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第四十四話:孤立の予兆、星の導き

「筑紫への派遣」という命が下されてから、飛鳥の空気は一変した。

 昨日まで私を「救国の英雄」と称えていた豪族たちは、蝦夷の顔色を伺うように私を避け始め、蘇我の屋敷に漂うのは、腫れ物に触れるような冷たい沈黙だった。

 私は自室に籠もり、多賀から持ち帰った資料の整理に没頭していた。その中には、完成一歩手前までこぎつけた「新型旋盤」の設計図や、火薬の純度を高める精錬法の記録がある。これらは私の「武器」だが、今や私を死罪に追い込むための「証拠」として狙われている。

「……大江様。お迎えに上がりました」

 現れたのは鎌足ではない。蝦夷の直属である、目の据わった近衛兵たちだった。

「蝦夷様が、大江様の私財および『異国の書物』をすべて検分するよう命じられております。筑紫へ向かう前に、その知恵をすべて公のものとせよ、とのこと」

 言葉は丁寧だが、要するに「技術を没収し、丸裸にして放り出す」ということだ。

 私は兵たちの背後に、複雑な表情で立ち尽くす入鹿の姿を見た。彼は唇を噛み切りそうなほど強く結び、震える拳を隠していた。

「……わかった。持っていくがいい」

 私が静かに答えると、兵たちは部屋になだれ込み、私の人生の記録ともいえる図面や試作機を次々と運び出していった。

「大江……! なんで黙って見てるんだよ!」

 兵たちが去った後、入鹿が部屋に飛び込んできた。

「あれは俺たちが、陸奥の泥の中で、指を血に染めながら作り上げたもんだろ!? なんであんな連中に……親父なんかに渡すんだ!」

「入鹿。紙に書かれた知識など、私にとってはただの過去だ。本物の『理(科学)』は、私の頭の中に、そしてお前と一緒に過ごした経験の中にしかない」

 私は入鹿の肩を強く掴んだ。

「いいか。蝦夷様や皇子が恐れているのは、私が持っている機械じゃない。私と、それを形にできるお前との『繋がり』だ。……だから、私が飛鳥を去った後、お前は決して一人で戦おうとするな」

 その日の深夜。

 私は密かに屋敷を抜け出し、鎌足と飛鳥寺の境内で合流した。

「……筑紫への道中で、刺客が放たれる手はずになっております」

 鎌足の声は、夜の静寂に溶けるように淡々としていた。

「主犯は中大兄皇子。蝦夷殿の追放令を、道中での『事故』にすり替えるつもりにございます」

「……想定内だ。だが、鎌足殿。あなたにお願いしたいことがある」

 私は懐から、没収を逃れた唯一の小さな箱を取り出した。

「これは、私が作った中で最も精密な『クロノメーター(航海用精密時計)』だ。これを入鹿に渡してくれ。そして、もし私に万が一のことがあれば……入鹿を連れて、陸奥へ逃げろ」

「……大江殿。あなたはご自分を犠牲にして、歴史の修正を甘んじて受けるおつもりか?」

「いや。……私は生き延びる。だが、私が飛鳥にいては、入鹿は永遠に蘇我の影から逃げられない」

 私は空を見上げた。北の空には、多賀で見たのと同じ北極星が輝いている。

 西暦六二五年、初夏。

 大江、飛鳥脱出。

 それは、入鹿を「悪役」という運命から引き剥がすための、命を賭けたギャンブルの始まりだった。

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