妖精の踊る街 1
山越えに成功したシャルルとマリアンナ。そしてついた街は、ブランダ王国でも一番の商業都市リベス。初めて眼にする人の多さ、商売の熱気にシャルルは驚愕するのだった。
街についた私は、かなり圧倒されてしまった。
そこは、リベスという地方商業都市で、私が住んでいた都市近郊の辺境よりも、幾分発展したものであった。
周りを人々が行きかい、商売が盛んに行われていた。
私はそれこそ、完全に田舎者のごとく、辺りを見回してしまった。
そんな私をマリアンナは呆れて見つめていた。
「おい。やめろ。そんな風に周りを見るのは」
「い、いやぁ……だがな。庶民がここまで生き生きと生活しているのは見たことがなくてな」
「お前も、もう庶民だろうが」
確かにその通りで、私も、もうその頃にはマリアンナに買ってもらった庶民の服もすっかり板についてしまっていた。
「さて、シャルル、ここから真っ直ぐ行くと宿がある。金をやるからそこで待っていろ」
マリアンナは私に小さな袋を渡してきた。
袋の小ささに反して、中にはそれなりの金額が入っている。少し前の私からみれば端金に過ぎないものであったが、マリアンナの従者になった私にとっては大金だった。
「私は、やることがある」
「やること?」
「依頼だよ。あらかじめこの街からはいくつか依頼が教会に届いていたんだ。すぐにでも始めないと時間がかかってしまう」
マリアンナはそのまま行ってしまった。
金貨の入った袋を持った私は、仕方がないのでマリアンナに言われた通りに、まっすぐ宿の方向へと向かった。
リベスの街は非常に活気があった。私が進んだ先には様々な商店が立ち並び、庶民が出たり入ったりしている。
この躍動的なエネルギーに、私は、ただ感嘆するしかなかった。
「ほぉ……すごいなぁ……」
そんな風に私が完全に無防備に周囲に気をとられているときであった。
いきなり前方から、何者かが私にぶつかってきたのだった。
「痛ッ!」
「あ……ご、ごめんなさいっ!」
私はぶつかってきた人物を見て呆然としてしまった。
その人物は、美少女であった。
美しい金髪は、その一本一本がまるで金色の小麦のようで、青い瞳は、マリアンナのような生者と死者の狭間を彷徨うような色ではなく、まるで、大らかな海を思わせた。
「め、女神か……」
思わず私はそう呟いてしまった。
「はい? なんです?」
「あ、いや……なんでもない! いや、すまなかった」
「いえ……ぶつかったのは私ですし……」
金髪の美少女はすまなそうに頭を下げた。
格好は、私の周りにいる庶民……つまり、今の私と変わらなかった。
こんな美しい少女が、普通の庶民であることを、私は不条理に感じてしまった。
このような美貌なら、どこぞの名士、貴族の娘と言っても通用するであろう。
私はそんな少女がすまなそうにしているのを見て、なんだか申し訳ない気分になってしまった。
「そんなに謝らないでくれ。私にも否がある。この街は初めてでね。活気があるものだから、見蕩れてしまっていた」
「そ、そうですか……」
「そうだな。君は、この町に住んでいるのかね?」
「え? はい。一応……」
「だったら、この街を案内してくれないか?」
「え……案内、ですか……?」
少女は少し都合の悪そうな顔をする。
今にしてみれば、私は、マリアンナ以外の貴族階級ではない人間との付き合い方を知らなかった。
出会ってすぐに、まるで召使に要求するようなコミュニュケーションの仕方も、致し方なかったのである。
「ダメか?」
「すいません。急ぎますので」
少女は私に軽く頭を下げるとそのままま走っていってしまった。
あれではまた誰かにぶつかってしまわないか不安であったが、すぐに少女の姿は見えなくなってしまった。
なぜだか私は非常に残念な気持ちになった。案内を頼んだのも、あの可憐な容姿を楽しみたい、という邪な気持ちもあったからである。
その後、私はマリアンナの指定した宿に着いた。
「すまない。部屋を借りたいのだが」
「あぁ、はいはい」
宿の受付に、明らかに無愛想な主人が出てきた。
「空いている部屋はあるか?」
「あるよ。二階でいいかい?」
「ああ。それでいい」
「じゃあ、代金」
「わかった……ん?」
ここで、私はようやく異変に気付いたのであった。
ない。
マリアンナに渡された金貨の入った袋が、私の手の中になかったのだ。
私は血の気が引いていくのがわかった。
どこだ? どこで落とした? 落とした? そもそも落としたのか? 私はしっかり握りしめていたはずだぞ。落とすはずが……
「何? お客さん、金がないのに止まろうとしてたの?」
「い、いや、違う……お、おかしいな」
私はあまりに慌てていたので周りを見渡した。マリアンナはいない。
あれが全財産というわけではないはずだ。断罪によって得た金額はまだまだあるはず。それさえあれば、こんな間抜けな状況からは脱することが出来る。
だが、その時、マリアンナの代わりに、全く予想外の人物が私の視界に入ってきた。
まるで私がなくした金貨の如く輝く毛髪。そして、宝石のような青い瞳の少女。
先ほど、私にぶつかってきた美少女であった。
「き、君は……」
「どうも」
お辞儀をすると、少女は私の方へ歩みよってきた。
「ちょっとよろしいですか?」
「え? な、なんだ?」
「お話があります」
少女はそういうと宿の外へ出て行ったしまった。
「お、お話って……」
「お客さん」
と、私が呆然としていると、店主が声をかけてきた。
「す、すまない。少し待っていてくれ」
「あ、そう」
興味がないと言う風に主人は店の奥に戻っていく。
私は、先に店から出て行ってしまった少女の後を追いかけたのであった。
店から出ると、すぐに少女の姿を見て取ることができた。
「や、やぁ。なんだ? 何か?」
「……アンタ、大丈夫?」
少女が口を開いてみて私はびっくりした。
その貴族のような容姿と、まるで対照的な口調が、なんとも庶民のそれであったからである。
「な、なんだ、その言い方は」
「当たり前でしょ? 財布一つスられて全く気付かない、って……どんだけ鈍感なのよ」
「ス……スられた?」
「そう。盗まれた、ってこと。ほら、この通り」
そういって少女が取り出して見せたのは、確かに私がマリアンナから受け取った袋であった。
「あ! き、貴様!」
「全く……ぶつかってきたのは明らかに私の方なのに謝ってくるわ、いきなりこの街を案内してくれとか言い出すわ……アンタ、何?」
「な、何、とはなんだ! この盗人め!」
私は頭から湯気が出るほど怒りくるっていた。
財布が盗まれたのに、全く気付かなかった自分の鈍感さに対しても腹が立ったが、何より盗人にコケにされ馬鹿にされるのは、私の怒りを一層大きくしていたのである。
「盗人、ねぇ……でも、ちゃんとこうして返しにきたわよ? アンタの財布」
「そういうことではない! 全く、これだから下賎な民は……」
すると、少女が私のことをジィッと睨みつけていることに私は気付いた。
つい下賎な民などといってしまったが、さすがにそれはコイツのプライドを傷つけたのか?
……いやいや。盗みをするような罪人に情けをかける必要はない。
むしろ、こういうヤツこそ、マリアンナに断罪されるべきなのである。
「アンタ……堕ちたね」
私がそんなことを考えていると、少女はいきなりそう言った。
「は? なんだ? それは」
「アンタ、没落貴族か何かだろ?」
私は面食らってしまった。
なぜだ? なぜわかった?
確かに私のあふれ出る気品が、未だ微かに貴族の出で立ちを残しているとしても、今の姿から私が貴族であったと判別するのは、実際には不可能である。
果たして本当のことを言うべきか……たぶん嘘をついてもすぐにボロが出てしまいそうな気がする。それは、なぜか。
私は嘘が下手だからである。
「あ、あぁ! そうだ! それの何が悪い! 確かに私は没落しているが、それを貴様のような盗人にどうこう言われる筋合いは……」
私は開き直った。しかし、少女から返ってきた言葉は、予想外のものであった。
「ああ。そう。別にどうこう言うつもりはないよ。私も、没落だからね」
「……え?」
私は目を丸くした。
没落……確かにそう言われても、全く違和感はない。
出自が貴族となれば、その美貌にも納得がいった。
「私の名前は、クロエ。クロエ・アシュクロフト。ちょっと前まではここから少し離れた土地の領主の娘だったんだ」
少女はそう名乗ると、スカートの裾を持ち、恭しく私にお辞儀をした。
確かに、貴族特有のもったいぶった挨拶だった。
「ああ、そうか。えっと……コホン。私はシャルル。シャルル・フロベール。辺境伯クリス・フロベールの長兄だ」
「へぇ、伯爵様か。じゃあ、私の父より大分えらいね」
「君の父は、子爵か? 男爵か?」
「そんな位が付くほどえらくないよ。ただ、金だけはシコタマ持っていたからね。貴族の真似事っていうか、貴族らしい暮らしは出来たんだ」
クロエは遠い昔を懐かしむように目を細める。
「ま、あんまり金を溜め込みすぎて、領地の農民になぶり殺しにされちゃったけどね」
「な、なぶり殺し?」
「あぁ。怖かったねぇ。悪魔のような面で、領民共が父と母を取り囲んで、なぶり殺しにしちゃったのさ」
言い憎そうに顔を歪めるクロエを見て、私は、胃の奥に嫌な感覚が湧き上がるのを感じた。
「で、私だけ、クローゼットの中に隠れていて助かったってわけ。母と父がそうするように言ったんだ。領民共はアホだったから、そこまで捜索しなかったよ。ウチの財産根こそぎ持っていって終わりさ。私に残ったのは、父と母のむごたらしい死体だけ……って、あれ? 私、なんで初対面のアンタにこんな話しているんだ? あはは……まぁ、いいや。ほら、金」
すると、クロエは私に向かって、マリアンナが渡した金貨の入った袋を、投げて寄越してきた。
「それ、ないと困るだろ?」
「ああ。そりゃあ、困る」
「今日のところはビギナーズラックってことで、返してあげるよ」
「ビギナー……? なんだって?」
「あれ? そういう言葉、知らない?」
「……そもそも、君はなぜ、こんなことをしているのだ?」
クロエはなんでそんなことを聞くのだ、といわんばかりに不思議そうな顔で私のことを見る。
「そりゃあ、そうだろう。金もない、守ってくれる人もいない、そんな中で生きていくとしたら、そりゃあもう罪でも犯して生きていくしかないのさ。今のところ、神様からも天罰は喰らっていないし、これでいいんじゃないかな? ま、ダメでもいいさ。どうせ死んだ身。死神でもなんでも来いってんだ」
クロエはそういってニカッと健康的に笑う。
なんだか、人の健康的な笑顔というのを、久しぶりに見たような気がした。
見てきたのは、死神の氷のような表情と、自分自身の疲れきった顔。
この時見たクロエの笑顔は、この少女が私に盗みを働いたというのにも拘わらず、私に安らぎを与えてくれているような気がした。
「そういえば、アンタ。なんでこの街に?」
「え? そ、それは……」
「案内してくれ、とかさっき言ってたよね? 観光……って没落してるんだからそんな貴族の真似事はできないか。職でも探してるの?」
「え? ああ。いや、そういうわけでは……」
「あ、わかった! アンタ、奉公人になったんだろ?」
「え?」
「あれだろ? 新しい主人にちゃんとこの街を紹介しておけるようになりたいんだろ? そうしないと主人に怒られるだろうしねぇ」
どうやらクロエは、私が没落した挙句、どこかの貴族の奉公人にでもなったと思っているようだった。
確かに、一見すれば、この身なり、そして、肩に背負ったこの荷物からは、遊興中の貴族の付き人に見えなくもない。
「よし。わかった。アンタにこの街を案内してあげるよ」
「え? いいのか?」
「ああ。いいよ。ま、その分、金はもらうけどね」
「なっ……! 盗みを働いておいて、私から金をとるつもりか!?」
「こっちも明日の生活がかかっているからねぇ。悪く思わないでくれよ」
私は、納得できなかったが、目の前の美少女にこの街を案内してもらうのは悪くないと思った。
「……仕方ない。だが、ちゃんと案内してくれるのだろうな?」
「当たり前だろう。この街は商売の街だよ? 私の案内だって商売。金さえもらえれば、ちゃんとそれなりの物を提供するよ」
クロエはいきなり、私の掴んだ袋を奪い取る。
「あ! お、おい! 貴様!」
クロエは私の制止も聞かず、袋の紐をゆるめると、中身を取り出す。
「ひー、ふー、みー……ん。こんなもんかな」
そういって取り出した金貨は三ベルガ。
ちなみに、この町では金貨一ベルガで一日くらせる。
「そ、そんな端金でいいのか?」
「ははは。アンタ、まだ没落して日が浅いみたい。もう少し金貨一枚のありがたさってものを考えた方がいいよ」
マリアンナはそういうと、袋を私の方へ返してきた。
私がそれを落とさないように受け取ろうとしていると、いつのまにかクロエは路地の向こうを走っていた。
「じゃ、また明日……そうだねぇ。お昼くらいにここに来てよ」
「君の方こそ、ちゃんと来てくれるのか?」
「信用ないなぁ。ちゃんと来るって。じゃあ、またね!」
クロエは美しい金髪を振り乱しながら、夜の闇へと消えていった。
彼女の去って行った後には、まるで金色の粒子が舞っているように見えた。
それは、今でも私の目蓋の裏に焼きついているくらいに、美しい光景だ。
「おい」
「ひぃ!?」
慌てて振り返ると、そこにはクロエと同じような蒼い瞳がこちらを見ていた。
だが、その蒼い瞳はクロエのそれとは違い、生あるものすべてを焼き尽くす、高温の炎のように、冷徹に燃え上がっていた点である。
「お前、何をやっているんだ?」
マリアンナは不機嫌そうに尋ねる。
頬には赤い血。
どこかで誰かを断罪してきた証拠だった。
「……いや、なんでもない」
「そうか。ほら。さっさと宿に入れ」
「ああ。わかった」
「あ、そうだ。おい。金、返せ」
私はそう言われて心臓が跳ね上がった。
先程、クロエに渡した分で、明らかに袋の中に入っている金が減っているのだ。
そうなれば、いよいよマリアンナに何をしていたか言わなければならない。少々面倒なことになってくるわけだ。
「どうした。早くしろ」
「あ……あぁ。ほら」
私は大人しくマリアンナにそれを渡すことにした。
いや……大丈夫だ。どうせコイツは金に興味がないのだ。
金に興味があったなら、父上との契約の時点で、三千万ベルガの代わりに私を受け取るなんて間抜けな真似、するはずがない。
私はマリアンナに財布を渡す。
瞬間、マリアンナの顔が怪訝そうに曇る。私の心臓は高まった。
「どうした?」
「おい、お前……」
マリアンナはジト目で私を睨みつけた。
私はごくりと生唾を飲み込んだ。
すると、マリアンナは呆れたように溜息をついた。
「堕ちたな。人の金に手を出すようじゃ」
「……え?」
「別に私は構わないが、お前が嫌だったんじゃないのか? こういうことは」
「え……いや……まぁ」
マリアンナはそんな挙動不審な私にはそれ以上興味を示さず、宿の店主を呼びつけ、部屋をとった。
確かに、言われてみれば、あれはマリアンナの金だ。
マリアンナが血塗れになって、命を潰して得た金。
それをよく考えることもなく、私は、あんな盗人にあげてしまった。
これでは、私はクロエとなんら変わりのない、盗人ではないか。
「おい」
そんな風に自己嫌悪に陥っている所へ、マリアンナの冷たい声が響く。
「部屋、行くぞ」
「あ、あぁ……」
落ち込んだ気分になりながら、私はマリアンナの後をついていった。
部屋に入ると、マリアンナはベッドに腰かける。
「疲れた」
そう言うと、肩の巨斧を下ろし、壁に立てかける。
正直、何度見ても、その不気味さには未だに慣れない。
「お前、何をしていたんだ? 今日一日」
椅子に腰掛けた私に、マリアンナが興味なさそうな声で話しかけてきた。
本当のことを言うべきだろうか……いや、どうだろう。
あまりコイツに、私が誰かと話したとかは言わない方がいい気もする。
それは私の直感だった。
きっと、なんらかの不利益を被ると、私は感じたのだ。
「いや、特には」
「ふぅん」
「お前は?」
「私か? 断罪を執行してきた」
まるで、軽くお茶でもしてきたと言わんばかりにマリアンナはそう言った。
「そ、そうか」
「明日も、断罪だ」
「へ、へぇ……」
その言葉に果たして私はどう反応すればよいのか、皆目検討がつかなかった。
「明々後日で、この街を出るぞ」
「なんだ。随分と短いな」
「短い、か。そうかもな。何か不都合でもあるのか?」
「え? 不都合?」
「短いと問題なのか? この街にいる期間が」
「そういうわけではないが……」
私は言い淀んだ。
「まぁ、いい。明日も早いから。もう寝る」
「あ、あぁ。そうか」
マリアンナはベッドに横になる。
私自身もこれ以上マリアンナと話すこともないと思い、そのままベッドに横になった。
それにしても、あのクロエという少女、確かに美人であった。
言葉使いやその振る舞いはひとまず置いておくとしても、私は生まれてからこれまでにあそこまで美しい少女に会ったことはない。
私は恥ずかしいながらも頬が熱くなるのを感じた。
明日はあの娘にこの街を案内してもらう約束をした。
その約束はまるで、この数週間の私の不幸な境遇に対しての報酬というか……慰めに思えてきた。
とにかく明日が楽しみで仕方なかった。
私は自然と笑顔になった。
「おい」
「え? な、なんだ? マリアンナ?」
暗闇の中、真横からいきなり声がした。
「お前、何で笑っているんだ?」
「え……あ、いや……な、なんでもない」
「気持ち悪いヤツだな。早く寝ろ」
「……はい」
今はこの隣にいる悪魔の使いに、どんなに悪態をつかれようと、明日は私に微笑んでいる。
さぁ、明日に備えて早く寝よう……
私は、久方ぶりに感じた幸福感を噛み締めながら、そのまま眠ったのであった。




