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第五十話:水力旋盤の咆哮、鋼の産声

西暦六二五年。

奥羽の山々に初雪の予感が漂い始めた頃、私たちの新拠点「北方工廠」では、歴史の転換点となる巨大な装置がその姿を現そうとしていた。それは、落差十メートルを超える滝のエネルギーを、緻密な回転運動へと変換する「大型水力自動旋盤」である。

飛鳥を追われ、図面の大半を奪われてから数ヶ月。私は記憶の底に刻まれた機械工学の知識を総動員し、この時代の素材で再現できる極限の精度を追求してきた。設計の核心は、滝から引いた水を動力源とする巨大な木製水車と、それを旋盤の主軸へと繋ぐ大小二十枚以上の歯車群にある。

「大江様、いよいよですな……」

岩吉が、脂の乗った手で額の汗を拭った。彼の周りには、私が指導して育て上げた精鋭の職人たちが、固唾を飲んでその瞬間を待っている。

「……ああ。入鹿、準備はいいか」

私が視線を送ると、上流の取水口に陣取っていた入鹿が、力強く手を挙げた。彼はここ数日間、土木作業の陣頭指揮を執り、冷たい水に浸かりながら導水路の完成に心血を注いできた。蘇我の貴公子としての面影は完全に消え、今や一人の開拓者としての逞しさがその全身から溢れている。

「いつでもいけるぜ、大江! この『水の龍』を、お前の機械に流し込んでやる!」

入鹿が巨大な木の栓を引き抜いた。

轟音と共に、水路を奔流が駆け抜ける。水車が重々しく軋み声を上げ、やがて一定の速度で回転を始めた。その回転は軸を伝わり、複雑に組み合わさった歯車へと伝播していく。カチカチ、ゴトゴトという乾いた音が、やがて一つの巨大な唸りへと変わった。

「クラッチを繋げ!」

私の合図で、岩吉がレバーを引く。主軸に動力が伝わり、旋盤に固定された鋼の円柱が、これまでの手動式では考えられなかったほどの高速で回転を始めた。

私は、自ら設計したバイト(切削工具)を手に取った。この刃先には、陸奥の砂鉄を何度も折り返し鍛錬し、さらに炭素量を精密に調整した「高炭素鋼」を使用している。これをゆっくりと、回転する鋼材へと押し当てていく。

キィィィィィィィィィィィィンッ!!

工廠内に、耳を劈くような金属音が響き渡った。

同時に、青白い火花が飛び散り、美しくカールした鋼の切り屑が、泉のように溢れ出す。

職人たちから、地鳴りのような歓声が上がった。

彼らがこれまで何日もかけてヤスリで削っていた作業が、水の力によって、わずか数分で、しかも鏡のような滑らかさで削り出されていく。その光景は、彼らにとってまさに「神の業」であった。

「見たか……。これが『動力』の力だ」

私は、削り出されたシリンダーの内壁を、自作のノギスで計測した。誤差は、以前の多賀での試作機の十分の一以下。これならば、高圧蒸気を逃がすことなく閉じ込め、ピストンを力強く押し戻すことができる。

「大江! すげえ、本当に削れてやがる!」

駆け寄ってきた入鹿が、削りたての鋼の熱に驚きながらも、その輝きに目を細めた。

「入鹿。これで、私たちの『心臓』に必要な部品がすべて揃う。手作業では不可能だった精度が、この機械によって日常になるんだ。これはただの道具じゃない。文明の速度そのものを変える鍵なんだよ」

しかし、私たちがこの技術的進歩に酔いしれていたその時、工廠の入り口を守っていた鎌足が、風のように滑り込んできた。

「……来ました。山の民、蝦夷の精鋭です。その数、およそ五十。すでにこの盆地を包囲しております」

工廠内の空気が一瞬で凍りついた。

鎌足が示した先、林の合間から、獣の皮を纏い、漆塗りの弓を構えた戦士たちが音もなく姿を現していた。彼らの指導者らしき初老の男が、一歩前に出る。その瞳には、得体の知れぬ巨大な音を立てる機械への、根源的な恐怖と激しい敵意が混ざり合っていた。

「……山の静寂を破り、大地から黒い血を啜り、鉄の化け物を育てる者たちよ。これ以上の冒涜は許さぬ。我らが山の神が、お前たちのその『偽りの光』を消せと命じている」

入鹿が長刀を抜き放ち、私の前に立った。

「……大江、機械を止めるな。こいつらは俺が食い止める。お前は、その『光』が本物だってことを、こいつらにも、そして飛鳥の奴らにも見せつけてやる準備をしてろ」

「待て、入鹿! 暴力を振るえば、彼らとの共存は永遠に閉ざされる」

私は入鹿を制し、自らも一歩前へ出た。私の手には、まだ熱を帯びたばかりの、美しく輝く鋼のシリンダーが握られていた。

「山の長よ。……これは化け物ではありません。厳しい冬、凍える子供たちを温めるための『火の器』です。私たちは、山の恵みを奪うために来たのではない。この理を使って、あなたたちの暮らしをも守るために来たのです」

私の言葉に、蝦夷の戦士たちは困惑の色を見せた。だが、その中の一人の若者が、痺れを切らしたように矢を番えた。

「口先だけの余所者め! 死ね!」

放たれた矢が、私の頬をかすめた。

その瞬間、入鹿の全身から、多賀の戦場をも圧倒した凄まじい殺気が立ち昇った。

「……交渉決裂だな、大江。悪いが、お前の理想を守るために、俺は一度だけ『鬼』になるぜ」

西暦六二五年、晩秋。

完成したばかりの水力旋盤が、背後で咆哮を上げ続けている。

鋼の産声と共に、新天地での最初の「内乱」が、今まさに幕を開けようとしていた。

救おうとした平和が、科学の進歩と共に遠ざかっていく。

私は、火花散る工廠の中で、自らの選択の重さを噛み締めていた。

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