西橋火奈の反省
わざわざうちに来た文芸部女子と父の愛人。
話し合う中で分かったことは、キヨがカナに話させたのはアンジャッシュ状態を避けるためだったらしい。
カナが俺のことをどこまで知っているかを、先に話させることができるから。
カナは延々とその出会いから今までを語った。
俺の立場から聞いてもイイハナシダナーって感じで、同じような境遇のギャルが聞けば感動するようなものらしくて、光男さんのおかげで私も自分を大切にできるようになっただとか、なんとか……。
アッハイソーデスカー。そんな気持ちで俺は炊飯器から漏れ出る蒸気、そのお米のふっくらしてそうな匂いを楽しんだ。
「なるほど、それで君と飯野くんのお父さんはより深い仲になったわけだ」
「ええ、そうです……あ、もちろん深い仲って言ってもそういうことはしてなくて……!」
ヘーハイハイステキデスネー。なんだろうな? 少女漫画とか携帯小説の恋愛ものを見た時みたいな反応なんだろうな。面白いのは面白いんだが、気に食わない奴二人でそんな話されるとますます興味がなくなる。
「それで、皆さんが反対する理由は分かるんですけど……」
カナは周りをちらちら見る。さっきまでの観察ではなく、何かを探索している。
「おかんはまだ帰ってこないみたいだな。それまでに帰れって」
「うーん、確かに実際に会うのはちょっと怖いけど……話、つけなきゃ駄目だから」
カナが凄い本気だということが分かったと同時に、俺は別のあることにも気付いた。
藤が家に来るといった理由はそれではないか?
俺のお袋とカナを会わせることじゃないのか?
玄関の扉が開く音が聞こえる。只今の一声もない。幽霊か侵入者かと見誤るような足音に、部外者三人が身構える。
そして、藤は眠らせていた体をゆっくりと起こした。
「こんにちは、おばさん」
外出用に少し着飾った母さんは、この部屋を見て早速言った。
「あら、みんな揃ってたのね。すぐにご飯作らなくっちゃ」
三人は何のことかと分からないだろう。だから俺はゆっくりと言うのだ。
「母さん、家族は、母さん含めて四人」
「ええ、そうね」
「ここ、五人いるよね」
「あら! そうね」
「友達だから」
「そうなの? ご飯は?」
「大丈夫」
言いながら俺はすぐに立ち上がって母さんに付き添った。
「ちょっとこっち来てもらっていい?」
「え、なに、どうしたの伊津男?」
俺は廊下の向かい側にある寝室に閉じ込めるように母を移動させた。
「はぁ……じゃこの際だから言うけど」
言いながら俺は四人の顔を見た。三人が不思議そうにしている中、藤だけが思い通りだというようににっこり笑っていた。いや笑顔見せるとこじゃないよ。
「母さんな、少し、病んじゃったというか、心の病気なんだよ。家事とかもまともにはできてないよ」
三人とも聞いた瞬間には無言のまま反応を見せた。驚愕! 空気が凍る瞬間! みたいな。
けどすぐにカナが口を開いた。
「それって……大丈夫なの」
質問の意図不明。意味不明。理解不能。俺がロボットならオーバーヒート起こしてそこら中の物をぶっ壊しているところだ。ロボットじゃなくてもそうしたい気持ちはある。今、機械と生命は一つとなり新たな体系の世界が完成しつつあった……。完。
「大丈夫だよね、伊津男くん。それで何年くらい生きてきたっけ?」
「そんなにだよ。一年か二年くらい」
実際三年くらいである。けど鯖を読むのは芸能人のみに許された技ではない。
この空気で誰もが言葉を出しづらい中で、キヨは表情をあまり変えずに尋ねてきた。
「これを知っている人間はどれくらいいる?」
もう今更隠すこともない。
「家族と祖父母くらい。お母さんを見た医者と姉貴の保護観察官だった人はオヤジがこの家に住んでいると思っているから、そういう施設とかに通報はされてないっぽい」
保護監察官っていうのは逮捕された犯罪者とかに付く人で、その後の生活がちゃんとしているかどうかとか監視する人。キヨと雰囲気の似た厳しそうなおばさんだったけど、ちゃんと俺達のことを考えているんだなぁと子供心に思ったことを覚えている。
ふぅむとキヨは考え込む。俺がキヨの立場なら、触らぬ神に祟りなしとかいって謝りながら帰る。
「じゃ、ぶぶ漬け……はもういいな。帰ってくれ」
飾らない言葉は美しいのです。そんな俺の美しい言葉のために、三人は動くことも口を動かすこともできなかったと見える。
しかし俺の美しさに魅了されなかったのが藤だ。彼女だけは真正面のカナに言った。
「そんな家族と自分の息子をほったらかしている人が良い人なんだよね」
なんて性格の悪い女なのか、と普通は思うだろう。
けれど正直な藤の言葉は、そのまま俺の心を代弁してくれていた。
「……それは」
カナは何か言おうとしたが、言葉は続かなかった。
藤だけは恐ろしいほどニコニコしている。殴られても仕方のない笑顔だよ、それ。
けれどカナは無言で立ち上がった。
「ごめんなさい、それと……」
カナの言葉は続きがなかった。けれど足はまっすぐ玄関に向かって行く。
お見送りするように俺も立ち上がって玄関に行くと、彼女の背中が語った。
「……ごめん」
それだけだった。それなのに何か胸の中に突き刺されたような感覚だった。
「あの子はさ」
うわビックリした! 急に藤が後ろに立っていて、小さな声で何かを言っていた。
「ちゃんと反省のできる子だよ。自分が悪いって分かれば反省ができるからさ」
閉められた玄関を俺は見つめた。西橋火奈という人間を俺は知らない。これからどうする気なのか、何もわからない。
「……さて、私達もそろそろお暇しようか」
キヨが読書ちゃんに告げる。読書ちゃんはただ首をこくりと動かすだけだった。
歩く途中、キヨはがっしりと藤の肩を掴んで前に進ませる。この女はこれさえなければ! この女は本当に藤のことさえなければいい人だと思う! たぶん!
からからと玄関が開くと同時に、読書ちゃんの声を久しぶりに聞いた。
「……私には、大したことはできません。だから、私にできることがあったら何でも言ってください」
無力さを知る少女の、恋する少女の必死な想いを俺は受け止めた気がする。でも何でもとかいうのはちょっと危ないから止めた方がいいと思います。何でもっていうのはねぇ。
「まあ、私も話くらいは聞く所存だ。互いに互いを心底どうでもいいと思っている者同士、藤くんや柊くんに言えないことがあればぶちまけていいぞ。聞き流してやる」
そうキヨは勇ましい笑みを浮かべた。この人って格好良いよね。普段は態度悪いのに肝心な時で頼れるって映画版のジャイアンみたいだね。この人に悩みを話すってのは、たぶん木の洞とか醤油さしに話すのと同じようなものだろう。
「では、外で待っておく」
キヨはそういって読書ちゃんを連れて先に玄関に出た。すりガラス越しに二人の影がしっかり見えているから、残った藤も長居はできないのだろう。
「……なんか、みんな一言ずつ残す流れができているね」
「おう。藤はなんかある?」
藤は珍しく困った様子だった。今日はカナに一泡吹かせるだけで俺が目当てではないんだろう。
「なんか、かぁ。なんもないなぁ。あ、そうそう、伊津男くんの事情は全部海棠くんとかにも話すからね?」
「なんで!?」
「もう乗りかかった船だし」
「たとえば難破船に乗りかかったとして、そのまま乗せますか?」
あの三人にそういうことを知られてますます距離感がよくわからなくなったら、藤としても微妙な感じじゃなかろうか?
「あはは、面白いことを言うね。でも言うから」
「頼むから止めてくれよ……変な同情とかされたくねえんだよ」
「伊津男、好き好き超愛してる」
藤がイケメンボイスで言う。それで誤魔化したつもりか! 半分だけだぞ!
「藤ぃ、お前だって俺とあいつらがますます仲悪くなったら困るんじゃないの? 俺は今の距離が一番いいと思うぞ」
「そうかもね。でもそうじゃないかもしれない」
言いながら藤は扉を開けた。
「まあ、私はあくまで、伊津男くんが幸せになるように頑張るだけだよ」
俺が何かを言おうとする前に、藤はそのまま前の二人と歩いていってしまった。
俺が幸せに……? あなただけで充分です。それがどうして分からないんだ……。
しばらくして家に姉貴が来た。どうやら別の住居を用意してそっちに泊まっているらしい。
久しぶりの、家族三人の食卓だ。
「伊津男が料理ねー、へー」
「黙って食えよ」
母さんはゆっくりとご飯を咀嚼している。白飯だけで食べているけれど、俺もすることだから別におかしいってことはない。
「私が知らない間に、色々大変なことになっていたのねー」
「……まあな」
特に助けを求めるような言葉は出さないつもりだし、それ以外の会話をできる気もしなかった。
俺にとったら姉貴はいまだに畏怖の対象だ。何なら人とも思っていない。
「苦しいことがあったら言いなさいよ。ま、昔と比べたら少しは大人らしくするから」
「大人らしくね。なんかあったん?」
俺はぼんやりと、面倒臭い女に対して発動するような適当な会話をしていた。まあ俺に面倒臭い女が話しかけてくることなんて……意外とあるかもしれない……。
「……まあその、芳乃ちゃんがね」
俺は思わず箸を落とした。見れば、姉貴の顔はいつのまにかとても真剣なものになっていた。
「こないだ家に来てたじゃん。その時、ま伊津男は知らなかったけど、凄く怒られてね。本当に、芳乃ちゃんってこんなに怒る子だっけ、って思うくらいに」
今となっては、少し懐かしい頃の話だ。藤が初めて話しかけてきてから、学校を抜け出したり、藤の家に行ったり、って頃のことだな。
あの時が一番藤の彼氏っぽかったかもしれない。今じゃ藤の手玉に取られるのが精いっぱいだ。そう思っていた。
「芳乃ちゃんにパシーンとされてね。……大切にしなよ」
姉貴はしみじみと、深々と言った。
「……当たり前だ」
俺は厳かに言った。藤のことを大切にするのは、俺にとったら『正しく』生きるために必要なことだから。
けれど俺は思う。俺が藤を大切にしているのではなく、藤が俺を大切にしているだけなのかもしれない、と。




