#29 血の洗礼
ゴング代わりの金属音が、闇闘技場に響いた。
煌真の視線の先――
リングの向こう側に立っていたのは、自分より頭一つどころか二つは大きい男だった。分厚い首、丸太のような腕、潰れた鼻。
身体中に刻まれた古傷が、この場所で何度も勝ち続けてきたことを物語っている。
武器は持っていない。
少なくとも、見える範囲では。
観客席から野太い歓声が上がる。
「潰せ!!」
「新人だ!すぐ終わるぞ!」
男はニヤリと笑い、地面を蹴った。
ドンッ!!
リングが軋むほどの踏み込み。
そのまま突進する巨体。
(速い…!)
だが――
煌真の体は、反射的に動いていた。
わずかに身を捻り、紙一重で男の拳をかわす。
空振った拳が空気を裂く音が耳を打つ。
「ほう?」
男が低く唸る。
煌真は間を置かず、男の脇腹へ拳を打ち込んだ。
ドスッ
鈍い手応え。
さらに距離を取り、すぐに踏み込んで膝、顎、腹――
無駄のない動きで、確実に急所を狙っていく。
スピードと正確さ。
力では敵わなくても、技術と読みで上回っていた。
「ぐっ……!」
男の呼吸が荒くなる。
観客席から、空気が変わる。
「なんだあのガキ…」
「デカブツ押されてるぞ!」
煌真は深呼吸する。
(いける……倒せる)
男の動きは鈍り、足もふらついてきていた。
あと一撃、顎を打ち抜けば意識を刈り取れる。
観客席から罵声が飛ぶ。
「殺せ!!」
「立てなくなるまでやれ!!」
だが、煌真の拳は迷わなかった。
(殺す必要はない)
最後は気絶させる。
それで十分だ。
煌真は踏み込み、拳を振りかぶる。
その瞬間。
男の口元が、ゆっくりと歪んだ。
「……甘すぎるんだよ、坊主」
ゾクリ、と背筋を何かが走る。
本能が叫ぶ。
(まずい)
煌真は反射的に後ろへ飛び退いた。
次の瞬間――
シュッ!!
空気を裂く鋭い音。
男の手が振り抜かれていた。
その指の間に、いつの間にか握られていた小さな刃物。
頬に、熱が走る。
遅れて、ピリッとした痛み。
頬を一筋、血が伝った。
刃は、ほんの数センチずれていれば――
目か、喉を裂いていた。
観客席が爆発したように沸き立つ。
「いいぞ!!」
「そうこなくちゃなぁ!!」
煌真は距離を取り、頬の血を指で拭う。
指先に付いた赤を見つめ、ゆっくりと顔を上げた。
さっきまでの余裕は消えている。
(ここは“勝負”じゃない)
(ここは――殺し合いの場所だ)
巨体の男は、舌なめずりをしながら笑っていた。




