プロローグ
――火の山と厄災の魔王――
古き神殿。
高い天井には歳月に黒ずんだ梁が走り、石壁には炎の山と黒き竜を描いた古い壁画が残されていた。
揺れる灯火の下。
子供達は床へ座り込み、年老いた神官の話に耳を傾けていた。
外では夜風が鳴いている。
神官はゆっくりと杖を置き、低く静かな声で語り始めた。
遠い昔——
まだ世界が若く、
人の国が今ほど栄えておらなんだ頃の話じゃ。
子供達が息を呑む。
神官は壁画へ目を向けた。
そこには、赤く燃える火山が描かれている。
空は荒れ、
大地は幾度も裂け、
人々は明日を生きられるかさえ分からぬ時代があったという。
火の山は眠る事を知らず、
赤き煙は昼なお空を覆い、
夜になれば山肌は血のように燃えていたと伝わる。
神官は少し間を置いた。
灯火が揺れる。
人はその山を恐れた。
近付けば帰れぬ山。
神々の怒りが眠る山。
世界の果てにも通じる穴だとさえ囁かれておった。
子供の一人が小さく身を寄せる。
神官は口元をわずかに緩め、再び語る。
そして——
ある時、
火の山はこれまでにない怒りを見せたという。
声が少し低くなる。
山は鳴き、
大地は揺れ、
空は灰に覆われた。
人々は恐れ、
家を捨て、
祈りながら逃げ惑った。
神殿の空気が静まる。
誰も声を出さない。
その時じゃ。
神官は杖で壁画を軽く示した。
炎の中。
そこには翼を広げた黒き竜が描かれている。
火山の底より、
黒き竜が現れたという。
その翼は空を覆い、
一度羽ばたけば山は崩れ、
一声鳴けば国は震えたと伝わる。
竜の目は夜より暗く、
吐く炎は岩を溶かし、
人々はその姿を見ただけで膝を折ったという。
子供達は壁画を見上げる。
神官はゆっくりと続けた。
人は恐れた。
そしてその主を——
灯火が揺れる。
『厄災の魔王』
その言葉が神殿の石壁へ静かに響いた。
魔王が現れる時、
世界は乱れる。
火山は鳴き、
大地は裂け、
海は荒れ、
人は争い始める。
王は剣を取り、
国は国と戦う事をやめ、
生き残るために手を取り合わねばならなかった。
神官は目を閉じる。
遠い歴史を思い返すように。
こうして幾度も、
魔王との戦が始まったと伝わる。
静かな間。
子供達も言葉を挟まない。
神官の声は、少しだけ寂しさを帯びた。
だが——
戦が終われば、
人はまた平和を取り戻した。
畑には麦が実り、
子供達は笑い、
人々はいつしか恐怖を忘れてゆく。
神官は小さく息を吐いた。
そしてまた争う。
王は王と。
国は国と。
まるで歴史そのものが、
平和と戦いを繰り返すようにな——
外で風が鳴る。
神官は最後に、黒竜の壁画を見上げた。
故に忘れてはならぬ。
火の山が目覚める時。
黒き竜が空を覆う時——
再び、
厄災の魔王は現れる。
子供達は固唾を呑む。
神官は少しだけ昔話らしく、穏やかな笑みを浮かべた。
ゆえに人は祈るのじゃ。
火の山が静かであるように。
大地が穏やかであるように。
そして——
灯火が揺れる。
大戦の時代が、
二度と訪れぬようにな——
神殿は静まり返った。
誰もすぐには声を出せなかった。
そして——
場面は変わる。
朝。
柔らかな陽光が差し込む王都の一角。
市場の喧騒。
花の香り。
小さな花屋で、一人の女性が花に水をやっていた。
まるで、そんな昔話とは何の関わりもないように。




