初恋
フィオナのおはなし
これはたぶん、恋の話だ。
◇
トリス・エリュダイトは生きている人間に関心がない。彼女の興味はすでに死んでいる人間か架空の人間のどちらかだ。彼女は常に生きている人間にうんざりしていた。
「だからと言ってわざわざ絡みにいくお嬢もどうかと思いますが」
「え? そう? 一々表情に出してくるから可愛いよね?」
「お嬢が言うところの可愛いの基準は、俺には理解不能です」
「あなたの理解は求めてない」
グスタフが溜息を吐く。可愛いは正義だ。身の回りのものを可愛いで埋めるのも、私の自由だ。親父の犬であるところのグスタフに干渉される謂れは無い。
「あれだけ袖にされても食い下がるお嬢の執念には頭が下がりますよ」
「トリスにはそれだけの価値があるから」
「お嬢のためにもそうであることを願ってますよ」
確かに私が価値もないものに執着していたら、親父からの覚えもめでたくはなくなるだろう。グスタフが言うのはそういうことだ。
◇
そのトリスが一瞬だけ妹に目を留めたのを見逃さなかった自分を褒めてやりたい。
「あ、これ妹のレベッカ」
酒場で偶然出会ったトリスにレベッカを紹介すると、トリスは握手を求めたレベッカを無視した。いつものように。あれ? ハズしたかな、と訝しんだけれども。
「あなたの妹にしては隙があるわね」
帰り道、酔い潰れたレベッカに対してわざわざトリスからのコメント頂きましたー!
こちらから何も話題を振ってないのに、わざわざ! トリスから!
未だかつてそんなことがあっただろうか。いやない。
え、これは脈がある? 脈があるのでは? これを脈と言わずして何を脈という?
でかしたぞレベッカ! 一瞬にしてテンションが上がった私を誰が責められようか。
酩酊状態のレベッカを――彼女の名誉のために言うなら、彼女が酒に弱いというわけではない。ただ適量を遥かに越えて飲ませ過ぎただけだ――トリスに押し付けて別れた。
翌日。
レベッカに何があったのか聞くと顔面を蒼白にしたり真っ赤にしたりしながら、記憶はまったくないけれども大変失礼なことをしでかしてしまったと思う、知り合いなら謝罪の言葉を伝えて欲しいと頼まれた。ほう。これは大変な成果なのでは。
「――前に言っていた竜討伐隊の話なんだけれど、誰が参加するのか聞いてもいいかしら」
学究所の所有する図書館に寄った際に、わざわざトリスから声を掛けられた。トリスから私に声を掛ける。始めての出来事である。
「この前は妹がありがとうね。トリスのこと教えたらやたら謝っていたけど、あのコ何かやらかした?」
「べつに、なにも」
水を向けるとトリスは視線を泳がせた。本人はまったく気付いてないけれども、トリスはかなり表情豊かだ。見慣れてないと見逃すぐらいの、わずかな振れ幅だけれど、見慣れるととても楽しい。
「竜の討伐にはもちろんあの妹も行くんだけどね。あのコ、私の命令には逆らえないし。かわいいでしょ?」
「……あなたよりはね」
非常に逡巡した挙句に可愛くないことをトリスが言った。で、参加するの? と水を向けると素直に頷いたので、常に持ち歩いていた参加の誓約書にその場でサインを入れてもらった。
「いやー、レベッカは実にいい仕事をしたよね」
「無理やり参加することになって、泣いてましたけどね?」
「え、なんで? レベッカにデメリットないでしょ」
「彼女は彼女で人生計画があるのでは」
「レベッカに私の下で動く以外の、どんな計画があると?」
「少なくともあてもない竜探索の放浪の旅に出る計画はなかったでしょうね」
「そうかな? まぁでも当初の予定通り軍に入るよりはマシでしょ。軍だって遠征もあるし、私としても大事な駒に妙なクセつけられたくないしね?」
グスタフは私のすることにはだいたい文句がある。まだまだ反論したそうな素振りだったけれど、その意を汲むことはしてあげない。
彼のことが気に入っているわけではないが、お目付け役としてグスタフがいるおかげで、私にもそれなりの自由を手にしている。親父が私につけた鎖がグスタフだった。
エヴォリュシオン辺境伯は連合王国からの独立を目論んでいる。親父の代にそれは成されるだろう。私たちはそのとき最前線に立たされる。兵士の離反を防ぎながら連立王国と帝国と戦わなければならない。身の施し方を間違えれば、親父とも。
信頼できる手駒を増やすのは、私に許されないかもしれない自由だ。
◇
「トリスのこと守ってね」
「え? 姉貴じゃなくて?」
「私にはグスタフがいるしね。トリスが使う『咒』は場に左右されるし、外法も使うには条件があるんでしょ? そういうのがなかったら戦力的にはトリスが最弱だから、あなたが守ってあげてね」
「うん……」
レベッカが納得いかなさげな生返事をしたので戦略を替えてみる。
なんとなく戦力外通告をされたように捉えてそうだったので。
「彼女は私のとても大事な人だから」
と言ってみる。なぜそこまで表情を輝かせるのか、というぐらい明るい表情でレベッカは役目を請け負った。
「あなたには良心がないんですか。あまり他人で遊んでるとそのうち罰が当たりますよ」
レベッカが離れたのを見計らってグスタフが声を掛けてくる。
「いや待って。これはwin-winだからね? トリスだってレベッカに守ってもらえれば嬉しいでしょ?」
「レベッカお嬢さんに『咒』を学ぶなって言ってるのは、トリスさん対策ですよね?」
図星である。親父は『咒』をきらっているけれど、便利に使えるのなら使えるに越したことはない、と私は学んでいる。しかし、『咒』の影響を受けない手駒は手駒で必要なのだ。彼女らが知り合う前から、元々、学ばせてなかったわけではあるのだけれど。
レベッカはトリスに対して色んな意味で切り札になる。
いやまぁね、トリスの『咒』や外法に対する造詣は非常に魅力的だし、手に入るものなら手に入れたい。しかし手に入らないなら入らないで、脅威にならないよう対処はしたい。
「トリスが私を好きになってくれたら楽だったんだけどなー…」
「本当に地獄に堕ちますよ」
「えー……」
◇
「トリスの愛が重い」
「今更なにを」
「いやだって、レベッカが捨てた本を大事に取っているのよ? およそトリスの趣味じゃなさそうな三文小説をよ? しかも最近ずっとそればっかり手にしてるんだけど。普通そんなことする?」
「普通なら竜討伐隊になんか参加しないと思いますよ」
「うっ」
「先日の部屋割もまずかったですね」
「え、そう? トリスがレベッカにガチ切れしてたから、悪くなかったと思ったけれど」
「どうしたらそんな楽観的な発想ができるんですか」
「いやだってガチ切れしたってことは、そこそこいい感じになったところでレベッカに逃げられたんでしょ。最初からそういう空気にならなければ今まで通りだと思うし、最後までうまくいったんなら相室以外ヤダみたいな感じになると思うし。生殺しって調度いいよね」
「あなたという人は……そのうち二人同時に逃げられますよ」
「さすがにそれはないわ。トリスにはめちゃめちゃ便宜を図ってきたつもりだし、レベッカはそんなことしないもの」
「便宜を図った割にはトリスさん、ものすごくあなたのことを嫌ってますよね」
「ぐ……言い返せない」
「あなたはいつか他人の気持ちで遊んでいた報いを受けますよ。トリスさんだけでなくレベッカお嬢さんにもね」
「トリスはともかく、レベッカはないと思うけどな。あいつほんとに私の犬だもん」
「言いかえます。あなたは自分のしたことの報いを受けなさい、と」
◇
始源の竜の手前で念のために『石』のバックアップを更新しておいた。私とグスタフだけ、念のため。取っておいてよかった。
オリジナルはだから始源の竜の地の寺院にあった。グスタフもほぼ同時に目覚めた。精算をしたところで、トリスから数時間前に発信されたメッセージを受け取った。
『竜討伐隊は解散です トリス・エリュダイト』
「ほら、言わんこっちゃない」
メッセージを見たグスタフは、最初からこうなることはわかっていたというように頷いた。
「オーケー。認めたくないけれどトリスは我々と袂を分かったということよね」
寺院で同行者の動静を確認すると、ブラッドがロストしているのも確認できた。トリスは無事。レベッカは蘇生処理がなされていて復活済。そしてもう一人、準同行者なるものが登録されていた。
「カイン・ブルーブラッド……誰こいつ」
「知らない名ですね。しかしいかにも偽名じみた名前ですね」
「ブルーブラッドって帝国の帝王がいかにも自称しそう。我が血は高貴なる青い血なり、ってさ。そういえば選帝侯にはめられて失脚した第一皇子がいたっけ」
「カイン皇子ですね」
「……」
宿泊していた宿はもちろん把握しているが合流しようとすると逃げられるだろう。ここは泳がせて暫く様子を見ようということでグスタフと話がまとまる。まぁでも同じ宿に部屋を取っても支障はあるまい。グスタフは渋ったけれど見失っても困るし、こんなに早くここに来るとも思われてないだろうし。
翌朝、フードをかぶる程度の変装で食堂に張り込んでいると、トリスとレベッカが連れ立って朝食に現れた。トリスは私に感謝してくれてもいいのではないだろうか。
と、思っていたらやたら騒々しい男が二人に合流した。
「誰、あいつ」
「カイン・ブルーブラッドでは?」
「あいつがトリスを誑かしたんじゃない?」
「Oh、なんという短絡」
短絡的だろうが何だろうがそういうことにしとかないと、親父の手前、面子が立たない。エヴォリュシオンは一度裏切った者は二度と信じない。何度でも裏切るからだ。
けれどトリス・エリュダイトはその程度で失うには惜しすぎる。
この執着に名前は付けない。
けれどたぶん、この話は恋の話だ。
あっ、性愛的な興味はないです