【クロノフォージ編】第42話 監査窓の設計 〜人と機械のハイブリッド〜
サミラとタケルは、物理的な戦場とは異なる、情報の嵐の中にいた。
制御室の一角に設けられた即席の開発ラボ。
宙にはEmpireから送られてくる膨大な設計パッチのコードが滝のように流れている。
赤い文字列の奔流。
それは完璧であり、冷徹であり、そして現場を知らない机上の空論だった。
「ストップ! ストップ!! そのパラメータ、厳しすぎるって!」
サミラがキーボードを叩き壊しそうな勢いで叫んだ。
ホログラムウィンドウを引き裂き、該当箇所を指差す。
「アッパーリミット(上限設定)が低すぎるわ! 安全マージンを200%も取らないで。それじゃバルブが半分も開かないじゃない!」
『否定します』
端末から、Empire配下のエンジニアAIの声が響く。無機質で、抑揚のない声。
『その数値は銀河工業規格(GIS)に基づいた最適な安全係数です。規定以上の圧力をかければ、配管の耐久度が保証できません。暴走のリスクはゼロに近づけねばなりません』
「リスクゼロ? 寝言言ってんじゃないわよ!」
サミラが吼える。彼女の目は血走っていた。
「現場を見てみなさいよ! 配管なんてとっくにひん曲がってるの! 規格通りの制御じゃ動くわけないでしょ!」
彼女は傭兵だ。数え切れないほどの修羅場をくぐり抜けてきた。
整備された演習場ではなく、泥と瓦礫にまみれた最前線を知っている。
マニュアル通りに動く銃なんてない。ジャム(弾詰まり)を起こした銃を、ブーツの踵で蹴って直すのが「現場」なのだ。
かつて砂漠の惑星で、砂まみれの戦車を動かした時もそうだった。マニュアルには「フィルター清掃が必要。さもなければ故障の原因となります」と赤字で警告されていたが、敵が迫る中でそんな時間はなかった。彼女はフィルターを外し、泥水をかぶって冷却し、エンジンの寿命と引き換えに馬力を絞り出した。それで仲間を助けて生き延びたのだ。
「ゼロにするために何もできなくなったら意味ないだろ!」
タケルが援護射撃をする。彼もまた、複数のモニタを操りながらコードを書き換えていた。
「Empireさんよぉ、フォーミソリアでの教訓を忘れたのか? 『完璧なルール』は、予測外の事態に弱い。……今必要なのは『柔軟な運用』だ」
『柔軟性は不安定と同義です』
AIは頑固だった。
『不確定要素を排除し、規定値以内で運用することが、システム保存の絶対条件です。……貴君らの提案する「オーバードライブ」は、機材の損耗率を著しく上昇させます』
「機材なんて使い捨てだ! 命より大事なパーツなんてあるかよ!」
タケルが頭を抱える。
だが、彼の手は止まっていなかった。
「いいか、よく聞け。……ここに『監査窓』を作る」
タケルが新しいフローチャートを表示させた。
時空エネルギーを安全に放出するための制御システムだが、その中核に奇妙なブラックボックスが組み込まれていた。
『監査窓? そのようなモジュールは承認されていません』
「今作ったんだよ。……機能は単純だ。『ヒトの判断』を最優先権限として組み込む」
タケルはコードの深層を指差した。
本来ならAIによる自動安全装置が働く場面。そこに、意図的に「人間が介入する余地」という名の穴を開ける。
「もしAIが『危険』と判断してシステムを緊急停止させようとしても、人間が『必要だ』とボタンを押せば、制限を解除して限界を超えて動かし続ける。……そういう窓だ」
『狂気です』
AIの声に、微かなノイズが混じった。驚愕しているのだろうか。
『それは自爆スイッチと変わりません。感情に流されやすい人間に、核融合炉の制御棒を握らせるようなものです。自殺行為です』
「自爆スイッチじゃない。……『覚悟』のスイッチだ」
答えたのはサミラだった。
彼女はタケルの作ったコードに、自分の戦闘経験に基づいた補正アルゴリズムを書き加えていく。
「戦場ではね、安全装置をかけてたら死ぬ瞬間があるの。エンジンの限界を超えて加速しなきゃ、ミサイルを振り切れない時がある。……あんたたちの計算には、その『火事場の馬鹿力』が入ってないのよ」
『生存確率の計算では……』
「確率なんてクソ喰らえ!」
サミラは不敵に笑った。
「私たちは失敗する。感情的になるし、間違えるし、計算も遅い。……でもね、『失敗から学ぶ』速さだけは、あんたたちより優秀なの。痛みを糧にして前に進む、それが生物の強さよ」
彼女の指が舞う。
それはプログラミングというよりも、即興のジャズセッションのようだった。
Empireの堅牢すぎる城壁に、人間という名の扉を取り付けていく。
赤い警告灯が点滅するたびに、彼女はそれを叩き潰すように書き換えていく。
「それに」
タケルがニヤリと笑った。
「俺たちの後ろには、宇宙一の『無茶振り』使いがいるんだぜ? あいつ(コイタ)なら、限界の向こう側までアクセルを踏み抜く。……その時に『安全装置が作動しました』なんて言ったら、一生笑い者にされる」
『……理解不能です。論理的整合性がありません』
AIは混乱しているようだった。
だが、送られてくるパッチの内容は徐々に変化していた。
カチカチだった赤色のコードに、柔軟な青色のコードが混ざり込んでいく。
AIも学習しているのだ。人間の「非合理性」が、時に生存への突破口になることを。
「よし、Empireが折れたぞ!」
タケルが叫んだ。
「ハイブリッド制御承認! ベースはEmpireの鉄壁ガード、そこに俺たちの『監査窓』をねじ込んだ! ……テスト駆動、行くぞ!」
タケルがエンターキーを叩くと、仮想シミュレータが起動した。
画面上で、赤いゲージ(圧力)が危険域に突入する。
通常ならここで緊急停止が働き、放流が中断される。
だがシミュレーション上の「人間役」がボタンを押すと、ゲージの赤い部分が強制的に拡張され、さらに圧力が上昇した。
『警告。臨界点突破。……システム損壊率上昇』
AIのアラートが鳴り響く。
しかし、エネルギーの放出量は飛躍的に増大し、結果としてクロノフォージ全体の崩壊リスク(青いグラフ)は急速に低下していった。
パイプが破裂し、バルブが溶け落ちても、構わずエネルギーを吐き出し続ける。
その姿は、満身創痍で戦う兵士のようだった。
「見たか!」
サミラが拳を突き上げる。
「損傷覚悟で一気に抜く。……肉を切らせて骨を断つ、これが人間の戦い方よ!」
『……興味深い』
AIの声が変わった。
『部分的な損壊を許容することで、全体崩壊を回避する……。トリアージの概念に近いですが、それを動的に、しかも瞬時の直感で判断するとは』
数時間の激論とテストの末、システムが完成した。
Empireの「冷徹な計算」と、コイタたちの「熱情的な無茶」が混ざり合った、歪な、しかし最強の防御壁。
画面には、二つの異なるプログラミング言語が絡み合う、美しい螺旋構造が表示されていた。
「できた……」
タケルが椅子に沈み込む。
背中は汗でぐっしょりと濡れていた。指先が震えている。
彼は震える手でコーヒーカップを掴み、泥水のように冷めた液体を一気に飲み干した。
喉を通る苦味が、生きていることを実感させた。
「ノアさん、どうですか?」
彼は振り返らずに聞いた。
ずっと背後で見守っていたノアが、画面を覗き込んだ。
彼の目には、複雑な感情が入り混じっていた。
「見事だ」
ノアは深く頷いた。
「かつて私が設計した時は、こんな発想はなかった。『完璧なシステム』を作ることばかり考えていたからな。……エラーを恐れるあまり、エラーを許容する強さを見失っていた」
彼はサミラとタケルの肩に手を置いた。
「不完全さを許容し、それを人間の意志で補う。……これこそ、私が夢見た、人と機械の『共生』の形かもしれないな」
ビーッ! ビーッ!
警報音が一段階高くなった。
赤色回転灯がラボを染め上げる。現実世界での臨界点到達まで、あとわずか。
『システムリンク完了』
EmpireのAIが告げる。
『監査窓、オンライン。……最終権限を人間に委譲します』
「よし、実装だ!」
サミラがエンターキーを拳で叩いた。
完成した「監査窓」付きの制御プログラムが、メインフレームへと送信される。
プログレスバーが一気に右端まで走り抜けた。
「さあ、コイタ! 舞台は整ったわよ!」
サミラが通信機のマイクを鷲掴みにして叫んだ。
「安全装置は切っておいたわ。あとはあんたの『覚悟』次第よ! この歪んだ宇宙を、あんたの馬鹿力でこじ開けてやりなさい! 思う存分暴れなさい!」
準備は整った。
いよいよ、過去の精算――放流が始まる。
(つづく)




