後宮編 第44章:鳥葬の塔と王の孤独
南国の空の下で育った第三妃ミリファの亡骸は、異国の冷徹な掟に従い、断崖の上に聳える浄化の塔へと運ばれることとなった。
ファールス帝国の教義において、火は清めを、水は命を、土は再生を司る神聖なる要素である。
それゆえに、死という穢れをそれらの中に埋めることは、神への冒涜とみなされた。
肉体を空へと還し、鳥たちの翼によって魂を天へと運ばせる鳥葬こそが、この帝国で認められた唯一の弔いだった。
「どうか、どうかお願いでございます……!」
付添人の乳母は、アズールの足元に縋りつき、石畳に額をこすりつけて泣き叫んだ。
その指先が白くひび割れるほど強く握りしめられている。
「ミリファ様は幼い頃より、土の温もりを愛しておいででした。
鳥たちに骸を啄まれるなどという残酷な仕打ち、異国の地で果てた姫君にこれ以上の苦しみを……せめて最後だけでも、土に還して差し上げてください!」
周囲の侍女たちもまた、主の惨たらしい最期を悼み、声を殺して啜り泣く。
祭壇の周囲には悲痛な空気が立ち込めていた。アズールは無言でその光景を見下ろしていたが、やがてゆっくりと屈み込み、乳母の細い肩を力強く支えて引き上げた。
その横顔には普段の冷徹さではなく、どこか座りの悪い、割り切れない苦渋が滲んでいる。
「……ミリファは我が国に嫁いだ身。本来であれば、故国の習わしを尊重し、その遺体を返すこともできたであろう。
だが、今の南国にその遺骸を受け入れ、守るべき親族は一人も残っておらぬ。
ミリファの兄は、既にこの世のものではないのだ」
アズールは低く、そして重い声で告げた。その言葉は乳母への通告であると同時に、自分自身への戒めのようでもあった。
彼は立ち上がり、安置されたミリファの遺体のもとへ歩み寄る。
美しく着飾られ、香油を塗られたミリファの顔は、死の苦悶が消え去り、かつての寵愛を受けていた頃のような静かな安らぎを湛えているように見えた。
アズールはその細い腕の中に、そっと一つの人形を抱かせた。
それは彼の髪を僅かに縫い込んだ、赤子の姿を模した布人形であった。
ミリファは生前、狂おしいほどにアズールの子を望んでいた。
シファやダーリャをはじめとする他の妃たちが次々と懐妊する中、彼女だけが、どれほど閨を共にしてもその腹に新しい命を宿すことはなかった。
それが彼女の繊細な精神をどれほど蝕んでいたか、アズールなりに理解していたのだ。
せめて魂の旅路においてだけは、彼女が切望し続けた母という役割を全うできるように――。
世継ぎ自らが示したその不器用な慈悲に、周囲の侍女たちは声を上げて泣き崩れた。
葬列を見守っていたシファ妃は、その光景を少しばかり驚いたような、深い静けさを宿した瞳で見つめていた。
(殿下が、このような慈悲を見せるとは……)
かつてのアズールならば、死者に対しては「死者はただの肉の塊であり、意識などない」と切り捨て、葬儀の場にすら現れなかったはずだ。
シファは、その変容の源泉が、あの風変わりで厚底眼鏡の奥に狂気を宿した学者、エメロードの存在であることを直感していた。
アズールの氷の心が、彼女という異物によって、わずかに溶け始めているのだ。
シファの目元が、一瞬だけ安堵に近い柔らかさで緩んだ。
葬儀を終え、アズールと連れ立って回廊を歩くシファは、背の高い夫を見上げた。
「殿下。……先ほどは、ずいぶんと優しいことをなさいましたね」
柔らかく落ち着いた声に、アズールは歩みを止める。
彼は僅かに複雑な表情を浮かべ、虚空を見据えた。
「……俺は、父アルデシールのような、孤独な老人にはなりたくない。……最近、そう強く思い直してな」
彼はポツポツと、独り言のように低い声で続けた。
「王は冷徹でなければならん。だが……冷酷であるべきか? シファ、俺には分からなくなるときがある」
シファ妃は、夫の苦悩を慈しむように、優しく微笑んだ。
「冷徹と冷酷は、似ているようで異なりますから。冷徹とは、私情に流されず物事の本質を見極めること。
冷酷とは、ただ他者の心を切り捨てること。良き王は冷徹ではあれ、冷酷に過ぎる必要はないと、わたくしは思いますよ」
覇王、あるいは狂王。
血塗られたアルデシールと呼ばれたアズールの父は、苛烈で冷酷な君主であった。
領土を広げ、多くの血を流し、誰を愛することもなく、故に愛を失った孤独な老人は、今や自分を称賛するだけの狐狸のような臣下に囲まれている。
(母上は、ミリアムから掠奪され、父に寵愛を受け、そして殺された。
それでも母は、父を指して『寂しい人なの。王だって、人なのだから』と言っていた。……母上は果たして、本当に父を愛していたのか)
アズールが母の面影を脳裏に呼び起こそうとしたその瞬間、霧の中のような記憶の中に、唐突にあの変人毒学オタクの、エメラルドの瞳をした娘の顔が鮮明に浮かび上がった。
「うっ……!」
アズールは思わず低い声を漏らし、息を呑んだ。
「殿下? いかがなさいましたか?」
シファが不思議そうに首を傾げる。
アズールは、耳元で『お腹へった…』という奇妙な幻聴まで聞こえてくるような感覚に襲われ、疲労を隠すように激しく首を振った。
父の影、母の記憶、そして己の心に居座るエメロードの存在――がアズールの胸中で渦を描いていた。
そろそろ後宮編が佳境に向かいます
そして、ちょっと新しいキャラクターが登場したり
内乱編に入る前にあれこれと
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