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crescent  作者: Luna
第一章
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1-1「出会い(さいかい)」

「起きなさい」

 べしっ

 ごんっ

 

 5月、放課後。とある中学校のひとつのクラスの教室中に、鈍い音が響き渡った。

 

「痛い!なこが頭殴った!」

 机に突っ伏して寝ていた伊藤瑞稀(いとうみずき)は、頭を上げ両手で額を抑えながら、涙を浮かべた瞳で田村奈子(たむらなこ)を睨みつける。

「殴ってない」

「机におでこぶつけた!」

「どんまい」

「痛い!」

「どんまい」

 

 いつも通り夫婦漫才のような2人の掛け合いを横目に、星守月鹿(ほしもりるか)は箒を動かす。月鹿が動く度、肩にかけた三つ編みと後ろでひとつに束ねている長い灰色の髪がさらさらと揺れる。

 

「ありゃりゃ…またやってるよあのふたり」

「よかったー」

「良かった?」

「いやだって、あのふたり毎日のようにわちゃわちゃしてるじゃん?珍しく今日ずっと静かだったから、ちょっと寂しかったんだよねー」

「それはちょっと分かるかも」

 教室の入口にある鏡の前に群がっている3人のギャル達はメイクの手を止めて微笑ましそうにふたりを眺めている。

 新年度が始まった当初は2人の言い争いが始まる度になんとか治めようとしていたクラスメイト達も、この通りすっかり慣れてしまった。今では1日に1回は喧嘩してくれないと寂しくて死んでしまうとか言い出す者まで現れている。

 

「起こしてあげたんだから感謝の言葉くらい言いなさいよ」

 奈子は椅子に座った瑞希を見下ろしながら澄ました顔で腕を組む。

「なこのばか!暴力反対!」

「ばかはどっちよ、ばかみずき」

「鬼!悪魔!本体眼鏡!!!」

「…最後のそれは悪口のつもり…?」

 瑞希による貶す気があるのかどうかいまいち分かりづらい罵倒を受け、奈子は苦笑し呆れている。

 

「お〜やってるねぇ〜。おはよ瑞稀。聞いたよ、5時間目からずっと寝てたんだって?どした?さすがに寝過ぎじゃね?」

 鎌田(かまだ)ゆかりは教室に来るや否やそう言ってふたりの元に向かっていった。他クラスの筈のゆかりは、毎日のようにこちらのクラスに顔を出す。そのため4組の人達から殆どクラスメイトのような扱いを受けているが、彼女は本来3組の生徒である。

「あ、ゆかおはよ…ふぁ〜…最近頻発してる連続殺人事件あるじゃない?」

「おう突然。全然おはやくないとは思うけど、それがどうした?何かあった?」

 みずきと話していると急に話題を変えられることはよくあることなので、ゆかりは慣れた口調でそう尋ねる。

「いやそれがさぁ…1週間前くらいにわたしの従兄弟の父の友人の祖母の再従姉妹の親友の孫の幼馴染の姉の息子が殺されたらしくてさ、次は自分なんじゃないかって思うと怖くて最近夜眠れないんだよねぇ…」

「それは怖…え待ってその人ほぼ他人じゃね?」

 ゆかりは危うく瑞稀の話に共感しそうになったが、すんでのところで我に帰った。

「その人チア部の先輩の従兄弟らしいの」

「初めからそう言いなよ…というかよくそんな遠回りした関係性で表せたね…」

 瑞稀はチアリーディング部に所属している。人間関係は数人たどると殆ど全ての人に辿り着けるなどどいう話は聞いた事があるが、それにしてもよくそんなことが分かったなと奈子は呆れを通り越した苦い笑みを浮かべている。

 

 水無子市(みなしし)連続殺人事件。それは数ヶ月前からここ、乃木(のぎ)中学校のある水無子市周辺で頻繁に発生している殺人事件の総称である。犯人も被害者同士の関係性も一切判明していない、謎に包まれた事件として人々から恐れられている。

  

「それって確か、被害者の殆どが未成年だって言うやつだよね?中高生くらいの」

 当番の掃除を終えた月鹿は、箒をしまった足で3人の元に向かう。

「るかちおは!そうそれよ。ほんっと怖い…ふぁ〜」 

 瑞稀は眠そうに大きな欠伸をする。

「ん?瑞稀、あれって今日じゃない?時間、大丈夫?」

「『あれ』?」「?」

 何かを思い出した様子のゆかりの言葉に、奈子と月鹿は首を傾げる。

「え?…もうこんな時間!?やばいやばいやばいゆかありがとねみんなじゃーねまた明日ぁ〜!!!!」

 瑞稀はそう言いながら急いで筆箱と教科書を鞄に詰め込み、緩くウェーブのかかった茶色い髪を豪快に揺らしながら転がる様に教室を出ていった。

  

「…行っちゃった」

「嵐の前ならぬ嵐の後の静けさってね…」

 そんな瑞稀の様子を奈子とゆかりと月鹿の3人は呆れた様子で眺めている。

「ゆかりちゃん、瑞稀ちゃんは今日何があるの?」

「ん?あぁ、あいつ、今日デートなんだとよ」

「デート!?!?」

 月鹿の問いにゆかりが答えると、奈子が突然大声を上げた。

 

「うるさ!?何急に、どした?」

「どしたもこうもないわよ!え、デート!?うそ、みずき彼氏いたの!?」

 奈子は驚きのあまりか海外の映画のように全身を大きく動かしながら話している。

「まー驚くよな。気持ちは分かる。この間告られて、そのままOKしたらしい。んで今日が記念すべき初デート」

「この間っていつ!?」

「一昨日」

「一昨日!?!?うそ、そんな…彼氏なんて…なんで隠して…」

 人形のように可愛らしい瑞稀の外見はそれなりに目立つので、よく告白される。しかし、その度に丁寧に断ってきたということは乃木中学校の現2年生ならば誰もが知っているほど有名な話だ。だからこそ奈子の驚きは相当大きなものであったのだろう。彼女は眼鏡の奥の目を見開いたまま一歩下がったと思ったら、すぐに膝から崩れ落ちた。

「あはは…。別にわざと隠してた訳ではないんだと思うよ。うちが知れたのも、たまたま教室で日誌書いてた時に瑞稀が堀口と微笑まし~い雰囲気を漂わせながらやってきたからだってだけだから…んで、試しに茶化してみたら普通に教えてくれたもんだからこりゃびっくりってね」

「堀口!?堀口って、堀口相馬(ほりぐちそうま)?あのイケメンの???」

「あー」

 衝撃を受ける奈子とは対照的に、月鹿は納得がいった様子で呟く。

「…月鹿はあんまり驚いてないみたいだけど、なんで?」

 奈子は、自分とは違い冷静な月鹿を不思議そうに見つめる。

「うん、意外ではないかな。みずきちゃんと堀口くんはずっと仲が良かったから」

「そうそう。あの2人、去年から結構いい感じだったんだよね」

 瑞稀とは幼なじみのゆかりに、2人とは1年生の頃からの付き合いである月鹿と違い、奈子は今年になって始めて月鹿と瑞稀と知り合った仲。ゆかりとは同じテニス部に所属しているため元々友人ではあったが、瑞稀の恋愛事情までは知る由もなく。なるほどねー、と呟きつつも奈子の口は尖ったままである。

「ま、そういう事なんで、元気だして奈子…あ、そうだ。ムンフの新作超美味しいらしいけど、知ってる?」

「あ、知ってる!春の桜スペシャルのやつ!」

 ゆかりがスイーツの話を持ち出した途端、奈子は今まで拗ねていたのが嘘のように目を輝かせた。その様子を見たゆかりは溢れてくる笑いを堪えながら、これから行かない?と提案する。奈子はぶんぶんと頭をふりながら、行く!と答えた。

 


 ここ最近は何かと物騒な事件が相次いでいるので、学校からは用がない人は真っ直ぐ家に帰れと言われている。とは言っても、あまり守っている人はいない。先生達も寄り道して帰る生徒が未だに多いことは流石に理解しているとは思うが、直接乃木区で何かが起こったというわけではないためか、ホームルームで寄り道を控えるようにと言ってきたきり、その後の対応は特に無い。

 ゆかりは鞄を取ってくると言って教室を出て行き、奈子と月鹿は廊下に出てゆかりが戻って来るのを待っていた。少しすると、奈子はスマホを取り出してムンフのメニュー画面を見始めた。

「えーどれ飲もー。月鹿は?何か気になるやつある?」

「ごめんね、私は手伝いがあるから…」

 奈子の問いかけに月鹿は申し訳なさそうな表情でそう答える。

「あ、そっか…ごめん」

 配慮が足りてなかったことに気づいて心から申し訳なさそうに謝る奈子に、月鹿は優しく大丈夫だよと微笑む。

「施設の…だっけ」

「そう、手伝わないと。でも本当に気にしないでね。私の事はいいから、ふたりで楽しんできて。明日感想聞かせてね」

「了解!」

 

 

「あ、るかねぇおかえりー!」

「おかえりー」

「ただいま。あちょっと、飛びつかないで!」

 月鹿が児童養護施設「つばめの園」に着くとすぐ、気づいた子供達が月鹿の周りに集まってきた。

 月鹿は迫り来る子供達をできるだけ優しく振り払いながら、厨房へと進む。

「ただいま帰りました」

「あらぁ、月鹿ちゃん。おかえりなさい」

「手伝います」

「いつも有難うねぇ。じゃあこの鍋を見ておいてくれるかしら。沸騰してきたら火を消して頂戴ねぇ」

「はい」

 つばめの園に帰るとすぐに先生方の手伝い(大抵は夜飯の準備)をする。これが中学校に入学してからの月鹿の日課だ。そのため放課後に友達と出かけたことは数えるほどしかない。中学に入ってからは2回だけみずきやゆかりを含むクラスメイト達と放課後に遊びに出かけたことがあるが、あれはテスト最終日や学校行事の関係でたまたま学校が早く終わる日で、その上今日はゆっくりしていいよとつばめの園の院長先生が朝、登校する前に言ってくれていたからである。

 つばめの園では大抵の人が高校生になれば一人暮らしや寮生活などを始める。今この場所で暮らしている子供達は月鹿を含め全員で13人。月鹿と同じ年齢の子供も月鹿よりも年上の子供も居ないため、中学2年生である月鹿が今この場に住んでいる子供達の中では最年長である。そんなこともあり、月鹿は自分を置いてくれることへの感謝の意を込めて、孤児院の仕事を日々手伝っている。

「あれ、醤油がもう無い。あちゃー、さっき買えば良かったわぁ…あ月鹿ちゃん、申し訳ないんだけど、お醤油買ってきてくれないかしらぁ?」

「あ、はい」

「ちょっとごめんなさいねぇ。こっちは今手が離せないから、お金は山田先生から貰ってくれる?山田先生、お願いできるかしらぁ?」

「はい」

「分かりました。はい、これお金。(お釣りはいつものように好きにしてくれていいからね)、鍋は俺が見ておくから」

「ありがとうございます」

 買い物を頼んできた遠藤先生には聞こえないようにお釣りについてそっと話してくれた山田先生からお金を受け取り、月鹿はつばめの園から徒歩5分くらいの商店街へと足を運んだ。

 

「ほいよ、お釣り。」

「ありがとうございます」

「まいどありぃ」

 目的であった醤油を買い、月鹿は余った小銭を自身の小さながま口財布に入れて帰路に着いた。お金を渡してくれた山田先生は1年程前にこのつばめの園に来たばかりの20代くらいの若い男性で、なにかと月鹿に親切にしてくれる人である。その上山田先生からお金を預かる、又は彼にお釣りを渡すと、必ずそのお金は好きにしていいと言って立て替えてくれる。お小遣いという制度のない月鹿にとって、彼はとても有難い存在なのであった。中学生ともなると多くの人は持ち物や身だしなみについて意識し始める。瑞稀達3人は他人に口出すようなことはあまりしないが、月鹿の通う学校は女子の大半がおしゃれにうるさく、ただでさえも孤児院の手伝いで付き合いの良くない月鹿がクラスで目をつけられないようにするには、最低限の流行りにだけでも乗るためのお金が必要なのだ。

 


「泥棒ー!!!」

 醤油を買った店から少し歩いた時、突然前方から誰かの叫び声が聞こえた。

「誰かー!そいつを捕まえてー!」

 声を聞いた通行人達は走ってくる盗っ人を捕まえようとするが、紙袋を持ってボロボロの黒い着物を着た黒髪の少年は、身軽な動きで人々の間をくぐり抜ける。

「君!そいつを止めてくれ!」

 盗っ人が月鹿の前に来た時、月鹿も他の人と同じように手を伸ばして少年を見る。


(………………………!)

 それは一瞬だった。ほんの一瞬だけ、月鹿は少年と目が合った。…気がした。ただの勘違いかもしれないし、そもそも目が合ったからどうだって言うのだ。頭ではそう分かっていても体が動かない。少年はすぐに前を向き、あっという間に人混みの中に消えていった。

 少年を追いかけて人々も去っていく。



 月鹿はざわめきが遠のいていく事にも気付かず、しばらくの間その場に立ち尽くしていた。

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