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ナラカクエスト・オンライン  作者: 行
第一部 奈落彷徨編
5/31

第四話 July 28



July 28 at 10:16  61,058 / 100,013




「ん? あれは……」


 一人道を行く甲斐の目に、人の姿が映った。川が湾曲して岬のようになっている場所にちょっとした砦が建っている。砦の上には見張りと思しき人影が存在していた。

 どうしようかと考えつつも、甲斐は姿を隠すことなく堂々と前へと進む。やがて砦側でも甲斐の姿に気付いたようで、何人もの人間が集まってきた。人数は七、八人。粗末な木製の槍を持っている者もいる。だが先制攻撃をしようなどとは考えていないようで、そのうちに甲斐は砦のすぐ側までたどり着いた。

 甲斐の目の前には砦の塀が、石の壁がそびえ立っている。高さは二メートルを超えるが、今の甲斐なら乗り越えるのは容易なことだった。

 砦の上から身を乗り出した男が甲斐を誰何する。


「君は日本人……『ナラクエ』のプレイヤーのようだな」


「門脇甲斐。協力し合える他のプレイヤーを探している」


「私は田中理英たなか・りえいという」


 甲斐は砦の上の人物、田中氏と会話をした。田中氏は四〇代と見られる、凡庸そうで神経質そうな中年男だ。


「できれば砦の中で休ませてほしいんだけど」


「済まないがそれはできない」


 甲斐の要求に対し田中氏が即答し、甲斐が目を瞬かせた。


「今この中には戦える人間がいない。留守を預かる私はここの安全を最優先としなければならない」


 砦の上からは何人かの人間が顔を出し、おそるおそる甲斐の姿を伺っている。血で汚れたTシャツを着、抜き身のままの剣を提げている甲斐を警戒するのも、この状況下ではやむを得ないかもしれなかった。


「留守を預かる、ってことは責任者が他にいると?」


「そうだ。君をここに受け容れるかどうかは彼が判断する。夜までには帰ってくるだろう」


 甲斐は小さく肩をすくめ「判った」と頷いた。


「それなら夜まで待たせてもらう」


 甲斐は砦から少し離れた場所にある大きな木の木陰へと入り、座り込んでその木に背中を預けた。空きっ腹にうんざりしながらもひとまずの休息を取る。砦の上からは二人ほどが監視しているようだが、甲斐にとってはどうでもいいことだった。


「もしここにあいつがいたなら……」


 甲斐を殺そうとし、中村悠に殺されたあの男――杉山某という名前を甲斐が知る由もなく――もし彼が今ここにいたなら、即座に砦の中へと乗り込んで中にいる人間を全員斬殺していることだろう。田中氏の警戒はあまりに雑で、中途半端だった。

 さて、どうしようか、と甲斐は思案する。甲斐が砦の人達の仲間として受け容れられるかどうかは「責任者」の人の判断待ちだが、甲斐にもまた選ぶ権利はあるのである。


「モンスターと戦えるか、この状況から抜け出す考えが何かある人なら、仲間になる意味もあるんだけどな」


 逆に言えば、どちらかの条件を満たさないなら仲間になろう、仲間にしようとは思わない。中村悠と同行していたのは半ば成り行きであり、選べる状況なら甲斐でも選り好みをするのだった。

 田中氏や砦の内側にいる人達が条件に合致するか、現時点では疑問符が付く。他に確認するべきは「責任者」の人が該当するかどうかだが……。

 一休みをした甲斐はパンツ一丁で川に入って魚を手でつかみ取り、火を起こして丸焼きにしてそれを食った。砦からの物欲しそうな視線を感じるがそれは無視だ。そうして飢えをしのいでいるうちに半日が過ぎて時刻は夕方、太陽が西に沈もうとする頃。


「あれか?」


 甲斐がやってきたのと同じ道をたどって一人の男が歩いてくる。砦へと近付いてくる。夕闇の中ではっきりしないその姿は次第に明らかとなっていった。

 年齢は二〇代の半ばから後半。身長はおそらく一八〇センチメートルを超えるだろう。肩幅は広く胸板は厚く、良く鍛えられた屈強そうな体格だ。身にしているのは半袖の迷彩服と迷彩ズボン。靴は動物の革を使って自作したものと思われた。髪は短く角刈りで、その下にある顔はそれなりに整った、精悍そうな男前である……ただその顔色は疲労が蓄積した、冴えないものだったが。


「君は?」


 「責任者」と思しきその男が手にした荷物――ウサギや蛇や蛙など――を地面に置きながら甲斐に問う。


「門脇甲斐。見ての通り『ナラクエ』のプレイヤーだ」


堀江由樹ほりえ・よしき。そこの砦のリーダーのようなことをやっている」


 二人は簡単に自己紹介をした。堀江は「ふむ」と品定めをするように甲斐を見る。


「君は今、何カルマくらいになっている? レベルは?」


 その問いに甲斐は「えっと」と指折り数えて、


「……はっきりとは判らないけど、多分二〇カルマ近くにはなっていると思う」


 控えめに計算してそう答えた。もしこの世界でのカルマ獲得システムがβ版と同じなら、モンスター一体につき獲得できるのは一カルマ。もしそのモンスターが人間一人を殺してカルマを獲得しているなら、それを殺せば手に入るのは二カルマだ。

 例えば杉山某は何人かの人間を殺してカルマを獲得していたが、仮に殺した人数を四人とすると彼は五カルマ、レベル二のプレイヤーとなる。その杉山某を殺してカルマを奪い取った中村悠は六カルマとなる。そして中村悠を殺したスケルトンだが、それがその時点で五カルマだったとすると中村悠を殺したことによって一一カルマ、レベル三となり、それを殺した甲斐はそれだけのカルマを一挙に獲得したことになるわけだ――ただ、これはゲームではなく現実である。そのモンスターやプレイヤーが何カルマかがβ版のように判りやすく表示されているわけもなく、それは戦った感触で「多分このくらい」と推測することしかできない。実際に何カルマ獲得できて、今何カルマになっているかは誰にも知りようがないのである。


「それはすごいな。俺は多分一〇カルマをようやく超えたくらいだろう」


 堀江は素直にそう甲斐を賞賛した。ただその表情には嫉妬や羨望や、その他の複雑な感情が垣間見えていたが。


「もうこんな時間だ、砦の中で休んでいくといい――ただ、その剣は預からせてもらう」


 甲斐はその条件を是とし、堀江に剣を手渡す。甲斐は堀江の後に続いて砦の中へと入っていった。

 ……それから小一時間を経て、砦の内側の中庭のような場所。甲斐は堀江、その他の面々とともに焚き火を囲んでいる。

 砦内部の人数は堀江も含めて一〇人、そのうち三人が女性である。田中氏が一番年上のようで、最年少は亜衣と同年代の少年だ。他は二〇代から三〇代といったところで、この集団の中では堀江は若い方だった。見る限りでは全員かなり頼りなく、堀江以外に戦える人間がいない、というのは掛け値なしの事実のように思われた。


「結構立派な砦ですね」


「ああ、多少だが武器や食料も残っていた。ここを見つけられたのは幸運だった」


「だがその食料ももう残っていない」


 そう口を挟んできたのは田中氏だ。


「堀江君が手に入れてくる食料だけでは到底全員をまかないきれない。我々は戦える人間の協力を求めている。無事に生き残るために全員が力を合わせて」


「あなた達は戦わないんですか?」


 不思議そうに甲斐がそう問い、田中氏や他の面々は気まずそうな顔をした。


「……堀江君は自衛隊のレンジャーだ。我々などただの足手まといだろう」


「だからって何もせずに、堀江さんに養ってもらうだけなんですか? それじゃ本当にただの足手まといじゃないですか」


「何もしていないわけではない! 我々だって交替で夜の見張りをして、堀江君が充分に休息を取れるように」


「それも大事だろうけど、堀江さんの負担が重すぎる。このままじゃ堀江さんが押し潰されて、結局全滅するだけです」


 余所者が何を、と誰かが言う。だが明確な反論は返ってこなかった。誰もがばつの悪そうな顔で――


「この人の言う通りだ!」


 力強くそう言って立ち上がったのは最年少の少年だった。


「えっと確か、金田君」


金田朋也かねだ・ともやだ。――いつまでもこのままでいいわけなんかない。俺達だってモンスターを倒してカルマを獲得して、戦えるようになるべきなんだ。堀江さんだけに頼らずに自分の身は自分で守れるようになって、自分の食い扶持も自分で稼いで、その上でお互い得意なことで協力し合う。それが『力を合わせる』ってことだろ?」


 朋也の檄にも彼等は途方に暮れたような顔を見合わせるだけである。彼は「けっ」と舌打ちして甲斐へと向き直った。


「俺も戦えるようになりたい。戦い方を教えてほしい、頼む」


「戦う意志があるのなら協力する」


 甲斐の即答に田中氏が、


「その子はまだ中学一年だぞ、そんな子供に戦わせる気か!」


「それならあなたが戦うか? 俺はどっちでも構わないぞ」


 甲斐の問いに田中氏は言葉に詰まり、悔しげに唸っている。そのとき別の男が甲斐に質問した。


「協力すると言うが、具体的にはどうするつもりなんだ」


「剣の握り方や振り方を一から教えるような時間はありません。パワーレベリングで一気にレベルアップするしかないと思います」


 一同は戸惑った顔を甲斐へと向ける。田中氏は「ゲームじゃあるまいし」と呆れたように言うが、「この状況でそれを言うか」と甲斐の方こそ呆れるしかなかった。


「しかし門脇君。『ナラクエ』のシステム上パワーレベリングは成立しないんじゃないのか」


 ここで初めて堀江が口を挟んできた。確かに堀江の言うように、倒したモンスターのカルマをパーティメンバー全員に均等配分するシステムは『ナラクエ』β版には存在しなかった。それは甲斐も承知している。


「最後にとどめを刺した人がカルマを総取りする、β版のシステムとこの世界のあり方は共通していると思います――ここに来る前に俺はある女の子と一緒でした。俺が身動きできないようにした奴にその子がとどめを刺して、その子は一気にレベルアップをしました」


「その子は今どうしている?」


 堀江の問いに、


「……モンスターに殺された。レベルアップして自分の力を過信して油断して、レベルアップしていたスケルトンに」


 甲斐が痛みに耐えるように説明する。


「そんなことだろうと思った」


 と田中氏が嘲笑するように言うが、甲斐はもう彼を相手にしなかった。


「手早く安全にレベルアップする、都合のいい方法なんかない。どうやったって危険なことには変わりない。あるいは死ぬかもしれない、それを理解の上で、それでも強くなりたいのなら」


「強くなりたい、パワーレベリングをしてくれ」


 朋也は一片の迷いもなく、真っ直ぐに甲斐を見つめた。甲斐もまた決意をその目に込める。


「判った。俺もできるだけのことはする」


 田中氏が何やら文句を言っているがそれは無視し、甲斐は堀江へと向き直った。


「構いませんね?」


「……安全第一で。決して無理なことはしないようにしてくれ」


 彼はそんな物言いで甲斐の考えを承認、田中氏はまだ何か言いたげだったが結局沈黙を選んだ。その後、朋也だけでなく何人かがパワーレベリング参加を申し出てくる。甲斐は堀江の承認の上でそれを受け容れた。

 話し合いが終わり、何人かの見張りを残して就寝の時間となり。


「済まなかった。本当は俺が言うべきことでやるべきことだったのに」


 寝る前の甲斐を捕まえて二人だけとなって、堀江がそう言って頭を下げる。甲斐は「気にしないでください」と手を振った。


「モンスターと戦える人間が増えれば生き残れる確率は高まる。全ては無事に元の世界に、日本に戻るためです」


 堀江は思いがけないことを言われたように目を見開いたが、


「……そうだな。何としても元の世界に、日本に生きて帰らないと」


 呟くような言葉だったが、それには確固たる決意がにじんでいる。甲斐は少し安心した。


「それじゃ休みます」


「ああ、お休み」


 二人は挨拶を交わし、砦の中のそれぞれの場所で就寝する。彼等の頭上では、東京ではほとんど見えない星々と星座が何物にも遮られることなく輝いていた。










July 29 at 8:19  52,223 / 100,013




「それじゃ行ってきます」


「くれぐれも気を付けて」


 甲斐は砦の男達を引き連れて出発した。甲斐に同行するのは朋也の他に三人。死なない程度にモンスターを痛めつけ、彼等にとどめを刺させてカルマを獲得させてレベルアップをさせる、それが甲斐の役割だった。

 危険で責任ばかりが重く、はっきり言って甲斐には全くメリットのない行為である。この集団に見切りを付けて、一人でモンスターを倒してカルマを獲得した方が負担も少ないしより強くなれるし、その分より安全となる。それは甲斐も判っているのだが、


「……このまま見捨てるのも寝覚めが悪いしな」


 結局それが理由の全てであり、要するに甲斐はお人好しなのだった。


「一人でも二人でも戦えるようになれば彼等の中でパワーレベリングをして、俺がいなくても生き延びられるようにもなるだろうし」


 ただ、甲斐は堀江のようにこの集団を抱え込むつもりはない。甲斐にできるのは多少の手助けだけだった。


「ふん! ほっ!」


 と剣を振り回しているのは朋也である。モンスターと戦うために砦を出、朋也はハイテンションになっているようだった。


「こら、危ないぞ。それに余計な体力を使うな」


「ん、判った」


 朋也は素直に甲斐の指示に従う。自分と年齢の近い甲斐がモンスターを倒し、堀江よりも多くのカルマを獲得している。その事実は朋也にとって何よりの励みであり、また甲斐を尊敬する充分以上の理由であった。

 朋也の他の三人は槍や棍棒を手にしている。朋也の剣と槍の一本は砦に遺棄されていたもので、金属製。もう一本の槍は堀江の手製で、穂先は尖った石。棍棒に至ってはその辺で拾った木の棒を石で削って握りやすくしただけの代物だった。


「こんな武器でモンスターと戦うのは……」


「矢面に立つのは俺だけど、咄嗟のときに身を守って時間稼ぐくらいはしてもらわないと」


 モンスターと戦うことを決意した彼等だが武道経験者は一人もおらず、全員へっぴり腰だ。朋也は例外だが彼の場合は危機感が不足しているためであり、別の意味で甲斐を心配させた。

 砦から離れ、神経をすり減らしながら探索すること約一時間。彼等はようやくモンスターと遭遇した。


「GRURURURU……」


 そこにいるのは漆黒の全身と紅い眼を持つ大型犬、β版ではブラックドッグと呼ばれていたモンスターだ。


「こいつか。できればスケルトンの方が良かったんだけど」


 甲斐は剣を構えてブラックドッグと対峙、モンスターもまた姿勢を低くして戦闘態勢となる。次の瞬間、同時に動いた両者の影が空中で交差した。


「GRURURURU!」


 ブラックドッグは悲鳴を上げながら墜落し、顔面から地面に突っ込んだ。その前肢が二本とも剣に断たれ、失われたからだ。


「奥義、沙羯羅王しゃがらおう剣……」


 適当な技の名前を呟きながらブラックドッグへと歩み寄る甲斐。哀れなモンスターは這いずるように逃げようとしている。


「もらうぞ、お前のカルマを……俺じゃないけど」


 剣を構えた甲斐が視線で合図を送り、朋也は固唾を飲み込みながらも頷いた。


「でえええいいぃぃ!!」


 朋也は渾身の気合いと全身の体重を込めて、ブラックドッグの頭部へと剣を垂直に突き通す。モンスターはかすれた悲鳴を上げて倒れ、その身体から光の球体が吐き出された。そしてそれは朋也の身体へと吸収され、


「わわわわ!!」


 朋也が驚いたような、くすぐられたような変な声を出す。彼の身体は一瞬光を放つがそれはすぐに収まった。


「金田、どうだ?」


「……すげえ。すげえすげえすげえええ!!!」


 レベルアップを果たした朋也はテンションもまたマックスとなり、いきなり走り出した。そのまま大木の幹を駆け上がって宙を飛んで、二回転して着地する。その体操選手のような身のこなしは今までの朋也では不可能なものだった。


「すげえよ門脇さん! これだけの力があるならどんなモンスターが出てきたって」


 甲斐がデコピンを喰らわせ、額に穴が空きそうなその痛撃に朋也は涙目となった。


「俺の話を聞いてなかったのか? 俺の連れは増長して油断して、モンスターに殺されたって説明しただろう?」


「はい、気を付けます」


 ならばよし、と甲斐は他の三人を見渡す。


「今日中にできれば全員レベルアップしてもらいたいです。次のモンスターを探します」


 その三人が頷き、甲斐の先導で彼等は再び歩き出した。

 ……どのくらいの時間歩いたのか正確なところは判らない。だが太陽が中天に達しており、時刻は正午に近いものと思われた。


「なかなか見つからないな」


 道中果物を摘んだり小動物を狩ったりもしており、無駄な時間を使ったわけではない。だがもう半日が経ち、そろそろ引き返すことを考える時間だった。全員と言わないまでも、せめてあと一人二人レベルアップしておかないと……と甲斐はモンスターの出現を切に願っている。


「門脇さん、何かが近付いてくる」


 朋也の警告に甲斐は「すわモンスターか」と喜び勇んだ。剣を構えてそれの接近を待ち構える甲斐だが、怪訝な顔で首を傾げる。


「この足音……人間?」


 茂みを割って姿を現したのは――人間の形をしていたが人間ではなかった。小学生のように小柄な体格で、持っているのは粗末な槍や弓のモンスターが五匹。それはスケルトンと並ぶ雑魚モンスター、ゴブリンだ。


「Kikikikiki!」


 ゴブリンが金属的な啼き声を上げて襲いかかってくる。甲斐は反射的に剣を閃かせて二匹を倒した。うち一匹は致命傷を負いそのカルマは甲斐へと流れてしまうが、もう一匹は片足を断ち斬られて地面に倒れ伏している。


「誰かとどめを!」


 甲斐の指示に三人の男達は硬直するだけで動けない。舌打ちをした朋也が素早く動き、そのゴブリンを斬り殺した。その間に甲斐は残りの三匹を追っている。


「こいつは引き受けた!」


 うち一匹は追いついてきた朋也に任せ、残るは二匹。それらに迫った甲斐が剣を二度振るい、一匹は力加減を間違えて殺してしまったがもう一匹は浅く斬られただけだった。倒れたその一匹は土下座の姿勢となって涙を流し、命乞いをする。もう一匹は既に朋也が始末し、残ったのはこの一匹だけである。


「誰か、こいつにとどめを」


 甲斐が指示をし、まだキルスコアのない一人が前へと進み出た。彼が槍を高々と振り上げて、力任せにそれを突き通す。


「Kikikikiki!」


 血が流れ、ゴブリンが断末魔の悲鳴を上げた――ように見えた。だが槍の穂先は胴体を外れ、ゴブリンの脇と腕を切っただけだったのだ。発条のように起き上がったゴブリンが男の喉に食らい付く。彼は悲鳴を上げることもできないまま倒され、その身体から吐き出された光の球体がゴブリンへと吸収された。


「宮村!」


「宮村さん!」


 朋也も含めて誰も動けない中で甲斐は剣を一閃してゴブリンの首を断つ。それから吐き出されたカルマが甲斐のへと吸収され、その量に甲斐は苦い顔をした。


「こいつ、これだけのカルマを……」


 おそらくは何人もの人間を襲い、レベルアップを遂げていたのだろう。外見だけでは判らなかったが、普通のゴブリンよりも強い力、素早い動き、高い知能を持っていた。槍に刺された振りをして油断を誘い、一矢報いることができたのもそれがあればそこだったのだ。


「宮村、宮村……」


 二人が懸命に呼びかけをするが、倒れた男――宮村氏がそれに応えることはない。甲斐は言葉もなくその光景を前に立ち尽くすだけで、その横顔を朋也が心配そうに見つめている。

 誰に責められるまでもなく、甲斐は自分自身を責めていた。その身体はわずかに震え、その歯は折れる寸前の軋みを上げている。

 パワーレベリングはこれで打ち切りとなり、甲斐は倒れた宮村氏を担いで砦への帰路に就く。その道中、彼の遺体は光の粒子となってこの世界から消え去り、砦へと帰還することはなかった。










July 29 at 18:21  48,428 / 100,013




「だから私は反対したんじゃないか。こんな子供の言うことを真に受けて、こうなることは目に見えていたのに。宮村君はもう帰ってこないんだぞ、君はどう責任を取るつもりだ?」


 甲斐達は朝に五人で砦を出発し、日が暮れて帰ってきたときには四人となっていた。田中氏は鬼の首を取ったように甲斐を責め立て、甲斐は一言の反論もない。


「危険は最初から承知の上だっだろ」


「できるだけのことはする、と彼は言ったのに結果はこうだ。それは何故だ? 彼ができることを怠ったのか、あるいは大口を叩くだけでそもそも大した力がなかったのか、どらちかということだろう」


 甲斐の代わりに朋也が懸命に反論するが、中学生の朋也が最年長の田中氏に口論で勝てるはずもない。言葉に詰まる朋也は怒りを募らせた。


「俺はレベルアップをして戦えるようになったぞ」


「私からすればそれもまた判断ミスだ。大人の三人からレベルアップさせれば堀江君の力にもなったし、宮村君だって死ぬことはなかったんだ。君のような子供をレベルアップさせて何になる」


「てめえ……!」


 小馬鹿にした物言いに我慢の限界を越えた朋也が田中氏に掴みかかる。襟首を掴んだ朋也が田中氏を締め上げながら持ち上げ、


「そのくらいにしておけ」


「金田君、止めるんだ」


 手を出す前に朋也を抑えることもできたのだが、甲斐は二、三秒数えてからようやく彼を制止した。なお堀江が動いたのは甲斐とほぼ同時である。


「少し席を外します」


「頼む」


 堀江に断り、朋也を引きずるようにして移動。声の届かない砦の端へとやってきて、甲斐は彼を解放した。


「何で止めるんだよ! あんなに好き勝手に言われて、あんな奴ぶっ飛ばしてやれば!」


「そんなことをさせるためにパワーレベリングをしたんじゃない」


 甲斐の静かな、だが決然たる言葉に朋也は何も言えなくなった。


「でも……」


 悔し涙を溜めた朋也が顔を俯かせ、甲斐はそんな彼に笑いかける。


「ありがとうな。俺の代わりに怒ってくれて」


 朋也は毒気を抜かれたような顔となり、やがてため息をついた。


「門脇さんはお人好しが過ぎると思うな」


 そうか?と首を傾げる甲斐の一方、朋也は「俺がしっかりしないと」と拳を握り締める。その姿に自然と妹のことを想起し、甲斐は微笑ましい気分となった。

 朋也の気持ちが落ち着いたのを確認して甲斐は砦の中庭のような場所へと戻ってくる。その甲斐に対し、


「門脇君。我々は君を仲間として迎え入れることはできないという結論に達した。この砦から早急に出ていってもらいたい」


 田中氏の通告に甲斐は目を瞬かせる。せっかく静まった朋也はまた怒りを沸騰させるが甲斐は無言でそれを制止した。


「我々、というのは誰のことだ?」


「この場にいる全員で話し合った上での結論だ」


 甲斐は一同を見回すが、田中氏を除いては気まずそうに目を伏せている。「甲斐を追い出す」というのは田中氏が強硬に主張して押し通した結論なのだろうと思われた……ただ、反対する者もいないようだったが。


「堀江さんも同意見なんですか?」


「俺としては君に残ってほしい……」


「いくら堀江君でもみんなで決めたことには従ってもらわなければ困る」


 堀江の言葉を遮るように田中氏が声をかぶせる。堀江はそれ以上何も言えず、甲斐もまた何も反論することなく「判りました」と頷いた。

 荷造りをするような荷物があるわけでもなく、旅の道連れは一本の剣だけだ。砦を発とうとする甲斐を見送るのは堀江一人だった。


「……済まない」


「謝らないでください。俺が宮村さんを守れなかったのは事実です」


 甲斐は、パワーレベリングはこの砦の人達にとって最善だと考えた。彼等を守るために全力を尽くした。だがその結果は宮村氏の死であり、甲斐は「自分はどこで間違ったのか」と後悔に囚われている。


「俺がよかれと思ってやったことは、田中さんや宮村さんにとっては余計なお世話だったみたいです。俺がいない方がいいって判断するならそれに従うまでです」


「君は何も間違っていない。間違ったのは彼等を甘やかした俺の方だ」


 驚きに目を見開く甲斐に、


「ここに残って、俺を助けてくれないか。このままじゃあの連中に押し潰される」


 堀江はすがるような目を甲斐へと向け、甲斐はさらに目を見開いた。こぼれんばかりに開かれた目は、やがて横へと伏せられる。


「……済みません。ここの人達みんなを助けられるほど、俺には力はありません」


「済まない、益体もないことを言った」


「いえ」


 そんな気まずいやりとりを別れの挨拶とし、甲斐は堀江から逃げるように早足で砦を出た。いや、逃げる「ように」ではなく、まさしく甲斐は堀江から、その砦の人達から逃げ出したのだ。

 だが一つの人影が逃げる甲斐を追った。砦から百メートルも離れないうちに、


「門脇さん!」


 誰かに呼び止められる。足を止めて振り向いた甲斐へと急接近するのは朋也であり、彼は衝突寸前で急停止した。亜衣ならこのまま体当たりしているな、そう言えば何も言わずに別れたな、等と甲斐が考えていると、


「俺も一緒に行く!」


 突然の宣言に甲斐は目を丸くした。


「でも金田」


「このままここにいたんじゃ堀江さんみたいにあいつ等にいいようにこき使われて潰されるだけだ。俺も門脇さんと一緒に行く」


「でも、危険だぞ。モンスターに同じプレイヤー。俺より強い奴だって出てくるかもしれない」


「ここにいたら絶対安全、って言うのか?」


 甲斐は沈黙するが、それがその問いに対する答えだった。


「モンスターはどんどんレベルアップしてどんどん強くなっていく。こんな砦なんかすぐに役立たずになるのが目に見えてるだろ。生き残るためには今、弱いモンスターを狩ってレベルアップするしかない。今日ならまだ間に合う、でも明日にはもう遅いかもしれないんだ」


 確かにそうだ、と甲斐は内心で同意する。スタートダッシュで付いた差はまともな手段では埋まらない、というのはβ版でのセオリーであり、それは今の現実そのままだった。


「判った、一緒に行こう――ただし」


 顔を輝かせる朋也に甲斐は条件を一つ出した。


「堀江さんにはちゃんと断ってこい」


 朋也はまず「むー」と呻り、「でもそれもそうか」と納得した。


「でも堀江さんが許してくれなくても俺は一緒に行くから!」


「判った判った」


「この際だから堀江さんも一緒に来るよう誘ってみる!」


 それが一番かも、と甲斐は笑う。


「待っててくれよな!」


 朋也は剣を振り回しながら走って砦へと戻っていき、甲斐は苦笑半分でそれを見送った。

 その後、甲斐は砦近くの大きな木――それは昨日堀江を待ったときと同じ木だ――その下に座り込んで朋也を待った。大あくびをし、うとうとしながらもモンスターを警戒し、眠りはしない。


「……結構時間かかるな」


 正確な時間は判らないが、もう一時間は経っているかもしれない。話し合いがこじれているのだろうか、と何十回目かの視線を砦へと送り、


「――!」


 甲斐は跳ねるように立ち上がった。砦から煙が上がっている……いや、元々上がっていたのだが、いつの間にかそれが非常に大きなものとなっていた。煙に煽られた火の粉が空に舞い、輝いている。単なる焚き火ではない、何かに燃え移っているのだ。


「金田!」


 甲斐は砦へと向かって走り出した。ほんの十秒足らずで砦へと到着した甲斐は歩哨のいない塀に手をかけ、あっさりと乗り越える。甲斐は砦の内側に着地し、


「か、かねだ……」


 そのまま絶句した。血まみれの朋也がうつぶせで倒れている。朋也だけではない。田中氏や他の人間も、誰もが血を流し、地面に倒れていた。

 朋也は大きく目を見開き、何が起こったのか判らない様子だった。田中氏は苦悶の表情で、他の人達は恐怖、絶望、諦念、憤怒、その他様々な思いをその顔に貼り付け……まるでまだ生きているかのような生々しさで、彼等は死体となっていた。

 流された血で辺りは一面血の海のようだ。焚き火は集められた薪に延焼し、燃え広がろうとしている。血の赤、炎の赤……赤だけで塗り潰された視界の中で、一つだけ黒いものがある。黒い人影がたたずんでいる。


「堀江さん……」


 堀江は血に塗れた剣を提げ、呆然としているようだった。どういう経緯があったのかは推測するしかないが、結果だけは嫌と言うほど判る。


「堀江さんどうして……どうしてこんなことを」


「だって、仕方ないじゃないか。他に方法がなかったじゃないか。あのままじゃ俺はこの連中に押し潰されるだけだった。この連中は『自衛官なら市民を守るのは当然だ』と俺に寄生するだけで、自分達では何もしようとせず……!」


 堀江は自分自身に言い聞かせ、説得するように弁明をする。甲斐の存在は堀江の意識にはないかのようだ。それでも甲斐は問わずにはいられなかった。


「でもどうして金田まで、あいつは堀江さんの負担にならないようにって」


「この連中を俺に押しつけて自分だけ逃げようとしたんだろう? そんなの許せるはずが……いや違うんだ、こんなことをするつもりは……」


 堀江は頭を何度も振って顔を掌で覆う。錯乱しているのか、と甲斐は疑った。


「モンスターもプレイヤーも淘汰されて、生き残った者はどんどんとレベルアップしていく。このままでは誰も守れず、何もできず、結局全員死ぬだけだったんだ。それなら彼等のカルマを俺がもらって何が悪い。俺はもう除隊したんだ、市民を守る義務なんかない……!」


「見捨てても良かったんだ」


 甲斐の言葉に堀江は胸を突かれたようになった。大きく目を見開いた堀江がようやく甲斐へと意識を向ける。


「田中さん達のために自分を犠牲にする義務が堀江さんにあるわけがない。この砦は田中さん達に任せて、俺と金田と一緒に来ても良かったんだ。金田を殺していい理由なんかない。殺していい権利なんかあんたにはない」


 甲斐は剣の切っ先を堀江へと向け、堀江もまた剣を抜いた。二人が剣を向け合い、対峙する。消されることのない炎は燃え広がる一方だった。


「確かに金田君くらいは見逃しても良かったかもしれない」


「田中さんだって他の人達だって、殺されるほどのことはしていなかった……見捨てられても仕方なかったけど」


 その付け足しに堀江は苦笑した。


「君の言う通りだ。俺のしたことは大きな間違いなのだろう」


 堀江が錯乱状態から抜け出し、明確な受け答えをする。揺るぎない意志と決意を宿した黒い瞳が真っ直ぐに甲斐を見つめた。


「だがそれでも、俺は死ねない。生まれたばかりの娘がいるんだ、重い病気なんだ。百億はもう手に入らないとしても、二人を残して死ぬわけにはいかない。どんな汚い手段を使ってでも、俺は必ず生き残る……!」


 堀江の殺気が刃となって甲斐の心臓を射貫く。汗が流れるのは炎の熱のせいだけではなかった。一度に九人分のカルマを獲得し、堀江がレベル四を超えたのは間違いない。カルマの数値では多少有利として、問題となるのは素の戦闘能力だが、


「……勝てるのか、この人に?」


 堀江は自衛隊のレンジャーという戦闘のプロだ。本気の殺し合いでそれに勝てると考えるほど、甲斐は自分の力を過信しなかった。

 一体どのくらいの時間、そうやって対峙していたのだろうか。不意に堀江が笑みを漏らし、甲斐に背を向けた。隙だらけのその姿に、甲斐は剣を強く握り締め……


「やっぱりか。君は人を殺したことがないんだな」


 甲斐は何も答えないが、堀江は回答を必要としなかった。堀江はそのまま遠ざかっていく。甲斐は思わず「堀江さん」とその名を呼んだ。


「君と戦っても勝つ自信はあるが、必ず勝てるとは限らない。今はそのリスクを取る必要はない」


 そう言って歩き出す堀江に、甲斐はもう一度その名を呼んだ。


「君とはもう二度と出会わないことを願っている」


 甲斐は三度堀江の名を呼ぶが彼はもうふり返らなかった。炎の中に堀江の背中が消えていくのを甲斐はただ見つめるだけだ。甲斐はその場に立ち尽くすがそれも長い時間ではなかった。砦全体に炎が燃え広がり、甲斐はそこから避難する。砦が完全に焼け落ちて沈下したのは夜が明ける頃だった。










 東から昇る太陽が廃墟となった砦を照らす。甲斐はその近くの大木に背中を預け、わずかばかりの休息を取っていた。太陽が移動して強い光が甲斐の顔に浴びせられる。甲斐は顔をしかめながら立ち上がった。


「……朝か」


 甲斐はおぼつかない足取りで歩き出した。その行き先には何の当ても、展望もない。何のために歩いているのかも判らなくなってくる。


「何のため……何のため」


 二人を残して死ぬわけにはいかない――堀江の言葉を思い返し、甲斐もまた家族の顔を思い浮かべる。甲斐の歩みは自然と力強く、確固としたものとなった。


「亜衣、親父、お袋……みんなを残して死ねない」


 特に亜衣は、「自分が『ナラクエ』をやらせたから」と気に病んでいるかもしれない。甲斐が死体となって帰ったなら妹がどれだけ傷付くことだろうか。それを考えればこの異世界で果てるなど、論外だった。


「必ず生きて帰るんだ、自分の家に!」


 その行き先には何の当ても、展望もない。だが目指すべき場所は明確だった。甲斐は朝日の光の中を、着実に前へと進んでいく。




July 30 at 07:04  47,031 / 100,013


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