1.
ミウノはモノーニイル国に産まれた、ちょっとくすんだ紫の髪にアメジストの瞳をした、普通の男爵令嬢でした。
小さな領地だったせいか、ちょっと貧乏で、でも領地の農民たちと一緒に汗を流して畑を耕す両親が、彼女は好きでした。
「ねーちゃん!今日はチャンバラしよう!」
「えー。本を読むことにしない?」
「やだー!チャンバラ!」
「チャンバラ!チャンバラ!」
「仕方ないなあ。手加減してよね?」
「ねーちゃんの方が強いだろ!」
「ゴリラより強い!」
「ゴリラに失礼だな!?ゴリラの握力を舐めちゃダメよ!ゴリラは温厚だけど、握力が500kgぐらいあって……」
「とりゃー!」
「おーっ!」
「屋敷の中はダメ!遊ぶなら外!」
「はーい」
「ぶーぶー」
「もー。ほら、行くわよ!」
少し歳の離れた双子の弟たちが時折遊んでくれるおかげか、ミウノはすこぶる丈夫に育ちました。
「おや、ミウノちゃん。今日も手伝ってくれるのかい?」
「はい!おばあちゃん、ここの芋を収穫すればいいんだよね?」
「そうそう」
「この列だけ?」
「いや、ぜーんぶよ」
「全部ぅぅぅ?多いわね……。よーし、気合い入れて頑張るわよー!」
「ミウノちゃんはいつも元気だねえ」
両親が農民の中に混じって作業をしていたからか、ミウノも特に不思議に思うことなく彼らを手伝って生活していました。
大体、何事もそうです。皆でやれば早いのです。
特に収穫の時期は忙しく、いつだって人手が足りない為、すぐに駆けつけてくれる若い男爵夫妻やその子どもたちは農民にとっても便利でありがたい存在でした。
そんな貴族は少ないのですが、その男爵家は貴族にしてはよほどお人好しだったのか、それとも外面への頓着がなかったのか、あまり面子などにも拘る様子がありませんでした。
領地が王都からは少し離れていたため、そもそも辺り一面が山や畑だったからかもしれません。人間より動物の方が多そうな、ある意味賑やかな領地でしたから。
そんな元気なミウノでしたが、実は少し弱点がありました。それは、鼻が効かないこと。
これは生まれつきでしたから、誰も何も悪くありませんでした。
のどかな男爵の領地では、野焼きや雨の匂い、獣の臭いなどを鼻で嗅ぎ分けたり、野に生えている薬草や花、山菜の香りで危険なものがそうでないかを判断することもあったのですが、ミウノにはそれができません。
その代わり、ミウノはしっかりと植物図鑑を見ることにしていました。大体、キノコだろうが、山菜だろうが、毒か毒でないかは見た目でも分かるのです。似ているからと間違えるのは、知識が足りないか、図鑑の説明を覚えていないだけのこと。
その代わり、ミウノは植物図鑑にはない植物や、説明と少し違うところがある植物には決して手を出しませんでした。
「ねーちゃん!これは?」
「それはヨドギリ草ね!お浸しにして食べられるわよ!」
「よっしゃ!」
「これはー?」
「それはヨドギリ草に似てるけど、別の草で毒がある種類ね。食べたら目眩を起こすわよ」
「ううぇ、あぶねー!」
「ミウノちゃん、これは?」
「えー!アオジさんまで聞いてくるんですかー!?アオジさんの方がよほど詳しいじゃないですか!」
「あははは、いやなんかもう、山菜についてはミウノちゃんには勝てない気がするんだよなあ」
「それはタチバナ草ですね!加工したら食べられますよ。でも、食べる人の方が少ないですけど……」
「やっぱり?まあでもジャムなんか作る時に一緒に入れようかなーって」
「やっぱり食べられるって知ってるじゃないですか!」
「あ、バレた。じゃあまたよろしく!」
「もー!」
キリキリキリキリッ
チューピチチチチルッ
様々な鳴き声が聞こえてくるそんな山の中での他愛ない会話すらも、ミウノにとってはいつも通りの変わらぬ光景でした。
「ミウノ、来年から王都学園だな」
「そうだねー。やば、準備大丈夫かな?」
「勉強は大丈夫?」
「そっちは大丈夫なんだけど、貴族社会がよく分からないかなー……」
「あー……、うちは貴族同士の付き合いがほとんどないものねえ……」
「貴族で知ってるのって、隣の男爵家ぐらいだしね」
「お隣のトッポ家も男爵家だから気楽なのよねえ……」
「あそこはうちのような貧乏貴族にも良くしてくれるしな」
「いや、トッポ家だって言えたことじゃないって!」
「こら!ミウノが言わないの!まあそうかもしれないけど……だってお隣さんだもの」
「あそこの兄ちゃんいっぱい遊んでくれるから好き!」
「チャンバラもしてくれるし!」
「また行こうよ!」
「行こう行こう!」
「ユウキ兄は優しすぎるんだよね……。いつ見てもあんたたちにボコボコにされてるじゃないの」
「チャンバラだから!」
「チャンバラだしな!」
「ふーん。次またこの間みたいなことやったら私がユウキ兄に加勢するから」
「ねーちゃんはダメだよ!強すぎる!」
「筋肉バカ!」
「なんだとー!?」
実際、ミウノは貴族らしい喋り方やマナーを学ぶ機会はなかったので、本当にそれを心配していました。友らしい友といえばトッポ家の妹、スツヤぐらいでしょうか。
ただ、トッポ家はミウノの家ほど他の貴族との交流がないわけではありませんでしたから、スツヤは他に何人も友がいるようでした。そう考えるとミウノには殆ど貴族の友はいないようなものだったと言えるでしょう。
そんなミウノは15歳になる少し前、全寮制の王都学園に向かいました。その王都学園を卒業しなければ貴族としては認められないのです。
(貴族ねえ……?殆ど農民と変わらない気もするし、農民と結婚したって全然いいけど……)
ミウノはそう思っていましたが、貴族だからこそ守れるものもあります。王家からすると貴族は、国の中では普通より大きめの信用を置いても大丈夫であろう人間、という血統証明書でもあるのです。ミウノはまだそれを知りませんでしたが。
「うわっ!なんだこのギラギラした大きすぎる校舎!」
ミウノがようやく王都学園に着いたとき、思ったことはそれだけでした。というか、思うだけではなく、もう口にも出ていましたが……。
「今日から入寮ですか?」
「はいっ!」
「あら、元気がよろしいですね」
「よく言われます!」
「ふふふ、あなた……もしかしてラニーニャ地方の出身?」
「えっ!なんで分かるんですか?」
「言葉の音の訛りと喋り方が独特ですもの。この学園では少し大変でしょうけれど、頑張ってくださいね」
「はい!」
「何かあったら相談するんですよ?」
「分かりました!」
「入寮中、王都で働く予定はあるかしら?」
「ない……ですね。そういう人もいるんですか?」
「ええ。たまに王都学園の学費を自分で稼ぐ人もいますから。稀ですけどね。そのため、寮の門限は20時となっています」
「へー……分かりました!」
ミウノはその日から毎日きちんと王都学園に通って学んでいましたが、ある日、寮と王都学園を繋ぐ長い一本道の街路樹の根元に時々、1人の浮浪者のような男が座っていることに気付きました。
男は顔も体も、どう見たって殆ど浮浪者でした。髪も髭も白髪混じりで伸び放題にしているし、肌は日焼けしていますがボロボロで、体だって筋肉もなさそうでした。それに、手の指はまるで木の枝のように痩せ細っているのです。
毎日そこに居るわけではないようでしたが、ミウノは気になってその男を見ていました。その1本道はレンガで美しく舗装されていましたし、その道は王都学園の入り口を守る憲兵すらも通りましたから、浮浪者なんている事がなかったし、いるはずもなかったのです。
でも、彼はまるで木の影と同化するようにそこにいました。
ある日のことです。その頃には少し貴族の言葉遣いを学んでいたミウノが、わざわざ簡易水筒に冷たい水を入れてそれを差し出したのは、新緑が眩しい初夏のことでした。
「ねえ、あなたにこれをあげますわ」
「……ん?おまえ、俺が見えるのか?」
「そりゃあ、そんなところにいつも座っていたら目立つでしょう!」
「……そうか」
あまり口数の多くないその男は、簡易水筒をあっさり受け取りました。よほど喉が渇いていたのでしょうか。
「次はパンを持ってきてあげますわ!待っていらっしゃい!」
少し言葉遣いを間違えているミウノの発言に、男は少し笑いながら、被っている深緑色のフードを被り直しました。
「じゃあまたな」
男がそう言ったため、そこでようやく、ミウノは簡易水筒を完全に拒否されたわけではないことを理解しました。口が緩んだその男の様子を見て、ミウノは少し嬉しくなったのです。




