妖精の踊る街 3
マリアンナの凶刃に倒れたクロエ。激昂するシャルル。しかし、マリアンナはまったく動じない。シャルルはアリアンナが自分とはまったく違う存在なのだということを改めて認識させられてしまう……
「ク、クロエ……クロエ!」
私は血まみれの身体を抱えながら何度目かわからない呼びかけを行った。
しかし、その体はピクリとも動く気配はない。
「クロエ……クロエ……!」
「無駄だ。もう死んでる」
私は怒りと憎しみを込めて、その声の主を見た。
「その女は、貴族相手に売春まがいのことをしていたようだ。それで、多額の金額を要求された一人の貴族が、面倒だから断罪しろと言って来たんだ」
「……マリアンナぁ!」
私は無意味だと思っていながらも、私は叫んだ。
マリアンナは、ただその無機質な瞳を動かして私を見るだけだった。
「なんだ。うるさいぞ」
「ふ、ふざけるなよ……クロエが……売春? そんなことしているわけないだろ! クロエは……クロエは……」
「なんだ? お前も客の一人だったのか? だったら、殺して悪かったな」
いい加減慣れたとはいえ、この少女の死に関する無関心さは異常だ。
獣だって、ここまで殺しということに無関心ではいられないのではないか。
私はそのことに恐ろしさを感じつつも、やはり、胸の奥から迫ってくる怒りに震えていた。
「さて。仕事も終わったし、宿屋に戻るか。今回の依頼主は先に金を払ってくれた。結局、娼婦のことなど、本当は殺すほど気にかけてもいなかったんだろうな。死んでくれればいい、くらいで」
瞬間、私の中の何かが切れた。
私は恐怖も理性も吹っ飛ばして、黒い修道服の胸倉をつかんで、壁にたたきつけた。
驚いているのかいないのか、マリアンナは蒼い瞳で私を見つめている。
「どうした? 機嫌でも悪いのか?」
「お前……お前は……どうして……っ……!」
それ以上言葉はでなかった。
そのまま私は崩れ落ちて涙を溢れさせた。たとえ、この黒い死神を責めた所で、クロエが帰ってくるわけでもない。
そして、私が許そうと許すまいと、この死神は断罪という名の殺人をやめることがないのだ。
私はそのことに憤りを感じると共に、激しく悲しみを覚えたのだった。
マリアンナは無言だった。私を見下ろしているようだった。しばらく、私の嗚咽だけが路地に木霊する。
私は涙を手で擦るように拭って、立ち上がった。
そして、もう一度クロエの側に寄る。
私はその遺体を強く抱きしめた。鉄臭い血の匂いに混じって、仄かに甘い香水の香りがした。
売春……確かに、クロエはそんなことをしていたのかもしれない。
でも、私にとってはそんなことはどうでもいいことだった。
私にとって重要なのは、この娘が、私にこの街を案内し、世界を教えてくれたことだった。
私はそんなクロエ・アシュクロフトを心から尊敬し、好意を抱いていたのだから。
「……なぁ、マリアンナ」
「ん。なんだ?」
「罪人の遺体っていうのは、断罪人が処理するのか?」
マリアンナは何を言っているのかわからないといった顔で私を見ていた。
「……殺した後はいつもどうしている?」
「後? そのままだ。殺した後のことなど、断罪人には関係ない」
「……そうか」
私はそのまま立ち上がった。そして、遺体を抱いたまま、宿屋へ向かう。
幸い、もう宿屋の主人はいないようだった。私は幸運にも誰にも見られずにクロエの遺体を自室に運び込むことができた。
そのままベッドにその遺体を寝かす。その後、私は宿屋の裏に向かった。
そこには、いらなくなった木製の木箱がおいてあった。
ちょうど、小さな女の子が一人入るくらいの。
それを部屋に持ち込み、私は丁寧にその中にクロエの身体を入れた。
「何をやっているんだ?」
途中、マリアンナがその行為を見て尋ねてきた。
私はそれに無言で答え、宿屋の物置にあったスコップを持つと、それと箱を持って外へ出た。
夜中のリベスの街は静かだった。
先ほどまであんなに躍動的で、賑やかだったのに、まるで死んでしまったみたいだ。
私は、箱を見つめる。
そうだ。ついさっきまでは元気だった。
私はそれを思い出し、また、涙を零した。
そして、私は街を出た。
そのまま少し歩く。先ほど歩いた道だった。
すぐに、クロエが案内してくれた小高い丘についた。
私は、クロエの入った木箱を丁寧に地面に置き、穴を掘り始めた。
疲れや悲しみも感じなかった。ただ、黙々と穴を掘り続ける。
これが、人が死ぬということなんだ。
私はこの時、遺体を埋めるためだけに穴を掘っているというその行為を通して、初めてその事実を認識した。
そして、適当な穴が出来たくらいで、私は掘るのをやめた。
木箱に入った遺体を抱き、そして、ゆっくりとそれを持ち上げたときだった。
「……随分、力持ち……じゃないか……」
掠れるような声だったが、確かに聞こえた。
私は耳を疑った。そして、クロエを見る。
苦しそうな息の元で、クロエが優しげに微笑んでいた。
「く……クロエ……!」
「ど、どうしたんだよ、シャルル……なんで、泣いてんだ……? さっき……聞いてたよ……そっかぁ……ついに……私のところにも……死神が来ちゃったかぁ……ふふ……天罰って……あるんだね」
「クロエ……わかった、もういいんだ……!」
しかし、クロエは構わずに続ける。
「そうなんだよ……さっき……いえなかったこと……ごめん……私……ずっと騙してたんだ……でも……シャルルにだけは……」
「もういいんだ! 喋っちゃダメだ!」
すると、クロエは胸元に手を入れ、何かを取り出した。
それは、形の良い財布だった。
「これ……アンタに……やるよ……また、私みたいなヤツに……金を盗まれないように……な?」
涙がボロボロと零れる。
その雫がクロエの頬を伝って地面に落ちた。
「泣くなよ……大丈夫だって言っただろ? アンタと私が出会ったのは……運命なんだ……だから……きっと、また……会えるよ……」
クロエはニッコリと笑った。
私はそれに笑い返そうとしたが、涙が滲んでもうそれも出来なかった。
そして、それを機にクロエはもう動かなくなった。私は涙をボロボロと流しながら、穴にクロエの遺体をそっと置いた。
その後、その遺体に土を被せた。最後まで顔には土を被せなかった。
クロエの死に顔は穏やかで、心地良さそうに見えた。
「おい」
その声で、私は目を覚ました。
「起きろ。行くぞ」
目の前には、クロエの遺体を埋めて盛り上がった地面があった。昨夜は一晩中、私はクロエの墓の前にいたのだ。
眠れるわけもないと思ったが、さすがに体が限界だったようだ。
私は、目をこすって顔をあげる。無慈悲な黒衣の修道女は、相変わらずの無表情で私を見下ろしていた。
「……なぁ、マリアンナ」
「なんだ。早く立て」
「……なんで、お前は人を殺すんだ?」
私は、クロエが眠っている地面を見つめながら、そう訊ねる。
「そりゃあ、生きるためだ。断罪教会の掟に従わなければ私は生きていけない。だから、断罪する。お前が埋めた女が生きるために身体を売っていたように、私も生きるために断罪するんだ」
生きるために、断罪する……なんとも不条理な言葉だ。
そうまでして生きるということは、一体なんなのだろうか。
他人の生命を奪ってまで謳歌する人生が、どこにあるというのだ?
私にはもはや理解不能だった。私にはもう、マリアンナという少女がわからなくなってしまった。
私は立ち上がった。そして、マリアンナが持ってきた大きな荷物を背負う。
荷物が軽かった。クロエの身体より、何倍も、何十倍も。
「なぁ、今度は私が聞いてもいいか」
私が荷物を背負うとマリアンナが口を開いた。
「……なんだ?」
「お前、今、悲しいのか?」
その言葉を聞いて、私はもう何も言えなかった。
私はただ哀れみの目で、マリアンナを見ることしか出来なかった。
「……ああ。悲しい」
「そうか。人が死ぬと悲しいのか?」
「……ああ。そうだ。悲しい。お前は、悲しくないのか?」
「さぁな。もう何人も断罪してきたが、悲しいっていうのはどんな気持ちなのか、そもそもわからない」
私は、クロエが殺されるまで、ほんの少し、マリアンナという少女を理解したつもりでいた。
しかし、ここに来て、完全に振り出しに戻ってしまった。
この小さな少女の、何がここまで彼女を残虐にさせているのか? 断罪教会の掟なのか? 彼女自身の性質なのか?
しかし、無機質な蒼い瞳を見た時、考えるだけ無駄だと私は悟った。
私はマリアンナに少し近付く。マリアンナは無表情で私を見ていた。
そして、そのまま私はマリアンナを強く抱きしめた。
マリアンナは何もいわず、私に抱きしめられていた。
なぜ、このような行為をしたのかわかなかった。本当なら、ジョージを殺し、そして、クロエを殺した憎い相手。
殺したいほどなのに、なぜだか、抱きしめてやりたくなった。
そのまま自然と涙が溢れてくる。
「おい」
マリアンナが言った。
「……ぐすっ……な、なんだ?」
「お前、目から水が出てるぞ。手品か?」
「あ、ああ……ひぐっ……こ、これは……涙というんだ……知らないか?」
「涙? 水とは違うのか?」
「そ、そうだな……ぐすっ……水……とは違うさ」
「そうか。じゃあ、なんだ?」
私はそれに対し、より一層強くマリアンナを抱きしめることで返した。
きっと、この意味も彼女には伝わっていないのだろう。私のことを滑稽にしか思っていないのかもしれない。
それでも、私はそれからしばらく、小さな死神の身体をずっと抱きしめていたのであった。
宿屋を出て、リベスの街中を歩く。相変わらずの賑やかさだ。
それこそ、クロエが死んだことなど無関係と言わんばかりに、リベスの街は活気にあふれていた。
人が一人死んだくらいでは、この世界は止まらない。
きっと、私が死んでも、そして、マリアンナが死んでも世界は変わらないのだろう。変わらないままに動き続けて行くんだろう。
だからといって、人の命が軽いという証明にはならない。どんな人間の命にだって、等しく価値がある。そんな価値ある人間の命を奪う殺人という行為は、罰せられてしかるべき罪なのだ。それは、温室育ちの私にだってわかる。
私はそんなことを黙々と考えながら歩いた。気付くとリベスの街を大分離れており、遠くにあの懐かしい喧騒が聞こえてきた。
「次は、どこに行くんだ?」
「ここから少し離れた所にある教会だ。そこに断罪対象がいる。だからそこに向かう」
「また、殺すのか?」
「殺すんじゃない。断罪するんだ」
「……どっちも一緒だろ」
リベスの街を離れ、私とマリアンナは再びひたすらに歩き続ける旅を再開した。
私もマリアンナと話す気にもならなかったし、マリアンナも私と話すつもりはなかったようだ。
ただ、ひたすらに無言が我々を支配し、起きて、寝て、歩いて、の生活が続いた。
そして、リベスの街を離れてから二週間ほど経ったある夜、いつものように野宿をしていた時のことだった。
まともな会話をすることもなく、私とマリアンナは眠りにつこうとしていた。
既にここ二週間、人間と会話した記憶がない。そのうち会話をするという行為自体を忘れてしまいそうだ。
「おい」
テントの奥から声が聞こえた。私は振り返らずに応える。
「……なんだ?」
「お前、怒っているのか?」
「なんでそう思う?」
「理由はない。私の直感でそう思うんだ」
私は溜息をつく。
おそらく反省の気持ちといったものから来る言動ではないだろう。
単に私があまりにも喋らなくなったから、興味を覚えて聞いているのだ。
「まぁ、そうだな。怒っているかもしれん」
「ふぅん。そうか」
マリアンナは興味なさげにそういった。
やっぱりそうだった。マリアンナには感情なんてない。
だから、もう彼女を理解しようなんて思わない。私はただ、彼女の荷物を持つだけの役に徹しよう。どうせ、私はマリアンナにとって荷物持ちでしかないのだから。
「なぁ。それは、私があの娼婦を殺したからか?」
「……そうかもな。でも、もう二週間前のことだ。そうじゃないかもしれん」
「いや。そうだ。絶対にそのことだ。お前はそれで怒っている。私があの娼婦を殺したからお前は怒っている。なぜだ? なんであの娼婦を殺すとお前が怒るんだ? 別にアレとお前に関係なんてないだろう?」
段々とマリアンナのことがうるさく思えてきた。
だから、私はいい加減この不毛な会話を打ち切ろうと思った。
「ああ。そうだな。だから、怒ってなんていない。お前の勘違いだ。それに、私が怒っているからと言ってお前に何か不都合でもあるのか?」
「いや。ない」
「そうだろう? だったら、気にしないでくれ」
マリアンナはようやく黙った。
私は安心してようやく目を瞑ることができた。
しかし、少しするとテントから人が出てくる音がする。私は振り返った。
マリアンナはテントから出てきていた。
「なんだ。どうした?」
「じゃあ、一つ聞いてもいいか?」
「あ、ああ。なんだ?」
「お前は、私が死んでも怒るのか?」
マリアンナの言葉に、一陣の風が私の頬を撫でた。
その青白い肌、白い髪を、冷たい風が撫でる。
そして、蒼い炎のような瞳が、私を見つめていた。
何を聞かれているかわからなかった。だが、なんとなくマリアンナが聞きたいことはわかるような気もした。
マリアンナが死ぬ。死神が死ぬなどと考えるのは、魚が溺れることを考えることくらい間抜けなことだ。
でも、どうだろう。マリアンナがもし今ここで死んだら、私は泣くだろうか。クロエが死んだときのように大粒の涙を流して、嗚咽するだろうか。
「……怒って欲しいのか?」
「さぁな。前にも言ったが、断罪人がロクな死に方を出来るとも思っていないし、その死に誰かが哀れみを覚えてくれるとも思わない。ただ、お前は変わっているからな。純粋に興味から聞きたかっただけだ」
「そうか。そうだな。怒るかもしれない」
マリアンナは表情を変えなかった。
けれど、少し驚いているような感じ――もちろん、感じではあるが――がしたような気がした。
「そうか」
それだけ言ってマリアンナはテントに戻った。
やはりマリアンナには、通常の人間が持ち合わせている感情というものが欠落している。それは、やはり、彼女の育ちによるものなのだろうか。
彼女の過去に何があったのだろうか……
そう考えた時、私は気付いた。
私はマリアンナの過去について何も知らないのだ。
だとしたら、彼女の過去を理解すれば、何か掴めるのじゃないだろうか。
クロエがなぜ殺されなければならなかったのかも、わかるのではないだろうか。
私はその時決断した。
そうだ。聞こう。マリアンナの過去を。
あの黒い修道女は、どうしてあそこまで無慈悲になれるのか、聞いて理解しようじゃないか。
私は夜空に浮かぶ星々を見つめながら、そう決意した。
次の日、同じようにマリアンナと私は歩みを進めていた。マリアンナの話によると、その教会とやらまでは後少しの距離だという。
私はゴクリと唾を飲む。だが、もし、マリアンナの過去を聞いて、機嫌を損ねるようなことがあれば大変である。たちまち斧で粉砕される未来が待っているかもしれない。
だが、聞かなければマリアンナの方から話してくることはまず、ないだろう。
私は、大きく息を吐いた。
「なんだ? 何をしているんだ?」
「え? あ、いや……その……マリアンナ。お前、生まれはどこなんだ?」
マリアンナは、私の質問にキョトンとしている。
「どうして、そんなことを聞くんだ?」
「いや……ちょっと気になったんだ」
「ふぅん。生まれ、か。知らないな」
「……はぁ? 知らない?」
「ああ。知らない。私はどこで自分が生まれたかも知らないし、誰が私を生んだのかも知らない。生まれて物心付いたときは一人だった」
「……そ、そうか」
……しまった。
いきなり聞いてはいけない系統の話題を、私は聞いてしまったようであった。
「だから、私は自分の故郷も知らない。断罪教会が私の帰る場所だ。ああ。いや、一応正確にはもう一つ、故郷と言える場所もなくはないか」
マリアンナは思い出しようにそう言った。
私も釣られて顔を上げた。
そこには大きな教会が立っていた。
「この教会が、私が物心付いた時には住んでいた教会だ」
「そ、そうか……って、え? お、おい。そ、それって……」
マリアンナはその蒼い瞳で私を一瞥する。
嫌な予感が、私の脳裏によぎった。
「そう。今回の対象はこの教会の神父。私の育ての父だ」




