人間が、タクシー代も捻出できないということはないだろう。
町田は、まるで歩くこと自体が目的のようだった。
それまでただ歩くだけだった町田が、携帯を耳にあてていた。電話がかかってきたのだ。
すると、町田が振り返った。
視線で、なにかをさがしている。
「なんでしょうね……」
小声で結城がつぶたいた。こちらは、うまく隠れているから、むこうからは見えない。
「さがしてるな……」
「なにをですか?」
「ぼくたちだ」
「え?」
桑島は、出ていくことを瞬時に選択した。
「警視……」
結城も、あとからついてくる。
キョロキョロしていた町田が、こちらに気づいた。
ハッとしたように、早足で逃げていく。
「待ちなさい!」
急いで結城が追いかけようとするが、桑島は腕を引いて、それをとどめさせた。
「どこかにつれていきたいんだ」
それまで目的がないようだった町田の足取りに、明確な意思が生まれていた。
20メートルほどの距離をあけて、それについていく。町田のほうも、早足ではあるが、全力疾走をすることもなかった。
たどりついた場所は、廃ビルような建物だった。それとも、建設途中で工事がストップしたままなのだろうか……。
背後を振り替えると、もともとも尾行をしていた捜査員がついてきていたので、応援の手配をお願いして、桑島と結城は、ビルの敷地に踏み込んだ。
資材がところどころ積まれているから、建設途中で投げ出された物件らしい。
一階には、だれの姿もないようだった。上へ続く階段がある。ざっと見たところ、五階ほどの高さがあるだろうか。とりあえず、二階へ上がる。
結城が特殊警棒を抜いた。桑島は持っていない。武器は、それ一つだ。
「ここにもいません」
さらに階段を上がった。
外の光が入るから、視界は確保されている。
前方に、なにかがあった。資材のたぐいではない。
「皆川明穂さんですか?」
慎重に、桑島は問いかけた。
パイプ椅子に座っている。意識があるのかどうか、桑島の位置からは判別できない。
結城に先導してもらいながら、皆川明穂へ近づいていく。
町田弁護士の姿は見当たらなかった。
「大丈夫ですか!?」
皆川明穂は、眠っているように瞼をとじていた。拘束されてはいない。
「皆川さん!?」
肩をゆすった。喉が上下しているから、生きてはいるはずだ。はたして、強制的に眠らされているのか……。
結城が救急車を手配するために、携帯を取り出した。
カン、カン、という音がしたのは、そのときだった。
音のするほうを向いた。
町田がいた。鉄パイプのようなものを持って、それで足元のコンクリートを連続で叩いている。
カン、カン──音が、べつのところからも。
「あなたは……」
一度だけしか会っていないが、まちがいなく紅林弁護士だった。
これで、関係者──容疑者が、すべてそろったことになる。
「なにをするつもりですか?」
左右から、町田と紅林の両弁護士が近づいてくる。どちらも、同じように鉄パイプを手にしていた。
答えるのはどちらでもよかったが、どちらも無言だった。
二人同時に襲いかかられたら、結城の特殊警棒だけでは対抗できない。
「とまりなさい!」
結城が、警告の言葉を放つ。
「皆川明穂さんを殺害するつもりですか?」
桑島は言った。
二人の足が、同時に止まった。
「あなたたちは、交換殺人をしている……ちがいますか?」
「そこをどけ」
質問には答えてくれなかった。かわりに声を放ったのは、紅林のほうだ。
「なにをするつもりですか?」
「どけ」
町田の声。
「凶器を捨ててください!」
「その女を殺すのは、あとだ」
「さきに、こいつをやる!」
紅林、町田の順で発言していた。
皆川明穂よりもさきに、おたがいが殺しあうという意味だろうか?
じつは桑島は、それを心のどこかで予感していた。しかしそれは、皆川明穂を殺害してからだと考えていた。
「どうして、二人が?」
この弁護士二人には、本来なら相手を殺害する動機はない。
「戦利品なんだよ」
紅林が言った。
「生き残ったほうが、殺せるんだ」
淡々と話す二人に、結城は愕然としているようだ。
「なに言ってるの……?」
桑島は、冷静に状況を分析した。
「ルールということですか?」
「よくわかってるじゃないか……さすがだな、言ってたとおりだ」
紅林の表情に、人間らしい光がさした。すぐに消えたが。
「言ってた? ルールを決めた人物がですか?」
「そうだ」
答えたは、町田だった。
「《参謀》ですか?」
「参謀か……なるほどな。そういう呼び方が、ぴったりだ」
どうやら《参謀》という呼び方は、統一されたものではないらしい。
「《参謀》が、ルールを決めて、あなたたちをこんなことに誘導したんですか?」
「それはちがうよ。やることは、きまってた」
まるで、休日の予定でも話すように、紅林は言った。町田も同様の気持ちらしい。
紅林のほうは、息子の復讐。
町田は、恐喝していた人物の抹殺。
動機もちがうし、本来なら二人に関係性もない。いや、その中間に皆川明穂がいたということが唯一の接点だろうか。
「ではあくまでも、あなたたちの意思ではじめたことなんですか?」
「そうですよ。あの人は、背中を押してくれただけですよ」
それが《参謀》なのだ。
「段取りはしてくれましたから、あとは簡単でした」
「発覚した以上、もう計画は失敗です」
桑島は言った。ただし、二人の毒殺者を出したわけだから、計画の半分は成功していることになる。
「まだ終わっていない」
「終わってます。もうじき、ここには大勢の警察官が駆けつけます!」
「それまでに決着がつく」
「させません!」
桑島は強く声を発したが、同時に、しっくりこないものを感じとっていた。
二人から余裕のようなものが、にじみ出ているのだ。
「……これも、予定どおりなんですか?」
この場所へ誘導されたのは、あきらかだ。つまり、警察の介入も想定内なのだ。
「そうだよ」
桑島は、身構えた。彼らは、自分たちを排除するつもりなのだ。たとえ桑島と結城を殺害したとしても、あとから駆けつけてきた人員から逃げられるはずもない。破綻している考えだ。しかし、彼らは成功を疑っていない。
「そこで見ていろ!」
二人が、鉄パイプで殴り合いをはじめた。桑島と結城のことは眼中にないようだった。
「やめなさい!」
警棒を振りながら、結城が二人を牽制する。
「邪魔をするな! 勝者にこそ、生贄はふさわしいんだ!」
生贄──そのワードが桑島の脳内に、焼き印のように刻み込まれた。
「皆川明穂さんは、生贄というわけですか!?」
「そうだよ。生贄をかけて、私たちは戦っているんだ!」
支離滅裂な言動でも、桑島には道理がとおっていると思えた。
「け、警視……」
「トランス状態なんだ……」
集団催眠。
矢萩のおこなっていた──ひよりをはじめ、生贄事件の被害者にほどこしていたと考えられている……。
まさかとは思うが、《参謀》というのは、矢萩のことなのだろうか?
海外に逃亡したとみせかけて、日本にとどまっていた──いや、海外にいても、二人を操ることは可能なのかもしれない。事前に、二人を暗示にかけておけばいいのだ。たとえば、電話の声を合図に、二人を異常な行動にはしらせた……。
生贄事件を経験していなければ、信じられることではない。だが、矢萩なら可能なはずだ。
暗示をかけて殺人をおこなわせることはできない。それは矢萩も認めていた。しかし、それができるようになったとしたら……。
背筋に寒気がはしった。
ちょうどそのタイミングで、大勢の足音が聞こえてきた。
応援の警察官が到着したのだ。
すぐに、二人の弁護士を包囲した。
「武器を捨ててください!」
桑島は、二人に呼びかけた。言うことはきかないだろうという、あきらめはあった。
「こういうときのシナリオも用意されてる」
町田が言った。
「生贄とは、光栄なことなり!」
紅林の続けた言葉には、覚悟のような響きがこもっていた。
二人が同時に、鉄パイプを相手の喉に突き刺した。
「な……」
だれのものともつかない呻き声が、一瞬だけ静まりかえった空間に流れた。
おたがいが、かわすような仕草はなかった。ともに受け入れたのだ……死を。
しぶいた血液が、周囲に飛び散っていた。
意識のない皆川明穂にも降りかかっている。
「こ、これは……どういう……」
結城は混乱している。いや、居合わせた警察官たちも同じだろう。
「自らが生贄となったんだ……」
桑島は答えた。彼女の求めていた答えなのかわからないが……。
「これは……生贄事件──」
結城のつぶやきが、空間に溶けた。
鉄パイプの先端を鋭利に細工しておかなければ、こうはならないだろう。パイプが喉を貫通している。
あまりのことに行動をとれないでいた捜査員たちが、ようやくやるべきことを思い出したようだ。
立ったまま、おたがいに支えられるように、町田と紅林は絶命していた。
二人の生死を確認した捜査員が、首を横に振っていた。桑島の眼から見ても、救護措置の必要はないだろう。このままの状態にして、鑑識を待ったほうがいい。
桑島は、皆川明穂の様子を確かめた。
息はしている。なにかしらの薬物で眠らされているのかもしれない。救急車も手配されているはずなので、すぐに搬送するべきだ。
「皆川さん!」
呼びかけてみた。
「う、うう……」
意識をとりもどしかけている。
「わかりますか!?」
「う……」
「皆川明穂さんですね!? 警察です!」
「……」
瞼がもちあがっていたが、まだ状況をのみこめていない。
「救急隊が来ました!」
結城の誘導で、救命士たちが、皆川明穂のもとまでたどりついた。二人の凄絶な姿を目の当たりにしても、冷静さを崩していなかったのは、さすがだ。
「この出血は、女性のものですか!?」
「いいえ、返り血です」
こういう場合も、返り血という表現で正しいのか、桑島は頭がまわらなかった。
皆川明穂の顔面は、乾きはじめた二人の血液でべっとりだった。
突然、様子がおかしくなった。
「ううう!」
苦しみだしたのだ。
「どうしました!?」
救急隊員も狼狽している。
皆川明穂は、泡のようなものを口から吹いていた。すぐに、ある香りが周囲に漂っていることに気がついた。
杏仁豆腐のような甘い香り……。
「すぐに離れて!」
桑島は、大声で叫んだ。
シアン化水素の匂い──。
「青酸ガスです!」
周囲にいた者が、口をおさながら、慌てて距離をとる。
青酸カリ──シアン化カリウムによる毒殺だ。青酸カリ自体に香りはない。胃酸や唾液に反応することで、シアン化水素が発生する。その青酸ガスに甘い香りがするのだ。一般に、アーモンド臭といわれるが、普通に想像するアーモンドの香りではない。収穫前のアーモンドの香りなのだ。
「ど、どのタイミングで……」
結城の混乱は、さらに激しくなっていた。
すくなくとも、桑島たちがここに来てからは、町田も紅林も、皆川明穂には触っていない。
「じ、事前に……飲ませていたんでしょうか?」
桑島は、首を横に振った。
即効性のある毒物だから、それはない。だが、カプセル錠をつかえば、多少の時間調整はできるだろう。しかしそれにしても、タイミングができすぎているような気がしてならない……。
桑島の眼には、大量の血液を浴びて息絶えている皆川明穂の顔が、無残に映っている。
血痕──。
もし、なにかのきっかけがあったとしたら、この血液だ。
とはいえ、町田と紅林の血液に毒が仕込まれていたわけではないだろう。そうだとしたら、彼ら二人がもっと早い時点で死亡していたはずだ。
「……」
わからない。
それでも、そこに謎が隠されているのではないだろうか?
いまさら謎が解けたとしても、彼女が蘇生するわけではない。それこそ、生贄を捧げて蘇らせないかぎり──。
自身の考えに、桑島はそら恐ろしさを感じた。
毒されている。
一連の裏側にいる首謀者の思惑に。
それが、海外に逃亡しているはずの矢萩なのか、それとも別人なのかわからないが……。
「毒か……」
思わず、つぶやいてしまった。
「警視?」
毒にはじまり、毒に終わった。
そして予感していた。この終わりが、次のはじまりにつながっているということを──。
のちに判明した。
皆川明穂の毒殺方法は、やはり浴びた血液が原因だった。
皆川明穂の口内には、カプセル錠のようなものが入れられていたようだ。だが普通は、唾液で溶けてしまう。どうやら、血液にふくまれるタンパク質でのみ溶ける物質でつくられていたようだ。
二人の血液が口内に入り込んだことで、カプセルが溶けたのだ。
「晴れない顔だな」
佐野に声をかけられた。特特室のなかだ。
「まあ、結末が結末だから、仕方がないか」
町田と紅林がそれぞれ一人を殺害し、おたがいで命を奪い合った。自殺しあったともいえるだろう。
皆川明穂の殺害も、二人の容疑ということになっている。いずれの殺人も、被疑者死亡で書類送検──そういう結末となるだろう。
だが、すべてを仕組んだ真の犯人は存在する。
《参謀》──そう呼ばれている人物ということでいいのだろう。
「どうした?」
「……あれは、生贄だったんだ」
皆川明穂は、生贄にされたのだ。
どうしても、矢萩の顔が脳裏から消えてくれない。
「あの犯人が、もどってきたってのか?」
「どうだろう……」
いずれもどるのだとしても、いまのタイミングではないような気がしていた。そしてそのとおりだとしたら、べつの人物も生贄に固執していることになる。
あんな妄想にとりつかれるような人間が、ほかにもいるというのだろうか……。
「悪夢は、まだまだ終わりそうにないってことか」
愚痴のように、佐野はつぶやいていた。
エピローグ
秩父の山中で遺体が発見された。
台の上に安置された遺体には、特徴的なものが残されていた。
額に刻印。
数字の『1』が記されていた。
「警視、これって……」
埼玉県警の管轄だが、桑島と結城も臨場していた。もとより桑島の活動は全国を対象としているから、県警から抗議がくることはないだろう。
だが結城は警視庁の人間なので、こころよく思っていない者もいるかもしれない。
「どうしてお二人が、こんなに早くやって来れたんですか? わたしたちも、いま来たばかりなのに」
そう言ったのは、埼玉県警捜査一課の一条だった。
「まあ、いろいろと……」
桑島は、曖昧に対応した。長い説明が必要だから、この場で話すことではない。
例の被疑者たちが、また謎めいた証言をしたのだが、それをひもといた結果、秩父の山中でサバトがひらかれる──という一文にいきついたのだ。
サバトというのは、ユダヤ教やキリスト教の安息日を意味しているが、この場合は、べつのものをさしているはずだ。
魔女や悪魔の集会。
魔宴。
そういう闇の宗教儀式をしめしている。
「これが、サバト……」
「大勢の足跡がありそうですね」
鑑識がいくつものゲソコンをとっている。本当に、この場所で集会をおこなったのかもしれない。中央に生贄をまつって──。
「人がいます!」
そのとき、捜査員の大声が山中に響きわたった。
頭をよぎったのは、べつの被害者がいたのか、ということだ。しかし、それなら「人がいる」という言い方にはならないのではないか。生きている人が発見されたとみるべきだ。
桑島たちは、その場所へ急いだ。
少し離れたところに小屋のような建物があった。いまにも朽ち果てそうなボロ屋だった。
なかは思いのほか広く、数人の捜査員に囲まれるように、寝台に横たわる女性がいた。
桑島は、その女性の顔を見て、愕然とした。
「え……」
声もあげられなくなった。驚いているのは、結城や一条も同じだ。
「どういうこと!?」
「息はあります」
捜査員の一人が、慎重に声をあげた。
「こ、これは……」
女性の意識はないようだ。
怪我をしているのかと心配したが、それは彼女自身の血液ではなかった。
横たわる女性の手には、ナイフが握られていた。血がべったりと付着している、そして、大量の返り血──。
「よ、吉原さん……」
桑島は、かろうじてそう声を出すことができた。
胸が上下をしているから、息があることはまちがいないだろう。そのことには安堵できるのだが……。
「警視、この状況は……」
ここで眠っているのが見ず知らずの人物ならば、まちがいなく殺人の最重要容疑者とみなしているはずだ。
「ひよりさん!」
結城が、彼女の身体を揺らした。
彼女の瞼が開いた。
「……」
彼女は──吉原ひよりは、現実を理解できないように、虚ろな瞳を向けていた。
──To Be Continued──
『刻印のサバト』へ続く




