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死神と愚者の旅 ~黒いシスターと没落御曹司~  作者: 松戸京
第1章 死神との出会いとその旅路
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蒼い炎

マリアンナが育ったという教会にやってきた二人。そこで育ての父であるケインとマリアンナは再会するが、会うなりマリアンナはケインに襲い掛かかるのであった……

 マリアンナが大きく斧を振り上げる。そして、次の瞬間には教会の大きな木製のドアが粉々になった。

「お、おい! いくらなんでもやりすぎじゃ――」

「黙っていろ」

 私の制止も聞かずにマリアンナは進んでいく。

 私も恐る恐る教会内に入って行った。

 教会の内部は、清潔感のある神聖な感じの場所であった。

 すると、礼拝堂の中心にまで行ったマリアンナがいきなり声を張り上げた。

「この教会の神父、ケイン。私は断罪人だ。お前は断罪対象となっている。今すぐ出て来い。出てこなくとも、探し出して断罪するがな」

 しかし、返事はなかった。

 マリアンナが少し不機嫌そうに顔をしかめる。

 そのまま祭壇の前にまで行き、マリアンナは礼拝堂を眺める。

 その様子だけは、まるで祈りを捧げる修道女に見えなくもなかった。

 最も修道女はあんな大きな血の滲んだ斧を、振り回したりはしないであろうが。

「出てこないなら、お前の命とも言えるこの教会を破壊し尽すぞ? それでもいいのか?」

 マリアンナが大きく斧を振り上げ、そのまま目の前のステンドグラスに、斧を振り下ろした。

 綺麗な装飾のステンドグラスは、粉々に砕け散る。

 そして、次は教会のシンボルである十字のマークに斧を振り下ろし、真っ二つにする。まさに神に対する冒涜。断罪人は怖いもの知らずであった。

「やめなさい。マリアンナ」

 その声の出現にマリアンナの動きが止まる。

 すると、礼拝堂の奥から一人の男性が姿を現した。

 顎鬚を蓄えた、厳格そうな老人であった。

 マリアンナはその姿を認めると、老人に向かって斧を突きつける。

「神父のケインだな」

「ああ。父の顔を忘れたのか。マリアンナよ」

「ああ、そうだったな。もっとも、私とお前には血のつながりもない。もはや父と呼ぶ必要性もないだろう。さて、何か言い残すことはあるか?」

 そして、お決まりの台詞。

 一応マリアンナなりに慈悲を示しているつもりなのだろう。何か言い残した所で死への運命は変わらないのだろうが。

 だが、この神父は違った。まるで、はじめからマリアンナが自分のことを断罪しにくることをわかっていたような、自分の死を感じ取っていたような感じだった。

「ああ。ある」

「そうか。言っていいぞ」

「一日だけ、断罪を延期してくれ」

 神父の言葉は予想外のものだった。

 マリアンナも、少し意外そうな顔をしていた、ような気がする。

「どうした、マリアンナよ。どうなのだ? 延期をしてくれるのか?」

「ダメだ。お前の断罪日は今日となっている。お前は今日、ここで私に殺され――」

「私を殺す――それも、ジェラルドに言われたのか?」

 その言葉にマリアンナの様子が変わる。

 どうやらあの神父は言ってはいけないことをいってしまったようだ。マリアンナの蒼い瞳が大きく揺らいでいた。

「お前には、関係ない。ジェラルドも関係ない。ただ依頼されたからだ」

「ふっ……依頼か。だが、所詮今のお前は、ジェラルドに言われるがまま、断罪という名の殺人を繰り返す。哀れだな。お前も、お前以外の断罪人も、そして、ジェラルドも……」

「黙れ」

 マリアンナが、礼拝堂に響くような大きな声を上げた。

 さすがに私も驚いた。

 あのマリアンナが、声を荒げている。

 どんなに馬鹿にされようが蔑まれようが、一切感情を表に出さなかった、あのマリアンナが。

「お前はただの操り人形だ。断罪人でもなんでもない。哀れな男の哀れな操り人形……本当に哀れな存在だ」

 マリアンナは何も言わずに神父を睨んでいた。

 そして、斧を振り回し、礼拝堂中の物を破壊し出した。

「お、おい、マリアンナ……」

 私は柱の陰に隠れながらマリアンナに声をかける。

 マリアンナはその声に反応し、こちらを見た。

 だが、これがいけなかった。

 その瞳は、もはや人間のものではなかったのだ。

 まるで、血に飢えた獣のような瞳。

 そして、マリアンナは……いや、その黒い獣は、私を認めると大きな斧を振り上げて、一直線に私の方へ向かってきたのだ。

「う、うわぁぁぁぁぁ!」

 私はあまりの恐怖に腰を抜かして悲鳴を上げてしまった。

 眼前に迫る赤錆びた巨大な凶器。私は死を覚悟した。ああ。やっぱり私はこの少女に殺されるのだな、と。

「あ」

 しかし、そうはならなかった。

 急に途切れたマリアンナの声に気付いて、私は恐る恐る目を開ける。

 すると、マリアンナは斧を振り上げたまま硬直していた。

 次の瞬間にはそのまま倒れてしまった。斧も大きな音を立てて床に落ちる。

「まったく……本当に獣になってしまったか」

 見ると、マリアンナの後ろにあの老人がいた。

 老人はマリアンナに向かってまっすぐ拳を突き出している。

 あの老人が、マリアンナを倒したというのか?

 倒れたマリアンナは、恨みがましそうに老人を見ていた。

 老人はそれに対し、涼しそうな顔で応える。

「なぁに、お前に一撃を入れるためだけに、この十年鍛えていただけだよ」

「私は、死ぬのか?」

「死にはしない。眠ってもらうだけだ。おやすみ、マリアンナ」

 老人がそういうとマリアンナはそのまま気を失ってしまったようだった。

「ふぅ。さて、どこから話したものかな」

 老人は私を見る。

 腰が抜けて動けない私に、老人は、聖人のような笑顔で微笑みかけてくれたのだった。


「さぁ、お茶でも飲んでくれ」

「ああ。ありがとう」

 私は老人に、教会の奥の部屋へと通されていた。

 ベッドには気を失ったままのマリアンナがいる。

「大丈夫だ。先ほど言った通り、眠っているだけだよ。明日にでもなれば目を覚ます」

「明日? そんなに長い時間眠っているのか?」

「ははは。キツイ一撃を入れたからな。親といえども、子供をしつけるときは厳しくせねば」

 親、子。その言葉に私は反応する。

 この教会に入る前にマリアンナが言っていた育ての父という言葉。

 つまり、この老人がマリアンナの育ての父ということになるのだろうか。

 老人はその柔らかな眼差しで、私を見ている。

 聖職者のような慈愛に満ちた瞳だった。

 こんな慈愛に満ちた瞳の持ち主が育てた娘が、あんな冷徹な瞳を持つようになるのは不思議でならなかった。

「さて……私はケイン。この教会の神父だ。君は?」

「私はシャルル・フロベール。伯爵家であるフロベール家の二十八代目当主……になる予定だったものだ」

「ははは。貴族様だったか。まぁ、あの子と一緒にいる時点で何かしら事情があったんだろう。何があった?」

「あ……その……私の弟が、マリアンナに殺された」

 重い口を動かしてそう言うと、神父は、皺の刻まれた顔を一層険しくして私を見た。

「そうか。こんなことをしてどうにかなるものではないとは思うが、本当に申し訳なかった」

 神父は深く頭を下げた。

「え……そんな。貴方が謝ることではないだろう」

「子供の犯した罪を親が謝らんわけにはいかないだろう。本当に、申し訳ない」

 神父は深く頭を下げたまま上げようとしなかった。

「顔を上げてくれ。貴方には、謝るよりも教えてもらいたいことがある」

「そうか。私も君に聞きたいことがある」

 神父は顔を上げてくれた。

 相変わらず苦虫を噛み潰したような厳格な表情は変わらなかった。

「そうか。私に聞きたいこととは、なんだ?」

「うむ。君はどうして、マリアンナと一緒にいるんだ?」

 一瞬面食らってしまったが、私は少し間を置いてから、神父に返答する。

「先ほど話した通り、私の弟はマリアンナに殺された。その時、私の父がマリアンナへの報酬として、その……私を売り払ったんだ」

 神父は顔色一つ変えずに私を見つめていた。

 自分でそう言っていて、改めて自分の境遇の惨めさを思い出してしまった。

「なるほど。それで、ここまで君はマリアンナと共に旅を?」

「え? ああ……まぁ、一応な」

「そうか。ふむ。まだマリアンナにも人間の心が残っておるのかもしれん……いや。それは良い方に考えすぎか」

 その言葉を聞いて、私は益々この訳知り風な神父に、今ベッドで横たわっている黒衣の修道女のことを聞きたくなった。

 神父はそのまま言葉を続けた。

「君は、断罪人という存在を知っているかね?」

「え? だから、マリアンナのことだろう? 依頼されればどんな対象でも断罪……もとい、殺すという」

「そうだ。金さえ払えばどんな断罪でも行う死の商人。それが断罪人だ。断罪人は普通誰かと一緒に行動することはない。なぜだかわかるか? 断罪人は人を殺すためだけに作られた存在だ。誰かと一緒に過ごすことなんて、まず、できない。過ごすより先に殺してしまうからな」

「なるほど……ん? 待ってくれ。断罪人が、作られた?」

 作られた、というフレーズに私は酷く違和感を覚えたのだ。

 神父は、私の目をまっすぐに見る。

 先程まで慈愛に満ちていた瞳が真剣そのものとなった。

「私には一人息子がいた。名前はフランツ。君を見た時はびっくりしたよ。フランツは君とそっくりの容姿で、私の息子とは思えないほどに、高貴な見た目だった。息子は、私と同じように神に仕える道を選び、日々努力していた。祈りを捧げ、近隣の村に施しを行っていた。よくできた息子だったよ。ある日、そんな息子に友達ができたんだ。名をジェラルドという。ここら一体の領主でね。たまたまお忍びで村に遊びに来ていたところを息子と出会った。思えば、それが運命だったのかもしれない」

 運命という言葉を聞いて、ふと、クロエのことを思い出す。

 運命。なんとも残虐で無慈悲な響きだ。

 神父はそのまま先を続ける。

「息子とジェラルドは意気投合し、ジェラルドはよき領主として成長する道を、そして、息子は神に仕え、皆を救う道を胸に刻んだ。二人とも未来に燃えていた。しかし、そんな二人の若者を、奈落の底に突き落とす地獄は突然やってきた」

 神父は厳しく顔をゆがめる。

「ある日、ここら一帯で戦が起きた。戦は容赦なく土地を荒らし、人々を殺めた。息子が施しを与えていた村も、ジェラルドが愛していた領地も、領民も、跡形もなく消え去ってしまった。おまけに、ジェラルドには婚約者がいたんだがな。戦の最中、兵士に……うむ。すまん。あまり思い出したくないのでな。結果として息子もジェラルドも失意のドン底に突き落とされたのだ。無論、領地、領民を失い、婚約者まで失ったジェラルドの悲しみは相当のものだった。それからだったよ。ジェラルドがおかしくなってしまったのは」

「おかしく、なった?」

「そうだ。ジェラルドは教会を作る、と言い出したんだ」

「教会?」

「そう。それが『断罪教会』だ」

 神父は一呼吸置いてから、また口を開く。

「まぁ、ここまで話せばわかってくれるだろう。そう。断罪教会の創設者はジェラルドだ。これが断罪教会の、そして、断罪人の大元だ」

「しかし、それとマリアンナの……マリアンナが断罪人になったこととの関係は?」

 神父は目の前のお茶を少し口に含む。

 そして、もう一度大きく溜息をついた。

「……君はマリアンナからどこまで聞いているんだ?」

「え? マリアンナは、自分が生まれた場所も、自分を生んだ親も知らないといっていたが……」

「そう。マリアンナは十五年前、この教会の前に捨てられていた。それを私とフランツが拾って育てたんだ。マリアンナは大人しい子だったよ。寡黙な子だったよ。だが、フランツにはよく懐いていた。フランツを兄のように慕っていたんだ。いずれはマリアンナも大きく成長してくれることを願っていたんだが……」

 神父は、今ベッドで眠っている黒い修道女に目をやり、そして、悲しそうに俯いた。

「ある日のことだ。たまたま私とフランツが目を離した隙に、マリアンナは誘拐されたんだ」

「え? 誘拐?」

「ああ。そして、一年後。戻ってきたんだ。ジェラルドと一緒にね」

「それは、一体……?」

「戻ってきたマリアンナは、もう私の知るマリアンナではなかった。感情が全くなくなっていたんだ。笑いもしなければ泣きもしない。そして、その瞳が何より印象的だった。まるで、この世の中に何も期待してない、絶望しかしていない瞳。私もフランツも言葉を失ったよ。フランツはジェラルドに詰め寄った。マリアンナに何をしたんだ、と。しかし、ジェラルドはへらへらと笑って言ったんだよ。『私はついに、世界を断罪する武器を手に入れた』とね」

「武器……か」

「そして、マリアンナは……フランツを断罪した」

「え? 断罪って……」

 神父は悲しそうな顔でマリアンナを見つめていた。

 そして、悔しそうに唇を噛んだ。

「マリアンナは何のためらいもなくフランツを殺した。私はあまりのことに全く動けなかった。ジェラルドはかつての親友が死んだのを見て、妙に晴れやかな表情だった。きっと、アイツにとって、フランツが自分の過去との唯一のつながりだったんだろう。アイツはフランツを殺すことで、過去を断ち切ったんだろうな」

「そんな……じゃあ、マリアンナは……」

「マリアンナはその後、何も言わずにジェラルドと一緒に帰っていったよ。私は何も出来ずに、息子の遺体を呆然として抱えていた。それからだよ。断罪人という死の商売人が、巷で有名になったのは。私は断罪人の噂を聞く度に胸を引き裂かれるような思いをしたよ。そして、同時に確信していた。いつか、マリアンナが自分を殺しに来ると」

 神父が話した真実は、私の想像以上だった。

 しかし、たった一年で、兄のように慕っていた人物を平気で殺すようになってしまったというのは、いまいち納得できない。

 一体何が起きればそんなことができるようになるのだろうか。

 神父は立ち上がり、窓の外を眺めた。

「君がマリアンナにまだ生かされているのは、君の容姿がフランツとそっくりだからだろう。自分が断罪したはずのフランツに瓜二つの君を、どのように扱えばいいか困惑しているのだろう。そうでなければ、とっくに殺している」

「そうかもしれないが……マリアンナは私が熱で倒れた時に、看病してくれたぞ? やはり、マリアンナにはまだ人間としての感情が――」

「それ以上に、マリアンナが人間とは思えないような無慈悲さで人を殺すのを、君は見てきたのではなかったのかね?」

 私は、何も言い返せなかった。

 スパニ村、道中の山賊達、リベスの街、そして、クロエ……

 マリアンナから血の匂いが途切れることは決してなかった。常にその表情は氷のように冷たかった。

「マリアンナはもう壊れてしまっているんだよ。慈悲と無慈悲、善悪の区別もついていない。人を殺すために生きているんだ。そんな人間が正常でいられるわけがない」

 人を殺すために生きている。

 そんな不条理な生のあり方が、この世にあるわけがない。

「それに、今日でわかったのではないか? ともすると君は、簡単にマリアンナに殺される。マリアンナにとってそれは、足元の虫を踏み潰すのと変わらない。何の感情の起伏もなく殺すんだ」

 私はスパニ村の森で、簡単に虫を踏み潰したマリアンナを思い出した。

 神父はそんな私の心の内を見透かしているようで、再び、聖人のような優しい笑顔で私を見る。

「できるなら、これ以上マリアンナに罪を重ねさせたくない。君は今すぐにでも、マリアンナの元を離れなさい。君の言いたいこともわかるが、聖職者という立場上、人がその命を散らしていく様を黙って見ていたくないんだよ」

「しかし、貴方はどうするのだ? 貴方はマリアンナに……」

「それは当然の報いだ。私は結局何もできなかった。職業柄、天罰とでも言っておこうか。私は私自身の運命を受け入れるつもりだよ」

 神父は全てを悟っているような顔でそう言った。

 だが、私はその言葉に納得がいかなかった。

 天罰、だって?

 私は汚いことに手を染めてでも、必死に生きた少女を知っている。

 その子は死に際に天罰、という言葉を使った。

 だが、今この神父が使っている天罰という言葉は違う。自分の責任を天に押し付けているだけだ。

 クロエとこの神父の天罰という言葉の意味が同じであって良いわけがない。

 でなければ、クロエが報われないではないか。

「それは、おかしいんじゃないか、神父。私は、天罰に値しないものに天罰が下った例を知っている。その子は、死に際に自分の死を天罰といっていた。だが、天罰であるはずがない。その子は断罪されたのだ。神でもなんでもない自分と同じ、一人の少女に。そして、一方であなたは自分が断罪されるのを天罰だという……そんなはずないだろう!? あなたは逃げているだけだ。マリアンナという死神から……マリアンナという死神が、天罰を下してくれることを、待っていたんだろう!?」

 私は興奮気味にそう捲くし立てた。

 神父は複雑そうな顔で私を見ていた。私自身、自分の言っていることが支離滅裂気味だということはわかっていた。

 だが、神父は確かに逃げている。そんな気がしたのだ。

「そうだな。そうかもしれん。いや、君の言う通りだ。私は逃げている。マリアンナからな。正直、もうマリアンナが怖くて仕方なかったのだ。私がどうしてこの十年、マリアンナに一撃を入れるためだけに己を鍛えてきたかわかるか? 一日だけでいい。気持ちの整理をつけたかったんだ。それから、マリアンナに殺されたかったんだよ……そう。もう私はマリアンナに殺されたいんだ……」

「おかしいだろ! アンタは言ったぞ! 親なのだから躾をするのが当たり前だと。だったら、なんで最後まで責任を持たない!?」

「シャルル君。もう無理なんだよ。君に十年間、自らが育てた娘が次々と人を殺して行く様を、風の噂に聞き続ける辛さがわかるかね? 君に十年間、後悔をし続けるつらさが――」

「じゃあ、アンタは! 一緒に旅をしている娘が、数ヶ月で何人も、無慈悲に人を殺めていく様をただ見ているだけの人間の気持がわかるのか!?」

 神父は驚きの顔で私のことを見ていた。

 そして、私はなぜか泣いていた。何が悲しいのかはわからない。ただ、泣いていた。

 神父は私が涙を流している様を見ると、優しく微笑んだ。

「……そうだな。すまない。だが、私には何もできない。神に仕えていても神の力が使えるわけじゃないんだからな。でも、君ならあるいは……いや。誰にもどうともできないだろう。ただ、私はもう疲れた。許してくれ。シャルル君」

 神父は部屋を出て行った。

 神父のあの優しそうな顔。それは優しさから来るものではなかった。

 全てを諦めた顔。神に全てを託し、放棄した顔だった。

 確かにある意味では最も聖職者らしい表情かもしれない。

 でも、納得はいかなかった。どうにかしたかった。

 それは、私が神父のように悟っていないからかもしれないが、それ以上に、マリアンナという少女の存在が不条理に思えてならなかったこと、そして、マリアンナによってもたらされた死を、そのままにしておきたくなかったからだ。

 私は息を吐いて椅子に深く座りなおした。

 冷めきったお茶を飲み干し、窓の外を見る。

 神父の話……その断罪教会の主であるジェラルドに会って、話をつけるしかないのだろうか。

 だが、今の私に何ができる? 私はもうフロベール家のものではない。

 貴族でも何でもない、ただの人だ。誇りはあるが、それはあくまで内面上のものにすぎない。こんな私に何かできるのだろうか。

 ふと、ベッドで横になっているマリアンナを見る。

 白い髪、透き通るような肌。それと対照的な漆黒の修道服。

 私の腰の辺りまでしかないその身長からは、人を殺すという行為は連想できなかった。

「マリアンナ……」

 私はふと彼女の名を呟いていた。

 彼女と私のこの数ヶ月の旅が、彼女という死神になんらかの影響を与えていることを、私は願った。

 時折、マリアンナは人間らしい行動を見せてくれた。

 だが、それを補ってあまりあるほどの残虐性も見せた。私は、初めてマリアンナと出会った時のことを思い出す。

 漆黒の闇の中に佇んでいた、黒い修道服の少女。

「私は……あの時死ぬべきだったんだろうか」

「そうかもな」

 私がそう一人呟いていると、声が返ってきた。

 驚いていると、マリアンナが起き上がってこちらを見ていた。

「マリアンナ……」

「話は終わったのか」

「ああ……」

「そうか。じゃあ、神父を断罪してくる」

「ま、待て!」

 マリアンナは私をその冷たい蒼い瞳で見る。

 一瞬、私も躊躇ったが、ここで引き下がれば確実にマリアンナは神父を殺しに行くと思った。

「なんだ。何か用か」

「神父は、お前の育ての父親だろう?」

「そうだ。だが、それがどうした? なんの関係がある?」

「お前、何か感じないのか!? 自分を育ててくれた人を殺すんだぞ? 何か……何か感じないのか!?」

 マリアンナは私を不思議そうに見ていた。

 そして、そのままベッドから立ち上がった。

「斧は、どこだ」

 私は何も言えなかった。

 だが……ダメだ。ここで、マリアンナを行かせてはダメだ。

 それだけは私にもわかっていた。

 私は、部屋の外へ出て行こうとするマリアンナの前に立ちはだかった。

 マリアンナが不審そうな顔で私を見る。

「なんのつもりだ?」

「お前を、今日はこの部屋から出さない」

「なんだと? お前、何を言っているんだ。お前が私をどうにかできるとでも思っているのか?」

「いや、思ってはいない。このまま殺されてもおかしくないと思っている。でも、お前をこの部屋から出しはしない」

 私の額を一筋の汗が落ちる。

 私はこの時、明確にマリアンナに反抗した。

 そのままマリアンナに殺されても文句は言えないはずだった。あの巨斧を持っていないからといって、マリアンナが人を殺せなくなるとは到底思えない。数ヶ月、行動を供にして、既に十分理解していたことだった。

 マリアンナの蒼い瞳が私をまっすぐに見つめる。まるでその青さが私をそのまま刺し殺すといわんばかりに、その視線は私にとって痛々しいものであった。

 心臓の鼓動が早まるのがわかった。

 やはり、私はマリアンナに何もすることができないのか。

 しかし、マリアンナは大きく溜息をつくと、いきなり私に背を向けた。

「へ?」

 拍子抜けした私の口からは、思わず間抜けな声が漏れてしまった。

 マリアンナはそのままベッドに腰掛け、無表情に私を見る。

「あの神父に何を言われたのか知らないが、お前がそう言うなら仕方ない。お前は断罪の対象リストに載っていないからな。今すぐにでもお前を殺して、その後で神父を断罪したいところだが、お前を殺せない以上、そのお前が、私をこの部屋から出さないというのなら、私はこの部屋に残るしかない」

 そういえば、断罪教会の規定か何かで、断罪の対象でない者は殺せないのだった。

 そうだ。なぜ気付かなかったんだ。

 別に私は、マリアンナを恐れることはないのだ。

 しかし、そう思った瞬間に、先ほどの黒い獣のフラッシュバックが、私を襲う。

 それはあくまで理性を持ったマリアンナの言う言葉だ。

 あの時、マリアンナは確実に私を殺そうとしていたのだから。

 私は、なるべくそのことを考えないようにしながら、先程まで神父が座っていた椅子に座る。

 ベッドに腰掛けているマリアンナとは、丁度向かい合う形となる。

 黒衣の修道女は、何事もなかったかのように私を見つめていた。

 私は、ゴクリと唾を飲んだ。

 ここで、聞くべきじゃないのか?

 先程のケイン神父の話。

 そもそも、あれは本当の本当なのか。

 そして、それが本当だとしたら……

 私は、理性を保ったマリアンナなら私を殺せないと信じて、話を切り出すことにした。

 それが、どういう結果をもたらすかも、よく考えずに。

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