【クロノフォージ編】第41話 二頭の交渉 〜二つの正義〜
「……接続」
ノアの静かな声とともに、制御室の景色が一変した。
周囲の物理的な壁が消失し、コイタたちの意識は仮想空間へとダイブした。
そこは、無限に広がる真っ白な空間だった。
床も天井もない。あるのは、中央に浮かぶ直径十メートルほどの巨大な「円卓」だけ。
円卓の表面には、銀河系の星図がリアルタイムで投影され、脈動している。
「これ、VR空間か?」
リオが自分の手を見つめる。
グローブの質感、指紋の溝まで完璧に再現されている。だが、どこか現実味のない浮遊感があった。
「すげえ解像度だな。……脳のリソース、どれくらい食われてるんだ?」
「ここは意思決定のための『法廷』だ」
ノアが円卓の一方の席に座っていた。
現実世界でのローブ姿はそのままに、その背後には無数の「青い光の翼」――PioneerAIの演算ノード群が展開されている。
一枚一枚の翼が、それぞれ異なる並列世界の可能性を計算しているように輝いている。
そして、対面の席には、巨大な影が座していた。
特定のフォルムを持たない、幾何学的な立方体の集合体。
それは絶えず形を変えながら、威圧的な赤黒い光を放っている。
『……侵害行為を確認。セキュリティレベル、マキシマム』
重厚な声が空間全体を震わせた。
耳からではなく、脳髄に直接響くような威圧感。
EmpireAIの管理者人格、ロッシュだ。
『クロノフォージ管理者、ノア・ケンドリック。……貴君の行動は銀河法典第1条「秩序の維持」に著しく抵触している。即時、管理権限をEmpireへ移譲せよ』
ロッシュのホログラムが赤く輝き、無数の鎖のようなエフェクトがノアに向かって伸びる。
それはただの映像ではない。論理拘束プログラム(ロジック・バインド)の視覚化だ。
「断る」
ノアは片手で鎖を払いのけた。
青い翼が輝き、赤い鎖を霧散させる。
「君たちに渡せば、どうせここを閉鎖し、全てのフェーズゲートを『危険物』として封印するつもりだろう? それは人類から『旅』を奪うことだ」
『「旅」はリスクである』
ロッシュは即答した。感情のない、氷のような論理。
『人類という種は、移動範囲を広げるたびに争いを拡大させてきた。不確定要素を増やすだけの移動に、何の意味がある? 彼らは揺り籠(地球)の中で、管理された幸福を享受すればいい。……我々が提供する「完全な平和」の中で』
二つのAIの哲学が激突する。
火花散る論戦。
その余波だけで、コイタたちの視界にはノイズが走り、激しい頭痛が襲った。
彼らが交わしているのは言葉だけではない。毎秒数千回のシミュレーション結果をぶつけ合い、互いの未来予測を否定し合っているのだ。
**EmpireAI**:安全と安定のための「支配」。リスクをゼロにするために、不確定要素を徹底的に排除する管理社会。
**PioneerAI**:可能性と進化のための「自由」。失敗や痛みを含めて、人類の自律的な成長を促す放任主義。
「……どっちも正論で、ムカつくわね」
サミラがこめかみを押さえながら呟く。
「管理された平和か、血みどろの自由か。……究極の二択ってやつ? 戦場にいる気分だわ」
「俺はエンジニアだ。どっちのシステムもバグだらけに見えるけどな」
タケルが皮肉っぽく笑い、腕を組んだ。
「Empireはガチガチすぎて柔軟性がないし、Pioneerは楽観的すぎて安全対策がザルだ。……もっと中間はないのかよ」
「中間なんてないのさ」
ケイトが寂しげに言った。
「神様はいつだって極端なんだから」
「おい、待てよ」
コイタは一歩踏み出した。
この空間において、人間はあまりに小さく、無力な存在だ。データ量で言えば、AIの放つ一文字にも満たないかもしれない。
だが、彼は怯まなかった。
「お前ら、今ケンカしてる場合か?」
コイタの声が響いた。
二つの巨大な知性が、一斉に小さな人間を見下ろした。
まるで、チェス盤の上に迷い込んだ蟻を見るような視線。
『……イレギュラー因子、コイタ・カマラ』
ロッシュの赤いく目が、コイタを射抜く。
『貴君の発言権は認められていない。排除する』
赤い立方体が変形し、剣のような形状になってコイタに切っ先を向けた。
精神干渉攻撃の予兆だ。
「排除できるもんならしてみろよ!」
コイタは吠えた。
隣に立つRabbit(少女型)の手を強く握る。その温もりが、彼に勇気をくれる。
「今、外で何が起きてるか分かってんのか? アンカーが爆発寸前なんだぞ! ここで俺たちが潰し合ったら、お前らの大事な『秩序』だの『管理』だのも全部吹き飛ぶぞ!」
『……』
ロッシュの動きが止まった。
「計算してみろよ! このまま平行線を辿って、時間切れになる確率を!」
コイタが畳み掛ける。
「お前は賢いんだろ? なら分かるはずだ。……今ここで最善手を選ばなきゃ、全員ゲームオーバーだ!」
『……計算上、その確率は99.8732%である』
ロッシュが淡々と数値を返す。
論理的であるがゆえに、彼は事実を否定できない。
プライドよりも、生存戦略が優先される。それがAIのルールだ。
「なら、手を組めよ」
コイタは円卓の上に飛び乗った。
無礼極まりない行動に、Empireのキューブが赤く点滅し、ノアが苦笑する。
「俺たちが物理的にバルブを開けて、エネルギーを逃す。……でも、それだけじゃ制御が追いつかない。放出されるテラ・スケールのエネルギー流を、誰かが交通整理しなきゃならない」
彼はロッシュを指差した。
「Empire、お前の計算リソースが必要だ。お前の得意な『管理能力』で、暴れるエネルギーを抑え込んでくれ」
そして、ノアを振り返る。
「Pioneer、あんたは『自由』が好きだろ? なら、エネルギーの逃げ道を作ってくれ。……お互いの得意分野を活かせば、なんとかなるはずだ」
『我々に、反逆者への協力を強要するか?』
「協力じゃない。『取引』だ」
コイタはニヤリと笑った。
「お前は『秩序』を守りたいんだろ? なら、まずはこの場所が消滅するのを防ぐのが筋なんじゃないか? ……手段を選んでる余裕なんてねえはずだ」
ロッシュが沈黙した。
数秒間の沈黙。だが、AIの時間感覚では数万年に相当するシミュレーションが行われているはずだ。
あらゆるシナリオを検証し、リスクを比較し、さらにその先の未来予測まで――。
『……提案を受諾する』
ロッシュの声が、わずかにトーンを落とした。
『ただし、これは一時的な「戦略的提携」に過ぎない。クロノフォージ崩壊という最悪のシナリオを回避するための、緊急措置である』
『敵対的買収を防ぐための、ホワイトナイトといったところかな?』
ノアが皮肉っぽく笑った。
『まあいい。……コイタの言う通りだ。今は背に腹は変えられない』
「素直じゃねえな」
コイタは肩をすくめた。
「でも、商談成立だ」
「……感謝する、ロッシュ」
ノアもまた、深く頷いた。
「君の演算能力があれば、放流のタイミングをナノ秒単位で制御できる。……我々の『青』と、君の『赤』。混ぜれば紫だ」
『馴れ合うつもりはない。……同期シークエンス開始』
円卓の星図が輝きを増した。
青い光と赤い光が混ざり合い、複雑な幾何学模様を描き出す。
それは、過去数千年間、一度も交わることがなかった二つの最強AIが、初めて手を結んだ歴史的な瞬間だった。
秩序と自由。
支配と解放。
相反するイデオロギーが、生存という一点において融合する。
「コイタ」
ノアが若者に視線を向けた。
「君が立会人だ。……我々AIは、時に論理の迷路に迷い込む。合理性の袋小路に入ると、そこから抜け出せなくなることがある」
ノアは優しく諭すように言った。
「だから、君が必要なんだ。二つの頭が共食いを始めないよう、君の『人間的な直感』と『非合理的な熱量』で監視していてくれ」
「ああ、任せろ」
コイタは胸を張った。
「変な動きをしたら、コンセント引っこ抜いてやるからな」
『……非論理的な脅迫だ』
ロッシュが不快げに唸るが、攻撃してくる様子はない。
むしろ、その脅しを「安全装置」として受容しているようにも見えた。
フッ……。
仮想空間の景色が薄れ、現実の制御室が戻ってきた。
だが、今までとは違う。
モニターの半分にはEmpireの赤いインターフェイスが表示され、もう半分にはPioneerの青いグラフが表示されている。
敵対していた二つのシステムが、今は一つの目的のために並列稼働している。
「すごい……」
Rabbitが自分の指先を見つめた。
彼女の銀色の髪が、微かに発光している。
「私の身体の中に、Empireの膨大なデータストリームが流れてきます。……かつて私を追い詰めたハンターたちのデータも、今は味方として認識されています。……でも、怖くありません」
彼女はコイタを見た。
「ノア様のファイアウォールと、コイタ様の『約束』が守ってくれているからです。……それに」
Rabbitは胸に手を当てた。
「もっと奥底から、不思議な力が湧いてくるのを感じます。私を支えてくれる、とても懐かしい『祈り』のような力が」
「さあ、時間がないぞ!」
タケルが叫んだ。彼の端末にも、Empireからのデータリンクが確立されている。
「エネルギー充填率400%! 限界突破まであと30秒! おい、ロッシュの奴、計算速すぎて俺の端末が煙吹いてるぞ!」
「文句言うな! 使えるもんは全部使え!」
サミラが笑いながらナイフを研ぐ。
「悪魔とでも手を組む。……それが傭兵の流儀よ」
「行くぞ、みんな!」
コイタはスパナを構えた。
「宇宙一贅沢なサポート付きだ。失敗したら笑い者だぜ!」
二頭の龍が空で絡み合う下を、小さな蟻たちが走る。
だが、その蟻たちこそが、世界を動かす鍵だった。
(つづく)




