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CASE.5 暴走車 後編

       5


 身体は、どうやっても動かない。

 いや、もしかして主導権はわたしにもどっているのかもしれない。たんに、身体が痺れているだけなのかも……。

「う……」

 声が聞こえた。わたしではないから、加奈さんは、まだなにかをしようとしている。

「どうしましたか? 最後に伝えたい言葉があるんですね?」

 視界が狭くなっているのは、瞼が閉じかかっているからだ。犯人の男が、顔を近づけた。

「な、なま……」

「名前ですか?」

 かすかに、うなずいた。

「ぼくの? 教えましたよね?」

 彼が村石と名乗ったのは、入れ替わるまえだから、加奈さんは耳にしていないのかもしれない。わたしの見聞きしたものは、加奈さんにも伝わっていると思うのだが……まだそこのところがよくわかっていない。

 加奈さんは、最後の最後まで証拠を追求しようとしているのかもしれない……。

「ぼくの名前は、村石です」

 でも待って……わたしに聞かせようとしているのなら、あまり意味はないんじゃない?

 加奈さんが殺されるということは、わたしも同じ運命をたどっているということ……。

 どうにかしなかれば……。

 でも、いまのわたしでは、なにもできない。いいえ、たとえ主導権がもどったとしても、身体が痺れて逃げることもできない。

「まずは、仕留めさせてもらいます。すぐ楽になりますよ。そのあとは、静かに埋葬してあげます」

 絶望が重くのしかかる。

 カシャン!

 なにかの破裂音がしたのは、そのときだ。

 ガラス製のものが砕けた音ではないだろうか。

 加奈さんは、もう首を動かすこともできないから、音のした方向を見ることもできない。

 すぐに、扉が開いた。これも音で感じることしかできない。

「吉原さん!」

 この声は……。

 桑島さん!

「く、くわ……」

 わたしは──ひよりは、身体が重くなっていることで、主導権がもどったことを理解した。

 本当に、声が出ない。

 身体をゆすられた。視界に、桑島の顔が入り込んだ。

「いま、救急車を呼びます!」

 どうやら、犯人の男性は結城が確保しているようだった。

「あなたを現行犯逮捕します!」

「ぼくがなにをしたというんですか?」

「この子を監禁して、クスリを飲ませたでしょう!?」

「監禁などしていませんよ。それにクスリってなんのことですか?」

「身体の自由を奪うクスリです。抱水クロラールじゃないですか?」

 桑島が、そう言った。

「むかしは、鎮静剤や睡眠薬としてつかわれていましたが、用法によっては身体の自由を奪うこともできる」

「……ぼくたちの話を聞いてたんですか?」

「はい。彼女の携帯がつながった状態でしたから」

 そうか……だから、桑島たちはここへ来れたのだ。意味のない会話のようであり、やはり加奈は助かる方法を模索していた。

「ははは……さすがですね。ただの女性とは思えなかった。まさか、警察官なんですか?」

 桑島は、その質問には答えなかった。携帯を操作しているようだ。救急車を呼ぶためだろう。

「必要ありませんよ。もうじき、きれます。すぐに動けるようになりますよ」

 最初、意味がわからなかった。

 すると──。

「あ……」

 声が出た。

「あ……く、桑島さん……」

「吉原さん!?」

 テーブルに伏せていた頭をもちあげた。

「クロラールだけじゃないですよ。ぼくは、絵描きでね」

 この家に生活感はないから、アトリエというのは本当のことなのだろう。

「黄色は、カドミウム。青は、コバルトです」

 村石は言った。

「毒ですね……」

 桑島が、慎重に言葉を吐いた。

「安心してください。カドミウムは腎臓にダメージをおいますが、コバルトの配合でね」

「コバルトも、毒性があるはずです……」

「カドミウムは貧血をひきおこしますが、コバルトには貧血を改善する効果があるんですよ」

「毒を毒が打ち消すと?」

「毒をもって、毒を──という言葉があります」

 本当の話だろうか?

 もしそんな毒の配合ができるのなら、それこそ専門の化学者でなければ無理なのではないだろうか……。

 桑島も、そう考えたようだ。

「村石さん……あなたは、どこでそんな知識を? 独学だったとしたら、膨大な実験が必要なはずです」

「それについては、言えません……」

 言えない……。

 同じようなケースを、ひよりは知っている。

 桑島が拉致されたこのあいだの爆弾犯──カムロ。そして、ひよりが解決した風土病事件の犯人もまた、爆弾や猛毒を製造した場所と工程は語っていないという。

「さっきまでの話……本当なんですか?」

 いまはその追求よりも、そちらのほうが重要だ。

 ひよりは、立ち上がりながら質問した。

「動いちゃダメ!」

 結城からは、怒られた。

「わたしは、大丈夫です」

「いいから座りなさい!」

 かまわずに、村石へ迫った。

「殺した女性は、どこですか?」

「……なんのことですか?」

「あなたは、わたしに言いました」

 正確には、加奈にだが。

「いいえ、そんなこと口にしていません」

「わたしたちも、聞いていたわ」

 結城が加勢した。加奈は、携帯をつなげていたのだった。

 と、そのとき──。

「う、うう……」

 村石に、また異変がおこっていた。

「あなたの名前は?」

 すぐに、それを確かめた。

「おれの……名前?」

「コモド……じゃないですか?」

「……」

 男性は、沈黙した。

「あなたは、よくわかってるんですよね? でも村石さんは、コモドさんのことがわからない」

 コモドのことは、桑島たちは知らないようだから、加奈が通話を開始したのは、村石にもどってからなのだ。

「吉原さん……コモドというのは?」

「べつの人格だと思います。村石さんの」

 桑島なら、それだけ伝えればすぐに理解してくれるはずだ。

「わたしたちは、コモドさんのほうを疑ってました」

 たち、と口にしても、ここにいるのは、加奈のことを知っている人だけなので、不自然ではないはずだ。コモドもふくめて。

「でも、真相はちがうみたいですね……コモドさんは、村石さんをとめたかったんです」

「噂……」

 桑島が、ふいにつぶやいた。それが、とても重要なものだということが、ひよりにはわかった。

「噂?」

 結城が、さきをうながすように声を出した。

「牧村さんが耳にした噂は、あなたが流したんですか?」

 ひよりも考えていたことだ。

「……」

 コモドは、答えない。

 その様子から、コモドに入れ替わっていることでまちがいないようだ。

「村石さん……コモドさんとお呼びしたほうがいいですか?」

 桑島が、確認するように問いかけた。

「ああ、コモドでいい」

 表情まで変わっている。車を暴走させたときのコモドの顔だった。

「村石さんが、殺人を犯したということでまちがいないですか?」

「たぶんな……」

 曖昧な返答だった。

「どこですか? 殺害された女性たちは、どこに?」

「土のなかだ……」

「どこの?」

「庭だと思う」

 たしかに村石も、庭で眠っている、と語っていた。

「調べさせてもらっていいですか?」

「勝手にしろ。だがおれに、そんな権限はないぞ」

 人格がもどるまでに調べなければ、拒否をされるということだろう。

「ここにスコップはありますか?」

「こっちに来い」

 コモドが歩きはじめた。桑島がついていく。ひよりもあとに続こうとした。

「あなたは、もう少し休んでなさい」

 結城に止められた。

「大丈夫です。わたしも行きます」

「……おとなしく待ってくれるわけないわね」

 結城は、あきらめたように言った。

「加奈さんだっけ? その人じゃなくても……あなた自身でも、ここでジッとなんてしてくれない」

 思わず、愛想笑いのようなものを浮かべてしまった。

 ひよりと結城も、あとを追った。ふらつきはない。ちゃんと歩けている。村石の語っていたとおり、クスリの影響は、もうないのだ。

 廊下を通って、つきあたりの扉を開けると、中庭に続いていた。建物に囲まれているから、外からは見通せない。こうして見ると、だいぶ大きな邸宅だったのだ。ここでなにかをしていても、発覚はしないだろう。

 さきについていた桑島とコモドが、庭の地面をみつめていた。芝生や花壇はなく、土が敷きつめられている。

 立っただけでは、臭いは感じない。この下に遺体が埋まっているのだろうか?

「どこですか?」

 中庭とはいえ、広さは馬鹿にできない。その気になれば、大勢で全面を掘り返すこともできるだろうが、少人数では、かなりの時間を要するだろう。

「……どうして? ここは……」

 コモドは、虚をつかれたような表情で、あたりを見回していた。

 ひよりは、瞬間的にわかった。

 人格がもとにもどったのだ、と。

 加奈のことがあるから、そういう変化には敏感なのだ。

「村石さん……ですね?」

 ひよりの問いかけで、二人にも事情が理解できたようだ。

「ど、どうしてここに……」

 記憶をさぐっているようだが、答えまでいきつかないようだ。これで、コモドのことを彼が承知していないのがあきらかとなった。

「村石さん、あなたが女性を殺害して、この庭に埋めたという証言があります」

 桑島が告げた。

「証言? だれですか?」

 それはあなたですよ、と桑島は告げなかった。ひよりは黙って、なりゆきをっ見守った。

「目撃者です」

「目撃者? いるはずがない。ぼくは、なにもしていませんから」

 すべての犯罪をこのアトリエ内で完結させていれば、目撃者などいないだろう。

 コモドの存在を告げるべきだろうか?

 しかし、ひよりが口出しする状況ではない。

「でしたら、調べさせてください」

「……お断りします。この女性に、クスリを盛ったことは認めます。ですが、危険なものじゃない。現に、こうして彼女はピンピンしているでしょう?」

 監禁での容疑も難しいのではないか。この家へは、ひよりの──加奈の意思でやって来たのだ。

「それとも警察は、無断で敷地を調べる権利があるというんですか?」

 言い逃れされてしまう。仮に、クスリが違法なものだった場合、その押収という名目で家宅捜索はできるかもしれない。しかしそのケースだったとしても、はたして庭を掘り返すことまでできるのか──ひよりに、その知識はなかった。

 桑島も結城も、困り顔になっている。いま調べなければ、いくらでも隠蔽工作ができてしまう。二四時間、監視でもしないかぎり、遺体をべつの場所に埋めなおされたら、みつけるのは難しくなる。

 どうにかしなければ……。

《コモド》

 そのとき、ひよりの脳裏に、その言葉が浮かんだ。いや、だれかに語りかけられたように、言葉が伝わった。

(加奈さん?)

 なぜ、コモドドラゴンと名乗ったのか、それがずっと気になっていた。

「あの……村石さんは、インドネシアに旅行にいかれたことはありますか?」

 あきらかに不自然だったが、かまわずにひよりは問いかけていた。

「インドネシア? 海外に行ったことはありません」

「そうですか……」

 あてがはずれた。

 コモドドラゴン──コモドオオトカゲは、インドネシアのコモド島をはじめとした、いくつかの島にしか生息していなかったはずだ。

 コモド……ほかに意味があるのだろうか?

「爬虫類を飼っていますか?」

 桑島が質問した。ひよりの意をくみとってくれたのだ。

「爬虫類? 蛇とかですか? 苦手ですけど」

 これもちがう。

 コモドは、ほかになにがある?

「あ」

 さきほどまでいた部屋に一枚だけ飾られていた絵のことを思い出していた。

 龍のような……。

「ドラゴン……あの絵、あなたが描いたものですか?」

「絵?」

「さっきの部屋にあったやつです」

「ドラゴン……そういうわけじゃない。あれは、空想上のものですよ」

 ドラゴンとは、本来そういう存在のはずだ。

「まあ、ドラゴン──龍と思うかもしれないですね」

 表情に思いが出ていたのか、ひよりの顔を見ながら村石は言った。

「あの絵が、どうかしましたか?」

「あの絵は、どういう意味があるんですか?」

「意味なんてありませんよ。頭のなかにあるものを吐き出しただけです」

 芸術家のような発言だった。いや、この男性がプロなのかどうか知らないが、実際に絵を描いているのなら、もうそれは立派なアーティストなのだ。

「名前はあるんですか?」

「名前? あの動物の?」

「はい……」

「どうでしょうね……あったような気もするし、なかったような気もします」

「……それが、コモドだったんじゃないですか?」

「コモド……」

 村石は、その言葉を深く刻むようにつぶやいた。

「コモドドラゴン……そういえば、子供のころ、ぼくはそれがなんのことなのかよくわかっていなかった。きっと、ドラゴンのスゴイやつなのかなって」

 視線は遠く、過去を見ているようだ。

「そうか、あの心のなかにいた動物は、コモドって名前だったのかもしれませんね……」

 想像上の『コモドドラゴン』というわけだ。

「でも……あれがコモドだとして、それがなんだというんですか?」

 村石は、そう続けた。たしかに、そのとおりだ。ひよりは言い返せなくなった。コモドと名乗った理由がわかったとて、いまの状況が好転するわけではない。

 だが、なにかには近づいている。

「とにかく、帰ってください……それとも、ぼくを逮捕しますか?」

 桑島と結城は、判断に迷っていた。しかし桑島なら、コモドを突破口に、どうにかしてくれるのではないかと期待してしまう。

「コモドさんに、かわってもらうことはできないですか?」

 桑島の発言は、唐突に響いた。

「はい?」

 意味の通じていない村石に言ってもムダなのではないだろうか?

「コモドは、あなたのなかに生きている」

「なにを言っているんですか?」

「あなたは、だれかを殺している。コモドは、それを知らせたかった」

「ぼくは、だれも殺していません」

「いえ、だれかは殺している」

 桑島は、自信をもって断言した。

「ここに埋まっているはずです」

「……そんなことはありません!」

 桑島の視線は、しかしひよりに合っていた。

(なんだろう?)

 なにかの合図だと思った。

「噂のことは知っていますか? ドライブに誘った女性が次々に殺害される、というやつです」

「知りませんよ。たしかに、ぼくは女性をよくドライブに誘います。気分転換ですよ。そちらの女性も、誘いました。でも、ヘンなことはしていません!」

 クスリを盛ったことは棚に上げて、村石は言い切った。

「その噂を流したのは、コモドという男性です」

「さっきから口にしているコモドというのは、なんなんですか? そんな人がいるのなら、呼んでくださいよ」

 あなたのなかにいるんです──そう言いそうになったのだが、桑島がなにかを意図しているのだと考えが浮かんだので、それをとどめた。

 思い出せ。

 車のなかで、どんな話をした?

「……お母さんは海が好きだったんですよね?」

 ひよりは、天啓のようにその会話を思い出していた。

 海外の海が好きだった話だ。

「インドネシアの海だったんじゃないですか?」

 あの絵は、空を飛んでいるのではなくて、海を泳いでいる……。

「……」

 コモドとつながった?

 ひよりは、桑島の瞳を見て確認した。

「この庭に埋まっているのは……お母さんですか?」

 桑島は意を決したように質問していた。

「……なにを言ってるんだ!?」

 狼狽しているのは、あきらかだった。

「こ、ここに母はいない!」

 ひよりは、庭を見渡した。中庭のわりに広さがあるから、どこに埋まっているかまではわからない。

「警視……それでは、多くの女性が遺棄されているわけではないんですか?」

 結城は、戸惑いながらも現状を理解しようと苦戦している。たしかに、話が右往左往していた。どこに真実があるのか、実際に掘ってみなければわからない。

「ここを調べさせてもらいます」

 桑島が、強めに発言した。

「……わかりました」

 村石の返答は、想像よりも静かだった。

「ですけど、大勢を呼ぶのは拒否します。あなたたちだけで、やってください。時間も、十分だけです。それでいいのでしたら、やってもいいですよ」

 それだけの時間と、これだけの人員では、みつけることができないとタカをくくっているのだ。

「なんなら、スコップも貸してあげますよ」

 余裕すら感じた。

「お借りします」

 桑島は、余裕を余裕で受けていた。さすがだと思ったが、この庭から十分で遺体を掘り起こすことは現実的ではない。

「どうぞ」

 村石がしばらく姿を消すと、スコップを一本持ってきた。

「いまの時間もカウントされていますよ」

 渡しながら、村石はそう言った。

 受け取った桑島は、庭を一瞥する。

 見たところ、なにか目印になるようなものはない。こういう中庭は、よく芝生が敷き詰められているものだが、そうではなく土の面で埋められている。物は置かれていないし、木や植物も植えられていない。

「埋める場所なら、見当はついています」

 桑島は言った。

「……」

「普通に考えれば、端か真ん中です」

 まるで村石を試すように続けていく。

「遺体を隠すことが目的だったなら、端のどこかなんでしょう。でも、遺体を安置するためなら、ここの中心に埋めているはずです」

「……」

 村石は、表情から悟られまいと、ポーカーフェイスを意識しているようだ。

「あと、五分ですよ」

「吉原さん、どう思いますか?」

 桑島は、遺体を隠したいのか、安置しているのかを問いかけているのだと直感した。

「真ん中だと思います……」

 自然にその答えが口をついていた。

 桑島が、ちょうど庭の中心付近にスコップを入れた。

「……やめろ」

 村石がつぶやくように言った。

 正解なのだ。

 ここは、遺体の安置場所……。

「お母さんを、殺したんですか?」

 掘り進めている桑島にかわり、ひよりが尋問した。結城は、桑島を手伝うべきが判断に困っている。

「……そうだよ。ひどい母親だった」

 ポツリと、村石が語りはじめた。観念したというよりも、母親との話を聞いてもらいたいかのようだった。

「どういうふうに?」

 小声で結城が、ちょっと吉原さん、と注意するが、かまわずにひよりは会話を継続した。

「ぼくは、ただの道具だった。母にとってぼくは、モデルであり、ぬぐるみであり、おもちゃだった……」

「お母さまも、画家だったんですか?」

「ぼくのようなアマチュアじゃないよ」

 ザクザク、と穴を掘っている桑島が、手を動かしながらも、なにかに気づいたような顔になっていた。

「村石……村石道子……」

「だれですか?」

 結城が確認した。

「有名な画家です。たしか、突如として失踪してしまった」

「失踪ですか? じゃあ、真相は……」

 結城の眼光をうけて、村石がうなずいていた。

「母は当時、スランプだったからね……周囲の大人たちが、勝手にそういうことにしてくれたんだよ」

 その口ぶりだと、彼がまだ未成年のときの犯行のようだ。

「母の絵を何枚か売ったら、生活には困らなかった。血は争えないね……いつのまにか、ぼくも絵筆を握っていたよ。母のように売れる画家にはなれなかったけどね」

 まるで、もう未来がないのを悟ってるかのように、彼は言った。

 ガツ、と硬いものに当たった音が聞こえたのは、そのときだった。

 桑島の持つスコップの動きが、それまでよりも慎重になった。

「棺です」

 そこからは、結城の手をくわえて、掘り進めた。村石は、すでに覚悟を決めたように静観している。

 地中から、棺桶が姿をあらわした。

「開けますよ?」

 それは、だれに向けて確認したのだろうか?

 桑島の声は、中庭の空気に溶けこんだ。

 釘が打ち込まれて密封されていたが、スコップの先端をつかい、てこの原理を利用して、蓋を開けた。

 腐臭は、わずかしかなかった。それだけ長い時間、埋められていたのだ。

 すでに白骨化している。だが人骨ではなく、べつのものが目立っていた。

 人骨の上に、額に入れられた絵が置いてある。

「この絵……」

 裸の少年を描いたものだ。

 すぐに、そのモデルがだれであるのか理解した。

 村石本人だ。

「これを描いたのは、この人ですか?」

 桑島の問いに、村石はういなずいた。

「言ったでしょ……ぼくはモデルであり、おもちゃだって」

 その言葉が、残酷に響いた。

 村石の母親は、少年だった彼を──。

「あなたのなかの《コモド》は、これを発見させたかったみたいですね」

「コモド……よくわからないが、ぼくのなかに、べつのぼくがいるのか……」

 桑島はうなずいた。

「……だったら、ぼくは自分自身にも裏切られたみたいですね」

 絶望の言葉を吐いていた。

「そうじゃないと思います」

 ひよりは言った。

 彼の心に響かなくてもいい。

「コモドさんは、あなたを助けたかったんですよ」

「ぼくは救えない……その絵のなかの少年のように」

 ひよりは──わたしは、遺体の上に置かれた絵を奪った。

 わたし?

 加奈さん?

「ちょっと! 証拠を素手で触らないで!」

 結城さんの注意をうけても、とまらなかった。

 わたしは、絵を額から取り出した。

「なにするの?」

「こうします」

 わたしは、冷静だった。

 絵を破り捨てていた。

「やめなさい!」

 結城さんが止めようとするのを、桑島さんがとどめてくれた。

 村石さんは、呆然とわたしのことをみつめていた。

 わたしによって細かく切り裂かれた紙片が、吹雪のように散っていく。

「こうすれば……よかったのか……」

 憑きものがとれたように、彼の表情は色をとりもどしていった。

 わたし?

 加奈さん?

 やっぱり、いまがどちらなのかわからない。

 だけど、絵を破いたのはまちがっていないと、なんの根拠もなく思えている。

 ここが、わたしと加奈さん、そしてコモド──三人のドライブの終着点だったのだ。


       6


 一時間後、アトリエの周囲には規制線が張られ、あたりは深夜とは思えないほどのにぎわいをみせていた。

 佐野も臨場している。あの飲み会に参加していた顔も、何人かいるようだ。

「お友達は、ちゃんと送り届けたよ」

 佐野が、ひよりに告げていた。

「とても心配していたから、あとで連絡してあげてほしい」

「はい……ご迷惑おかけしました」

 ひよりからは、さきほどまでの凛々しさは消えていた。

「警視……思いがけず、事件が解決しちゃいましたね」

 結城の声は、どこか呆然としていた。

 つい数時間前まで平和的に飲み会をひらいていたというのに、めまぐるしい一日の終わりだった。

「まあ、結果オーライだな。ひよりさんが行方不明になったときは、どうなることかと」 

 佐野にしてはめずらしく、焦っていたようだ。

 そこで桑島は、ひよりの表情がうかないことを見て取った。

「吉原さん?」

「はい……」

 少し不安になった。

「吉原さん……だよね?」

「はい、たぶん……」

 桑島は、ひよりの肩を抱き寄せて、瞳をみつめた。

「吉原さん!?」

 強く呼びかけた。

「大丈夫です……わたしは、ひよりです」

 まるで、ひよりと加奈が融合してしまったかのような危うさを感じとっていた。

 両肩から、指を離した。

 いまこの時は大丈夫なのかもしれない……。

 しかし、これからもずっと──とはかぎらない。

 えもいわれぬ不安のなかで、夜はさらに更けていった。


     * * *


「所長とお呼びすればいいですか?」

「そうですね、それでいいですよ」

 ラボの所長は、屈託のない様子で言った。

「一つだけ確認させてください」

 今度は、所長のほうから質問があった。

「ここの場所は、やはりあの能力ということですか?」

「そうですね……不思議ですね。本来なら知り得るはずのない知識です」

「科学的な証明は、できませんよ。しいて表現するなば、よみがえったから、ですね」

「よみがえった……本当に、そういうことなんですね?」

「もちろん、あなた自身ではない。あなたのなかに誕生した人格が、ということになります」

「名前は、加奈というみたいです」

「会話ができるのですか?」

「いいえ。でも、彼女がなにをしてるのかわかります」

「どんな様子ですか?」

「怖いですね……」

「恐怖を感じるということですか?」

「はい。とても邪悪な子だと思います」

「そうですか……」

「これまでに、そのことの興味はなかったのですか?」

「実験は、過程が重要と考えています」

「逆じゃないですか? 科学者にとって大事なのは、結果では?」

「それは、凡人の発想ですね」

「失礼しました」

「どうしました? なにか思うところがあるようだ」

「邪悪と言いましたよね」

「それが?」

「あの子のは、真逆のようです」

「ほう」

 所長は、感嘆するように声をもらした。

「ぜひ会ってみたいですね」

「このまま時が過ぎれば、いずれ会えるはずですよ」

「それは、どのぐらいさきの話になるのかな?」

「そんなに待つことはないと思います」

 それを耳にして、冷徹な印象のある所長の表情にほころびができていた。


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