三 ちっぽけな私たち③
『美波さー、なんでそんなに頑張れるの? 最近、ずっと自主練してるよね』
『なんでって……誰にも負けたくないからだよ』
『でも、頑張りすぎじゃない? 今だってタイムが伸びなくてつらいはずなのに、練習のあとにプールが使えない日には陸トレしたりさ……。そこまで頑張るのって、さすがにつらくない?』
『そりゃあ、つらいよ。もちろん、逃げたいって思うこともある』
『だったら、なんでそこまで頑張れるの?』
『私が一番負けたくないのは、自分だから』
『自分?』
『うん。ほんの少しでもサボって試合で負けたら、私はサボった時の自分を許せない。全部全力でやって負けても悔しいのは同じかもしれないけど、その時に過去の自分自身に後悔を感じたくないから。私はいつだって自分自身に胸を張れる私で試合に臨みたいんだ』
たぶんそんなことを話した。
今思えば、あまりにもかっこつけた言い分だったと思う。
だけど、その時の私は本気でそんな風に考えていた。
「すげぇなって思った」
ぽつりと零した輝先輩は、真っ直ぐな瞳で私を見た。
「俺はスランプだった時、努力はしながらも心のどこかではいつも逃げることばかり考えてた。オーバーワークを避けたかったのもあるけど、練習するのがとにかく嫌で仕方なかった」
「そんなの、私だって……」
逃げたかった、と言おうとしたのに、彼が首を小さく横に振る。
「でも、美波は逃げずに戦ってた。誰でもなく、自分自身と。かっこいいなって思って……同時に、けがを言い訳にして、過去からも将来のことからも逃げてた自分が恥ずかしくなったよ」
そして、輝先輩は私を眩しそうに見つめた。
私は、そんな風に思ってもらえるような人間じゃない。
実際に水泳から離れたあとからは、過去の自分の言葉が恥ずかしくなるくらい逃げてばかりだった。
「すっげぇ痛いところを突かれた気がしたけど……でも、その時に覚悟が決まった。『ちゃんと今の自分の境遇を受け入れて、将来のことを考えよう』って」
だけど、彼は私のことを肯定するように、ほんの少しだけ照れくさそうにしながらも穏やかに微笑んだ。
「俺は、美波に背中を押されたんだ。まぁ、美波からすれば『そんなの知らないよ』って感じだろうけど」
冗談めかした表情に、胸がぎゅうぅっ……と詰まる。
鼻の奥がツンと痛くなって、なんだか涙が溢れてしまいそうだった。
「それから、悩みながらも色々調べて、スポーツに関係する仕事がしたいって思った。実際にできるかはわからないけど、ほんの少しでもいいから自分が好きだったことに関わっていたいって」
私はもう、水泳に関わることは見たくないと思っていた。
だけど、まったく逆のことを言う輝先輩の気持ちは、少しだけわかる気がした。
「もう関わりたくないって思ってたのに、やっぱり好きだって気づいたからさ」
だって、彼が陸上を好きだったように、私も水泳が本当に好きだったから。
「うん……」
「将来は、理学療法士になりたいって思ってる」
初めて聞いた輝先輩の夢。
それを語る彼の目には、戸惑いも迷いもない。
「まずは理学療法士になって、スポーツに強い病院に就職して、俺みたいに怪我なんかで苦しんでる人を治す手助けがしたい」
自分の中の苦しみや歯がゆさを昇華し、前を向いている。
「一番つらいのは本人だし、頑張らなきゃいけないのも本人だけど……。それでも、俺のリハビリをしてくれた理学療法士みたいにできることはあると思うんだ」
その姿は、とても眩しかった。
「私が言うのも変だけど、きっと輝先輩ならできるよ……」
私の中にある不安や焦燥感はまだ消えていないけれど、零れた言葉も素直な気持ちだった。
選手生命を絶たれた苦しみと痛みを知っているからこそ、きっと同じような境遇に立たされた人の気持ちがわかる。
それは、たぶんいつか輝先輩自身の強みになる。
輝先輩に置いていかれたなんて、今はもう思わない。
だって、彼が自分の苦しみや痛みと向き合ってきたことがわかるから。




