第五話 July 31
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「どうか、どうか、どうかお兄が無事に帰ってきますように……!」
時刻は早朝。場所は亜衣達が暮らす漁村、その一角の小さな神社。朝早くにそこを一人で参拝して兄の無事を一心に祈る、それがここしばらくの亜衣の日課だった。
東京での大量死体遺棄事件と「ナラカクエスト・オンライン」の関連性が大手メディアで報道され、万単位で湧き出した死体の全てが「ナラクエ」のプレイヤーであることが判明し……亜衣の心は壊れる寸前となった。
「わたしのせいで、わたしが無理矢理『ナラクエ』なんかやらせなかったら」
そう泣き喚く亜衣を両親は必死になだめ、くり返し言い聞かせた。
「大丈夫、お兄ちゃんは日本一強い高校生なんだから」
「心配するな、剣さえ持っていればあいつは大抵の奴に勝てる」
何日かかかってどうにか心の均衡を取り戻し、今は亜衣も甲斐の無事を心から信じている……信じようとしている。だが安心できる材料はあまりに心許ない一方で不安材料はあまりに圧倒的だった。死者は既にプレイヤー総数の過半を超えて、昨日一日だけでも何千という死体が追加されている。電話の呼び出し音が鳴るたびに、それが甲斐の死を知らせるものではないかと亜衣が怯えるので、米太も麦子も携帯はずっとマナーモードにしたままだ。
ともすれば崩れそうになる均衡を保つ方法は、もう神頼みくらいしか残されてはいなかった。だが、
「……はあ」
祈りを終えた亜衣は深々とため息をついた。毎回のことだが、自分の行為にどれだけの意味があるのかと虚しさを感じる。所詮は気休めと自己満足でしかないという自覚もある……だがそれでも、亜衣はきっと明日もここを訪れるに違いなかった。
亜衣は物憂げな顔で神社を後にした。向かう先は漁港前の駐車場で、そこにはラジオ体操をするために村の年寄りが集まっている。
「おはよう、亜衣ちゃん。うちのトウキビ食わんかいね」
「美味しそうね、ありがとう」
「おはよう、亜衣ちゃん。西瓜が採れたし持っていきまっし」
「あはは、昨日もらったばっかりなのに」
亜衣はこの村では最年少の子供で、生まれたときからじじばばのアイドルとして村中から可愛がられてきた。甲斐が「ナラクエ」に参加して行方不明なことも当然周知の事実であり、村の誰もが亜衣を心配し、気に懸けているのである。
ラジオ体操を終えた亜衣は「戦利品」を担ぎ、その重さにふらふらしながらも帰宅する。
「ただいまー、また色々もらってきたよー」
「おかえりなさい、まあまあ」
亜衣から西瓜やらトウモロコシやらアジやらを受け取り、麦子は笑いながらも困り顔をした。
「今日もこんなにもらっちゃって。うちだけじゃ食べきれないわね」
「お兄がいれば全部片付けてくれるのに」
つい口を突いた自分の言葉に亜衣は舌打ちをしたくなった。麦子は顔をこわばらせたように見えたがそれもほんの一瞬だ。
「……おなか空かせてないといいけど、あの子」
「空かせてるんじゃないかな。だっていつもそうじゃない」
亜衣の憎まれ口に麦子は「そうね」と笑う。そして自然に会話できたことに、亜衣と麦子はそれぞれ内心で安堵した。麦子は再び朝食の用意を進める。
「……早く帰ってきてよ。食べきれないで腐っちゃうじゃない」
亜衣のその呟きは麦子の耳には届かず、空気に溶けて消えていった。
July 31 at 09:31 42,268 / 100,013
「はらへった……」
そして実際、甲斐は空腹だった。
「昨日は何も手に入らなかった……今日こそ何か食うものを」
痛むほどの空腹に昨晩はろくに眠れず、その顔色は非常に冴えないものだった。腹の虫が暴れ狂い、内臓に喰らい付いているかのようだ。
現時点の甲斐は推定で三〇カルマを超え、レベルは五に達したかどうかだ。今の甲斐はその気になれば百メートルを四秒で走り、二階建ての家を飛び越え、フルマラソンで三〇分を切ることができる……ただ、何の代償もなくそれができるわけではない。
「モンスターを倒すのにかなり動いたのに、食えないモンスターだったしな」
常人を超えた動きを実現するのに必要なのは、まず精神力、または魔力。β版ではMPと表示されていたものだが、甲斐は心の内側にある何らかのエネルギーがどんどんと減っていくのを実際にその身で何度も感じている。これがゼロになると体力が尽きたのと同じように行動不能となってしまうのだ。
そして何より必要なのは物理的エネルギー、具体的には食料だった。激しく動けばそれだけカロリーを消費する、考えてみれば当然の話である。
甲斐はおぼつかない足取りで川沿いを歩き、水面をのぞき込んだ。
「さかな、さかな……この際はカエルでもザリガニでも」
深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいている――甲斐はこの箴言を知らなかったが、この言葉はまさにこういうときに使うのだろう。水底で何かの影が動き、「魚か?!」と甲斐は喜び勇んだ。そのまま落ちそうになるほどに身を乗り出して正体を見極めようとし――飢えた二つの眼が鏡写しのように光った。
「――!」
身を躱すのが刹那でも遅れていたら首から上は食い千切られていただろう。巨大な水蛇が水底から飛び出して食らい付いてきた、それを頭が理解する前に甲斐の身体は最善を選んで行動していた。水蛇の顎を避けるのと同時に剣を振り抜く。だが間合いが近すぎたため両断には遠く、剣は水蛇の鱗をわずかに切っただけだった。
一旦川に落ちた水蛇が今度はゆっくりと這い上がってくる。甲斐は慌てて距離を取った。
「ギガントサーペントか!」
水蛇の体長は七、八メートルはあり、頭部は人のそれほどの大きさだ。自然に存在する蛇ではない。ゲーム中ではギガント系と呼ばれていたモンスターの一種である。
「SHUSHUSHU……」
鱗と誇りを傷付けられたギガントサーペントは怒りに両眼を輝かせて甲斐を見据える。甲斐を丸呑みにして飢えを満たす、その眼は何よりも雄弁にそう物語っていた。だがそれは甲斐も同じである。蛇肉の味は鶏肉に似ており、この世界ではご馳走の部類だ。それにもう四〇時間以上何も食べていないのだ。甲斐にとって今敵対しているのはモンスターではなく、肉の塊だった。
「来い、今日の朝飯!」
「SHUSHUSHU!」
甲斐の声に応えるようにモンスターが突進。甲斐はそれを正面から迎え撃ち――弾き飛ばされた。吹っ飛ばされて地面の上を何回転もし、泥まみれになりながらも何とか起き上がろうとする。その前に上体を起こしたギガントサーペントが屹立し、槍のような勢いで甲斐に食らい付いてくる。甲斐は必死にそれを躱した。
「くそ、こいつ……!」
甲斐はこれまでモンスター相手にさほど苦戦をしたことがなく、それが油断となったのだろう。このギガントサーペントは甲斐が初めて戦う「自分よりずっと強いモンスター」だった。そして多くの場合、「最期に戦うモンスター」となるのだが……
ギガントサーペントは恐るべき速度で襲いかかってくる。カウンターで必殺剣を叩き込もうとするが敵は急制動してタイミングを外してきた。甲斐は舌打ちをしながら離脱しようとするが、尻尾の一撃を受けてしまう。深手ではないが、痛手だった。
「こいつ……カルマを速さに振っているのか?」
モンスターの速度は甲斐よりわずかに上だった。元々重量やパワーで負けていてその上速度でも負けるなら甲斐が勝てる要素はない。勝てないのなら、
「三十六計逃げるにしかず……とは言っても」
誇りと共に玉砕、等という教えは門脇流には存在せず、逃げることに抵抗があるわけではない。ただこのモンスター相手では逃げることも簡単ではなかった。牽制の攻撃を鼻先に喰らわせ、敵が怯んだ隙に遁走する甲斐。だがギガントサーペントはすぐに追ってきた。
「く……くそ!!」
草むらをかき分けて甲斐が疾走、その速度はオフロードのバイクにも匹敵するだろう。だがそれでもギガントサーペントを引き離すことはできなかった。甲斐のすぐ後ろを何かが高速で這って進んでいる。生い茂る草がギガントサーペントの姿を隠し、その接近を知らせるのは音だけだ。状況は悪化する一方としか思えなかった。
草を切り払ってジグザグに走り、岩を蹴って一〇メートル以上を一足飛びし、それでもモンスターはすぐそこまで迫っている。せめて地の利を得ないと、と甲斐が左右を見回し、
「あそこだ!」
何本かの木々が立っている小さな林。甲斐はそこを目指して足の回転を速めた。
何とかその場所に到着した甲斐は大きな木に背中を預け、酸素をむさぼった。そして草むらから姿を現したギガントサーペントがゆっくりと接近する。息を切らしながらも剣を構える甲斐だがその手は震えていた。力を使いすぎたため魔力も体力も底を突きそうだ。疲労と絶望が甲斐の身体にのしかかるが、
「くそが!! 来い、蒲焼き!」
甲斐は自棄のように吠えてそれを振り払った。ギガントサーペントもまた雄叫びを上げるように啼き、尻尾の殴打を甲斐へと加えんとする。甲斐は剣でそれを迎撃した。
「奥義、金色孔雀王剣!」
全力を込めた奥義の一撃とモンスターの尻尾が打ち合い、尻尾の先端が断ち切られる。だがその代償として甲斐の剣は手から弾き飛ばされた。ギガントサーペントは嘲笑するように口を開き、一足飛びに襲いかかる。そのまま甲斐を頭から一呑みにしようとし――
「串焼き一丁、入ります!」
頭上から突然現れた何者かが剣でギガントサーペントを串刺しにし、甲斐は目を真ん丸にした。モンスターは大暴れをするが剣は杭のように首元を固定したままだ。その身動きの取れないモンスターに対し、
「雷撃!」
攻撃魔法の一撃が叩き込まれる。剣を伝った雷撃はギガントサーペントの全神経を焼き払い、まずその身体からカルマが離れて攻撃者の下へと飛んでいった。そして長々と痙攣していたギガントサーペントがやがて力尽き、倒れ伏す。その死を確認して甲斐は安堵のため息をついた。
「串焼き一丁、お待たせしました」
そう言って笑いながら姿を現したのは背の高い女性――攻撃魔法を使ったメイジである。
「あ……ありがとうございます。助かりました」
「いやなに。困ったときはお互い様だよ」
メイジの女性は朗らかに笑い、甲斐はちょっと困った顔で目をそらした。
その女性は、年齢はおそらく二〇代前半。身長は甲斐よりずっと高く、一八〇センチメートルに達しているだろう。艶やかで長い黒髪の、眼鏡をかけた知的な美人さんである。装備は、膝までのタイトなジーンズに手製と見られるサンダル。上は、何かの布をさらしのように胸に巻いており……それだけだ。グラマラスな胸をさらしで覆っているだけの姿に甲斐は目のやり場に困り、メイジの女性は「純情だね」と笑っている。
「そんな風に横を向いていては会話もままならないだろう。見ても別に怒らないからちゃんと向き合ってくれないかな?」
「そういうことなら遠慮なく!」
とかぶりつきになり、触れんばかりの距離で彼女の巨乳をガン見するのは、ギガントサーペントを串刺しにした男だった。年齢はおそらく二〇歳過ぎ。身長は彼女より多少低く、痩身。長めの髪を金に脱色し、耳にはピアスをしている。装備は、白いスーツのズボンに上は白黒だが派手な柄のシャツ。履いているサンダルはやはり手製のようだった。
そのメイジの女性は男ににっこりとした笑顔を向け、
「さすがにそんな情欲まみれの視線を向けられるのは不愉快だな。上の玉と下の玉、潰されるのはどっちがいい?」
「サーセーンシター!!」
男は即座に土下座した。彼女はその頭に足を置き、腕を組んで甲斐へと向き直り、
「わたしは諏訪部ジュン、この馬鹿は矢島アキラ。プレイヤーズギルド『グラーフ・ツェッペリン』の代表みたいなことをやっている」
高らかにその名を告げた。
July 31 at 10:07 42,117 / 100,013
「グラーフ・ツェッペリンって、四大ギルドの一つですよね」
「β版ではね。今は一〇人足らずの零細ギルドさ」
甲斐は諏訪部ジュンと横に並んで歩き、その後ろにギガントサーペントの死骸を一人で担いだ矢島アキラが続いている。彼はその重さに四苦八苦し、怨嗟の視線を甲斐へと向けていた。
「……あの、俺も手伝った方が」
「気にしなくていいさ」
アキラの視線は甲斐だけではなく、ジュンへも向けられている――主に尻。特に尻。
鼻息が荒くなるのは疲労のためばかりではなく、ジュンもそれを理解しつつもアキラだけに負担を追わせる報酬としてその程度のことは許容するのだった。
「ところで君、β版のときにうちのギルドと関わったことがなかったかな?」
「モンスターに襲われて危なかったところを助けてもらったことがあります。今日みたいに」
ジュンは「ああ、やっぱりか」と明るい笑みを見せた。
「確かそのとき君は『日本ボイラ協会』と名乗っていただろう?」
「はい、そうです」
「もしかしてお前、俺と会ったときは『こけし千体趣味蒐集の会』って名乗ってた奴か?」
「そのハンドルネームも使ったことがあります」
その返答にアキラは「はっ」と馬鹿にしたような失笑をする。
「β版のときのそいつは終盤だったのに低レベルもいいところで、全然使えない奴だったけどな」
「β版とこの世界は、共通点も多いけど相違点の方がもっと多い。β版の経験だけでこの世界の事象に判断を下すのは危険だろうね」
ジュンがアキラをたしなめ、彼は特に反論はしなかったが面白くなさそうな顔をした。
「……ただ、うちのギルドにも余裕があるわけじゃない。戦いに限る必要はないけど、何らかの形で集団に貢献できない人間を仲間として迎え入れることはできない。人倫には反するかもしれないが」
「いえ、判ります」
苦渋をにじませながらも正直にそう告げるジュンに対し、甲斐は好感を抱いた。まだ判断を下したわけではないが、彼等のギルドに加入することを前向きに考えている。
「剣の腕には自信があります。モンスターとだってそれなりにやり合えるつもりです」
「そうか。期待しているよ」
とジュンは笑う。その後ろでアキラが「敵はモンスターだけじゃねぇんだぜ」と呟いたのが甲斐の耳にも届いた。
ちょっとした小高い丘を乗り越え、甲斐達の眼下に眺望が広がった。地平線の彼方まで広がる木々の緑、曲がりくねる青い川。その中に続く一筋の道、その先にある石造りの建物。
「あそこにあるのは、砦?」
「ああ、あれがわたし達の拠点――」
突然ジュンが険しい顔となった。怒りと殺意に満ちた目を自分の砦へと向けている。怪訝な顔となった甲斐はまずジュンの横顔を見、次いでジュンが見ているものを見ようとした。目を大きく見開いて砦の周囲を観察し……
「誰かが戦っている?」
「くそっ、あの連中だ!」
ジュンが砦へと向かって走り出す。一瞬遅れで甲斐がそれに続き、荷物を担いだアキラが置き去りとなった。
足には自信があったつもりだがジュンに付いていくのは容易なことではなかった。これ以上距離を置かれないようにするのが精一杯だ。先ほど倒したギガントサーペントはかなりの高レベルモンスターで、そのカルマを獲得したことで身体能力が相当に向上したのだろう。
何百メートルという距離を一分足らずで駆け抜け、ジュンと甲斐はその砦に到着した。砦の周囲には何人もの男がいて、砦の内側に入り込もうとしている。砦側は必死の防戦をしているところだった。ただの乱闘ではなく、生命を懸けた殺し合い。規模は小さくとも、それはまさに戦争そのものだった。
「雷撃!」
ジュンが攻撃魔法を撃ち放ち、敵の一人が黒焦げとなる。敵側は動揺し、砦の内側は味方の救援に大いに意気が上がった。
「くそっ、ここまでか。撤収するぞ」
「ざけんな! あのアマ、ぶっ殺してやる!」
敵の一人が剣を握り締めてジュンへと突っ込んでくる。剣を構えるジュンだが、その前に甲斐が仁王立ちとなった。
「舐めてんのか、てめえ!」
罵声を上げながら突撃してくる敵だがその速度は遅く、技術もあるようには見えず、甲斐にとってはただのカモだった。甲斐が小手を喰らわせ、敵は剣と何本かの指を取り落とす。怯んだ敵は今さら逃げようとするが、その前に顎を蹴り上げられて高々と宙を舞い、地面に大の字になってぶっ倒れた。甲斐は剣を納刀する、その仕草をしつつニヒルを気取りながら、
「ふっ、野良犬相手に表道具は不要……」
「何格好付けてんだてめえ」
その甲斐の頭をアキラが叩いた。甲斐は不服そうな目をアキラへと向けるが、
「とっとととどめを刺せよ、そいつに」
アキラが顎で敵を指し示し、甲斐は心と身体を硬直させた。
「で、でも」
「でももクソもあるか。俺達はこいつ等の仲間にもう三人も殺されてるんだぞ」
「正確には、一人はこいつ等に連れ去られてそれっきりだ」
口を挟んできたジュンの声は、煮えたぎる憤怒を無理に抑え込んだかのようだった。
「こいつ等は自分達の目的と欲望のためにわたし達を殺すことを辞さなかった。それならわたし達がこいつ等を殺しても文句を言われる筋合いはあるまい」
さあ、とジュンが目で促す。甲斐は剣を抜いて敵の男の前に立つが、迷った時間は長くはなかった。甲斐の腕から力が抜け、剣はただ提げただけの状態となる。甲斐はため息をついて首を横に振った。
てめえ、と殺意をむしろ甲斐へと向けるアキラ。一歩踏み出す彼をジュンが手で制した。
「……まあ、殺すのはいつでもできる。まずは話をしようか」
ジュンはそう言って甲斐へと笑顔を向ける。ただそれはどこかぎこちないものだったが。
……少しの時間を置いて、砦の内側。
そこにいるのはジュンとアキラの他に七人で、その内訳は男三人に女四人。これがギルド「グラーフ・ツェッペリン」の総メンバーと思われた。戦闘力の面ではジュンとアキラの二人が飛び抜けているようだが、他の面々も身を守るくらいには戦えるようである。
彼等は砦中央の中庭のような場所で焚き火を囲み、ジュン達が運んできたギガントサーペントの肉に舌鼓を打っている。甲斐もまたそのご相伴にあずかり、今は空腹を満たすことに専念した。
そして食事が終わって人心地つき、
「わたし達が戦っているのは『ガリバルディ』と名乗るギルドだ。この近くに拠点を置いている」
ジュンが前置きもなしに話を始めた。
「ただその拠点はあまり居心地が良くないらしく、この場所を狙って何度も攻めてきているんだ。お互いに死傷者を、もう何人も出している」
「そんな、プレイヤー同士で殺し合いなんて」
「連中に言えよ」
甲斐の慷慨に対し、それ以上の怒りをもってアキラがそう応える。甲斐は何も言えなくなった。
「わたし達も望んでこんな馬鹿げた殺し合いをしているわけじゃない。だが敵が攻めてくる以上身を守るために戦わなきゃいけない。それは間違っているのかな?」
「いえ、でも……話し合いで解決することはできないんですか?」
「それで全部が解決するなら警察も自衛隊も要らねぇだろ」
アキラの言葉に甲斐は何も反論できない。それは使い古された陳腐な言い回しだが、真理であった。
「わたしも話し合いでの解決を否定するわけじゃない。でもわたし達とあの連中ではもうお互いに恨み辛みが積み重なり、冷静に話し合うことはできないだろう。だから君がそれをしてくれないか?」
目を瞬かせる甲斐に対し、ジュンが笑顔を向ける――辛辣な笑みを。
「言い出しっぺの法則というやつがある。話し合いでの解決を提案するなら実際にできるかどうか、君がやってみるといい」
一瞬怯む甲斐だが、「確かにその通りだ」とすぐに納得した。
「判りました、できるだけのことはやってみます」
甲斐を嘲笑しようとしていたアキラは鼻白んだ顔となり、似たような表情のジュンと顔を見合わせる。甲斐は即座に立ち上がった。
「こちら側の誠意を見せる必要があります。あの捕虜を連れて行っていいですか」
「あ、ああ。あれは君が倒した敵だ、好きにするといい」
ジュンの許可を得た甲斐は外へと向かい、ジュン達がそれに続いた。
捕虜は手を頭に当てて地面に伏せた姿勢を強制され、それを武器を持ったギルドのメンバーが複数で警戒していた。捕虜を解放した甲斐は自分の前に彼を立たせ、その背中を剣でつついた。
「お前等の砦に行く。案内しろ」
歩き出す捕虜に甲斐が続く。見送りに来た形のジュン達に顔を向け、
「それじゃ行ってきます」
「ああ、気を付けて」
捕虜を連れた甲斐が遠ざかっていく。ジュン達はそれを呆然としたように見つめていたが、
「姐さん」
「ああ、頼む」
アキラとジュンの間で手短な会話が交わされる。アキラは甲斐の後を追い、走り出した。
少しの間それを見送っていたジュンだが、やがて砦の中へと戻っていく。
「……さて、どうなるかな」
軽く微笑みながらそう独りごちるジュン。先ほどとは違い、その笑みは甲斐の行動を嗤うものではなかった。
……林を抜け、丘を越え、歩き続けること半時間ほど。捕虜を連れた甲斐はプレイヤーズギルド「ガリバルディ」の拠点に到着した。
そこは川沿いにある洞窟で、その前に十数人の男達がたむろしている。洞窟は大した深さではないようで、この人数全員が入るのかどうかは疑問だった。
「ああ、なんだてめえは」
男達の中央にいるのがギルドのボスのようだった。一八〇センチメートルを超える巨体を革のジャケットで覆っている。ボスも含めて全員暴力に慣れた空気を身にまとっており、元の日本では暴走族かチンピラだったのではないかと思われた。
「『グラーフ・ツェッペリン』にちょっと世話になった者だ。今日は話し合いの使者としてここに来た」
「あの女の仲間か」
ボスが前に進み出、甲斐と対峙する。その子分達は甲斐を完全包囲しており、どう見ても話し合いの態勢ではなかった。なお捕虜は既に仲間の下に合流し、包囲に加わっている。
「あんた達はどうして『グラーフ・ツェッペリン』を襲う。目的は何だ」
「んなもん決まってるだろう。見ろ、この場所を」
とボスは洞窟を指し示した。
「あんな小さな洞窟じゃ全員入れやしねえ。しかも雨が降って川が増水したら水が流れ込んでくる。原始人だってもうちょっとマシな場所で暮らしてるぞ」
「だから襲いかかってあの砦を奪い取ろうと?」
「俺達にずっとここで暮らせ、水に濡れて寒さに凍えていろって言うのか? ああ!」
ボスは牙を剥いて甲斐を威嚇するが、甲斐には一片の萎縮も動揺もない。
「こっちは下手に出てやったのに、いきなり魔法を使ってきたのはあのアマが先だぜ。これは正当防衛の戦いで、あの砦を奪うのも緊急避難ってやつだ」
ボスの眼が赤く光ったように見えたが、今は普通に黒い目だ。甲斐は「気のせいか」と深く気にしなかった。
「あんた等みたいな柄の悪い連中が押しかけてきたなら誰だって警戒する」
「てめえは外見で人を差別するのか?」
甲斐はボスの自己正当化を無視し、
「過去の経緯はひとまず置いておくとして、もし砦を奪ったならあんた達は『グラーフ・ツェッペリン』の人達をどうするつもりなんだ?」
「野郎共は生かしておかねえ、全員ぶっ殺す」
ボスは何の躊躇いもなくそう即答した。
「あのアマは殺しやしねえ、俺達に逆らったことの意味を思い知らせてやる。他の女共にも利用価値はあるだろう」
ボスが下卑た笑みを見せ、子分達が嗤う。甲斐は唾棄したい衝動に駆られ――一つの人影が視界に入った。
洞窟から半身を出したのは女だった。身にしているのは下着だけで、全身あざだらけで、憔悴しきっていて……ジュンが話していた、連れ去られた「グラーフ・ツェッペリン」のメンバーにまず間違いない。
音が爆ぜた。それが地面を蹴った音だと誰にも判らないうちに、甲斐の一撃がボスの右手に叩き込まれる。何の反応もできないままボスは右拳を半分以上断ち切られ、拳の上半分と下半分は皮でかろうじてつながっている状態だ。剣を保持できるはずもなく、それは乾いた音を立てて地面を転がった。
「て、てめえ!!」
「もうしゃべるな」
甲斐は野球のバットのように剣をフルスイングし、剣の腹でボスの頭部を殴打。頭蓋骨を粉砕しかねない打撃にボスの意識は断たれ、白目を剥いて昏倒した。
「てめえ!」
「この野郎、ぶっ殺してやる!」
ようやく子分達が一斉に襲いかかってくるが、甲斐は慌ても騒ぎもしなかった。おそらくモンスターのカルマはできる限りボスが独占していたのだろう。子分達はボスよりレベルが低く、総じて雑魚だった。
甲斐は剣の腹で敵を殴り続けた。たまにちょっとばかり肉を切ったりするが、死なない限りは許容範囲だ。頭部を殴られて悶絶し、腕をへし折られて肘が一つ増え、膝を砕かれて地面に這いつくばる。「こんなはずでは」と思っているうちに逃げ遅れ、全員が甲斐の餌食となるのに五分もかからなかった。
さて、と甲斐は剣を肩に担いだ。死屍累々といった状態で地面に転がる「ガリバルディ」の面々だが、死んだ人間は一人もいない。全員その半歩手前で踏みとどまっている。
甲斐はその連中の服を一人一人脱がせていった。上着を無理矢理脱がせようとして肩関節が脱臼したりするが、甲斐にとっては無問題だ。脱がせた服の上下一式と子分が持っていた剣の一本。それを揃えて、甲斐は洞窟へと移動する。洞窟では半裸の女性が硬直しているが、逃げようとはしない。
甲斐は女性の数メートル手前で停止し、服一式と剣を地面に置いた。これを、とだけ言って元の場所に戻り、服を脱がせる作業を再開する。少しの間警戒していた女性だが、服と剣をひっ掴んで走り出し、そのまま姿を消した。それに気付いた甲斐だが特に気にすることもなく作業を続ける。
十数分かけて服を全部脱がせ、また剣や槍などの武器も全部回収する。甲斐はそれら「戦利品」を担いで元来た道を戻っていった。後に残されたのは地面に転がる「ガリバルディ」の面々だけ……
その身体に何者かの影が差した。そこにいるのは、「ガリバルディ」の虜となっていた女性である。彼女は甲斐からもらった服を着、剣を持っていて、震える手でその剣を高々と掲げ――
「……ぁぁああぁぁぁあああ!!!」
血を吐くかような、魂からの絶叫が轟き渡った。
アキラがその場にやってきたのはそれから少しばかり経ってからことで……全てが終わった後だった。
地面に倒れ伏す「ガリバルディ」の面々。死屍累々といった有様だが、先ほどとは違って今は文字通りだ。心臓を貫かれ、頭部を砕かれ、腹を刺され……血を流していない者は一人もいない。生きている者もまた一人もいなかった。例外は、そこに立ち尽くす女性だけだ。血に塗れた剣を提げ、返り血を全身に浴び、幽鬼のように佇んでいる。
「中尾……」
アキラは彼女の名を呼んだまま、それ以上何も言えないでいた。彼女はアキラを一瞥したが、特に関心はないようだった。アキラに背を向けて彼女が歩き出す。「グラーフ・ツェッペリン」の拠点とは反対方向だが、アキラは彼女を止めることができなかったし、止めようとも思わなかった。
彼女を見送ったアキラもまたその場所から立ち去っていく。その場に残っているのは本当に死体だけとなったが、一時間を経ずしてそれらもこの世界から消え去っていった。そうして最後に残るのは血の跡だけだったが、風雨にされされたそれが消えるのも遠い先のことではなかった。
July 31 at 17:00 40,353 / 100,013
「ええっと、それは何かな?」
「戦利品です!」
ジュンの問いに、甲斐は何の屈託もなくそう返答する。時刻は夕方、砦に戻ってきた甲斐をジュン達が出迎えたところである。
「『ガリバルディ』との話し合いはどうなったのかな?」
その確認に甲斐はまず首を傾げ、次いで「おお」と驚いたような声を出した。今の今まで忘れていたらしい。
「ええっと、決裂しました。とりあえず全員しばき倒して、武器と服を没収してきました。諏訪部さんにはこれを」
と一番サイズの大きい革のジャケットを差し出す。ジュンは引きつったようになりながらも「ありがとう」とそれを受け取った。
「その、殺したわけじゃないのかな?」
「ええ。動けなくしただけです」
その回答にギルドメンバーの一人が「それじゃ連中、そのうち仕返しに来るんじゃ」と不安げに言う。さらには「今のうちにこっちから攻めて皆殺しにしたら」という声も上がり、ジュンが眉を寄せた。
「いや、あれならすぐに全員モンスターに喰われて終わるだろうぜ」
ひょっこりと顔を出したアキラが一同にそう言う。アキラは呆れたような目を甲斐へと向け、
「あんな状態で放置しといて、『僕の手はきれいなままです』ってか? 直接殺すのと何が違うってんだよ」
「……その通りかもしれません。でも」
痛みを堪えるような甲斐に対し、
「でも、誰にでも譲れない一線はある。わたしは可能な限りそれを尊重したいと思う」
ジュンが暖かな笑みを甲斐へと見せ、アキラは何も言わず肩をすくめた。
「さて、門脇君。特に行く当てがなければうちのギルドに加わらないか?」
その誘いに甲斐は大きく目を見開き、次いで深々と頭を下げた。
「お世話になります、よろしくお願いします!」
「ようこそ、『グラーフ・ツェッペリン』へ! わたし達は君を歓迎しよう」
ジュンは満面の笑みで甲斐を迎え入れた。こうして甲斐はプレイヤーズギルド「グラーフ・ツェッペリン」の一員となることとなる。
血のように紅い夕陽が西へと沈んでいく。それを目指すようにして女が一人、荒野を歩いていた。アキラが「中尾」と呼んだ女性である。
「……奪わなければ、奪われる。わたしはもう二度と奪われる側にはならない。絶対に……!」
夕陽を見据える彼女の目はまるでルビーのように紅く――その瞳孔はまるで蛇のそれのようだった。だがそれを知る者はどこにもいない。
July 31 at 18:46 40,353 / 100,013




