第三話 書を捨て、旅に出よう(2)
2
「で、連れて来ちゃったわけ?」
セリーニは呆れ果てたかのように声を吐き出した。机の上に積まれていた本は片付けられ、一冊だけ広げられている。
「セリーニ様の御側が彼にとって一番安全な場所だと気づきましてね」
二人掛けの応接ソファにチップをそっと横たえると、スパイクは自分が羽織っていたマントを解き、チップに掛ける。
「そんなわけで、しばらくはセリーニ様の私邸であらせられる近衛殿のご厄介になろうかと」
「イ・ヤ・よ!」
強くはっきりとした口調でスパイクの言葉を遮るセリーニ。
「近衛殿の敷居を跨ぐことができるのは文武魔導に秀でたエリート中のエリートのみ。どこの羽魔の骨かもわからない聴講生ごときが気安く入れる場所じゃないのよ」
「でも、ご覧になりましたでしょう。銀色の竜に変じた彼の姿を」
「あれが本当にそいつかどうかも怪しいわ」
「そのあたりの謎を一緒に解き明かしませんか?」
スパイクの言葉にセリーニの肩がピクリと跳ねる。
セリー二の目線が一瞬だけ下を向く。視線の先に見えたのは梯子船の図版。そもそも、これについて問い質すためにスパイクを呼び立てたのだ。小さく深呼吸をし、少し感情的になっていた自身の気持ちを改めた。
「⋯⋯みんな悪いんだけど、席を外してくれるかしら。スパイク先生にどうしてもお伝えしなければならないことがありますの」
セリー二の瞳が勝ち気な輝きを取り戻す。神話の霊獣である騶牙に例えられることの多い瞳の輝きは、多くの人を従わせる不思議なカリスマ性に彩られていた。
特に不満の声を漏らすでもなく、執行役員の面々が部屋を出ていく。残されたのはスパイクとチップ、そして、セリーニの三人。正直なところスパイクは心中穏やかでなかった。解雇を言い渡されるのではないかと内心ヒヤヒヤしていたのだ。
「⋯⋯ちょっとこれを見てもらえる?」
セリー二は机上の本を開いたまま持ち上げ、立てる。
「見覚えがないかしら」
開かれたページを見てスパイクの顔色が変わった。
大きく記された図版は、つい今しがた錬士場に現れた怪物の姿を見て描いたかのように細部に至るまでそっくりそのままだったのだ。異なる点があるとすれば、図版には剣の鎧や手足がついていないところだろうか。ドラゴンではなく、大きな翼のついた船のようである。
「図版の説明によると、これは神界と人界とを行き来する梯子船だそうよ。人々の祈りや願いを天上の神に届け、神々から賜った祝福や恵みを地上の人々にもたらす。昔の人間が考えた想像の産物ということだけれど、ここまで似てると看過できない。そうは思わない?」
机に身を乗り出し、本の脇から顔を覗かせるセリー二。思わぬ大発見に興奮しているのか、頬をわずかに上気させている。
「スパイクならお父様の目的も、なぜお父様が魔神を必要としているのかも理解してますわよね。だから、こうしてお話ししていますの」
無邪気な笑顔をひらめかせ、嬉々として構想を語るセリーニの言葉をスパイクは対照的な面持ちで聞いていた。
誤解されやすいのだが、魔王は不老でも不死でもない。魔人族がすこぶる長命な種族であるというだけだ。
人間に比べて途方もなく長い寿命を持つ魔人は、その成長もはるかに緩やかだ。見た目が六、七歳と幼いセリー二だが、人間の時間に換算すれば百年近く生きている。魔王に至っては八百年をとうに超えているだろう。長命であるが故なのか、魔人族は子孫繁栄にあまり熱心ではなかった。これは人間にも当てはまるのだが、例をひとつ挙げるとすれば、その昔、一部の人間にしか扱えない魔力という力を誰でも使える科学力に置き換えた国があった。様々な病気を克服し、国民は健康を享受した。寿命は飛躍的に伸び、年齢を理由に諦めていたことを諦めずに済むようになったのだ。やがて彼らに大いなる悩みが生まれる。誰も子供を作らなくなったのだ。恋愛を楽しむためには子供の存在が邪魔だというのが彼らの理屈だった。国を運営する老人たちは大いに悩み、やがてひとつの決断を下す。非文明国からの移民の承諾である。経済的に優遇された移民は瞬く間にその数を増やす。
表面的な少子化問題はたしかに解決された。だが、移民たちは高レベルの教育を拒み、道徳や倫理観を拒み、頑なに故郷の文化を重んじた。その結果、華々しく煌びやかな都市は破壊され、恋愛を彩る街は蹂躙され、ついには生活を支えるすべてのインフラが土に還った。誰もが羨む黄金の国は移民に乗っ取られる形で歴史の幕を閉じる。英雄譚の片隅に添えられたどこかの国の物語だ。史実だと主張する者もいるが、定かではない。
つまり、寿命が伸びるとその種族は少子化になる傾向があるらしい。魔人族はその傾向が強めなのだ。もちろん、魔王が魔神を求める理由が、この世に生きる魔人族が魔王とセリーニ父娘だけになったから、というものでもないだろう。そもそもセリーニの母親は人間である。魔人族とて人族であるのだから驚くに値しないが、魔人と人間が結ばれた場合、生まれてくる子供はすべて魔人となるのだ。胎児がただの人よりも”魔”という付加価値に魅力を感じたのか、それとも人間の寿命である六十年をはるかに凌ぐ一千年という数字に惹かれたのかは不明だが、過去の記録からしても一件の例外もなく魔人なのだ。
「ちょうど今、近隣の村より軍士官学校に出動要請が来てますの。なんでも、魔王の威光を畏れぬならず者どもが暴れてるとかで、いつものように三学年選抜隊が赴くわけですけど、私たちも魔王軍教導隊の偵察行動みたいにこっそりとついていってはどうかしら。組織行動の評価をする的な感じで」
お出掛けへの期待からかウキウキワクワクが止まらない様子である。
「行ってどうするんです? 梯子船を探すんですか?」
当然の疑問をスパイクは口にした。
「ここまで似てるってことはモデルになった”何か”が存在するはず。それがもし、そいつの変身した竜であるなら変身のきっかけが何なのか解明しておきたいわ。でも、それを行うに学校では多くの目がありすぎる。だから、外へ連れ出すの」
「なるほど⋯⋯」
一理ある、とスパイクが首肯く。
「そうと決まれば、さっそく出発するわよ。まずはそいつの両親に会って連れ出す許可をもらいましょう!」




