第3話 本部への階段
ガロウが昨夜の押収品をオーク材の箱ごと書庫に運び込んだのは、夜が明けて二刻目だった。机の隅に箱を置き、何も言わずに階段を上がっていく。クロイスは振り返らない。書きかけの一行を完成させてから、ようやく箱の中身を机の上に並べはじめた。
書庫の蝋紙の窓は、外気の温度を一段遅れて伝える。階段の下の冷気が、四月の朝が抜けて初夏の入り口に差しかかったことを教える。クロイスは外を見ないまま、それを書庫の壁の冷え方で知る。書庫の壁時計は四日前に止めた。時刻は処理済みの帳簿の枚数で測る方が、確実だった。
二重帳簿、架空名義の取引記録、ギルド副支部長の私印、家計簿、手控えのメモ、子供の絵が一枚——子供の絵は事件と無関係だが、副支部長の私室から出たものは全て押収する規則だ。クロイスは絵を一番下に置いた。
昨夜の指示書三枚は、もう局長の手で第一局に渡って実行された。ただし、明け方に七枚目を発行している。副支部長は独房で死んだ。
妻の袖から出た油紙の包みと、独房棟の出入り業者の名簿。その二つを重ねる指示書だ。返答は数日内を見込んでいる。今日からは、押収帳簿を読む段階だ。死因の照合は、紙の上で並行して進む。
ペンを取った。
一日に読める分量は、概ね三年分。今日は本部に向かう。
冒険者ギルド・ヴァルハイム支部の二重帳簿には、本部・経理部宛の送金記録がある。表向きは業務委託費。月に二度、定額。問題は、月の何日に送金されているかだった。
月末ではない。月の十三日と二十七日。
決算ではない。支部長と副支部長のシフト表にも、その日付に意味はない。
受取側の都合だ。
クロイスは新しい羊皮紙を取り、一行目に書いた。
冒険者ギルド本部・経理部。
本部・経理部の名簿は王立議会公開資料に綴じてある。三十二名。書庫の壁際の棚から、クロイスは古い王立議会名簿の合本を引き抜いた。表紙は革張りで、過去十年分の出納要員の氏名・経歴・配属歴が記載されている。月の十三日と二十七日に出勤している人物は、出勤簿の照合で八名に絞れた。
八名のうち、送金額と等しい金額を翌週に決済する習慣がある人物を抽出する。家計簿の写しが第二局の閲覧権限内にあるのは六名だが、残り二名も、本部の食堂利用記録から逆算できる。経理部勤務者は、業務日に必ず本部食堂を利用するように規定されている。利用記録には注文品と支払額が残る。週ごとの支出が、送金日の翌週だけ高くなる人物は、三名。
三名のうち、出勤記録に一度も「会議出席」がない人物に絞る。会計事務職には、月に一度の業務報告会議が義務付けられている。これに出席しない人物は、業務を他者に代行させているか、業務そのものが架空か、いずれかだ。
代行記録は出勤簿の備考欄に必ず残る。残っていない者は、業務そのものが架空である可能性が高い。
該当者は、一名だった。
クロイスは指示書の上に、まだその名前を書かない。書く前に、もう一段確認したい。本部の出勤簿は地方の支部監査では参照できない欄が一行ある。経理部内の人事評価記録だ。
人事評価には「査定者」の項目がある。誰がその人物を評価しているか。それが本部・経理部内の上位者なら平穏、外部組織の指名なら異常。脱税の中継役が本部内で特異な位置にいるなら、評価ラインも特異であるはずだ。クロイスはその欄を、明日の指示書で第二局の閲覧権限内に取り寄せる予定にした。
ペンを置いた。
扉が叩かれた。
「ライサです」
書庫の外から、女の声がした。クロイスは顔を上げない。
「#03、入っていい」
扉が開く。ライサ単独。第一局の現場服のまま、ガロウは一緒ではない。手には封のされた書類が三通。
「ギルド副支部長の独房収容と、明け方の死亡時刻。死因は絞殺、看守長の検視抜粋まで一通目。妻の証言は別棟で継続中、抜粋は二通目。所持品の別表は三通目」
クロイスは机の左端を、空いた手で軽く叩いた。
「#03、報告書はそこに置いてください」
ライサは三通を机の左端に置く。指示書の山の隣だ。一枚目の指示書に、一行目が見えた。
冒険者ギルド本部・経理部。
ライサが少しだけ視線を止める。
クロイスは並べられた三通の角を、左端から右へと、人差し指の腹で順に押さえた。一通目、二通目、三通目。角が揃わなければ、読み返すときに頁がずれる。順序が崩れると、時間がかかる。三通目だけが、机の縁から一ミリほどはみ出ていた。指の腹で押して、揃えた。
「あんた、書類の置き方まで決まってんのか」
ライサが言った。クロイスは顔を上げない。
「順序が崩れると、読み返しに時間がかかります」
「……そうかい」
ライサは少し笑ったような気配を出してから、出ていく前に立ち止まった。
「もう、本部に行く気か」
「指示書通り、ご確認をお願いします」
ライサは扉に手をかけ、半開きにしたまま振り返った。
「あんた、私の番号、まだ覚えてんのか」
「採用記録は第二局の閲覧権限内です」
短い沈黙。
ライサは扉を閉めた。書庫の外で、足音が階段を二段だけ上がり、それから止まり、それからまた上がっていった。
クロイスは振り返らない。三通の角はもう揃っている。
封を破る。一通目はギルド副支部長の独房収容と死亡時刻の報告。二通目は妻の証言室での発言抜粋。三通目が、副支部長の私室からの押収品目録だった。クロイスは三通目から目を通した。事件のリスト化に必要な情報は、最後の一通に最も多く含まれている。これも、ライサにはおそらく分かっていた。書類の順序が、内容の重要度と逆向きに並べられていた。意図的に、終わりに重みを置く並べ方だ。
第一局の現場員にしては、几帳面な並べ方だった。
ペンを取った。
◇
夕方になっていたことを、クロイスは机の縁の冷え方で知った。書庫には窓がない。外気が壁を通って届く速度で、ようやく時刻が読める。
押収品の中から、家計簿の一冊を引き寄せる。副支部長個人のものだ。家族支出の欄に、ある女性名への定期入金がある。
義妹宛、五月分。金貨二〇〇。
クロイスはペンを置いた。
義妹。本人の妻の妹ではない、義理の妹。続柄欄の脇に、その注釈がある。続柄は「養い妹」。副支部長家に保護された孤児の少女だ。年齢は欄外に十五とある。
名前は、リリア。家計簿の余白に、副支部長の几帳面な字で書き添えてある。受取住所は王都郊外の小屋番地。ただし副支部長の家ではない。義理の妹は、養家を出て一人で暮らしているのか、別の誰かに渡されたのか、家計簿だけからは判別がつかない。
金貨二〇〇。一人の養育費としては多すぎる。一人の生活費としても多すぎる。年三回の入金記録があり、合算すると、副支部長の年俸の半分に近い。それを義理の妹に送るという家計記録自体が、まず不自然だった。
金が動く先。
脱税の金は、いつも誰かに渡る。会計の上では「経費」や「業務委託費」や「義妹への送金」になる。だが、行き着く先は別のものだ。十年前にも、それを見た。書類上の血縁関係は、たいてい嘘だった。
何度も追った。最後の一押しで、止められた。
止められた、と思っていた。
実際にはあの男の金は、流れを変えて、ある女の腹に届いていた。クロイスの妹だった。
同じ手口だ、と思った。十年前と。
クロイスは家計簿を閉じる。本部の指示書に戻る。月の十三日と二十七日、出勤記録に会議出席なし、ただ一人。その名前を、まだ書かない。書く前に、もう一つ、家計簿の女性名を別の頁で照合する必要がある。義理の妹は、本当に副支部長の保護下にいるのか。十五歳の少女は、今どこにいて、生きているのか。
局長宛の上申書に、クロイスは三行だけ書いた。
義妹名義の送金、年計六〇〇金貨。受取人の所在は確認できていない。第一局による生存確認を要請する。
ペン先がインクに沈み、上がる。
書庫の壁の向こうで、地上はもう夕暮れだ。




