14-1「羽根」
街灯に照らされた薄暗い道路。静寂に包まれ、とうに寝静まった夜の住宅街。
3人分の足音と息遣いだけが、静かに、忙しなく、響き渡っていた。
「……こ、ここまで来れば大丈夫、だよね?」
苦しげに肩を揺らしながら、エマは不安げに辺りを見渡す。
3人が駆け込んだ先は、駅前から少し離れた小さな公園だった。
公園の周りは無数の木が囲っている。公園の入口に誰かが姿を表さない限り、外から誰かに見られる心配はなないだろう。
月鹿は来た道を振り返る。
薄暗い夜道。追っ手はおろか、通行人のひとりさえも見当たらない。
「多分ね」
そう頷くと、エマが盛大に息をはく。そして、腰が抜けたように崩れ落ちた。
「あ、あの、やっぱり僕、その、今からでも、自首しに--」
「やめておいた方がいいと思うよ」
真っ青な顔で来た道を引き返そうとする乃亜の言葉を遮って、月鹿はスマホの画面を掲げて見せた。
「これって…」
エマが呟く。足を止めた乃亜も、恐る恐る近づいてきた。
「2分前の記事だし、確実にさっきのだね」
月鹿の手元--明るい光を放つ画面には、とあるネットニュースのページが映し出されていた。画面上部では、『元建築会社の廃ビルで爆発!?連続殺人との関係は如何に!?』との文字が嫌な存在感を放っている。
「……警察が監視カメラの映像を確認したところ、爆発の数時間前から、エントランスから中央ホールにかけて設置された監視カメラが全て故障していた事が発覚した。そのことから、何者かが意図的に監視カメラを停止させた可能性があると見られている。更に、ここ数ヶ月の間に頻発している連続殺人事件とも関連づけて捜査される予定である……って」
記事本文を読み上げるエマの顔が、みるみるうちに青ざめていく。
「やばいじゃん!これ、最悪連続殺人まであたしらのせいにされるって!」
「……普通に道を走ってきてしまいまいました……」
頭を抱えたエマの隣で、乃亜も青ざめている。そんなふたりを見て、月鹿は優しく微笑んだ。
「大丈夫。自首しない限り、私達のことがバレることは多分ないと思うから。だから安心して」
「多分って……」
--何故、そのようなことが言い切れるのか?
そう尋ねようとして、エマは言葉を飲み込んだ。
原理は分からないが、これまで、月鹿がはっきりと断言したことに実現しなかったことはない。
まだ完全に信頼できるだけの関係値を築くことができたわけではないが、それでもエマには、月鹿の言葉にある異様な説得力を感じることができてしまうようになっていた。
月鹿のこれまでの実績をどうしても無視することができない。たった数回と言えばそうなのだが、なんだか本当に大丈夫な気がしてくるから、不思議なものだ。
「それよりも」
呆れと割り切れない思いから口をつぐんだエマ。不思議そうに眉を顰めて、首を傾げた乃亜。
何も言わないふたりを交互に見つめながら、月鹿は口を開いた。
「これからどうする?特訓にいい場所とか、他に知ってる?」
その言葉を受け、エマと乃亜はひとまず廃ビルでのことは考えないようにするのだった。
「……あ」
3人が揃って悩み込んでいると、不意に月鹿が口を開いた。
「………何?」
月鹿を見つめながら、エマは険しい顔で腰を引いた。乃亜も顔を強張らせて、続きの言葉を待っている。
そんなふたりの様子も見て見ぬふりで、月鹿は言葉を続けた。
「ちょうどいい場所、知ってたかも」
「マジで!?」「本当ですか!?」
ふたりの声が重なる。
「うん」
月鹿は頷く。しかしすぐに、「でも」と呟いた。
「ここからだと、ちょっと遠いんだよね……」
ちら。
月鹿の視線に込められた意味。それに気付いたふたりは、背中が冷たくなるのを感じた。
ふとエマが隣に視線を移すと、乃亜もまたこちらを見つめてきていた。少しの間顔を見合わせていたふたりだったが、やがて覚悟を決めたエマが、恐る恐る月鹿へと視線を動かした。
「……もしかして、またあたし達を抱えて走ろうだなんて思ってないよね?」
「ふたりの速度に合わせてもいいけど……普通に走ると結構かかるよ?」
--それこそ、着いてすぐに帰路につかないと朝までに帰れないかも。
その返答を聞いたエマは、複雑な表情を月鹿へ向けていた。
「……分かりました」
そう言って、乃亜が腹を決めた顔で真っ直ぐ月鹿を見た。
「……乃亜がそう言うんだったら、あたしも反対はしないけど……」
エマは正直なところ、その移動方法には反対したい気持ちが大きかった。しかし、乃亜が受け入れたのに、自分ひとりが我儘を言うわけにはいかない。
(お願いだから、できるだけ優しくして!!!)
逃げ道がなくなった彼女は、精一杯の念を込めた視線を月鹿に送り続けていた。
その視線を月鹿は気付いていたのか、いないのか。月鹿は2人を抱き寄せると、3人の身体を鎖でガチガチに固定した。
「ふたりとも、行ける?」
「う、うん」「…はい」
嫌な予感がしながらも、ふたりは小さく頷く。
「分かった、じゃあ行くよ。…絶対に口は閉じといてね」
ビュンッ
ふたりを抱えたまま、月鹿は走り出す。
動く速度自体は廃ビルへと向かう前のノロイを見つけた時と大差ない。しかし今回は木の上に飛び乗ったり、建物の上や柵の中へ侵入したりと、何故か普通に真っ直ぐ走ることをしない。
そんなこんなで15分弱。
目的地に着く頃には、月鹿の腕の中でふたりとも完全に目を回していた。
「着いたよ」
その言葉と共に、月鹿はふたりを優しく下ろす。
「な、なんか…さっきよりも荒くなかった……?」
「うぅ……」
真っ青な顔で、ふたりは地面に座り込む。
エマはまだ話す余裕があるみたいだが、乃亜の方は口元を手で覆い、今にも胃の中のものをぶちまけそうな雰囲気で俯いていた。
「……大丈夫?」
月鹿の問いかけに、乃亜は小さく顔を縦に振る。
「本当にしんどかったら、我慢なんてしないで言ってね」
心配そうな顔でそう言う月鹿を、エマは不満げに、何か言いたそうな顔で見つめていた。
しかし、すぐに建物へと体を向けると、キョロキョロと辺りを見渡した。
「てか何ここ……ショッピングモール?」
「予定ではそうだったらしいね。と言っても何年も放置されてる廃墟だし、周りの建物からも離れてるから。ここなら、うるさくしても人は来ないよ」
「それなら、初めからここで良かったんじゃ……」
少しの沈黙、そして、その直後。
「てへ☆」
「……可愛らしく言っても無駄だからね」
片目を瞑り、軽く舌を出しながら、月鹿は首を傾げて上目遣いでエマを見つめる。軽く膝を曲げて顎を引き、甘えるようなあざとい視線。そんな月鹿に、エマはなんとも言えない表情で言い返した。
「そもそも、特訓しようって話になった時はあっちの方が近かったんだよね。それに正直、まさかあそこまで上手くいくとは思ってなかったし」
「ご、ごめんなさ--」
「乃亜は悪くないでしょ。今回のは攻めるものじゃない。むしろ、銃が使えると言うことがわかったことで、あたし達的にはナイス!て感じだし」
反射的に謝ろうとした乃亜の言葉を遮って、エマは話した。
やがて、彼女はショッピングモールへと視線を向ける。乃亜もその視線を追い、建物を見上げた。見上げた乃亜の視線は、やがて正面の壁に掲げられた巨大な立体文字で立ち止まった。
「ここって……」
「知ってるの?」
ぼんやりと呟く乃亜に目を向け、エマは尋ねた。乃亜は看板を見つめたまま、小さく頷いた。
「乃木モール。確か…昔、オープン直前で計画が白紙になった商業施設ですよね。心霊スポットとして有名で、僕も話だけは聞いたことがあります」
「乃木……心霊スポット……ぁ、なんか聞いたことあるかも。確か、マジでやばい所だよね?行方不明者とかが何人もいるっていう」
「はい」
エマの呟きに乃亜が頷く。
「……で。そんなヤバそうな所まであたし達を連れてきた星守さんは、ここで一体何をするつもりなんでしょうかね?」
エマのじっとりとした視線にものともせず、月鹿は建物の中へと歩いていく。
「とりあえず行こ。前来た時、この奥に広そうな中庭があったのを見かけたんだよね」
「あ、ちょ!」
迷いのない足取りで進んでいく月鹿の後を、ふたりは急いでついて行った。
建物へ入るとすぐに、広大なエントランスホールへと出た。
正面には2階分の吹き抜けが広がっている。ホールの中央では、ピエロ姿の少女の銅像が、明るい笑顔を浮かべてこちらへ手を差し出していた。
吹き抜け上部に吊るされた、「ようこそ、乃木区ショッピングセンターへ!」と書かれた巨大な横断幕。
それはまるで、真下に立つ錆びた銅像の話す台詞であるかのようにも見えた。
「ううう…なんかめっちゃ怖いんですけど……」
エマは肩を縮こませながら、辺りを見渡す。
「大丈夫だよ」
歩きながら振り返った月鹿は優しく微笑みかけた。
「そもそも、私達がいつも戦ってるノロイって、ほとんどお化けみたいなようなものだよね。ノロイが出ても倒せるし、そのために来たわけだから、今更怖がる必要もないと思わない?」
「それはそうなんだけど……ここも、ノロイの気配は沢山あるし、世に知られるお化けとかも、元はノロイなのかもしれないけど……」
そこまで言って、エマは「あれ?」と呟いた。
「……なんか、広い廃墟にしては、少なくない?」
「少ない?ノロイがですか?」
乃亜が首を傾げると、エマは険しい顔をして頷いた。
「うん。少ない。そりゃあ市街地に比べたらゴロゴロといるし、さっきの廃ビルのことを思うとまだいる方だけど……」
彼女はキョロキョロと視線を動かしながら、困惑した様子でそう話す。
「……そういえば、今日はずっと少ないんだよね……」
エマは額に皺を寄せて、首を傾げていた。
「とりあえず、行こう?」
熟考するエマにそう言って、月鹿はモールの奥へと歩いていく。広大なエントランスホールを抜け、外へ続く道を歩いていく。
やがて3人は、中庭と思われる場所に出た。
「……早速いるね」
エマが極力抑えた声で呟く。
中庭の端。灰色の壁のすぐ手前で、一体のノロイが背を向けていた。
茶色く錆びた車のようなモノの先、フロント部分から伸びた丸い筒のようなもの。その先にある顔のような、頭のような何かが。ガツガツと、まるで馬が牧草を貪り食らうように、無慈悲に、無遠慮に、無情に、頭を振り回し続けていた。
獲物に夢中なソレは、まだ3人の存在に気付いていない。
月鹿とエマが乃亜を見ると、彼は小さく頷いた。
「い、行きます……っ!」
具現化させた銃を構え、狙いを定めようと足を一歩を踏み出した乃亜。そんな彼の足元で、小さな木の枝が折れる音がした。
バンッ
直後、銃が炸裂する音と共に、凄まじい爆風が巻き起こる。瞬きをするよりも速く距離を詰め、今にも乃亜へ喰らいつかんとしていた車のノロイ。
大きく開けた口内から、バックドアのその先までをけたたましい音と共に一直線に走り抜けた一筋の光。それは、ノロイに反撃の隙を許すことなく、その体を弾け飛ばしたのだった。
濁ったドス黒い液体が雨のように降り注ぎ、ガラガラと重苦しい音を立てて光を失ったノロイは、乃亜の目の前で力なく崩れ落ちた。
廃ビルの時とは違い、乃亜の体は吹き飛んでいない。それどころか、銃を手に持ったままの彼は、一歩下がっただけで尻餅すらついていなかった。
「や、やった……の?……」
呟いたエマの視線の先。乃亜のすぐ前には、動かなくなったノロイの死体が横たわっていた。
車のボンネットの中から除く、バキバキに折れた長く茶色い歯のような隆起の奥。体の前後を貫通するように空いた穴からは黒い液体が溢れ出ている。
「--ハッ。じょ、じょ!」
浄化!浄化!と、エマは声に出さずにパクパクと口を動かす。
「浄化!」
焦ったようにそう言う乃亜の言葉と共に、白い光が溢れ出す。
光が消えるのと同時にノロイの姿がかき消えたのを確認した3人は、ひとまずほっと胸を撫で下ろした。
「び、びっくりした……」
そう言って、エマは全身に込めていた力を抜く。月鹿も右手に握っていた短剣を消し、乃亜へと向き直った。
「……てか、倒せたじゃん!」
「……倒せた……」
半ば興奮しながらそう話すエマの横で、乃亜はノロイの消えた正面を見つめながらぼんやりと呟いた。
彼の瞳に灯った小さな光は、段々と大きなものへと変化していく。
--倒せた、倒せた。こんな自分にも、倒せた。
ただ呆然としていると、遅れて実感が湧いてくる。
--やった。倒せた。やった、やったんだ。嬉しい。やった。やった、やったやったやったやった----
「やったぁ」
「凄いよ!」「やったね!」
ぽつりと呟かれた声に応えるように、エマと月鹿の声が重なった。
「--よしっ」
ひとしきり喜び合った後、エマが小さく呟いた。そのまま通路の先へと体を向け、ふたりへ振り返る。
「うかうかなんてしてらんないよ。この調子で、どんどん倒しちゃおー!」
「おー!」「お、おー!」
丸めた手を高く上げたエマに続いて、あとの2人も拳を持ち上げる。
今襲ってきたものは強そうな個体だったのに、それを乃亜はたった1発魔法を放っただけで倒してしまった。本当に試練だって乗り越えられるかもしれない。初めてノロイを倒せたことに浮かれる乃亜の心には、光が差し込んでいた。




