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【完結】四国転生〜459通のお祈りメールから、旅館若旦那の偽恋人になりました〜  作者: 木風


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第三十一話 恋人役から、婚約者役に昇進しました

「はぁ?淳一。その人の腰に手を回したの?」


莉子さんの声が震えた。


「いや、だから」

「それに、私のことキツいって言った?金遣い荒いって?仕事辞めたっきりって?」

「聞いてたのかよ」

「聞こえたのよ!」


莉子さんの顔が赤くなっていく。

泣きそうなのか、怒っているのか、わからない。

けれど、その視線はすぐに亮平さんへ向いた。


「亮平、あなたも何か言ってよ」

「僕が、ですか」

「そうよ。電話でも言ってくれていたじゃない!女の人を軽く扱う男なんて最低だって」

「それは言いましたけど」

「私のことをまだ好きだからじゃないの?」


淳一の眉が跳ねる。


「おい、莉子。こそこそ電話しているのは知っていたけど、その相手がこいつなのかよ」

「別にいいでしょ。亮平とは学生の時からの付き合いなんだから」

「昔からって、元カレだろ」

「あなたも元カノに声かけてたじゃない!」

「美咲とはそういうんじゃないって」


私の中で何かが引っかかった。

そういうんじゃないって、どういう意味だろう。


「……淳一」

「何だよ」


私が名前を呼ぶと、淳一は面倒くさそうにこちらを見た。


「私とは、そういうんじゃないってどういう意味?」

「いや、だから。美咲はさ、そういうの本気にしないタイプじゃん。昔から冗談通じたし、俺のこともわかってくれてたし」

「わかってた?」

「そうだろ?俺が調子乗っても、最終的には許してくれるっていうか」


淳一は気まずそうに視線を逸らす。


ああ、何だ。

そういうことか。

私は優しかったんじゃなくて、彼にとって都合がよかっただけだ。


怒っても最後は飲み込むし、傷ついても笑って流す。

仕事を辞めても、結婚準備が壊れても、最後には黙って去った。

だから今も、少し声をかければ、少し触れれば、少しくらい失礼なことを言っても、私は大人しくしていると思っている。


「それ、本気で言ってるの?」

「だから、そんな責めるような顔すんなって。俺だって悪かったとは思ってるよ」

「思ってる人は、今日この場で抜け出そうなんて誘わない」

「それは、さっきから言ってるだろ。酔ってただけだって」


淳一の顔が歪む。


「酔ってるのを言い訳にしないで」

「美咲まで莉子みたいなこと言うなよ。お前、前はもっと素直だったじゃん」

「素直だったんじゃない。言っても無駄だと思って、諦めてただけ」


声が震えそうになるのを、必死で押さえた。


淳一が黙った。

会場の空気も止まった気がした。

けれど、莉子さんがすぐに笑う。


「へえ。言うじゃない」


その声は、私へ向いていた。


「でも、今さら被害者ぶられても困るんだけど。あなた、淳一と別れてから随分経ってるんでしょう?」

「随分?」

「それなのに、なんで来たのよ?私の元カレの亮平に連れられて。嫌がらせのつもり?」

「美咲さんはそんなことをしません。彼女は何も知らずに、僕が連れてきてしまっただけです」


亮平さんが莉子さんから庇うように、私の前に立つ。

守られている気がして、それだけで勇気が出た気がした。


「……私が婚約破棄をしたのは、昨年の十月です」

「は?婚約破棄?十月?どういうこと!?」


その短い言葉に、莉子さんの表情が崩れた。


「淳一!!私とこの女!!同時進行だったってこと!?」

「お前だって、あいつと付き合ってたこと黙ってただろ!」

「それは昔の話でしょう!あなたは婚約者がいるのに、私に手を出してきたってこと!?」


二人の声が、徐々に大きくなる。

会場のBGMなんて掻き消すほど。


「お前だって彼女がいても構わないって言ってただろ!」

「言ったけど!婚約してたなんて聞いてない!」

「ちょ、待てって落ち着けよ……言ったら面倒になると思ったんだよ!」

「落ち着けるわけないでしょ!?私、妊娠してるのよ!」

「だからだろ!責任取ってやってんのに、文句言うんじゃねーよ!!!」


その一言で、会場の空気が完全に凍った。


「……最低」


莉子さんが呟いた。

それは、私に向けた言葉ではなかった。

淳一は何か言い返そうとして、口を開けたり閉じたりしている。


周囲の招待客たちが、気まずそうに視線を逸らす。

中には、スマホを握りしめている人もいた。


亮平さんが、静かに私の手を取る。


「美咲さん。出ましょう」

「……はい」


亮平さんの手に触れた瞬間、身体から力が抜けそうになる。

これ以上、この場にいる必要はない。

淳一が慌てたように言う。


「待てよ、美咲!おまえらのせいで、こんな空気にして帰るのかよ!」

「……私たちのせいじゃないよ。あなたたち『夫婦』が作った空気だよ」


それだけ言って、亮平さんの手を握り返す。

莉子さんが、まだ淳一を睨んでいた。


「全部、あとで聞くから」

「莉子、だから誤解だって。違うんだって!」

「何が違うの!?」


二人の声を背中に聞きながら、私たちは会場を出る。


外へ出ると、夜の空気が肺に入って、ようやく息ができた。

会場の熱気と、香水と酒の匂いが遠ざかっていく。

代わりに潮の匂いを含んだ夜風が頬に触れた。


亮平さんは、私の手を離さなかった。


「すみません」

「どうして亮平さんが謝るんですか」

「やっぱり帰るべきでした」

「いいえ。私が自分の意志で残るのを決めたんです」


足は震えているし、声も揺れている。

でも、不思議と涙は出なかった。


「それに、ちゃんと言えました」


もう関わりたくない。

酔っていたことを言い訳にしないで。

私は素直だったんじゃなくて、諦めていただけ。

ずっと言えなかったことを、やっと言えた。


亮平さんが、私を見る。


「美咲さん」

「はい」

「とても、格好よかったです」


その言葉に、今度こそ泣きそうになった。


格好よかった。

そんなふうに言われるとは思わなかった。

惨めでも、情けなくもなく。

ちゃんと立っていた人みたいに扱われたことが、心にじわっと染みていく。


肩の上で、いよぴよさんが小さく呟く。


「若旦那、そこは抱きしめるところなんよ」

「……黙って」

「泣きそうなんよ」

「黙ってってば」


でも、亮平さんには聞こえていないはずなのに、なぜか彼は迷うように手を動かした。

そして、そっと私の肩に上着をかけてくれる。


「今日はゆっくり休んでください」

「……はい」


亮平さんの上着を握りしめた。

会場の中では、まだ何かが崩れている。

けれど、私はもう振り返らなかった。


会場に入る前、私は恋人役として亮平さんの隣に立つつもりだった。

でも、会場を出る時、隣にいてくれたのは、私を守るためだけの人ではなくて。

私が自分で立てるように、倒れないように支えてくれた人だった。

そのことが、夜風よりもずっと静かに、胸の奥へ残った。

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