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【3】



 人間は、貨幣という独自の仕組みを有している。

 もちろん、竜であるアギルヴァシラには関係のない話だ。あれは人の輪の中だけで通じるものである。

 しかし当然ながら、ノーラにとっては決して無視できない存在だった。

 人間であるノーラには、山の獣たちと同じような生活はできない。暖かな毛皮もなければ、そこらの草を食むわけにも、立ったまま眠るわけにもいかないのだから。

 それに何より、人間らしい生活を、とのマリーミリーの厳命だ。

 だから最初こそ、彼女も色々と世話をしてくれたが、それも徐々に少なくなり、今では完全に自分たちで稼ぐようになっていた。


「それでは、日暮れ前には迎えに来る」

「うん。お願いね」


 山を三つ越えた先にある、人間の町。

 その近くの深い森にノーラを降ろすと、アギルヴァシラの姿は陽炎のように揺らめき始めた。

 今の時代、竜が人前に現れれば、大騒ぎになるのは目に見えている。故に、人里近くを飛ぶ際には念には念をと、熱を操り、光を歪め、姿を隠しているのだ。

 だから、やがてアギルヴァシラの巨躯が完全に見えなくなると、ばさりと一陣の風が舞い、そこには何かがいた温もりだけが残った。


「よし、それじゃあ行こう」


 アギルヴァシラが飛び立ったことを確認してから、町に向かってノーラは歩き始めた。

 その背には、先ほど採ったばかりの薬草が入った籠。月に数度、これを町の薬屋に買い取ってもらうことで、生活に必要な貨幣を得ているのだ。

 しかも今日採ったものの中には、比較的貴重なものも含まれている。アギルヴァシラに内緒で、危険な崖を探索した甲斐があったというものだ。

 ――今日は何を買って帰ろうかな。

 そんなことを考えると、ノーラの足は自然と軽くなっていた。



 ◆ ◆ ◆



「おかえりなさい」


 アギルヴァシラが山頂に戻ると、待っていたのは鏡の前に立つマリーミリーだった。

 しかし、にこやかに眺めるそこに、彼女の姿はない。

 当然だ。それは、ただの鏡ではないのだから。

 ぷかりと宙に浮いた、人の姿を丸々映し出せるほど大きな円形の鏡。だが、よく見ればその表面はわずかながら波打っており、液体でできていることが分かる。

 遠鏡とおかがみ――遠くの景色を映し出すことができる水の鏡。

 水を司る竜であるマリーミリーが、得意とする術の一つである。


「盗み見とは感心せぬな」

「あら。そう思うなら、しばらくどこかを飛び回ってきていいのよ?」

「……特にどこかに行く用はない」


 そう言って、どしりとマリーミリーの隣に腰を据えるアギルヴァシラ。くすくすと聞こえてくる笑い声は、もちろん無視だ。

 そうこうしていると、鏡にノーラの姿が映った。

 ちょうど薬屋から出てきたところのようだ。


「本当に大きくなったわね、ノーラ」

「ああ、そうだな」


 軽やかな足取りで、町の目抜き通りへと向かうノーラを鏡越しに眺めながら、アギルヴァシラは首を縦に振った。

 思い起こせば、出会った頃は今の半分の背もなく、言葉もたどたどしかった。そのせいで意思疎通がうまくいかず、困り果てた末に、マリーミリーに協力を仰いだことも少なくない。

 それが今や、こうして自分の足でしっかりと歩き、忙しなく流れ続ける人間の波に溶け込んでいる。

 まだまだ未熟で、様々なことに目を瞑らねばならないが、それでももう、大人の仲間入りをしたと言っても過言ではないかもしれない。

 そう考えたアギルヴァシラの頭の中を覗き込んだかのように――確か、そんな能力はなかったはずだが――マリーミリーは静かに口を開いた。


「ねえ、アギル。あの子を、人間の世界に戻してみる気はない?」

「……どういう意味だ」

「結局のところ、私たちとあの子たちとでは時間の流れが違う。共に居ることはできても、居続けることはできない。だから、同じ時間を共有できる世界に戻してあげるのも、悪くないんじゃないかしら、と思ってね」


 それとも別れるのは寂しい、と冗談めかして訊いてきたマリーミリーを、アギルヴァシラは鼻で笑い飛ばす。

 雨は川となり、いつしか海に還るもの。人が人の世に戻るのは当然の帰結だ。

 それに何より、自身にそのような感情があろうはずがない。

 だから悠然と、アギルヴァシラは言葉を返した。


「それで、具体的な策はあるのか。人間はあれで、縄張り意識が強い生き物のはずだろう」


 人間は、気軽に他者と接する一方で、深く受け入れることを拒む。故に、外から来た者が村や町で居を構えるのは、なかなかに難儀なことだと聞く。

 しかし、それに対してマリーミリーは「あら、そんなの簡単よ」と笑みを崩さない。


「結婚しちゃえばいいのよ、どこかの誰かと。そうすれば自然と仲間に入れるわ」

「どこかの誰か、とは、またぞんざいな」

「そりゃあ、選ぶのはノーラだもの。私がどうこう言うことじゃないわ。それに、ほら」


 そう言って、マリーミリーが鏡を指差す。

 そこには、一軒の屋台の前で立ち止まるノーラ。その視線の先には、焼いた羊の肉を串に刺したものが皿の上にずらりと並べられ、湯気を上げている。

 この光景をどう解釈せよというのか。

 アギルヴァシラがそんな眼差しを向けると、呆れと怒りを混ぜ合わせたような表情で、マリーミリーは再度強く鏡を指差した。

 しかとそれが示すものへと目を向ければ、そこにいたのは屋台の内にいる少年。年の頃は、ノーラと同じくらいだろうか。やけに背筋を伸ばしながら、ノーラと言葉を交わしている。


「……この者が何だというのだ」

「ええ、そうね。そうよね。あなたに、この手のことが分かるわけがないものね」


 大丈夫、最初から期待はしていないわ、と小さく何度か頷いてから、マリーミリーは説明を始めた。


「この子、ノーラに気があるわよ」

「そうなのか」

「ええ、一目瞭然。気付かないのは、あなたとノーラくらいなものよ」


 そう言われ、改めて青年を見るアギルヴァシラ。

 生憎、遠鏡とおかがみが届けるのは姿形だけだ。口の動きを読めるマリーミリーと違い、アギルヴァシラには二人の会話の内容までは分からない。

 だが、少年がひどく緊張していることだけは、なんとなく感じ取れた。


「それで、アギルから見て、この子はどう?」

「どう、とは」

「ノーラの結婚相手として、よ。もちろん答えを出すのは当人たちだけど、まあ、その、一意見としてね」

「……少し若すぎる。落ち着きが足らん。それに」

「それに?」


 言葉を追うように訊いてきたマリーミリーに、アギルヴァシラは顎を軽くしゃくって『それ』を示した。


「ノーラの意識は、この者に向いておらん」


 音が無くとも分かるほどの生返事をしながら、肉の串に熱い視線を送り続けるノーラ。

 その姿に、マリーミリーも「残念ながら、そのようね」と笑うだけだった。




 肉の串を片手に、次にノーラがやってきたのは町の広場だった。

 町の中央にあるそこは、大小様々な通りの中継地点であり、絶えず人が流れ続けている。

 しかし川と同様に、急に広がれば、流れが緩やかなところが現れるもの。だから広場の端のほうには、むしろを敷いただけの簡素な露店がいくつか並んでいた。

 そして、その内の一つを前に、ノーラは足を止めた。

 金属の細工を扱う店だ。


「あら、顔見知りみたいね。ずいぶんと仲が良さそう」

「……そうは見えんが」


 筵の上に座るのは、人型のマリーミリーよりも少し上といった感じの青年。

 あれこれと話しかけてくるノーラに対し、口数は少なく、目線も合わせず、ずっと工具を手に作業をしており、とてもマリーミリーの言うような関係には見えない。


「まあ、ほとんどノーラが勝手に仕事を見学して、一方的に質問しているだけだからね。だけど、それで邪険にされてるわけでもないから、相手も悪い気はしてないんじゃない」

「なるほど」

「それにしても、あの子、こういうことにも興味があったのね」

「確かに、物作りは嫌いでないようだな」


 洞窟の家を作る際も、苦労の割に文句は少なく、今も色々と材料を手に入れては、新しく家具などを作ったりもしている。活発なところばかり目立つ性格ではあるが、こうした地道な作業を黙々とこなすこともできるのだ。

 今度、こういったことが得意な竜に会わせてみるか。

 そんなこと考えていたアギルヴァシラの耳を突然、「あら! あらあらあら!」という黄色い声が貫いた。


「何だ、急に騒々しい」

「今ね、この子が『今度、指輪でも作ってやろうか?』って!」

「それがどうした」

「どうしたもこうしたもないわよ! 男の子が指輪を贈るってのは、特別な意識があるってことよ!」

「特別な意識」

「好意を持ってるってことよ!」

「この者も、か」

「まあ、ノーラはなかなかの器量好しだからね。そこいらの男は放っておかないわよ」

「そうなのか」


 アギルヴァシラには、人間の美的感覚というものがよく分からない。

 だが、マリーミリーがそう言うのだから、そうなのだろう。彼女は人間のそういった関係性に特に関心があり、これまでも方々(ほうぼう)の人里で陰に陽に、つがいを作る手助けをしてきたらしい。

 だから今度も嬉々として、アギルヴァシラに判断を仰いできた。


「で、この子はどう? さっきの子と比べれば、かなり落ち着きがあるんじゃない?」

「むぅ……」


 マリーミリーの言う通り、確かに落ち着きはある。だが反面、それは無骨と捉えられなくもない。共に生活する相手としては、気にかかる部分だ。

 それに何より、どうにも心にすとんと落ちないものがある。

 そのことをどう言葉に表そうかとアギルヴァシラが思案していると、鏡の向こうの景色が、にわかに騒がしくなった。


「何かしら?」


 音は無いのに、周りの人々のざわめきがよく伝わる。それぞれ表情や態度は違えど、みな一様に同じ方向に視線を送っていた。

 そして彼らが自然と割れ、一本の道を作ると、その先から原因と思しき者が現れた。


「あらあら、まあまあ!」


 マリーミリーがそう声を上げたのは、色鮮やかな花束を抱えた青年だった。

 見るからに仕立ての良い服に、汚れや疲れといったものとは無縁の長く整った髪。手にした花々には、ここいらに自生していないものも含まれ、人の手によって丁寧に育てられたものだと分かる。

 そんな青年が、自信に満ち溢れた表情で、堂々と人垣でできた道を歩いてくる。

 そして、その道の果ては広場の端。つまりは明らかに、ぽかんと状況を眺めているノーラを目指していた。


「やだ、どこかの商会のお坊ちゃん? それとも領主のご子息? いや、ひょっとして貴族様だったりして! ねえ、ねえ! この子だったら文句の付けようもないんじゃないの、アギ――ル?」


 今にも小躍りしようかという勢いで、そちらへ振り向いたマリーミリー。

 しかしそこにあったのは、巨大な爪の形に踏み割れ、焼け焦げた岩肌だけだった。



 ◆ ◆ ◆



「ノーラ」


 その呼び声に、ざわついていた場がしんと静まり返った。

 見世物のように事を眺めていた群衆はもちろん、片膝をつき、熱心に交際を申し込んでいた花束の青年も、商売の邪魔だと彼を押し退けようとしていた細工師の青年も、誰もが石像と化したかのように固まる。

 当然だ。いくら動物としての本能を失って久しい人間でも、竜の威圧感を嗅ぎ取れぬ者はいない。

 故に、その中で真っ先に動きを取り戻したのは、それに慣れ親しんだ少女だった。


「あれ、どうしたの? こんなとこまで珍しい」


 するすると人垣を抜け、ノーラが辿り着いた先にいたのは、周りの人々より優に頭一つ飛び出た大男。

 長い外套に包まれてもなお、がっしりとした体躯がありありと伝わり、渓谷の如く刻まれた眉間の皺と、燃えるような色合いの髪や髭とが相まって、その姿は火を噴く山を彷彿させる。

 近くに立つ者は、何故これほどの存在に今の今まで気付かなかったのかと、疑問に思っていることだろう。

 だが、無理もない。人の身で、気付けるほうがどうかしている。

 何故ならそれは、人に化けた火の竜――音を追い抜くほどの速さで飛来し、景色を歪める術で降り立ったばかりのアギルヴァシラなのだから。


「……マリーミリーが、夕食の手伝いをしてほしいらしい」

「そっか。それじゃあ、早く帰らなきゃね!」


 周りにも聞こえるよう、あえて大きくそう言うと、ノーラはくるりと青年たちのほうへ振り返り、笑顔を見せた。


「アギ――じゃなくて、お父さんが迎えに来たから、またね!」


 よく似た髪色と、見た目の歳の差から、人型のアギルヴァシラとは親子ということで通している。

 だから、いつも通りそう言ってノーラが手を振ると、青年二人もぎこちなく手を振り返した。

 話したいことも言いたいことも、おそらくまだまだあっただろう。しかし今、その口からは引き止める言葉すら出てこない。

 何の準備もなく、火の山に登ることがどれほど無謀なことか。

 それは若い二人でも知っていることだから。

 しかし、そんな常識もノーラには通じない。ノーラにとっては山はいつも険しく、燃えているものだ。

 だから笑顔のまま再度振り返り、少し先を歩き始めていた岩壁のような背中に小走りで追いつくと、声を忍ばせて言った。


「助かったよ、アギル。ちょうど色々と困ってたとこなんだ」

「……そうか」


 それだけ返すと、アギルヴァシラは虚空を睨んだ。

 そこからは、かすかにマリーミリーの気配がする。おそらくきっと、今もあの顔でこちらを見ていることだろう。

 だから彼女だけに伝わるよう、アギルヴァシラは口を動かした。

 話を合わせろ――と。






「やれやれ。親離れより先に、まず子離れかしらね」


 ほんと、見ていて飽きないわ。

 どこかの誰かがそう笑ったことを、竜の親子はもちろん知らない。



 以上、タイトル詐欺でした。お前に娘はやらーん!


 しきみ彰さん、楽しい企画をありがとうございました♪

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