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Absolute Zero 5th  作者: DoubleS
第二章
19/86

唖然

「……何というデカい屋敷だ……さすが、大企業の社長」

 専属の運転手が運転する高級車に乗って、霧矢は麻布にある大邸宅の玄関に降り立った。玄関で待っていたレイは手馴れた様子で洋館の戸を開けると、美香と霧矢を中に招き入れた。

「……迎賓館か何かかよ。気分悪くなってきた……」

「あなた、迎賓館に行ったことあるの?」

「……あるわけないだろう…」

 美香の問いに対して、霧矢は情けない声で返答すると、そのまま足元の絨毯に目を落として歩いていった。豪華なものが嫌いな霧矢にとって、片平邸の内部は目に毒だった。

「ここがお部屋となっております。何か御用でしたら何なりとお呼び下さい」

 レイの案内で客室に通されると、霧矢は余計気分が悪くなった。

「……贅沢過ぎる。僕の家の居間の倍は広いんだが……」

「この部屋が三十平米、隣の寝室は二十平米ほどあります。不都合がございましたら…」

「レイさん、もっと狭い部屋をお願いします。最高でも十畳でお願いします」

 レイが言い終わる前に、霧矢は自分の根性を情けなく思いながらも懇願した。レイと美香は顔を見合わせると、困ったような表情を浮かべた。

「まあ、私の部屋よりは確かに広いけれど、でも、客間としては普通じゃないかしら」

「一つ聞いていいか? お前の部屋って何畳なんだよ」

「書斎が二十平米だから…約十二畳ね。隣の寝室はもう一回り小さいけれど」

 霧矢は自分の部屋を思い浮かべ、ため息をついた。

「…僕の部屋は、六畳間にベッドと机、本棚、パソコンラック、その他いろいろなものをこれでもかとばかりに詰め込んでいるが、狭いと感じたことなんてないぞ」

 美香は信じられないとばかりに呆れ顔になると、霧矢の目をじっと見つめた。そして、驚かすために嘘を言っているわけではないとわかると、ため息をついて目を逸らした。

 霧矢はそんな美香から視線を外すと、遠慮がちな口調でレイに懇願する。

「……十畳以下で。できれば、六畳がいいです。四畳半でも構いません」

「しかし、この屋敷にそんな部屋と言われても……」

「…使用人部屋か…警備員の宿直室か、あるいは、離れの物置しかないわよ」

「そこでいい! とにかく、部屋に暖房と布団さえあればそれでいいんだ」

 美香はかなり残念そうな表情を浮かべると、やがて、最後の案とばかりに口を開いた。

「……一人で広い部屋にいるから、きっと、そんな気分になるのよ」

「……おい、お前、何を考えている」

 霧矢は直感的に何かとんでもないことを企んでいると察知すると、慌てて尋ねた。しかし、次の瞬間、美香は表情を少しも変えずに言葉を発した。


「…私と一緒に寝たらいいんだわ」


 平然と言い放った美香に、霧矢とレイは固まってしまう。美香は、部屋は掃除したばかりとか、別に見られて困るようなものはないと独り言を言っていたが、霧矢はその言葉も断片的にしかとらえることができなかった。

 先に我に返ったのはレイで、彼女らしからぬ慌てた口調で説得にかかった。

「……いえ、それはお客様に対してあまりにも失礼なことになります。特に、長旅でお疲れのご様子ですから、お一人でゆっくりおくつろぎになられたいでしょうし…」

「別に、私は気にしないわよ。話のネタにもなるでしょうし」

 何の話のネタにするのか霧矢は聞きたくもなかった。しかし、相手の言葉を理解するという受動的な思考は元に戻ったものの、それにどう答えるかという能動的な思考機能はまだ回復しておらず、霧矢は沈黙を続けざるを得なかった。

「いえ、そんなことをなさいますと、私は旦那様や奥様に怒られてしまいます。『お前がついておきながら何だ』とか、言われてしまいますよ!」

「…そう? 別にお父さんはそんなことをいちいち気にしたりはしないはずよ。自分の振る舞いを棚に上げて、どうして私にそんなことを言えるというのかしら」

 片平社長の女癖の悪さは片平家関係者にとって周知の事実であり、霧矢もそれについては承知していたが、ここでそれを引き合いに出す美香もまた美香だと思えた。

 レイは何としてでも美香の企みを諦めさせようと説得を続ける。

「たとえ、旦那様がそれを黙認なさったとしても、奥様がそんなことをお許しになるとでもお思いですか?」

「お母さんは割と、そういう方面も寛容だと思うわ。お父さんの付き合いのことも、黙認どころか、公認までしちゃっているから、私だって別に問題ないんじゃないかしら」

「ですが……そういうことには、まず順序というものが……あってですね……」

「というわけで決定。今夜は私と寝なさい。二人ならそんなに広くは感じないわ」

「大問題だ!」

 やっと声を発することができるようになった霧矢は、大声で怒鳴った。美香は残念そうな顔つきで霧矢を一瞥すると、もう一度レイの表情をうかがった。

「…ダメです。旦那様や奥様がどう言われようとも、私は反対です。霧矢さんも嫌だと仰っていますし、そういうことは、後々トラブルの種となります」

「でも、霧矢はこの部屋を嫌がっているのよ?」

「それとこれとは話が別です。子供のような詭弁を弄しないでください」

 レイはいつもの口調に戻ると、ぴしゃりと言い放った。美香は更に何か反論しようとしたが、彼女の表情が非常に険しくなっていたため、これ以上何も言おうとはしなかった。霧矢も、彼女は雨野に近い雰囲気があり、怒らせると怖い人だと直感的に理解していた。

「……霧矢さん、できるだけ希望に添えるような質素で狭い部屋を探して参りますから、申し訳ございませんが、しばらくの間、この部屋でお待ち下さい」

 レイは霧矢に一礼すると部屋を出て行った。そして、当の霧矢は隣に立っている女性から距離をとらずにはいられなかった。そんな霧矢を見て、美香は不満そうな顔をしてつぶやく。

「せっかくのチャンスをふいにするなんて、あなた、人生損しているわ」

「……とてもお嬢様の思考だとは思えないぞ。お前は晴代か何かか?」

「あなたの幼馴染さんも、私と同じような発言をしたことがあるのかしら?」

 少し驚いた口調で美香は尋ねた。霧矢の身の回りにそんな人間がいるということが意外だったらしい。顔を美香から背けたまま、霧矢は苦々しい口調で答える。

「…霜華との関係について、そういう話題を使って、僕をからかってくる。ゲームや漫画の読み過ぎだ。実際にそんなことをしたら、相手に引かれるだけだろうに……」

「つまり、結局のところ、あなたと霜華さんはそういう関係だと……」

「…あのな。僕に同じことを何回言わせる気だ?」

 霧矢が凄むと、美香はお嬢様らしからぬ低俗な表情で笑った。霧矢はもう呆れを通り越した末に、何もかもが面倒になり、そのままソファーに体を投げ出した。美香も美香で、霧矢の隣に腰を下ろして、まだ会話を続けようとする。

「ねえ、私に興味はないの?」

「……意味がわかるように言ってくれるか? その言葉の意味は広すぎてわからん」

 顔も合わせずに素っ気なく返した霧矢に、美香は残念そうな表情を浮かべた。しかし、霧矢の目にその表情が映ることはない。

「私のこと、好きかしら?」

「……お前が期待する意味で好きじゃないことは確かだろうな」

「じゃあ、嫌いなのね?」

「……一概にそうとも言えない」

 霧矢はソファーから立ち上がると、そのまま広い部屋を横切り、窓から外を眺めた。見事な手入れのされた洋風の庭園が広がっているが、霧矢の好みではない。それでも、元が自然の樹木ということもあって、眺めるのが苦痛になるような贅沢さはなかった。

 美香は霧矢に歩み寄って隣に立つと、まだ話を続けようとする。

「…どうやら、私のアプローチのやり方は間違っていたようね」

「気付くのが遅すぎる。僕の反応を見れば、そんなのすぐにわかったはずだろう」

「嫌よ嫌よも好きのうち、なんて言葉もあるし、何て言うのかしら……そうそう、あれよ。ツン……」

「だ・ま・れ!」

 霧矢が一喝すると、美香は肩をすくめた。霧矢はうんざりしてため息をつくと、ようやく美香を再び視線を合わせた。

「…まったく、そんなアプローチの方法をどこで習った。お嬢様らしくもない」

「……まあ、いろいろ、インターネットにあった情報を私なりに組み合わせて……」

「情報は情報でも、ちゃんとした情報じゃなくて、ろくでもない情報を組み合わせただろう。特に、ゲームとか、アニメとか、そんなものを」

「いけなかったかしら。私としては、これが数ある情報の中では、一番わかりやすくて手っ取り早い方法だと思ったのだけど。既成事実を作ってしまうというのが」

 悪びれる様子もなく、美香はこともなげに言い放った。霧矢がこのお嬢様には常識というものがないのだろうかと嘆いていると、やがて、ドアがノックされ、レイが戻ってきた。

「……使用人部屋の空き室を整理しました。お気に召すかどうかわかりませんが、広さについては、ご要望の通りです。それと……」

 レイは少し残念そうな表情を浮かべると、頭を下げた。

「……旦那様と奥様は急用で戻られないそうです。提携しているシカゴの医療器具製造会社の重役と至急、会って話し合わなければならないことがあるそうで、つい先程、羽田に着いたとの連絡がありました」

「……じゃあ、いつ戻ってくるの?」

「現時点ではわかりかねますが、最低でも五日くらいはかかるのではないかと」

「……なんてことなの…計画がまるで狂ってしまったじゃない……」

 美香はかなりショックを受けた様子で肩を落とした。レイは続ける。

「霧矢さんには、日本に戻るまで屋敷に滞在していただくようにとのことです。どこか出かけたいところがあるのならば、ご自由にどうぞ、とも言っていました」

「……結局のところ、僕は数日の間は何もしなくていいってことですか?」

「そういうことになります。お部屋の支度が出来ましたので、霧矢さんはこちらへ」

 霧矢は安堵の息を吐くと、打ちひしがれた表情をした美香を置いたまま、レイに従って歩き出した。

(……助かったな)

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