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あと4日

卵を焼く匂いで目が覚めた。


久しぶりによく眠れた。

何時だろうと思い携帯を手に取った。母からラインが来ていた。


『連絡がないから不安になりました。次からは連絡するように。いやでも次はないか。お友達と一緒なら安心です。ご迷惑をかけないように』


怒っていないようで安心した。

多分父も帰って来ていないのだろう。父なら私がいないと分かるとすぐに連絡を寄越してくるから。


乱れた浴衣を整え、顔を洗い、化粧をした。


「よし」


化粧は女の武装だ。



「おはようございます。何か手伝えることはありますか」


工藤さんに声をかけながら台所へ入った。だが見た限りではほとんど出来上がっていた。


「おはようございます。そうですね、それならご飯をよそってもらえますか」


工藤さんの手伝いをしていると、既にきっちりとスーツに身を包んだ本庄が来た。


「よう、お前も手伝ってんのか。よく眠れたか?」


「おはようございます。ええ、おかげさまで」


食卓にご飯を並べた。工藤さんは、組長のところで食べると言ったので、また本庄と2人でご飯を食べた。

ちゃんとした美味しい朝ごはんを食べたのは久しぶりだ。

私は本庄に話しかけてみた。


「あの、今日一度荷物を取りに家に戻りたいのだけど」


「車を出してやるから、俺もついて行く」


昨日の件でその返答は想定内だった。


「そういえばお前、親には何て説明してるんだ」


「友人のところにお世話になってるって言ってるわ」


「……そうか。朝食終わったら30分後に玄関前に来い」


30分で準備なんて無理だと思ったけど、すでに化粧はしていたし、着替えは制服しかなかったから、実際30分もかからなかった。



「思ったより早かったじゃねえか」


「頑張ったわよ」


半目で睨んでやった。

家はどこだと言われたが、説明しにくかったので、ナビに入力した。


「お前、郊外に住んでたのか」


「言ったじゃない、お金持ちじゃないって。とても中心街なんかに住めないわ」


車のエアコンがじんわりとかいた汗に気持ちいい。今日も暑いらしい。


「言っておくけれど、うちは本当にひどいから。貴方、外で待ってた方がいいわ」


「いや俺も行く。オタクのお嬢さんを預かってますって挨拶しなきゃなんねぇしな。それに、」


「それに?」


信号待ちで本庄はこちらを向いた。私は眉をひそめて聞き返した。


「お前今朝から顔色が悪い。しかも悪化してるぞ」


「気のせいよ、お気遣いありがとう」


昨日化粧品も買っておけば良かったなと後悔した。



高速に乗って30分ほどで私の家に着いた。やはり父の車はなかった。

本庄は家の駐車所に車をとめて、運転席から降りた。折れるつもりはないらしい。


「母はちょっと変な人だから。あまり気にしないでほしいわ」


鍵を開けた。久しぶりに家に帰ると分かる。生ゴミの臭いが充満している。


「……っ、ただいま」


「おかえりなさい、あら?」


母が出て来た。母は私の横に立つ、スーツ男に気づいたらしい。


「はじめまして。娘さんとお付き合いさせていただいてます。本庄義秋です。ご挨拶が遅くなりまして申し訳ありません」


驚きのあまり私は何も言えなかった。幾ら何でもその嘘はないだろう。


「まあ!まあ!そうだったの!うちの娘ったら何も言わなくって、友だちとしか言わなかったから。さ、上がって」


母は三人家族なのに五足出ている靴を端に寄せた。


「……お母さん、私は自分の部屋に行くから」


本庄は母についてリビングに入った。

私は手で口をふさいで階段を上がった。


私の部屋は幸い生ゴミの臭いはしなかった。

カーテンを開け、窓を開け換気をした。南部屋だから、とにかく暑い。


父の部屋から私の3泊4日用のキャリーバッグを持ってきた。

数日分の下着、セーラー服の上衣の替え、靴下を詰めた。それでもかなり余裕があったので、お気に入りの服を数着と文庫本を数冊入れた。どこか旅行へ行くみたいだ。


キャリーバッグを持って階下に降り、玄関に置いた後、リビングに入った。

洗濯物が干しっぱなしで、室内は暗然としていた。

まあまあ話が弾んでいた二人に声をかけた。


「何の話をしていたの」


「いろいろと、ね」


本庄をチラッと見たが、目を合わせてくれなかった。


「あと4日、本庄さんのところで過ごすのでしょう?良いわよ」


母は笑ったが、私は恐怖しか感じなかった。


「ほん……義秋さん、私は母と話があるので、玄関にあるキャリーバッグを持って、先に車に戻っていてくれませんか」


本庄は、ああ、とだけ言ってリビングから出て行った。



「お前は!」


本庄が出て行ったと分かった瞬間、母親にいきなり掴みかかられた。


「うっ」


「誰のおかげでここまで育ったと思ってる!美しく、賢く育ったのは私のおかげだろ!それなのにお前ばかりちやほやされて……。父親だけでは飽き足らず、今度は男を作って!醜悪で小賢しい女狐め!死ね!死ね!死ね!死ね!」


母は私を何度も何度も引っ叩いた。


「うるさい!!!!」


興奮で手が緩んだ隙をついて、突き飛ばした。


「うるさ……い!う……るさ……」


過呼吸になっていくのが分かった。

倒れ込んだ。手足が動かない。唇すらも動かない。激しい憎悪だけがある。

意識が遠くなってきた。誰かの声がぼんやりと聞こえた。



目を開けると朝と同じ天井が見えた。

横に本庄がいたので、声をかけようとしたが声は出なかった。


「取り敢えず、水飲め」


差し出された水を飲んだ。


「ちゃんと荷物も運んできたぞ、ほら」


本庄が指し示した方を見ると、たしかにキャリーバッグがあった。


「……なんだあの家は、母親は」


「言ったじゃない、変な人だって」


「アレは度を越している、お前は気づいていないかもしれないが、あの家に行ってから、貼り付けた笑顔すらもないぞ」


「……そう」


私は布団を握りしめた。


「組長さんには申し訳ないけど、今日はお休みでもいい?」



本庄が部屋から出て行ったあと、制服を脱ぎ、浴衣に着替え、再度布団に横になった。

幾筋か涙が流れた。



小一時間ほど眠ったらしい。

気分が少し落ち着いていた。


汗を流すために風呂に入り、化粧を直し、浴衣を着て部屋を出た。



「今日はえらく普通の和食だな、工藤」


相変わらず暑苦しいスーツを着た本庄が台所をのぞいた。


「いえ、今日は青池さんに作っていただきまして」


「お世話になっているのだからと思って。あら、気に入らなかったら残していいわよ?」


「……気に入らないとは言ってない」


工藤さんは笑ったあと、組長にも渡してきますと言って出て行った。


私は料理に手を付けずに、本庄が食べるのを見つめていた。


「どう?」


「思ったより美味しい」


「思ったよりは余計よ。料理には自信があるのよ。毎週調理実習があるし、……母親は料理が下手だし。美味しいでしょ?良かった」


私も食べ始めた。やっぱりおいしい。


「もう、平気なのか?」


「ええ、ありがとう。貴方がいなかったら、多分私危なかったわ」


「お前に戻れと言われた時、お前の(まと)う雰囲気が違ったから、家を出た振りをしていたんだ。……すまない、もう少し早く入っていれば」


本庄は苦虫を噛み潰したような顔をした。


「貴方が謝ることではないし、謝るべきなのは私よ。巻き込んでごめんなさい」


「リビングにあった大量の薬はお前のか?飲まなくて平気なのか?何故飲まない?」


珍しく必死な顔をした本庄に少々面を食らった。


「死にはしないし、アレ副作用が結構キツイのよ。ここに来てからは必要なかったし」


「アレを飲むべきなのは、お前の母親じゃないのか」


「母に言わせると『お前は頭がおかしい』んですって」


「……お前の母親は異常だ」


「ええ、そうね」


「お前の母親と話しているうちに分かった。アレはお前に執着して嫉妬しているのだろう」


「そうね、的確だわ」


「……お前が殺したいのはあの母親か?」


「それは最後のお楽しみよ」


本庄はまたしかめっ面をした。


「お前の父親は?」


「ふふ、質問攻めね。職業はシステムエンジニアよ。顔は私にそっくり。性格は似ていないけれど」


「父親はどんな人だ?」


「そうね、良くも悪くも単純な人よ。そして多分、気まぐれでも私を一番愛してくれた人」


不意に寂しくなって俯いた。


「貴方のお父さんやお母さんはどんな人?」


「……父親は、母親と俺を大切にしてくれた。母親は、美しい人だった」


本庄は私をまっすぐ見て言った。



夕飯を終え、工藤さんの洗い物を手伝ったあと、縁側に出て夜風に当たっていた。


「おや、みのりさん」


「組長さん、起きられて大丈夫ですか?」


「私も夜風に当たりに来たんだ」


そう言って私の横に腰を下ろした。

中途半端な形の月が私たちを照らしていた。


「……あの、本庄さんと組長さんはどのようなご関係、なのですか?」


組長は目を細めた。


「あの子はね、7歳の時にうちに来たんだ。あの子の母親が死んだ時に引き取った。……あの子の母親は私の娘だった」


組長は何かを思い出すように、月に照らされた庭を見ていた。


「娘はこの世界が嫌で、ある日うちを飛び出したんだ。そしてカタギの男と結婚した。私は娘の行方は知っていたが、放っておいた。それが娘のためだと思ってね」


組長は眩しそうに月を見上げ、手を伸ばした。


「だが娘はあっさり死んでしまった。旦那もろとも事故でね。息子ひとり残して。それからどうにかしてうちに来たんだろう、あの子は。俺が娘の死を知ったのは、あの子がうちに来てからだったよ」


「本庄さんは、組長さんが実の祖父だと知っているのですか?」


「分からない。勘付いているかもしれない。娘とその夫が死んだのは、もしかしたら私のせいかもしれない。そう思うと告げるのが怖くてね」


組長は首に手を当てた。その仕草は本庄とそっくりだった。


「組長さんが本庄さんを大切に思っていることは分かりますし、本庄さんも組長さんを大切に思っているのでしょう。……正直なところ羨ましいです」


目を伏せた私に組長は口を開いた。


「私は君が銃を求めていると聞いたとき、私やヨシアキを殺すのではないかと思ったんだ。でも違うのだろう?」


「ええ、神に誓って」


組長は微笑み、私の目をまっすぐ見て言った。


「君に二つ頼みがある。私はまもなく死ぬだろう。一つは、私が死んだらヨシアキに真実を話してくれ。私は臆病者だから出来そうにないんだ」


私は何も言わずに頷いた。


「もう一つは、……ヨシアキを頼む」



組長が去った後も、私は一人縁側にいた。ここから地球を滅ぼし、()()()()偉大なる隕石は見えなかった。

代わりに組長がしたように月に手を伸ばした。

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