旭鬼 〜あさき〜
闇を裂くような悲鳴が聞こえた。
旭鬼は素早く身体を起こすと、廊下を走り声のする部屋に飛び込む。
月明かりの差す仄暗い部屋の中、少女は長い睫毛を震わせながら硬く目を閉じ苦しそうな声を上げていた。
「……母様!!」
苦痛に満ちた声で母を呼ぶ咲夜は、額の汗に銀白色の髪が張り付き、華奢な身体は小刻みに震えていた。
「…… っいや!」
幼い子どもがイヤイヤをするように何度も首を振って、玉の汗を浮かべながら空を掴むように手を伸ばす。
「いやぁああああ!!!」
跳ねるように身体を起こした咲夜を抱きとめて、旭鬼は細い背中をさすってやった。
「大丈夫だ!」
旭鬼の声に咲夜はハッと目を開き、短い呼吸を繰り返す。
「大丈夫、夢だ。」
震える身体を、抱き締めるように背中にまわした手でそっとさすってやると、細い指がギュッと旭鬼の腕に縋るようにしがみついてきた。
何をそんなに怯えているのか。
見知らぬ里に独りぼっちで心細い思いをしている事は察するが、そこまで怯える理由は何だろう。
昼間、護衛の男が首を刎ねられたのを見たからだろうか?
風魔の鬼に連れ去られそうになったからか?
「夢だ。」
静かな声でそう囁くと、咲夜は少しだけ力を抜いて息を吐いた。
ふわりと甘い香りが鼻をつく。
その香りが抱きしめた咲夜から放たれている事に気付いて、何の匂いだろう?と旭鬼は考える。
どこかで嗅いだ事のある匂い。だが、ハッキリと思い出せない。
あの香りは、いつ、どこで嗅いだものだったか……
ぼんやりと庭の白木蓮を眺めながら旭鬼は記憶を辿ってみる。あの夜、咲夜を抱きとめた時に感じた不思議な感覚は、なぜか胸の中で棘のようにいつまでも残っていた。
「……旭鬼、あーさーきー!旭鬼ってば!!」
はっと顔を上げると、目の前に自分と同じ顔があった。
「聞いてる?旭鬼」
額の上で漆黒の髪が揺れる。濡羽色の瞳が真っ直ぐにこちらを見ていた。
「どうしたの?ぼんやりして」
靜鬼は旭鬼の顔を覗き込んで細い眉を寄せていた。
「すまない。」
もともと言葉数は多い方ではない。感情を上手く伝える術も持ち合わせていない。それでも靜鬼には言葉にならない気持ちが伝わる。
「あの子の事、考えてた?」
靜鬼は心の中まで見透かすような深い闇色の瞳で旭鬼を見つめると、柔らかく微笑んだ。
「気になるの?」
率直な靜鬼の問いに、旭鬼は木蓮の白い花へと視線を戻しながら頷いた。
「あぁ。なぜか胸がざわつく。」
「ふーん。もしかして一目惚れとか?」
「そんなんじゃない。ただ……」
ただ、何だと言うのか。旭鬼自身にもこの感情が何なのか分からない。胸の奥がざわついて心に小々波が立つ。落ち着かない気持ちになるのは確かだ。
「旭鬼が他人に興味を持つなんて珍しいね。」
靜鬼はクスリと笑った。
「お前は気にならないか?」
揶揄うような靜鬼の言葉を流して旭鬼は言った。
「あの香り……、確かに知っていると思うのだが」
「あの鬼も言ってたね。魄、だったっけ?」
ーー変わった匂いの娘だね
少女のような美しい少年が言った。
ーーこの甘い匂いはなんだろう?
魄の言葉が頭の中にこだまする。
「そういえば、言っていたな。」
あいつは何か知っているのだろうか?
また胸の奥がざわりと騒ぐ。
まるで小鳥の羽で撫でられたような、不可思議な感覚だ。
不愉快だとは思わないが、愉快な感覚でもない。
己の感情を持て余すなど、旭鬼には初めての事だった。




