50 日常
「田中君!」
振り返ると、大学の同級生がいた。
たしか大島という男だ。
「なに?」
「今日、新入生で集まって飲み、あるんだけど、田中君もどうかな」
彼は、服装、髪型、どちらも、清潔感がある範囲で流行のファッションという感じのイケメン君だった。
「僕はいいよ」
「先週も来なかったよね?」
そんなに何度も飲まなくてもいいんじゃないか、というか大学一年生が飲みに行くというのはどれくらいだいじょうぶなことなのか、いまいちよくわからない。
「いい、いい。僕はいいから」
「そう? じゃあまた」
そう言って大島は離れていって、男女四人で集まっているところに近づいていった。
僕のことを言っているのかどうかわからないけど、彼らを見ずに僕は教室から出た。
そこには別の男が待っていた。
「行こうぜ」
鈴木は言った。
鈴木は、いつ見てもジーンズとチェックのシャツという組み合わせの服装で、なにかのポリシーがあるのかと思うくらいだった。
実際は服装を気にしないというだけだった。
じゃあなぜチェックなのかというと、安いのだという。
「セールで買うとチェック多いぜ」
まさに要チェック、と言っていたので、僕は無視して単位の履修の話を続けたのを覚えている。
そういう鈴木なので、僕は力を抜いて一緒に行動することができた。
「田中、お前、飲み行かないのか」
「行かない」
「なんでだよ。女の子とか来るだろ」
「だから?」
「お前、彼女とかほしくないのかよ」
「鈴木は?」
「おれはほしいよ!」
「じゃあ鈴木が行けばいいだろ」
「おれは呼ばれてないんだよ!」
「で、来週の話だっけ?」
「女だよ!」
「声でかいよ」
「なんでおれは誘われないんだよ! 先週飲みすぎて吐いたからかよ!」
「そうだよ」
「そうかよ!」
たぶん吐いたことは根本的な原因ではないと思うけど、言っても鈴木はびくともしないと思うので放っておく。
「田中はなんで行かねえんだよ」
「僕は睡眠時間が大事だから」
「睡眠時間て。人間、寝ても寝なくても80歳ぐらいで死ぬんだぜ? じゃあ寝ないで行こうぜ?」
「寝ないともっと早く死ぬ気がする」
「大して変わんねえよ! お前何時間寝てんだよ」
「九時間」
「は……?」
「九時間。受験中も九時間だった」
「バカだ……。こいつバカだ……」
そんな感じで、鈴木と、僕らが入れるサークルはボードゲームサークルか囲碁将棋サークルしかないと思うけど、どうする? という話をしたり、学食で夕飯を食べたりした。
そして別れて、僕は寮の自分の部屋で、九時に眠るというスケジュールから逆算して、学校の課題や、歯磨き、風呂といった寝るための準備をした。
あれから、それまで七時間程度だった睡眠時間をのばす方向にいろいろ工夫した結果、九時間までのばせた。
それからは、九時半に寝て朝六時に起きる、という生活にした。いろいろな状況に合わせやすいと思ったのだ。
受験勉強の間もこれでどうにか合わせた。ときには、あちらの世界で勉強をすることもあった。
記憶しか持ち込めなくてもいろいろやりようがあるのだ。
僕は電気を消し、ベッドに入った。
「ナリタカ?」
ダンジョンさんがすぐ近くにいた。
外だった。
草原にいる。
「もしかして、おかえり?」
「うん。いま来た」
「学校、今日はどうだった?」
「あんまり変わらないよ。まだ最初の、練習みたいなものだから」
「そっかー!」
そう言ってダンジョンさんはサンドイッチを食べた。
今日は、たまには二人で、ちょっとそのあたりに一緒に出かけないかと誘ったんだ。
ダンジョン町から出て、ちょっと歩いたところで、見渡す限りの草原、といった様子だ。
なにかあってもすぐ、ここから転送の腕輪でギルドにもどることができるので安心だった。
「おいしいね!」
「うん」
さっき食事をとったばかりだけどお腹はすいてないので食べられる。
食べられるけど、なんか食べすぎな感じがして、脳がやんわりブロックをかけてくるので変な感じだ。
この草原の中に、第正ダンジョンの入口があるらしい。
第正は、単位でいうと、億、兆、京、垓、杼、穰、溝、澗、そして正だ。
ダンジョン町から出ても、いろいろな場所にダンジョンがあることがわかって、その入口まではダンジョンさんと一緒に探しに行くことも多い。
今日は、みんなにはそう説明して、全然探す気なんてなく一緒にいるだけだけど。
「ねえナリタカ」
「なに?」
「……なんでもない」
「なに」
ダンジョンさんは、どこかさびしげな表情だった。
「どうかした?」
「ナリタカは、やっぱり、向こうの世界のほうがいいんだよね」
「え?」
「今日は、ちゃんと言わなきゃって思って」
「私がいるから、ナリタカは、責任感じてこっちにも来てくれるんでしょ?」
「だからね、無理してこっちに来なくてもいいよ、って言おうと思って」
僕はダンジョンさんに向かって座り直した。
「それ、誰に言われた?」
「誰も言われてないよ!」
ダンジョンさんの目が、ゆっくりと僕から逃げていく。
「誰に言われたか知らないけど、変なこと考えないでほしいな」
「でも」
「僕はダンジョンさんのためにいるんじゃなくて、ダンジョンさんといたいからいるだけだよ。僕はもしダンジョンさんに会えなくなったら、死ぬかもしれない」
「ダメだよ!」
「かもだよ、かも」
「かもでもダメだよ!」
「でも、それくらいの気持ちでいるっていうのは、わかってもらえる?」
「……うん……」
「ダンジョンさん、心配なら結婚する?」
「結婚! 結婚は人間とするんでしょ!」
「もうダンジョンさんは人間でしょ」
「ダンジョンの能力がある人間なんて、人間じゃないよ!」
「人間なんてそんなもんだよ」
「そうなの?」
「そんなこと言い始めたら、僕だって人間じゃないよ。だったらある意味ちょうどいいんじゃないかな」
「うーん?」
ダンジョンさんは首をかしげて考え込む。
「でも、私の名前ってまだ決まってないよね。結婚って、名前が変わるからいいのかな?」
「いや」
家と家のつながりっていうくらいだし、名前こそ重要な気も。
「私も田中ナリタカになればいい?」
「わけわかんなくなるでしょ」
「見ればわかるでしょ?」
「そうじゃなくて」
と座り直そうとしたとき。
カツ、とつま先になにか当たった。
手を伸ばしてさわってみると、草が生えている場所の下が、岩だった。
よく見ると、草は、他の草とちょっと品種が違うようだ。
杖で浮かせてみると、二メートル四方くらいの岩が浮き上がる。
岩の裏に、第正ダンジョン入り口、とある。
「入り口、見つかったね!」
ダンジョンさんが言う。
僕は岩を元通りに降ろした。
「どうしたの?」
「今日は見なかったことにする」
「え?」
「さ、続き続き」
「……うん!」
僕とダンジョンさんは岩の上でならんで寝そべって、空を見た。
「気持ちいいね」
「ね!」
「鈴木も悪くないけど、やっぱりダンジョンさんには遠く及ばないなー」
「スズキ?」
「正倍、ダンジョンさんの方がいい」
「よくわかんないけど、そうだねー」
もし僕が生きている理由があるとしたら、この時間のためだ。
そう強く思った。




