【クロノフォージ編】第43話 反動 〜過去からの逆襲〜
「バルブ開放シークエンス、スタート!」
タケルの叫び声が、警報音にかき消されそうになる。
コイタたちの目の前にある巨大な隔壁――時空エネルギーの「ダム」の放水ゲートが、軋みながら開き始めた。
ゴゴゴゴゴゴ……!
地響きではない。「空響き」だ。
空間そのものが悲鳴を上げているような、耳障りな重低音が全身の骨を震わせる。
「出力20%……30%……! 流速、想定の500倍!」
ヴォルクがレバーにしがみつきながら怒鳴る。彼の巨体でさえ、強烈なエネルギーの風に吹き飛ばされそうだ。
「おい、こいつは本当に『水』なのか!? 質量がありすぎるぞ! 鉛のスープをかき混ぜてるみたいだ!」
「ぐっ……!」
コイタは膝をついた。
強烈な目眩。
視界がブレる。世界が二重、三重に重なって見える。
目の前のパイプが、突然「巨大な木の根」に見えたかと思うと、次は「錆びついた鉄塔」に見える。
現実の上書き。過去の情報の逆流だ。
――ザザッ……。
ノイズと共に、全く別の光景が脳内に割り込んできた。
(……おい、コイタ。またそんなガラクタ拾ってきたのか?)
親父の声だ。
地球のスラム街。埃っぽい路地。夕暮れの空に浮かぶ巨大な廃棄物処理プラント。
錆びた鉄の臭いと、焦げた回路の臭い。
少年時代のコイタは、ゴミ山から拾った壊れたラジオを抱えていた。
『父ちゃん、これ直せるんだよ。いい音が聴けるんだ』
『無駄だ。捨てられたモノには価値がない。……俺たちと同じようにな』
絶望した父の背中。
かつて自分が生きていた場所。もう二度と戻れない故郷。
フラッシュバックが切り替わる。
(……お帰り、コイタ)
今度は母の声だ。
狭くて薄暗いアパートの一室。でも、そこには温かいスープの匂いがあった。
病弱だった母。彼女の手のぬくもり。
『あなたは器用ね。……きっと、壊れた世界も直せるわ』
母の遺言のような言葉。
あれが俺の原点だったのかもしれない。
さらに記憶が加速する。
(……この石版には、神の言葉が刻まれているのだ)
ルルドーの神官の声。
青い森の湿った空気。発光植物の幻想的な輝き。
夜空に浮かぶ二つの月。
神殿の奥で、巫女たちが祈りを捧げている。
『私たちは、星の運命に従うしかないのでしょうか……』
彼女の悲しげな横顔。
裏切りと、絶望と、そして微かな希望の記憶。
フォーミソリアの戦い。燃える空。死んでいった仲間たちの叫び声。
それら全てが奔流となって押し寄せてくる。
「くそっ……なんだこれ……!」
コイタは頭を振った。
幻覚ではない。この場所に蓄積された「過去の演算残骸」が、エネルギーの解放と共に溢れ出し、人間の脳に直接干渉しているのだ。
忘れていたはずの痛みが、鮮明に蘇る。
「うわあああ!」
近くにいた作業ドローンが、突然バラバラに分解された。
物理的な破壊ではない。数百年分の「風化」が一瞬で進行したかのように、錆びて崩れ落ちたのだ。
ドローンを構成していた金属が、独自の「時間」を思い出して土に還ったのだ。
「時相震だ!」
ノアが青い防御フィールドを展開しながら叫ぶ。
彼自身の身体も、ノイズのように点滅している。
「過去の記憶が物理的な衝撃となって噴出している! 時空の歪みに触れるな! 時間を奪われるぞ! 自分の『今』を強くイメージしろ!」
「時間を奪われる……?」
コイタは戦慄した。
もしあの衝撃波を生身で浴びれば、身体が一瞬で老化して灰になるかもしれない。あるいは、受精卵まで逆行して消滅するか。
ここは、現在と過去が衝突する最前線なのだ。
ドカン!
頭上の冷却パイプが破裂した。
そこから噴き出したのは水蒸気ではない。黒いタールのような、粘着質の「時間の澱」だ。
それは生き物のようにのたうち回り、最も近くにいた生命反応――コイタへと襲いかかる。
まるで、過去に捨て去られた亡霊たちが、生者を道連れにしようとしているかのように。
「コイタ様!」
影が走った。
銀色の髪が閃く。Rabbit(少女型)がコイタを突き飛ばし、自らその黒い奔流の前に立ちはだかった。
「きゃあぁぁ!!」
悲鳴。
人間のものではない、金属が引き裂かれるような鋭い音。
彼女の左腕に直撃した「澱」が、瞬時にその部分の時間を加速させる。
真っ白で滑らかだった人工皮膚が、一瞬で干からび、ひび割れ、剥がれ落ちる。
その下の装甲板さえもが赤錆に覆われ、ボロボロに腐食していく。
ほんの数秒で、彼女の左腕は「数千年の時」を経過した遺跡のようになった。
「Rabbit!」
コイタが駆け寄ろうとするが、衝撃波に阻まれる。
「来るな!」
彼女が叫んだ。
ボロボロになった左腕を庇いながら、右手で瓦礫を薙ぎ払う。
「私は平気です……! これはただの『経年劣化』です。パーツを交換すれば治ります! でも、コイタ様が生身で触れれば、寿命ごと持っていかれます!」
「そんな……!」
コイタは歯を食いしばった。
彼女は笑っていた。
左半身が焼け爛れ、内部のケーブルが露出しているというのに、無事な右目のカメラアイだけで優しく微笑んでいる。
「痛覚センサーをカットしました。……だから、痛くありません」
嘘だ。身体がガタガタと震えている。
AIに痛みがないとしても、自分の身体が崩壊していく恐怖がないはずがない。
彼女は今、生まれたばかりの心で、死の恐怖と戦っているのだ。
それでも、彼女は一歩も引かない。コイタを守るという「選択」をした自分自身を、誇りに思っているかのように。
『警告。危険水域を突破』
ラボのスピーカーから、ロッシュの冷静な声が響く。だが、その声にも焦燥が混じり始めていた。
『想定以上の反動です。時空構造体の歪みが限界を超えています。直ちにゲートを閉鎖しなさい! このままでは施設ごと対消滅します!』
『……ノア! 私の計算でも、これ以上の維持は不可能だ!』
EmpireとリンクしたPioneerAIの声も悲痛だ。
『即時撤退を推奨する! 人間たちを守るためには、ゲートを閉じるしかない! 生き延びることが最優先だ!』
「だめだ!」
コイタは叫んだ。
彼は血の混じった唾を吐き捨て、制御盤にしがみついた。
「今止めたら、溜まったエネルギーが逆流して全部吹っ飛ぶ! ここで退いたら、Rabbitの怪我も無駄になるんだよ!」
『非論理的です! 生存確率は0.02%以下……』
「うるせえ! 俺たちの計算機がまだ『ノー』って言ってねえ!」
コイタはタケルを見た。
タケルもまた、鼻血を出しながらキーボードを叩き続けていた。
彼の目には、狂気にも似た集中力が宿っている。指先から煙が出そうなほどの打鍵速度。
「いける……! まだ制御可能範囲内だ! ……Empireの計算は『安全マージン』を取りすぎている! 理論値ギリギリまで攻めれば、抜け道はある!」
「タケル……!」
「監査窓の安全装置、全解除! リミッターをカットしろ! ……全責任は俺たちが持つ! AIには指一本触れさせねえ!」
「正気か!?」
ヴォルクが叫ぶ。
「やるしかないんだよ!」
コイタはRabbitを支えながら立ち上がった。
彼女の左腕からは火花が散り、オイルが血のように滴っている。その熱さが、コイタの決意を固めた。
コイタの手が震える。
怖い。
このレバーを引けば、本当にすべてが終わるかもしれない。
自分も、仲間も、この宇宙さえも消し飛ぶかもしれない。
だが、引かなければ、何も始まらない。
過去に縛られたまま、未来を閉ざすことになる。
「これは俺たちが作った借金だ。……俺たちの文明が、便利さと引き換えに未来へ押し付けたツケだ!」
コイタは制御レバーを握りしめた。
熱い。手のひらが焼けそうだ。
だが、離さない。
「だったら、俺たちが払い切るのが筋だろうが! ……利子をつけて返してやるよ!」
ガキンッ!
彼はレバーを最下段まで押し込んだ。
「MAXIMUM」の表示灯が赤く輝き、警告音が絶叫に変わる。
その瞬間、世界が裏返った。
パイプから噴き出すエネルギー流が、直角に折れ曲がり、次元の彼方へと吸い込まれていく。
コイタたちが作った「監査窓」が、物理法則をねじ曲げて道を作ったのだ。
赤と青のライトが高速で点滅し、視界を極彩色に染め上げる。
「いっけえええええ!!」
コイタの絶叫と共に、クロノフォージが白光に包まれた。
その光の中で、コイタは見た。
過去と未来が混ざり合う混沌の渦の中で、微笑むような、あるいは泣いているような、かつての仲間たちの幻影を。
――頼む。壊れないでくれ。俺たちの未来を、まだ終わらせないでくれ。
そして、その中心で、新たな道が開かれるのを。
(つづく)




