3. スペアの王太子
「なんと…!!!!」貴族が驚く。
(……あの時、確実に仕留めたはずなのに……!)
王妃の顔色が一瞬にして青ざめていった。
僕の頭の中で、バラバラだったピースが嵌まっていく。
そうだ。僕は十七まで、この城の離れで、王妃の目を欺くため、魔力を封じ、『王女』として育てられていた。
そして、思い出す。
十二歳の日――母を狙った毒を、自ら飲んだことを。
死にかけた僕を救ってくれたのは、幼い日の師匠だった。
そして五年後、十七歳になった僕を、再び二度目の刺客が襲ったのだ。
『お母様、僕が必ずこの離れから外に出してあげますからね』
『ルーシーったら、またそんな事言って。それに、また"僕"になってるわよ』
『あ、ごめんなさい』
物心ついた時から心と体のズレのようなものを感じていた。本当は自分が男だという事を母から聞かされてから、ようやく受け入れられるようになった。
『ごめんなさいね、ルシウス……』
母の悲しげな声が耳に残っている。
いつか母上をこの鳥籠から連れ出すんだ。そう誓っていたのに。
皮肉にも、僕らが離れから外に出る日は、最悪の形で訪れた。
離れから逃げる際に、僕は落ちていた剣を取った。だが、まだ幼く、暗殺に特化した刺客たちに敵うはずもなかった。
母上を無残に刺した刃が、僕を庇った彼女の身体を突き抜け、僕の腰にまで深く喰い込む。傷口から、じわりと禍々しい毒が回っていくのが分かった。
母上は血を吐きながらも、最後の力を振り絞って、魔法で僕の白銀の髪を、目立たない金髪へと変えた。
『愛しているわ、ルシウス』
震える手が、僕の頬に触れた。
そうして僕を森へ逃がしたんだ。……そうだ、僕はその凄惨な光景のショックで、無意識に、すべての記憶までも封じ込めてしまったのだ。
その後、刺客と乱闘になったが、やっとのことで逃げ切ることができた。だが、刃に塗られていた毒で意識が遠のいて――。
「大人になるにつれてな、お前の魔力が少しずつ漏れていたのだよ。おかげでやっと居場所を特定できた」
玉座に座る父――国王の声が、冷たく広間に響く。
「……僕を呼び戻したのは、なぜだ」
「第二王子が病にかかってな。代わりが必要になったのだ」
「なるほど。スペアが欲しくなったんだな」
「お前……王の御前だぞ!」
兵士が剣を突きつけるが、王は冷笑を浮かべてそれを制した。
「よい、これからお前には王子教育を受けてもらう」
王の冷徹な一瞥が、ルシウスを「息子」ではなく、単なる「代替品」として定めたことを決定づけた。王は母を溺愛していたはずだが、その忘れ形見である僕に対してさえ、政治の道具としての価値しか見出していない。
その言葉が放たれた瞬間、王の傍らに座る王妃の顔が、怒りと屈辱で引き攣った。彼女が握りしめた扇の骨が、嫌な音を立てて軋む。
「……陛下、何を仰いますか。第一王子ですって? このような、どこで泥を啜っていたかも分からぬ『娘』だったものを……!」
王妃の視線は、もはや隠しようのない殺意を孕んでルシウスを射抜いていた。彼女は母を毒殺し、僕を森へと追い詰めた張本人。目の前の女は、母の仇だ。
今すぐその喉を掻き切りたい衝動を、ルシウスは奥歯が砕けるほど噛みしめて抑え込む。
「我が息子……我が愛しき第二王子は、必ずや私が癒やしてみせます! 魔法の粋を集め、この国の叡智を尽くせば、あの子の病など……! ですから、このような『紛い物』に王座を掠め取らせるなど、断じて許しませぬ!」
叫ぶ王妃の瞳には、狂気にも似た執念が宿っていた。
「……ふん、せいぜい足掻くがよい。それまではこの男が、お前の息子の『席』を守ってくれるのだからな」
王の冷笑が広間に響く。王妃は唇を噛み切りそうなほど強く結び、震える手でルシウスを睨みつけた。
だが、長年抑え込まれていた大量の魔力が急激に体へと戻った代償は大きかった。僕はその日から一週間、激しい高熱を出して寝込んでしまった。
(早く、早く帰らなきゃ。師匠が待っている)
うわ言のようにそう呟き続け、熱が引いてすぐに、僕はあの庵へと走った。
けれど、辿り着いたそこには、嘘のように静寂だけが広がっていた。
家具には白い布がかけられ、人の気配はまったくない。そこにはもう、誰も住んでいなかったのだ。
愕然と立ち尽くす僕の目に、机の上に置かれた一枚の手紙が留まった。
『ルーシーへ。また必ず会えるって信じてるから。もしここにあなたが戻ってきた時のために手紙を置いておきます』
「師匠……ッ!」
胸を掻きむしられるような絶望と焦燥感に駆られ、僕は帝国の『影』を動かして、街の人々へ必死に聞き込みをさせた。もちろん、師匠が贔屓にしていた薬屋の女主人のところへも。
「一年ほど家を空けるとしか聞いていないよ。薬の納品も当分できないってさ」
得られたのは、そんな絶望的な情報だけだった。
それから一年。
王城という名の檻に閉じ込められ、スペアとしての教育を叩き込まれながら、ルシウスは『必ずまた会える』という言葉を信じて耐え抜いた。
自分を王へと押し上げようとする父も、自分を殺そうとする母の仇も、どうでもいい。
(待っていてください、リヴィエラ。僕の師匠、僕の――たった一人の光)
彼女の元へ帰る。そのための力と地位を手に入れるまで、彼はこの泥沼のような宮廷で、牙を研ぎ続けることを誓った。
* * *
ルシウスは、ホロウの手を振り払い、再びリヴィエラに一歩歩み寄った。
その距離は、かつての師弟の境界を軽々と踏み越えている。
一年ぶりに見た師匠は、相変わらず小柄で――
抜けるような白い肌と、腰まである淡い茶色の髪。紅い瞳には、揺るがない強さが宿っている。
頼りなさそうな見た目は、昔と変わらないのに。
目が離せない。
「一日たりともあなたのことを忘れたことはありませんよ。……本当は僕の方が、あなたよりいくつか年上だったみたいですし。もう『可愛い弟子』扱いは通用しません」
年齢の逆転、そして隠されていた性別。歪な同居生活は、最初から波乱の予感しかなかった。




