第六話 August 01
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「元の日本に帰るための、何か考えはありませんか?」
場所はプレイヤーズギルド「グラーフ・ツェッペリン」が拠点としている砦。甲斐は「グラーフ・ツェッペリン」の代表である諏訪部ジュンにそれを問うた。問われたジュンは「ふむ」と何かを考えている。
ジュンは装備を若干更新し、上着に羽織っているのは革のジャケット。その下には蛇皮をビキニのようにして胸に巻いている。それは昨日倒したギガントサーペントの皮を加工したものだった。
「お前は何か考えてないのかよ」
逆にそう訊くのは矢島アキラ、ジュンの腹心・護衛・懐刀といった立場の男である。
「いえ、俺は頭脳労働に向いてないんで。肉体労働の方で、戦闘面で頑張ろうかと」
「けっ、この修羅場じゃ半人前の役にしか立たねえだろうが。この童貞野郎」
笑ってごまかす甲斐をアキラが揶揄するが、
「そういうアキラも結構童貞くさいよね」
「どどどど童貞ちゃうわ!!」
アキラが大いに動揺し、ジュンは朗らかに笑う。甲斐は一連のやりとりの意味がいまいち理解できず、きょとんとしていた。
「……えーっとそれで、アキラさんには何か考えが」
「へっ、俺にそんなもんがあるわけねーだろ!」
アキラは大威張りで胸を張り、甲斐は「ですよね」と納得する。
「でも姐さんは当然その辺も考えてるんだぜ。何たって姐さんは京大生だからな!」
「この世界じゃ学生証の一枚なんてナイフ一つほどの価値もないけどね」
とジュンは肩をすくめ、
「だが、この状況から何とかして抜け出す、全員無事に元の日本に帰る――どうすればそれが実現できるか、ずっとそれを考えている。今の『グラーフ・ツェッペリン』はそれを目的とした集団だ。モンスターや敵対ギルドと戦うのは手段であって目的ではない」
ジュンが豊かな胸の前で固く拳を握り締め、甲斐は身を乗り出した。
「それで、どうやれば元の日本に帰れるんですか?」
ジュンはその問いに直接答えなかった。彼女は良く晴れた空を見上げ、
「ちょっと面白いものを見に行こうか。今日は良い天気だから多分見えるだろう」
……それから約一〇分後、甲斐・ジュン・アキラの三人は砦の外にいた。
甲斐もまた多少装備を更新し、Tシャツの上に着ているのは袖まくりをしたミリタリーシャツ。それに木製のサンダルを履いている。サンダルは「グラーフ・ツェッペリン」メンバーの一人が自作したのを譲ってもらったもので、これまでよりも何倍も歩き易くなっていた。今まで靴の代わりに巻いていた布は、足を防護するために引き続き巻いている。
砦から少しばかり離れた、小高い丘の上。三人はそこへとやってきた。
「ああ、今日は見えている。ほら、あそこだ」
とジュンは西の、地平線の果てを指差した。甲斐は目を細めて彼女が指し示すものを見ようとする。人類の産業活動に冒されていない空気は非常に澄んでおり、地平線の彼方まで良く見通すことができた。
「……山がありますね」
地平線から山の頂が突き出ているのが見える。山脈の中の一つではない。山が一つ、頂を高く天へと伸ばしているのだ。
「あれは富士山だ」
端的なジュンの言葉をすぐには理解できず、甲斐は首を傾げた。
「この世界は元の日本よりも造山活動が若干活発だったようだ。噴火で山の形が崩れてしまっているが、位置的にも大きさ的にもあれが富士山で間違いない」
「……富士山?」
理解の追いつかない甲斐に構わず、ジュンは説明を続ける。
「あの川は荒川、あっちの方は中川。江戸川はこの場所からは見えないか。あの荒川から分岐している川のどれかが隅田川に該当するのだろうけど、荒川は元々『暴れ川』を意味する名前だからね。元の東京のそれとは形が全く違っていて、隅田川の特定も難しいだろう」
「ええっと、つまり……?」
過負荷で脳がハングアップしそうな甲斐に対し、ジュンは単刀直入にその事実を告げた。
「わたし達が今いるこの場所は日本の東京――その平行世界だということだ」
さらに約一〇分後、甲斐達三人は砦へと戻ってくる。
「さて、ところで。わたし達は何故こんな状況に陥ったのだろうか? 何故ゲームによく似た異世界に引きずり込まれてモンスターと戦うことを、人間同士で殺し合うことを余儀なくされているのだろうか?」
唐突なジュンの問いに甲斐は目を瞬かせるが、
「それは、スカーヴァティ社に騙されて、百億円の賞金に目がくらんで」
「それを言われるとちょっと耳が痛いんだが」
とジュンは苦笑した。
「スカーヴァティ社、または水樹七瀬は一億ドルという法外な賞金でプレイヤーを一〇万人も集め、この世界へと送り込んだ。それは何故だ? 彼は何を目的としている? 彼はわたし達に何をやらせようとしている?」
その問いに甲斐は少しの間考え込んで、
「ナラカ王を打倒するため……?」
「そういう触れ込みになっているが、それを鵜呑みにすることはできないだろうね。では、わたし達が今実際にやらされていることは何だ?」
「モンスター退治、それにプレイヤー同士の殺し合い」
「そう。それをしなければモンスターかプレイヤーに殺されて、カルマを奪われるだけだ。殺されたくなければ殺して、カルマを獲得してレベルアップするしかない」
ジュンはその言葉に怒りと忌々しさをにじませ、甲斐もまたその感情を共有した。
「わたしはこの状況に、あるものを想起する――『コドク』というものを知っているかな?」
とジュンは木の枝で地面に「蠱毒」と記し、甲斐は「ああ」と頷いた。
「漫画で読んだことがあります」
「それなら話は早いが簡単に説明すると、蛇やムカデやゲジゲジといった虫を百匹、壺の中に入れて互いに共食いをさせる。最後まで生き残った虫は毒、または呪術の材料となる。何かの願い事を叶えることにも使われたらしい。古代中国発祥の呪術だが日本にも輸入され、平安時代にはたびたび禁止令が出されていた。逆に言えば、それをやる人間が後を絶たなかったということだ」
甲斐は「へえ」と感心した。
「漫画だけの話じゃなかったんですね」
「平安時代に実際に行われたそれにどの程度効果があったかは疑問だけどね。でも、わたし達が今いるここは剣と魔法とモンスターの世界だ。蠱毒が現実の効果を持っても何の不思議もない……というか、そうでもないと説明が付かないだろう」
「何のですか?」
と小首を傾げる甲斐に対し、ジュンは「レベルアップのシステムが、だ!」と声を高めた。
「プレイヤーやモンスターを殺せばそのカルマを獲得できる、獲得量が一定数を越えればレベルアップする……それはいい。だがその効率があまりにも良すぎる――異常と言う他ないくらいに。モンスターもプレイヤーも殺したことのない、レベル一の女性がいたとしようか。彼女がたまたま運に恵まれてレベル四のプレイヤーを殺せたとする」
そのたとえ話にアキラがわずかに眉を動かすが、甲斐がそれに気付くはずもなかった。
「彼女はそのプレイヤーが持っていたカルマを総取りし、一気にレベル四に達するわけだ。身体能力・戦闘能力、その全てが一足飛びに向上して、総合的には常人の何倍もの力を有することとなる……こんなこと、あり得ないだろう。何らかの呪術なり魔法なりの影響下にあると考えない限りは」
「確かにそうです」
甲斐はそうくり返し頷く。今まで漠然と疑問に感じていたことに明確な形と回答を与えられ、目から鱗が落ちた気分である。
「そんなわけで、一億ドルに目のくらんだ間抜けなわたし達はこの蠱毒壺に詰め込まれ、最後の一匹になるまで殺し合いをさせられているわけだ。一〇万人だけでカルマの総取り合戦をした場合、最後の一人は一〇万カルマを手にしてレベル一六を越えることになる。その総合ステータスポイントは二万五千。モンスターの数とカルマをプレイヤーと同数と仮定すると、最後の一人は二〇万カルマを手にしてレベル一七を越えて、その総合ステータスポイントは五万。この五万のうち一万を速度に振っただけでも常人の一万倍の速度で動けることになる。百メートルを一五秒で走れたとするなら、その一万倍ならマッハ一九六だ」
「豪気ですね」
と甲斐は笑う。もう呆れ果てて、笑うしかない数字だった。
「それだけの力があれば魔王だろうとナラカ王だろうと、敵じゃないですよね」
「あるいは、最後の一人が『ナラカ王』と呼ばれることになるのかもしれない」
気温が数度下がった気がした。甲斐は言葉を失い、ジュンもアキラも何も言わない。
「で、でもまさか」
「魔王を打倒する勇者を作り出そうとしているのか、または魔王そのものを生み出すことが目的なのか。前者よりも後者の方があり得そうじゃないか? このくそったれな蠱毒壺にわたし達を詰め込んで、最後の一人になるまで殺し合いをさせようとしている連中の性根からして」
甲斐はそれに反論できなかったし、するつもりもなかった。
「……冗談じゃない。モンスターかプレイヤーに殺されて死ぬだけじゃなくて、魔王を生み出すエサにさせられるなんて」
唇を噛み締める甲斐に対し、ジュンが「まさしく」と頷いた。
「わたし達は虫けらじゃない、人間だ。自由を求める意志があり、支配を否定する魂があり、暴虐と戦う勇気があり、互いを思いやる優しさがある。わたし達は決して敵の思い通りにはならない。この蠱毒壺をぶっ壊して、わたし達は自由を手にする!」
ジュンが扇動するように宣言し、甲斐とアキラは無言のまま強く頷いた。……少しの間、妙に間の抜けた沈黙が流れ、
「……えっと、具体的にどうするかは」
「今わたし達は蠱毒壺に詰め込まれている、と推測した。正直言ってろくな根拠も証拠もないが、今のところ一番説得力のある推理だと思う。これを大前提として、ではどうするか? どうやってこの状況から抜け出すかと言えば『蠱毒壺の外に出る』となる。ここまではいいかな?」
ジュンの確認に甲斐が頷く。
「じゃあ、蠱毒壺とは何だろうか? それはどの程度の大きさなのだろうか? まさかこの世界の地球全体が蠱毒壺になっているのだろうか――ここで話は最初に戻るわけだ。この場所は平行世界の東京だと説明しただろう?」
「はい」
「スカーヴァティ社は一〇万人のプレイヤーを罠にかけてこの世界へと、蠱毒壺の中へと引きずり込んだ。ところでスカーヴァティ社はプレイヤーに対し、ゲーム本戦の期間中は東京近隣の一定範囲に滞在するよう求めていたね。あれは本当はおかしな話なんだ」
そうなんですか?と甲斐は小首を傾げた。
「先進波を利用したPSY通信システムは距離も時間も関係なく大容量のデータ通信が可能、それが売りのはずだ。それなのに『通信速度と容量上の限界のためのやむを得ない措置』という、あり得ない理由でプレイヤーを一定範囲内に集めた。それは何故か?」
「プレイヤーをその範囲内に集める必要があった、ってことですよね」
「その通り。足立区舎人公園近くのデータセンターを中心とした、半径一四・五キロメートル、直径二九キロメートル、全周九一キロメートルの円の内側。西は和光市、東は松戸市、南は港区、北は越谷市――この内側にいたプレイヤーだけがこの世界に引きずり込まれた。すなわちこれこそが蠱毒壺の大きさではないだろうか?」
「じゃあ、その外側に行けば!」
と甲斐が色めき立った。押っ取り刀で走り出そうとする甲斐だが、その後ろ襟をアキラが掴んだ。
「待てや。どこに行こうってんだ?」
「どこって、蠱毒壺の外に。どっちの方向でも今から急げば今日のうちには」
「落ち着け、姐さんの話を最後まで聞け」
後ろ襟を捕まれた甲斐は猫のようにジュンの前まで連れて行かれる。ジュンは笑って「お帰り」と甲斐を迎えた。
「それじゃこれを見てくれ。わたしが描いたこの世界の地図だ」
「すごい、地図があるなんて」
と顔を輝かせる甲斐だが、ジュンはやや気まずそうな顔をした。
「期待をさせて済まないが、見ての通り大したものじゃない。海賊キッドの宝の地図だってこれよりずっと正確だろう」
ジュンが開いて見せたのはB5の大学ノートで、地図はそこに鉛筆で描かれていた。ノートの片面全体を使って円が描かれ、その内側に川や町の名前、種々のメモが細かく書き記されている。
「公式ガイドブックに載っていた地図、β版の有志が作ってネットに上げていた地図、それにわたし達がこの世界で得た情報。それを組み合わせたものだ」
前者二つは甲斐も見た記憶があるが、その内容は既に忘却の彼方である。ここまで詳細な情報を、記憶だけを頼りに書き起こすのは、甲斐からすれば神業の類だった。
「わたし達がこの世界に引きずり込まれたとき、多分座標的には元の世界と全く同じ場所に放り出されたんだと思う。その点と、周囲の地形その他諸々から推測して、今いるこの場所は足立区の鹿浜の辺りに該当するじゃないかと考えている」
「はあ」
東京の地理に明るくない甲斐には「ぴん」と来ず、ジュンは「判らないかな?」と笑った。
「この地図で言えばこの辺りだ」
とジュンがペンで指し示したのは、地図の中心地にごく近い場所だった。
「これって……」
「スカーヴァティ社が指定した滞在範囲の円の中心、足立区舎人公園近くのデータセンターはすぐそこだ。一キロメートルも離れていない。そして、この世界においてその場所にはインドラプラスタと呼ばれる城がある、はずだ」
「あった、ありました。中には入れなかったけど」
と甲斐が何度も頷き、ジュンもまた首肯した。
「そうだ。地図のど真ん中に位置しているのだから絶対に何かあるはずだとプレイヤーが大挙して押しかけたけど、β版では最後まで『未公開範囲』となったままで誰も入ることができなかった」
「そこに何かが」
甲斐の確認にジュンは「何かはあるはずだと考えている」と頷いた。
「蠱毒壺の中に閉じ込められていると言っても、まさか瀬戸物の壁がそそり立っているわけじゃないだろう。ここが剣と魔法とモンスターの世界なら、魔法陣か何かを使った『結界』が展開されていると考えた方がずっとそれっぽい。便宜上それを『蠱毒壺の結界』と呼んでおこうか」
「はい」
「これが結界ならそれを起動・維持するための起点が複数必要なはずだ。多分結界の外周に沿って設置されているんだろうが、その中心に起点が一つあっても何の不思議もない。それが一番重要な起点であることも、蓋然性の高い話だろう」
「とりあえずそれをぶった斬ればいいんですね」
また砦の外へと飛び出そうとする甲斐だが、またアキラが後ろ襟を掴んでそれを止めた。
「落ち着きのねえ奴だな」
「でも俺の担当は肉体労働ですし」
「うん、でも話は最後まで聞こうか。ここまでの話は全部根拠の薄弱な、憶測でしかない。これが真実であるかどうかは実際の証拠をもって確認する必要があるわけだ。まず確認するべきはここからごく近くにあるはずの、『蠱毒壺の結界』の中心起点。その有無だ」
甲斐はその説明を咀嚼し、一拍おいて確認する。
「ジュンさんもそこに行くってことですか?」
「てめえ一人で行って、何か怪しいものがあったとしてもそれが判るのかよ」
「とりあえず斬ればいいんじゃ?」
「うん、でもできれば先に調査はさせてほしいかな」
とジュンは乾いた笑いを浮かべた。
「これまでは『ガリバルディ』の連中がいたから食料の調達すらろくに遠出ができなかったけど、今なら半日くらいここを空けても大丈夫だろう。今から出発して調査をして、日が暮れるまでには帰ってくる」
ジュンが立てたその基本方針に甲斐もアキラも異存はなかった。ただ一つ、
「斬れるのなら斬っていいんですよね」
「……うん、まあ、好きにするといいよ」
ジュンは出発前から疲れたようにため息をつくが、甲斐は不思議そうな顔をするだけだった。
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「あれがインドラプラスタ城……」
「結構簡単に見つかったな」
「予想以上に大きかったしね」
砦を出発した甲斐・ジュン・アキラの三人は徒歩で移動し、「蠱毒壺の結界」の中心起点を探した。コンパスも詳細な地図もなく、正確な現在位置も不明の中での探索は至難と思われたが、彼等は中心起点と思われる場所をあっさりと発見した。掘に囲まれた城塞跡――それがインドラプラスタ城であることはまず間違いない。川と見間違うような堀があり、真四角の石を積み上げた石垣は草木に埋もれている。木々に隠れた城塞の建物はその大部分が崩れているが、一部はまだ形が残っていた。
「とりあえず堀に沿って一周しようか」
と彼等は堀沿いを歩き出した。散歩をするような足取りで歩きながら周囲を見回し、この堀を渡る方法を検討する。
「かなり大きい城ですね」
「今は全くの無人だけど、百年前までは大勢の市民がこの辺りで暮らしていたんだろうね」
城塞跡は上から見れば四角形をしており、その一辺は何百メートルもあった。一周すれば一キロメートルを優に超えるだろう。その一辺を歩き終わり、ようやく角を曲がったところで人の姿を発見。甲斐達の間に緊張が走った。足の止まるジュン達だが、それは数える間もないくらいの時間だ。再び歩き出したジュン達が次第に彼等に接近する。徐々にその姿が明確となっていく。
「相手は三人、うち一人が女か。わたし達より弱そうには見えないが」
「姐さん、どうしやすか?」
「できれば平和的に話し合って協力し合いたいところだけど」
甲斐もまた見ず知らずのプレイヤーを警戒して臨戦態勢となっていたが、その顔に怪訝な感情が浮かんだ。
「え……もしかしてあいつ」
「甲斐君の知り合いかい?」
「やっぱり! 諭吉! 雪未さん!」
甲斐は大きく手を振って走り出した。ジュンとアキラは若干早歩きとなって甲斐を追う。笑顔の甲斐が三人組の下に、その中の二人の前に到着するのにそれほどの時間はかからなかった。
「無事で良かった! こんなところで会えるなんてな!」
「リアルでは一年ぶりか。お前は相変わらずだな」
嬉しそうな笑顔の甲斐に対し、諭吉と呼ばれた少年は平静のままだ。甲斐との再会に対して少なくとも外見上は、プラスにもマイナスにも感情を動かさなかった。
「久しぶり、甲斐君。お互い無事で良かったわ」
「久しぶりです、雪未さん」
雪未と呼ばれた女性もまたその感情を表に出すタイプではないようだが、甲斐には笑顔を向けている。甲斐は子犬のような笑顔を雪未へと返した。
「甲斐君、その人達は?」
「ああ、沢城諭吉。去年のインターハイで優勝した奴で、剣のライバルです。雪未さんはそのお姉さん。雪未さんも剣道をしていてインカレに出場経験があります」
甲斐はジュン達に諭吉のことを紹介した。沢城諭吉は甲斐と同じ高校二年。身長は一八〇センチメートルを超え、よく鍛えられた筋肉を全身にまとっている。髪は角刈りで眉は太く、仏頂面の顔はいかつく、非常に男らしい少年だった。
沢城雪未は諭吉より何歳か年上で、おそらくはジュンと同じくらい。ジュンほどではないが高身長で、痩身。ショートの髪の、クールな印象の美人である。その装備は諭吉と同じくジーンズにTシャツというラフなもので、諭吉は剣、雪未は鉄の柄の長槍を手にしていた。
「沢城君、彼は?」
「門脇甲斐。何度か勝負をして勝ったり負けたりしています」
諭吉が同行の男性にそう説明。彼は甲斐のようには素直な物言いをせず、横で聞いていたジュンは微笑ましい気分になった。彼女は「ついでだから自己紹介させてもらおう」と告げ、彼等の意識を引いた。
「わたしは諏訪部ジュン、こいつは矢島アキラ。『グラーフ・ツェッペリン』というギルドの代表みたいなもので、甲斐君もうちのメンバーだ。わたし達は元の世界に、日本に帰る手がかりがここにあるのではないかと思って、調べに来た」
それを受けて諭吉達の同行者である男が、
「滝沢久。俺達はギルドを作っているわけじゃないが、色々あって今は協力し合っている」
滝沢久は三〇代の、横に広い男だ。吊り上がった目は細く、装備はクールビズのサラリーマンのようなYシャツとズボン。手にしている木の棒は武器よりは杖として使っているようだった。
「そうですか、よろしく」
ジュンは笑顔でそう応えながら「どうやら殺し合いにならずに済みそうだ」と内心で安堵のため息をついた。
甲斐達三人と諭吉達三人が合流し、移動する。その道中に情報交換をするが、持っている情報量に大きな差はなかった。諭吉達三人の中でリーダー格は最年長の滝沢で、彼もまた「インドラプラスタ城はこの近くではないか」と当たりを付け、探索していたのだ。
「それでようやくここを見つけたわけだが、ここが君の言う『蠱毒壺の結界』の中心起点に間違いない。元の世界に戻る方法……少なくともその手がかりくらいはここにあるはずだ」
「ええ、その可能性は高いと思います」
滝沢が安易にそう断言する一方、ジュンは慎重な物言いを崩さなかった。
「でも中に入って調べないことには」
「その通りだ。だが」
と滝沢が足を止めて指を差し、一同がその方向を注視した。
そこにあるのは半ば崩れた石の橋だ。元は二つのアーチを持った橋で、堀に架けられていたのだろう。アーチは二つとも崩れ、残っているのは橋脚だけだが、崩れた石材が川面から出ていて飛び石のようになっている。それを伝って城塞へと渡るのは難しくはなさそうだった。
「ここなら渡れそうですね」
と今にも飛び出そうとする甲斐を、例によってアキラが後ろ襟を掴んで止めた。
「待てや、あれを見ろ」
とアキラが指差したのは橋を渡ったその向こう。そこにはちょっとした広場ほどのスペースがあり、さらにその先に大きな城門がある。城門の門扉は既に失われているが、門番は未だ残っていた。高さは三メートルに届きそうな、大きな竜の石像。それが門の横で屹立している。
「あれはもしかして、ガーゴイル?」
「そのくらいのモンスターはいるでしょうね」
雪未が肩をすくめ、ジュンは難しい顔で唸った。
「ガーゴイルはレベル七のモンスター。今のわたし達はレベル五かせいぜい六、挑むのはあまりに危険な相手だ」
「俺達も似たようなレベルだが、だからと言って諦めるのか? あの中に入れば日本に帰れるのに!」
滝沢がなじるようにジュンに問うが、ジュンは冷静に返答する。
「手がかりがあるもしれない、というだけです。それに」
「じゃあどうするつもりなんだ! モンスターと戦って、同じプレイヤーを殺して、カルマを貯めていずれまたここに来るつもりか? そんな先まで無事でいられる保証が、それこそどこにある!」
滝沢が激高し、わめき散らした。ジュンも含めて全員が口を閉ざす中、
「どちらにしても危険なのは変わらないんだ! それなら今危険を冒すべきなんだ、日本に帰る手段が今、目の前にあるのだから!」
肺の空気を使い切った滝沢は肩で息をしている。甲斐はジュンとアキラの顔を伺うが、ジュンの否定的姿勢に変わりはなく、アキラもまたジュンに同調するようだった。
「とは言え、たった三人で挑むのは無謀が過ぎると何とか滝沢さんを止めたところなんだけど」
「戦力が倍になったのならまた話は変わってくる。六人がかりならあれに勝てるかもしれない」
と雪未と諭吉。滝沢達三人は主戦論で固まっているようである。そして残る甲斐は、
「……中にあるのが手がかりだけだとしても、それが手に入るのなら戦いたい。それで一日でも早く日本に帰れるのなら」
甲斐が滝沢達に同調し、ジュンは苦い顔をした。アキラが迷ったように「どうしやすか、姐さん」と問う。やがてジュンは諦めたようにため息をつき、
「……一当てしてみて、勝てそうにないなら即時撤退。これを厳守してもらえるなら」
「それはもちろん。わたし達だって玉砕するまで戦うような趣味はないわ」
……それから数分後、堀を渡った甲斐達は門の前の広場のような場所へとやってきた。彼等六人の前には一体の竜の石像が仁王立ちとなっている。手足や胴体は爬虫類というよりは人間のそれに近く、コウモリのような翼と長い尻尾。甲斐達はおそるおそる前へと進み、すぐにその石像は目の前となった。
「……こうして見ると、ただの石の塊だな」
「ああ。これが動き出すとはとても」
いきなり石像が軋み出し、細かい砂利が散った。甲斐達は慌てて散開し、誰もいなくなった場所に石の尻尾が叩きつけられる。
「GIGIGIGI!!」
岩を砕いたかのようなその轟音はガーゴイルの咆吼だった。それが誰から喰らうべきかを選ぶように見回し――二人が一直線に突っ込んでくる。諭吉と甲斐だ。二人は競うようにガーゴイルへと吶喊し、
「行くぞ、デカブツ!」
「奥義、密迹金剛力士剣!」
二人の剣がガーゴイルの右手と左手に叩き込まれる。だがガーゴイルは煩わしそうに腕を振るい、二人は同時に吹き飛ばされた。二人は即座に起き上がって態勢を立て直す。
「くそ、硬いなこいつ」
「無茶をするな!」
ジュンが鋭く叱責し、甲斐は首をすくめた。
「ガーゴイルは防御にステータスポイントを振ったモンスターだ。生半可な攻撃が通用するわけがない」
「半端でなければいいのだろう! 『加速』!」
滝沢が魔法を行使。それは仲間の速度を上昇させる補助魔法、その中の代表格「加速」である。
「おおおっっ!!」
諭吉と雪未が突撃し、ガーゴイルへと斬りかかる。ガーゴイルは二人を殴り殺そうと腕を振るが、二人は余裕でそれをすり抜け、その刃はモンスターの腹に叩き込まれた。鋼で岩を殴る音が響き……それだけだ。多少の傷は付いたが、
「眉一つ動かさねえな」
「そういう機能はないんじゃないかな」
とアキラとジュン。
「ジュンさん、俺にも『加速』を」
「済まない、わたしは攻撃魔法しか使えないんだ」
がっかりする甲斐だが気を取り直してガーゴイルへと突撃。だが速度で劣る甲斐は諭吉達の邪魔をしないよう立ち回るので精一杯で、モンスターも甲斐のことはほとんど無視していた。アキラもまた攻めあぐね、戦いに寄与できないでいる。
「お前等何をしている! これじゃ俺達だけで戦っているのと同じじゃないか!」
滝沢が八つ当たりのようにジュンを罵倒し、ジュンはそれを否定しなかった。
「わたし達では力が足りなかった。滝沢さん、手遅れにならないうちに撤退を」
「うるさい! 役立たずは黙っていろ!」
意地になった滝沢はさらに「加速」を行使、補助魔法の重ね掛けをした。
「すごい、これなら!」
と諭吉は目にも止まらぬ速さでガーゴイルの懐に飛び込み、剣を振るい――澄んだ音がし、その剣が砕け散った。諭吉の速度は通常の四倍にもなり、それは攻撃にも上乗せされ……だがそれでも、ガーゴイルの身体を貫くには至らなかったのだ。
諭吉は呆然としたように棒立ちとなり、それと同時に「加速」の効果も切れた。補助魔法の重ね掛けは元々長続きするものではなく、それは最後の切り札だったのだ。滝沢はもう一度「加速」を行使しようとするがもう魔力が底を突いており、昏倒しそうになるだけだ。
ガーゴイルが諭吉を喰らうべく身を乗り出し、その首を伸ばした。避けようとする諭吉だが身体はまるで鉛のようで、空気は水のようだ。四倍速の動きから元の速度に戻ってしまった諭吉はその遅さに咄嗟に順応できず、それは致命的な隙だった。ただ精神だけが四倍速のままのように、全てがスローモーションで動いている。ガーゴイルが大きく口を開け、石の牙がずらりと並び、それが諭吉の首を丸呑みに――
「諭吉!」
彼を突き飛ばしてその場所に割り込んだのは甲斐だった。ガーゴイルはそれに構わずそのまま甲斐に喰らい付かんとする。甲斐は握り込んだ剣を一直線に突き出し――それがガーゴイルの眉間を貫いた。
「GIGIGIGI!!」
ガーゴイルが憤怒に大暴れをする。その尻尾の攻撃を甲斐は転がり避け、
「ジュンさん!」
「判っている! 『雷撃』!」
ジュンが全力全開で攻撃魔法「雷撃」を行使、それは甲斐の剣を伝ってガーゴイルの頭部に叩き込まれた。
「GI……」
ガーゴイルの頭部が真っ二つに割れ、崩れ落ちる。その身体が地響きを上げて倒れ伏し、それが吐き出した光の球体――カルマはジュンの身体へと吸収された。
「殺った……のか?」
「ええ。カルマを獲得できましたし、倒せたと見ていいでしょう」
そう言いながらもジュンは首をひねっている。
(レベル差から言って甲斐君の攻撃が通るはずがないのに。実際、甲斐君より攻撃力があったはずの諭吉君の攻撃は通らなかった)
とは言え、ガーゴイルを倒したという事実に間違いはない。死闘が終わり、誰もがその場に座り込んで安堵の様子を見せた。ただ、滝沢は苦々しい顔を隠せなかったが。
「……ともかく、これで城の中に入れる」
一〇分ほど無言のまま一休みをした後、滝沢が立ち上がって全員に告げる。顔を見合わせる一同だが、その中でジュンは首を横に振った。
「今日はこれで引き上げるべきだ」
「何を言っている! これで日本に帰れるのに」
「どう考えてもモンスターはあれ一匹じゃない。ガーゴイルはただの門番で、中にはもっとずっと強力なモンスターが待ち構えている――そう考えるべきだ」
「そんなのただの憶測だろうが!」
滝沢はそう怒鳴り、同意を求めるように一同を見回した。だが、疲れた顔の雪未が目で物語っている、今日はもう引き上げるべきだと。
「俺は武器を失いました。これ以上は戦えません」
と諭吉。
「おっさんだってもう魔力は残ってないだろう」
とアキラ。
「収穫がなかったわけじゃない。準備を整えて後日再挑戦するのがいいだろう」
とジュンがまとめるように告げ、全員がそれに賛同した。ただ一人、滝沢を除いては。
「収穫があったのはお前だけじゃないか! 何もしなかったくせに最後の最後だけちょっと魔法を使って、カルマを独占しやがって!」
「言いがかりをつけてんじゃねーよ。姐さんに仲間を助けてもらっておいて、感謝の言葉もなしか、ああ?」
アキラが滝沢に掴みかかろうとするのをジュンと甲斐が止める。滝沢は「くそっ!」と地団駄を踏んだ。
「冗談じゃない、ここまで来ておきながら……臆病者は指をくわえてただ見ていろ! 日本には俺だけで帰ってやる!」
止める間もなく、滝沢が門の内側と飛び込んでいく。ジュン達は唖然として動けず、甲斐は連れ戻しに行くべきかどうか迷い――だがそれも長い時間ではなかった。
「あああ……あああぁぁああっっ!!!」
断末魔の絶叫が轟き、それが途切れた。甲斐達が身も心も凍り付かせる中、何かが動く気配がする。木々が揺れ、梢が葉を落とし、何かが木々の間から立ち上がり――それは尻尾だ。鱗に覆われた巨大な尻尾が十数メートルもの高さまで跳ね上がり、下ろされて見えなくなる。それはほんの数秒の出来事だったが、甲斐達の脳裏に焼き付くには充分以上の時間だった。
「ど、ドラゴン……」
それは一体誰の呟きだったのか、あるいは甲斐のものだったのかもしれない。気が付けば一同は先を争って逃げ出していた。濡れるのも構わず堀に飛び込み、泳いで向こう岸まで渡る。対岸によじ登り、堀を挟んで距離を置いて、ひとまずは安心できるようになり……甲斐は改めてその場に座り込んだ。それは甲斐だけでなく、他の面々も同じである。
「まさかドラゴンがいるなんて」
「ドラゴンはレベル一五、今のわたし達なんて塵芥と同じだ」
ジュンは難しい顔で城塞を見据えた。
「でもドラゴンがいるとなると、あの中に何かあるのは確実なんじゃないの?」
「確かにその通りだ。だがドラゴンと戦えるようになるまで一体どれだけのモンスターを狩らなければならない?」
ジュンが憂鬱そうに言い、雪未も似たような表情で沈黙した。
「できるだけモンスターを狩ってレベルアップを図るのは言うまでもないけど、何か他の手がかりを探す必要もあるだろう」
ジュンが勢いよく立ち上がり、他の四人もまたそれに続いた。
「さて。わたし達は拠点に戻ることにするが、君達はどうする?」
「俺はとりあえず、どこかで剣を手に入れないと」
途方に暮れたような諭吉に対し、笑顔の甲斐が提案した。
「それならうちに来いよ。剣なら何本か余ったのがあるから」
ジュンもまた「そうするといい」と言い、諭吉は「お世話になります」と彼女達へと頭を下げた。
そうして彼等はそのドラゴンの城塞を後にし、砦への帰路に就く。その最後尾を歩く甲斐は少しの間足を止め、後ろをふり返った。
甲斐は無言のまま剣を握り締める。いつかまた、ここに戻ってくる――鋼鉄のようなその目は何よりも雄弁にそう物語っていた。
August 01 at 16:11 36,359 / 100,013