アリシアの古城 5
再び城に戻るシャルル。アリシアと対峙したシャルルはアリシアに、今度こそ別れを切りだすのだった。
私は再び、城に一人で戻っていた。
長い机の向こうにアリシアが座って私と対峙している。
「……で、どういうつもりなんだ? アリシア」
私は重い口をようやく開き、アリシアに話しかけた。
「どういうつもりって?」
「……だから、どうしてあんなことをしたんだ。昨日もさっきも私は言ったはずだ。今日の朝出て行くから、君は私達の前に姿を見せないでくれ、と。アルドンサと君の間で面倒なことになることはわかっていたんだから」
「ええ、そうね。分かっていたわ。自分でもアナタの言っていることを充分承知しているつもりだった」
「だったら、なぜ?」
アリシアは少し間を置いてから小さく溜息をついた。
「……だって、寂しいじゃない」
「はぁ? 君……それは一体どういう――」
「だって、そうでしょ!? アナタがいなくなったらまた私は一人なのよ? いつまた、アナタのように私みたいな存在に物怖じしない人が来るかなんてわからない! それまで私はずっと……ずっと一人なのよ!」
取り乱した様子でアリシアはそう言った。思わず私も驚いてしまった。
「……せめて最後にさようならぐらい言えないなんて……おかしいじゃない……」
「アリシア……」
「……ごめんなさい。あの騎士様には悪いことをしちゃったわね……アナタたちを引き止めるつもりなんてなかったのよ……でも、気付いたらああしてた……ふふっ。実はね、私、力をコントロールすることができない時があるの。300年間、自分は人間を超越した存在って思い込もうとしてた……でも、怖いの。自分がどんどん、人間じゃなくなっていくようで……」
アリシアはそういって俯いた。
先ほどのアルドンサに対してまるで魔術をかけているような仕草、そして、か細い腕で鉄製の剣をへし折った事実……
そのどれもが、確かにアリシアのことを人間ではない、と証明していた。
「ねぇ? アナタもそう思うでしょ? やっぱり私、化物だわ。この時代の人間が言うように吸血鬼ってヤツなのよ。アナタも、こんな私のこと、恐ろしいって思うでしょ?」
「……いや、そうは思えないな」
私は毅然としてそう言った。
アリシアは目を丸くして私を見ている。
「え……ど、どうして?」
「ふっ……簡単さ。君は人間だからさ」
「なっ……シャルル、アナタ、私の話聞いてなかったの? それに見たでしょ? 私はあの子の剣をこの手で――」
「ああ。そうだな。確かに鉄の剣を片手でへし折ったのはすごいと思う。でも、それでなぜ君が人間でないということになるんだ?」
「え……」
アリシアは次の言葉に困ってしまったようだった。
「昨日の晩、私と話していた君は、この時代の話に目を輝かせ、嬉しそうに話を聞いてくれていた。少なくともその態度は、私がこの旅で出会ってきた普通の少女となんら変わりない態度だった。そう。君に大切な剣を折られて悲しんでいる私の騎士と同じようにね。だから、君は人間だ」
私は自信を持ってそういうことができた。
アリシアは驚いているようだったが、私にとってはアリシアという少女が、未だに偶然出会うことができた、無邪気な少女にしか思えない。
例え彼女が吸血鬼であろうが、300年生きていようが私には関係のないことなのだ。
「……ふっ。ふふっ……あははっ!」
すると、アリシアは可笑しくて仕方ないという風に笑い出した。
「何か、変なことを言ったか?」
「ええ……言ったわ。ホント、変よ。アナタ」
「ふっ。よく言われるよ」
「……はぁ。ありがとう、シャルル。すっきりしたわ」
「そうか。それはよかった」
アリシアはそう言うと立ち上がり、ゆっくりと歩きながら私の方へ近寄って行く。
「これで後100年は、アナタの言葉を頼りにこのお城で人間として生きていけるわね」
「……寂しくないか?」
「そりゃあ、寂しいわよ。でも、だからってアナタと騎士様について行くことは出来ないの。でも、私にはこのお城しかもう居場所はないの……そうね、白馬の王子様が私をここから連れ出してくれない限り、私はずっと、このお城に捉われたままなのね」
そういってアリシアは私の肩に手を置く。
「シャルル。アナタはすごく素敵な人だったわ。でも、アナタは私の、白馬の王子様じゃなかった……だから、私はもう少しここにいて、私の、白馬の王子様を待つことにするわ」
「アリシア……」
そういってアリシアはニッコリと笑った。
「私に負目を感じることなんてないわ。アナタはこの時代の人間。この時代でアナタが成すべきことをしなさい、シャルル」
「……ああ、ありがとう。アリシア」
そして、黒いドレスの少女は私の手をとる。
「シャルル、お別れに、最後に一つだけお願いがあるの」
「お願い? ああ、なんだ? 言ってみてくれ」
「……アナタの血を吸わせて」
少し恥ずかしそうに、アリシアはそう言った。
私もいよいよその言葉を言われて、少し緊張してしまう。
「……どれくらい?」
「ふふっ。ほんの少しよ。誰も身体中の血液を抜こうなんて思わないわ」
「そ、そうなのか……」
「ええ。別に血を吸ったからって死んだりしないから安心して。むしろ、何かいいことがあるかもしれないわよ?」
「……わかった」
その時の私はいささか勇気がありすぎたというか、あまりにも考えなしであったとも思う。
吸血鬼かどうかもわからない謎の少女のその申し出になんら警戒することなく、それを了承したのだから。
でも、それには私の中にある一つの確信があったからという理由もある。
目の前のアリシアは人間であるという、明確な確信が。
アリシアは私の了承を聞くと、私の手を掴み、そのまま私の指先を口に含んだ。
そして、チクリと針にさされるような感覚があったかと思うと、そのまま指先をアリシアの舌が這いずった。
そうして、しばらくの間、私はアリシアにされるがままに血を吸われた。
「……ふぅ。ご馳走様」
といっても、ほんの数秒の話で、アリシアは私の指先を口から開放した。
「あ、ああ。これでいいのか?」
「うん。とっても美味しかったわ。ありがとう」
「それはよかった……じゃあ、今度こそ、お別れだな」
「ええ……寂しくなるわ」
「……でも、私は行かなければいけないんだ。すまない」
私はそういってアリシアに背を向けた。
「西よ」
と、その瞬間、背中から声が聞こえてきた。
「……西?」
「ええ。アナタの探しているものは、このまま西に行ったところにあるわ」
「……わかるのか?」
「ふふっ。300年も生きてくれば、人間の考えていること、その本心だって話しているだけでわかるわ。そして、その人が求めているものの在り処もね」
「……すごいな。アリシアは」
「そんなことないわ。私なんて、ただの長生きの、人間よ」
私は思わず振り返った。別れが辛くなるから振りかえらないようにしていたのだ。
その先には、精一杯の笑顔を私に向けている、黒いドレスの少女がいた。
「さよなら、シャルル」
「……ああ、さよなら。アリシア」
私は今度こそ、そのままその部屋を出て、城の出口へと向かったのであった。
城門の跡のところまで来ると、鎧姿の少女が悲しそうな顔で俯いていた。
「アルドンサ!」
私は大きな声で呼びかける。
アルドンサは顔をあげた。
「あ……しゃ、シャルル……」
「大丈夫だったか?」
私は急いでアルドンサの方に駆け寄って行く。
すると、いきなりアルドンサは私に抱きついてきた。
「なっ……あ、アルドンサ?」
「怖かった!」
そして、大きな声でアルドンサはそう叫んだ。おまけに顔は涙でぐしゃぐしゃである。
「お前がもう戻ってこないんじゃないかって思って……すごく……怖かった……!」
「アルドンサ……君は……」
「もう……一人は嫌だ……嫌なんだよぉ……」
そのまま私の胸に顔をうずめて泣き続けるアルドンサ。
私は心底後悔した。そもそも、町のものに頼まれようが、こんな依頼は断るべきだったのだ。
私のためにも、アルドンサのためにも。
そして、この城に捉われた憐れな姫君のためにも。
「……まったく、君というヤツは、仕方ないな」
「……え?」
「君には王都まで案内してもらうと言っただろう? それなのに、案内役の君をほうっておいて私がいなくなるとでも思ったのか?」
「あ……」
アルドンサは私の言葉を聞くと安堵したように微笑んだ。
私もようやくアルドンサのそんな笑顔を見て安心することができた。
「さぁ、旅を続けようか。私の騎士様」
「……あ、ああ! もちろんだ!」
アルドンサはいつもの通りの快活さを取り戻した。
そして、私達は足早にその場を離れる。
私は一度振り返って、後方に聳え立つ巨大な城を見た。
「……さよなら、アリシア」
こうして私達は再び旅を再開した。




