候補生たち
A:エレノア・グレイス — 理性的・分析型。眼鏡。まず環境を変えるタイプ。
B:ルーク・アシュフォード — 温厚で人間好き。レオンを「救う」のではなく生かすタイプ。
C:セレスティア・ヴァレン — 冷静で独立心が強い。女性たちの解放を考えたタイプ。
D:ミレイユ・ノアール — 感情より「本人に事実を見せる」タイプ。
E:ノア・フェルゼン — 人間の自己決定を重視するタイプ。
調整者養成所から少し離れた大通りに、異世界料理を気軽に楽しめる大衆食堂がある。
こちらの世界では珍しい魔導冷蔵庫が備え付けられており、注文した料理は驚くほど早く出てくる。夕暮れ時の店内には香ばしいスパイスと肉の焼ける匂いが充満し、若者たちの賑やかな声に混じって、給仕の行き交う足音が軽快に響いていた。
候補生たちは、講義が終わると自然とそこへ集まっていた。
「……疲れた」
ルーク・アシュフォードが、まるで骨を抜かれたかのように木のテーブルに突っ伏した。
「たった九十分の講義で何をそんなに疲れているのですか」
向かいに座るエレノア・グレイスが、あきれたように眼鏡のブレードを指先で押し上げる。
「だって、あんなの放課後まで考えたくないだろ」
「私は面白かったですけど」
セレスティア・ヴァレンが、冷たいグラスに挿されたストローを咥えたまま器用に答えた。
「面白かった?」
「ええ。特に、あの女性たちを全員解放する案」
「お前、あれ本気だったのか?」
「もちろん」
セレスティアはアイスティーの氷を揺らしながら、ごく平然としている。
「だって、あの人たち、自分で自分の人生を生きてないもの」
「でも、本人たちは勇者を愛していたんじゃないのか?」
「それを誰が証明するの?」
「……」
「命令されれば従う。逆らえば傷つけられる。勇者が欲しいものを与えれば、その人たちは『愛している』と言う。そんな関係を愛情と呼ぶのは、少し乱暴じゃない?」
「確かに」
エレノアが小さく頷いた。
「私も同意見です」
「お前は最初に能力を封印するって言ってただろ」
「ええ。今でもそう思っています」
エレノアは運ばれてきた湯気の立つ紅茶のカップを取り、一口飲んだ。
「ただ……今日の講義で、一つ考えが変わりました」
「何が?」
「私は最初、あの人物を『変えなければならない』と思っていました」
「実際、変えたほうがいいだろ」
「そうですね」
エレノアは窓の外に落ちる影を見つめながら、少しだけ考えを巡らせた。
「でも、教官殿に言われて気づきました。『変える』と『変わることができるようにする』は違う」
「……ああ」
ルークがゆっくりと顔を上げた。
「それ、俺も引っかかってた」
「珍しいですね。あなたが講義内容を覚えているなんて」
「おい」
エレノアが口元を緩めて可笑しそうに笑う。その隣で、ミレイユ・ノアールは無言のまま、冷めかけたポテトを黙々と口へ運んでいた。
「ミレイユは?」
「ん?」
「あなたはどう思ったの?」
「何が?」
「勇者」
「……ああ」
ミレイユは長めのポテトを一本咀嚼して飲み込んでから、ぽつりと答えた。
「可哀想だと思った」
「え?」
テーブルを囲む四人の視線が、一斉に彼女へと集中する。
「いや、もちろん、やったことは最悪だよ」
空気の変化を察したミレイユは、慌てて手を振るようにして付け加えた。
「盗賊を殺した。レオンを追放した。村を焼いた。人を支配した。普通に考えたら、とんでもない奴」
「そうでしょう」
「でもさ」
ミレイユはテーブルの上の薄い紙ナプキンを、指先で小さく折りたたみながら弄んだ。
「この人、一回も自分の人生を見たことがないんじゃないかな」
「……」
「ずっと、自分の外側に原因を置いてる」
ミレイユは視線を落としたまま続けた。
「前の世界では、親が悪い。社会が悪い。女が悪い。上司が悪い」
「転移した後は?」
静かに耳を傾けていたノアが尋ねた。
「レオンが悪い。女たちが悪い。逆らう奴が悪い。最後には、たぶん神とか世界とかも悪い」
「つまり」
エレノアが腕を組んで整理する。
「自分自身を観察することから、ずっと逃げている?」
「うん」
ミレイユは小さな動作で頷いた。
「だから、私は本人に真実を見せる案が一番必要だと思った」
「でも、本人が変わらない可能性は高いですよ」
エレノアが冷静にリスクを指摘する。
「うん。変わらないと思う」
「それでも?」
「それでも」
ミレイユは、自嘲めいた笑みを浮かべた。
「一回くらい、自分の人生を外から見たほうがいい」
そこで、それまで会話の輪から一歩引いて黙っていたノア・フェルゼンが、静かに口を開いた。
「でも、それもこっちの都合じゃない?」
「……」
「『自分の人生を客観視させれば、人は変わる』って、俺たちが勝手に思ってるだけかもしれない」
ノアは結露したグラスを持ち上げ、しゅわしゅわと泡立つ炭酸飲料を一口飲んだ。
「今日の教官殿の話を聞いてて、俺が一番怖いと思ったのはそこなんだよ」
「何が?」
「俺たち、みんな勇者を救いたいと思ってるだろ」
「当然でしょう」
「でもさ」
ノアは首を少し傾げ、問いかけるようにみんなの顔を見回した。
「勇者本人は、救われたいって言った?」
重い沈黙がテーブルを包む。誰もすぐには答えなかった。
「……言ってない」
ルークが掠れた声で呟く。
「そう」
ノアは寂しそうに笑った。
「だから俺は、あの案を選んだ」
「何もしない?」
「正確には、何もしないんじゃない」
ノアはカチャリと静かな音を立ててフォークを置いた。
「結果から逃げさせない」
「人を殺したなら、その結果を見る」
「人を支配したなら、その結果として誰も本音を言わなくなることを経験する」
「誰かを傷つけたなら、その人間から拒売される」
「そして、孤独になったなら――」
「助けない」
ノアの言葉を引き継ぐように、セレスティアが低く言った。
「うん」
ノアは力強く頷く。
「ただし、本人が『俺はどうしたらいい?』って聞いたら、そのときは手を差し伸べる」
「……それ、ずいぶん冷たいね」
ルークが少し身を引くようにして言った。
「そうかな」
「俺には、かなり厳しく聞こえる」
「でもさ」
ノアはどこか遠くを見るような目で、少しだけ笑った。
「誰かを救うって、相手の人生を代わりに生きることじゃないだろ」
「……」
「本人が自分で選べるところまで戻してやる。それ以上は、その人の仕事だよ」
しばらくの間、店内の雑踏だけが二人の間を通り抜け、誰も何も言わなかった。やがてルークが、思いつめたような顔でぽつりと言う。
「なあ」
「何?」
「俺、今日ずっと考えてたんだけど」
「うん」
「そもそも、あの勇者の話って……そんなに悪い物語なのかな」
エレノアが意外そうに眉を上げた。
「どういう意味です?」
「だってさ」
ルークは手元のメニューの端を指でなぞりながら言った。
「俺たちはあの主人公を見て、『努力しない』『成長しない』『人を傷つける』って批判しただろ」
「ええ」
「でも、あの世界を見て『最高じゃん』って思うヤツもいるんじゃないか?」
セレスティアが氷の溶けかけたグラス越しに、目を細める。
「……いるでしょうね」
「むしろ、現実で疲れてる人なら、ああいう世界に行きたいと思うかもしれない」
「それはあり得ます」
エレノアが静かな調子で答えた。
「努力しなくてもいい。誰にも否定されない。欲しいものが手に入る。何もしなくても認められる」
「それって」
ルークが自虐的に笑う。
「結構、魅力的じゃないか?」
「私は嫌です」
セレスティアが間髪入れずに即答した。
「私は自分の意思で人を好きになりたいし、自分の意思で誰かを嫌いになりたい。何でも命令される世界なんて御免です」
「私は……少し分かる」
ミレイユがぽつりと挟んだ。
「疲れてるときなら、たぶん私も、あの世界に行きたいと思う」
「ミレイユが?」
「うん」
彼女は頬を緩めて笑った。
「だって、何もしなくても『大丈夫だよ』って言ってくれるんでしょう?」
「……」
「そういう日もあるじゃん」
その率直な言葉に、誰も反論しなかった。胸の奥を刺されたような顔で、それぞれが視線を泳がせる。
「でも」
ミレイユは膝の上で手を重ねて続けた。
「元気になってから見たら、今度は『なんだこいつ。努力しろよ』って思うかもしれない」
「それはあるな」
ルークが身にしみたように頷く。
「つまり」
エレノアが論理を組み立てるように言った。
「同じ物語でも、読む人間の状態によって意味が変わる」
「そういうこと」
「では、作品そのものに正解があるわけではない?」
「うーん」
ミレイユは首をひねり、しばらく考えをまとめた。
「作品は箱庭なんじゃないかな」
「箱庭?」
「うん」
彼女はテーブルの脇に置かれた、白い小さな砂糖壺を指で示した。
「大きな箱を作って、そのの中にいろんなものを入れる」
「最強の力」
「お金」
「美人」
「名誉」
「復讐」
「無条件の肯定」
「努力しなくても成功する人生」
次々と仲間たちが要素を挙げていくのを聴きながら、ミレイユは頷いた。
「全部入れる」
そしてミレイユは、壺の中から角砂糖をひとつ、つまみ上げた。
「私たちは、その箱庭を覗くの。そのとき、自分が持ってるものによって見える景色が変わるんだと思う」
「ある人は『こんなの最高』と思う、ある人は『気持ち悪い』と思う、ある人は『羨ましい』と思う、ある人は『怖い』と思う、ある人は『私ならこうする』って考える」
「……なるほど」
エレノアが腕組みをしたまま、小さく頷いた。
「では、今回私たちが反応しているのは作品だけではなく、自分自身でもある?」
「たぶんね」
ミレイユは角砂糖をコロンと紅茶に落とし、笑った。
「だから、同じ講義を聞いても感想が全然違うんじゃないかな」
「じゃあ」
ルークが身を乗り出して言った。
「この勇者を見て腹が立った人は、勇者みたいな人間が嫌いなのかもしれない」
「あるいは」
ノアが静かに口を挟んだ。
「自分が頑張ってきたのに、何もしてない奴が全部手に入れるのが許せないのかもしれない」
「……」
「逆に、勇者が羨ましい人は?」
セレスティアが尋ねる。
「自分が頑張りすぎてるのかもしれない」
ノアが即座に答えた。
「『もう頑張りたくない』って思ってるとか」
「では、レオンに感情移入した人は?」
「努力してきた人かもしれない」
「盗賊の妹に怒った人は?」
「理不尽に大切な人を奪われた経験がある人かもしれない」
「女たちを嫌悪した人は?」
「依存関係に敏感なのかもしれない」
「……」
五人は思わず沈黙し、互いの顔を見合わせた。
そのとき、威勢のいい声とともに店の奥から湯気の立つ大皿が運ばれてきた。
「お待たせしましたー!」
威勢のいい店員が、ジュージューと音を立てる鉄板と大きな皿をテーブルの中央に置く。
「魔獣ステーキの鉄板焼きと、王都風クリームパスタです」
「やった!」
ルークの沈んでいた顔が、一瞬で爛漫と明るくなった。
「さっきまで哲学みたいな話してたのに、切り替え早いですね」
エレノアが心底呆れたように溜息をつく。
「腹が減ってたんだよ」
「まあ、いいんじゃない?」
ミレイユが楽しそうに笑う。
「講義の答えなんて、明日また考えればいいし」
ノアがすでに慣れた手つきでフォークを手にした。
「うん」
「……で、結局さ」
ルークがナイフで肉を豪快に切り分けながら言った。
「あの勇者を救うなら、どうする?」
途端に、四人がの手が止まり、しんと黙り込んだ。
そして――
「明日の講義まで保留」
セレスティアがパスタを巻き取りながら言った。
「賛成」
「異議なし」
「同意します」
互いの意気地なさに苦笑しながら、五人は同時に笑い声を上げた。
格子窓の外では、異世界の深みのある夕暮れが、茜色から群青色へと移ろいながら、ゆっくりと街を包み始めていた。
そして、この賑やかな大衆食堂の席にいる誰も、まだ気づいてはいなかった。
今日の講義で教官から提示されたあの課題が、実はどこかの物語の勇者の救済についてなどではなく――
『人間は、他人をどこまで救う権利があるのか』
という、いつか必ず向き合うことになる、彼ら自身の人生そのものに関わる問いだったことを。
昔は、本を読んでるつもりが、自分の中身を覗かれてるみたいだと感じていました。今は、本に自分の中身を入れてると思っています。楽しいです。ご都合主義物語をただの娯楽として読むのもいいですし、人間の欲や歪みをどこまで煮詰められるかの実験装置として読むのも面白いなと思います。
こちらの大衆食堂は学割がききます、なので人気です。お得という言葉に弱いです。




