第25話:剣士の町とお嬢様
一行は途中野宿をすることになったが、翌日の昼前にはついに、その地に足を踏み入れることとなった。
「…………」
橙色が鮮やかなレンガ造りの小さな家が立ち並ぶ。その庭先にはどこも綺麗に花を植えてあって、それもまた色鮮やかだ。目を移すと黄土色の畑と緑の牧場が広がっていて、ここからだと小さくだが羊らしきものの群れも見える。さらに向こうの、ちょっとした丘の上に目をやると、クオにとっては特に懐かしい白い教会の時計台が見えた。その後ろにはいまだ開拓されていない険しい山が聳え立っている。
彼がこの町を出た時とほとんど変わらない風景が、そこに広がっていた。
剣士の町は、人口こそ今では減っているが、小さな町では決してない。というのも、この付近にはタートル・タウンに住む貴族よりももっと昔から血を繋いでいる貴族が沢山住んでいて、その御用達の町でもあるからだ。
「へー、随分と小奇麗な街ね。さすが貴族が近くに住むだけあるわ」
と、ソラが若干興奮気味にあたりを見回す。
「綺麗なのはいいが何か食べられる所はないのか? さっきから腹の虫が鳴きやまん……」
と、げんなりした顔でベインは言う。
「クオ、お前分かるだろ? 案内しろ」
とアシュアもそう指示するので
「……分かった」
仕方なくクオは先頭を歩き出した。
が、実のところ彼としては、こそこそと隠れて歩きたいくらいだった。というのも……
「……お? おい、あれ」
畑の前を通り過ぎるとそんな声が聞こえだした。
「クオちゃん……? クオちゃんじゃないかねえ?」
「ほんとだ! おーいクオ坊!!」
と、畑仕事をしていたおじさんおばさんにこのように次々と呼び止められるのだ。
立ち止まったが最後、いつの間にかクオ達の周りには人だかりが出来ていた。
「……ちょ、なんだこれは」
アシュアとアッシュが人ごみにまかれてかなり不機嫌そうに呻いたのが聞こえるが、今のクオにはそれに答える余裕すらない。
「クオ坊、よう生きとったな! 連絡も全くよこさんから長老様も心配しとったんだぞ? もしかしたらどっかで行き倒れとるかもしれんとかで……」
「あんた縁起でもないこと言うんじゃないよ! せっかくこうして無事に帰ってきてるんだからさあ?」
「そうじゃそうじゃ。ところでもう契約は済ませたんか? まだじゃったら急がんといかんぞ?」
次々と町の人々が口を開くのでクオは困ってしまった。すると
「おいおい皆、こちらのお嬢さん、契約のイヤリングをつけていらっしゃるぞ!」
中年の男がアシュアを半ば強引にクオの横に押しやった。
「な、なん……」
アシュアが反抗する前に
「おお! 貴女がクオ坊の主様ですか! はあ、なかなかしっかりとした面持ちで……」
「いやほんと、良い人を選んだねえ、クオちゃん」
またしても次々と色んなことを言われるので彼女も黙り込むしかなかった。
そんな状態がしばらく続いた後、ようやく一行は解放されて、クオの案内で町の食堂に入った。
「なんだったんだあれは」
と、アシュアは席に座った途端愚痴をもらす。
「クオ坊とかクオちゃんとか呼ばれてたな。お前人気者なのか?」
と、ベインが冗談半分な感じで尋ねる。
「うーん。なんていうか、俺、町の人皆に育てられたって感じだからさ」
クオはそう言った。
「?」
アシュアはふと気付いた。故郷に帰ってきたというのに、彼は『家に帰る』ともなんとも言わないことに。
「お前、家には帰らなくていいのか?」
「え、ああ。家ってものでもないけど、あとで挨拶に行くよ。神父様のところに」
「……神父様? って教会の?」
今度はソラが少し驚いたように尋ねた。
「うん。俺、丘の上の教会に住んでたんだ」
クオは淡々と言う。
なんだか3人は詮索しにくくなってきて、食堂の従業員が持ってきた水をそれぞれ同時に飲み始めていた。
軽く食事を終え、アシュアとクオは一度雇い主に会いに行くというベイン達2人と一旦別れることにした。
一旦というのは
「どうせ宿はこの町でとらなきゃだし、せっかくだから同じ部屋にしない? 部屋代割り勘で浮くし」
と、ソラが提案し、夜にはまた顔を合わせる予定だからだ。
「俺は今から教会に行ってくるけど……」
とクオが切り出すと
「……じゃあ私はこの辺ぶらついてくる」
とアシュアが周りに広がる牧場を眺めながら言った。
「え、アシュア来ないのか? 教会」
「私が行っても仕方ないだろ」
「そんなことないぞ。神父様にアシュアのこと紹介したかったんだけど……」
それを聞いてアシュアは少しばかり顔を赤らめた。
「な、そういうのは別にいらん! いいからお前1人で行ってこい! 私は行かない!」
つまるところそういうのが恥ずかしいのだ。
「? ……まあ、そんなに嫌ならいいけど……。じゃあすぐ戻るから。この辺にいてくれよな、あんまり遠くに行くなよ」
クオはそう念を押して早足で丘のほうへと歩いていった。
その背中を見送りながら、アシュアは思う。
(……なんだかんだであいつのこと、あんまり知らないんだよな……)
かといって今さら本人に聞けるわけでもなく、仕方ないのでアシュアは適当に歩を進めた。
のどかな町だった。貴族が近くに住んでいるというが、タートル・タウンのような腐敗ぶりなどこのあたりには全く見当たらない。恐らく厳格な指導者が存在するのだろうとアシュアは考察した。
先ほどの賑やかな町人たちは相変わらず彼女の姿を見かけると愛想よく手を振ってきたりする。悪い気はしないが、慣れない愛想笑いで返さなければいけなかったので彼女は疲れてしまった。
ちょっとした広場に出て、小さな噴水の前に腰掛ける。アッシュは噴水の中で沐浴を始めた。幸い他に人はいないようだった。
(この辺でしばらくゆっくりするか……)
賑やかなのも最近では嫌いではなくなったが、やはり基本、1人のほうが彼女は落ち着いた。
しばらくぼんやり空を眺めていると
「こんにちは」
急にその空をさえぎるように、少女の顔が視界に入った。
「!?」
アシュアは驚いて後ろの噴水の中に落ちそうになったが、なんとか持ちこたえた。
「あ……ごめんなさい、驚かせてしまいました?」
目の前の少女は苦笑混じりの、けれど上品な笑みで謝罪した。
「いや……」
少女の栗色の髪はゆるいウェーブを描く、長く繊細なもので、そういったことには大抵無関心なアシュアでもついつい見惚れてしまうものだった。纏う上品な衣服から、どこかの貴族の令嬢なのではないかと思われたが、高慢さは全くなく、むしろ蒼い瞳からは優しげな雰囲気が漂っている。
「私はメリア。よろしければ貴女のお名前、お聞かせ願えますか?」
メリアと名乗った少女は躊躇うことなくアシュアの隣に座った。
(服、大丈夫かな……)
と、アシュアはメリアの高そうな服が汚れないかという妙なところを心配しつつ
「アシュアだ。……メリアさんは、このあたりの?」
と、尋ね返した。
「ええ、このあたりに住んでいる古い家の娘です。いつもここに少し息抜きに来るんですけれど、今日は初めてお見かけする方がいらっしゃったのでついつい話しかけてしまいました」
「……そう、ですか」
相手がとても丁寧な喋り方なのでアシュアもついつい言葉遣いに気をつけてしまう。
「差し出がましいかもしれませんが、アシュアさんは旅のお方?」
「はい。ついさっきこの町に。まだもう少し南へ行くつもりです」
「まあ、これからまだ南に行くとなると大変でしょうに……」
とメリアは少々驚いたようだった。
(まあここから南に行く奴なんてそうそういないわな……)
アシュアはそう自嘲した。するとメリアが
「アシュアさん、先ほど来られたばかりなのですよね? よろしければ少し一緒に歩きません? この町を私が知る限りで案内しますわ」
と言い出した。
「え、あ……」
アシュアが返答に迷っていると
「あ、いらぬお節介でしたかしら。お連れの方をお待ちとか?」
アシュアの右耳に光るイヤリングを認めたのか、メリアはまたあの苦笑で尋ねる。
(待ってるって言ったらそうなんだが……)
クオも教会とはいえ自分が育った場所に行ったわけで、そんなにすぐ帰ってくるとは思えなかった。
「いや、時間はあるから……お願いしようかな」
アシュアはそう言って立ち上がった。
「まあ、ありがとう。近頃とても窮屈な日々を送っていたので同じ年頃の女性と歩けるのがなんだか嬉しいわ」
メリアもそう言いながら、本当に嬉しそうに立ち上がる。
先日のタートル・タウンでの1件で貴族というものが嫌いになりかけていたアシュアだったが、メリアの和やかな雰囲気には好感を抱いた。
「あ、私のことはメリア、で結構ですよ。あとため口でも全く構いません」
くすりと笑ってメリアはそう言った。アシュアは少々戸惑ったが、従うことにした。
一方クオは例の教会へと辿り着いていた。
これまた綺麗に整えられた庭先の花壇の前に、法衣を纏った老人がしゃがみこんで何かしていた。
「神父様!」
クオがそう呼ぶと、その人物はこちらを向いて、
「……おお、クオか」
感嘆の声を上げた。
「さっきスザンヌが来てな、お前が帰ってきたと伝えに来たんじゃ。……少し見ぬ間に大きくなって……」
立ち上がった神父は、目に涙すら浮かべそうな様子である。
「大げさだよ、神父様」
とクオは苦笑する。この親代わりである老人と最後に会ったのは3年前のはずだが、クオからすると彼は随分と年老いたように見えた。
「してお前の主殿は?」
「ああ。ここに連れてこようと思ったんだけど、恥ずかしがってたみたいで……」
クオは苦笑した。
「はは、そうかそうか。じゃが1度見てみたい気もするの。なにせわざわざギリアート家の申し出を断ってまで出て行って、選んだ相手なんじゃからな」
神父は可笑しそうに笑った。クオはさらに苦笑する。
「その話は気にしてるんだから掘り返さないでくれよ」
そう言いつつクオが向けた視線の先には、石で造られた剣が立ち並ぶ墓地があった。天命を全うした剣士達の、形式上の墓地である。
ある1つの剣に焦点を合わせ、クオは歩み寄る。
剣の柄にはネームプレートがかかっていた。
刻まれた名は『リヴィウス・ラレゴリー』。
クオが兄弟子として慕っていた剣士の名である。
「こやつはほんに、お前の人生を変えたの……」
傍らにやって来た神父がそう呟いた。
「……ああ」
クオは今は亡き兄弟子の顔を思い出しながら、懐かしむように微笑んだ。
剣士の街は本当に広大で、それでいて可愛らしい建物が多く、見ていて飽きなかったというのがアシュアの感想である。
「町の外れには古い遺跡もありますのよ。少しだけ見に行かれます?」
片手にアイスを持って楽しそうにしているメリアがそう言った。
「外に出て大丈夫なのか? その、一応貴族のお嬢さんなんだろ?」
アシュアが先ほどから気にしていたことをメリアに訊いた。そもそも貴族の令嬢が付き人も付けずに1人でいること自体、どうにも怪しいところだった。
「ふふ、お恥ずかしながら、私今プチ家出中ですの。ですから大丈夫ですわ」
と、メリアは茶目っ気たっぷりに答えた。
(プチ家出って……)
まあ彼女といることは苦ではなく、むしろ楽しかったのでアシュアは目を瞑ることにした。勿論、帰りは送り届けるつもりでいるが。
そんなこんなで少しばかり街中から外れた田舎道を2人は歩き出した。
「近道ですのよ」
と言いつつ草が伸び放題の道をメリアが歩く光景を見るのはどうも不似合いに思えた。
そんな時。
(!!)
アシュアの視界に、遠くで光るものが入った。
「危ない!!」
アシュアはとっさにメリアを抱えて横に跳びずさった。
すると先ほどまでメリアが居た場所に、細い針のようなものが刺さっていた。
(……毒針……か?)
何にせよ姑息な武器であることに間違いはなかった。アシュアはメリアを降ろして叫ぶ。
「出て来い!」
すると、草むらの中からがっちりとした体格の、3人の男が現れた。
「はーん、姉ちゃん、なかなかやるじゃん」
真ん中の男が首を左右に傾けながら言った。
「傭兵じゃなさそうだけど、ただもんでもなさそうだね。けど俺たち、これ仕事だから、怪我しないうちに帰ったほうがいいよ」
と、吹き矢を持った男が言った。
(……仕事?)
「メリア、何か命を狙われるようなことでもしたのか?」
アシュアがメリアに尋ねると
「実はこれでもう5回目ですわ、こういうの」
と、申し訳なさそうな顔で彼女は答えた。
「ご、5回目……?」
それだけの数を襲われていながらまだ『プチ家出』を試みたメリアの大胆さにアシュアは呆れたが、どんな理由があるにしろ、ここで大人しく引き下がるつもりもなかった。
「怪我するのはそっちのほうだ。さっさと帰れ」
アシュアは一応そう警告してから、瞬時に相手に蹴りかかった。
「な!?」
男の目には彼女の動きが映らなかった。
1人、2人と男が倒れていくのを見て顔を青くした吹き矢の男が、とっさにアシュアに向けて矢を放った。
「!」
するとアッシュが飛び出して、その身体に針が刺さってしまった。
「アッシュ!」
その瞬間にぱたりと地に落ちた竜の身体から針をすぐに抜き、アシュアは怒りをこめた一蹴で最後の男を気絶させた。
「アッシュ!」
アシュアが呼びかけるが竜は目を開けない。しかしよく見ると、その身体は上下に運動している。眠っているだけのようだ。
「……麻酔針……?」
アシュアが安心したような、間の抜けたような様子でへたり込むと、メリアが
「ご迷惑お掛けしてすみません……。この方々は、私を誘拐しに来たのでしょう……」
と言った。
「誘拐……? 金目当てなのか?」
そうアシュアが尋ねると、メリアは首を振った。
「……ですが私を餌にお父様を脅すという点ではそういったものですわ。……それにしてもアシュアさんて、お強いんですね」
と、メリアが感心したように言った。
「……まあ、な。メリア、やっぱりもう帰ったほうがいい。家まで送るよ」
そう言いつつ、アシュアはアッシュを抱えて立ち上がる。
「そうですわね。本当に、ごめんなさい」
アシュアにも、アッシュにも謝罪するようにメリアは深々と頭を下げた。
「メリアが謝ることはない。その……今日は楽しかったし」
と、アシュアが照れくさそうに言うと、メリアは花が綻ぶような笑顔を見せて
「いえ、こちらこそ。アシュアさんと話せて楽しかったですわ」
と、言った。
そんな帰路、野道を抜けて街中に戻ってくると
「あ! おーいアシュア!! どこ行ってたんだよ!!」
と、聞き慣れた少年の声が聞こえた。
声がした方を見るとやはりクオが走り寄ってきていた、が。
「!」
彼の足は、2人に届く少し前で止まった。
「……メリア……?」
驚きの表情を見せるクオの口から、彼女の名が漏れた。すると
「まあ、クオ様! お久しぶりですわ」
メリアも彼に微笑みかけた。
「……知り合い、か?」
この時アシュアは、妙な気分に陥った。
それが胸騒ぎ、だと気付いたのは、少ししてからのことだった。
ノルマより1日遅れてしまいましたごめんなさい。でも今日で直しは一段楽したので一応これからはストーリー進行に集中しようと思います。剣士の町編ですが、色々とごたごたしそうですね(笑)。作者も書くのを楽しみにしております。生い立ちが謎だったクオについても少しばかり語られる章となります。
ここまで読んでくださった方々、ありがとうございました。
P.S.あ、あと例のキャラ投票、明日中で締め切りますが票を入れてくださった方々、ありがとうございました。え?私票入れてないですよ(笑)。明日まではまだ受け付けていますのでよろしくお願いします。
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