第5話 どうやら本人のいないところで「私TUEEE」なお話がされたようですが、それは過大評価というもの。わたしはただの不器用な娘ですよ?
ヒック、ヒックと、しゃくり上げが止まらないリコリス。
彼女はサディーナ・スギモンヌに付き添われながら、ぎこちない歩き方でレーヴァテイン邸の廊下を進む。
まだ痛むお尻を、両手でさすりながら。
暗がりの中、クスクスという笑い声が響いてきた。
曲がり角の向こうや、少し開いたドアの隙間からだ。
それは、先輩メイド達の嘲りだった。
どうやらリコリスが主人から罰せられたことが、面白くて仕方ないらしい。
こうなることが分かっていたから、リコリスは泣かないつもりだった。
悲鳴も廊下まで漏らしてなるものかと、気合を入れてお仕置きに臨んだのだ。
ヘンリーの平手打ちが痛すぎて、その試みは木っ端みじんに粉砕されてしまったが。
とても悔しいが、耐え切れずに泣き叫んでしまったのは自分なので受け入れるしかない。
屈辱的な嘲笑と好奇の視線に耐えながら、リコリスはあてがわれた私室に戻ってきた。
屋根裏の奥の奥、隠れるように存在する部屋。
だが実は、かなりのスペースがある。
家具もビックリするぐらい充実しており、最初に案内された時リコリスは、
「え? このように立派な部屋を、わたしが使って良いのですか?」
と、戸惑ってしまった。
「償いとして仕えろ」と言われたぐらいなので、馬小屋のような場所に押し込まれることを覚悟していたのに。
ちなみに部屋を与えられている住み込みのメイドは、リコリスだけ。
ヘンリー狙いで送り込まれてきた下位貴族令嬢・商家の娘達は、毎日早めの時間に帰宅させられている。
メイド長のサディーナすら、外からの通いだったりするのだ。
既成事実が欲しい彼女達とその実家にとって、同じ屋敷内で寝泊まりするなど絶好のチャンス。
これ幸いとヘンリーに夜這いをかけるか、「手を出された」とデマを吹聴して回る可能性が高い。
したがってこのレーヴァテイン邸において住み込みや、夜遅くまで働いている使用人は男性スタッフのみだったりする。
これからは、リコリスが例外になるが。
先を歩いていたサディーナが、リコリスの部屋の鍵を開けた。
かなりゴツイ錠がついている。
あくまで、「屋根裏に押し込めている」という体を保つためのアピールだ。
そうでないと他の令嬢メイド達から、「自分達にも部屋をよこせ、住み込みをさせろ」と苦情が出てしまう。
実際にはこのゴツイ錠は、部屋の内外両方から開閉できるようになっているのだが。
またリコリス本人は知る由もないが、ヘンリーとサディーナからの配慮でもあった。
他にも、住み込みの男性使用人達がいるのだ。
ヘンリーは彼らに強い信頼を置いているが、男である以上リコリスに襲い掛からないとは言い切れない。
「リコリス。今日の仕事は、もう終わりです。ベッドの上で、うつ伏せになりなさい。今、お尻を冷やすものを持ってきてあげます」
そう告げてから、サディーナはリコリスの部屋を出て行った。
そして、数分後――
氷嚢とタオルを抱え部屋に戻って来て、目を丸くした。
まだ泣きじゃくっていたはずのリコリスは、完全に泣き止んでいる。
うつ伏せに寝ていたのはサディーナの指示通りだが、その体勢でメモを眺めていたのだ。
昼間からちょこちょこと取っていた、仕事を覚えるためのメモである。
書かれた内容を覗き込んで、サディーナはさらに驚く。
恐ろしいほど高密度で、情報が書き記されていた。
高密度でありながら、ただギッシリと書き込まれているわけではない。
余白の使い方や矢印、図解などが絶妙で、とても分かりやすかった。
おまけに字も絵も、「本職の芸術家か?」というぐらい綺麗だ。
さすが元公爵令嬢と唸らずにはいられない、教養の高さを感じさせる。
正直サディーナは、もっとざっとしたメモを取っているものだと思い込んでいたのだ。
リコリスがペンを動かすスピードが、あまりに速くてアッサリしていたものだったから。
このメモをそのまま大きな紙に書き写し、マニュアルとして今後の新人教育に使用したいと思えるような内容と出来栄えだった。
「リコリス……。あなたの熱意は認めますが、言ったはずですよ? 『今日の仕事は、もう終わりです』と」
「サディーナ様。でもわたし、物覚えが悪くって……。普通の人より頑張らないと……キャッ!」
突然臀部を襲った冷たさに、リコリスは全身を震わせた。
スカートの上からでも分かるほど、腫れあがったお尻。
そこにサディーナがタオルをかけ、氷嚢を置いたのだった。
「『休みなさい』と言われたら、しっかり休んで体調を整えるのも仕事のうちです。明日、『お尻が痛いから働けません』などという言い訳は受け付けませんからね」
「それは、ご心配なく。このあと回復魔法をかけて、治してしまうつもりなので」
サディーナはリコリスの発言を、良くない傾向だと思った。
なまじ優れた回復魔法の使い手だけに、それに頼り切ってしまっている。
実はサディーナ、リコリスのお仕置き執行中は扉の外で見張りをしていた。
ヘンリーがリコリスにしたお説教の内容も、バッチリ聞こえている。
「もっと自分の体を大切にしなさい」という趣旨だったはずなのに、主人からのお説教内容をスルーしている新人。
サディーナの眼鏡が、怒りの輝きを放った。
「何を言っているのですか? リコリス。回復魔法で、お尻の腫れを癒すのは禁止です」
「へ? サディーナ様、何を?」
「当たり前です。お仕置き後の痛みも、罰のうちです。まあ、火の魔法が使えるあなたのこと。氷の魔法も、使えるのでしょう? それでお尻を冷やすことぐらいは、許可します」
「ううっ、酷い……」
「酷くありません。今後はこのようなお仕置きを受けることがないよう、気を付けなさい」
厳しい口調で言い放ち、屋根裏部屋から出て行こうとするサディーナ。
だが彼女はドアを閉める直前、そっと囁いた。
「リコリス……。わたくしも旦那様も、あなたには期待しているのですよ」
言われたリコリスが返事をする前に、扉はパタリと閉じられた。
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サディーナがヘンリーの執務室に戻ると、主人は手の平をさすっていた。
見れば、真っ赤に腫れあがってしまっている。
「これだから素人は。旦那様の力で思い切り叩いたら、当然そうなります。我々人族の手の平は、お尻よりずっと脆いのですよ?」
主人を「素人」呼ばわりとはなかなかに酷いメイド長だが、ヘンリーは反論できない。
本音を言うと、甘く見ていたのだ。
いくらなんでも、剣の修行で鍛えられた自分の硬くて大きな手が、あの可愛らしいリコリスのお尻に敗北するはずがないと。
泣きながらも、自分の足で歩いて帰ったリコリス。
一方のヘンリーは利き手が完全に痺れ、剣をまともに握れそうもないという聖騎士にあるまじき状態。
リコリスの尻の勝ちである。
敗者ヘンリーに、サディーナは余っていた氷嚢を渡した。
彼は黙ってそれを受け取り、手の平を冷やし始める。
「わたくしのように、お道具を使えばよろしいのです」
サディーナが物騒な音を立てて素振りしているのは、乗馬鞭ではない。
大きな絨毯叩きであった。
ヘンリーは、心の中で冷や汗を流す。
あんなもので叩かれては、聖騎士たる自分でも耐えられそうにないと。
「それで、サディーナ。初日のリコリスは、どうだった?」
主人の問いに対し、サディーナはフゥと短く溜息をついてから新人メイドについて語り始める。
「それはもう、初日から盛大にやらかしてくれましたね。ドジっ子などというレベルではなく、メイド服を着た災厄です。他のメイド達からも、舐められまくっています」
ヘンリーは、静かにサディーナの報告を聞く。
一見無表情に見えるが、これは結果に満足している時の表情だ。
「特に旦那様自ら罰を与えたことが、決定的でしたね。明日から他の令嬢メイド達は、リコリスを歯牙にもかけないでしょう。『ああこの娘は、競争相手になり得ない』と」
競争とは、押しかけ貴族令嬢や商家の娘達が繰り広げているヘンリー争奪戦のことである。
彼女達は仕事の合間を見計らっては、あの手この手で自分をアピールしてくるのだ。
めぼしい嫁ぎ先が無かったとはいえ、貴族令嬢がメイドとして送り込まれてくる家などレーヴァテイン家ぐらいのものだろう。
この国では、ミラディース教会が強い権力を持っている。
その教会が抱える聖騎士団の長であるヘンリーには、貴族であろうとあまり強引な婚姻話は押し付けにくい。
結果、出来上がってしまったのが今の状況というわけだ。
ヘンリーは貴族令嬢や商家の娘達が繰り広げるドロドロとした争いに、リコリスを巻き込みたくはなかった。
そこで彼女には可哀想だが、ヘンリー自ら罰を与える展開に仕向けたのである。
若き日のヘンリーが出会った、お転婆公爵令嬢なら――
情報収集して知った通りの人物に成長しているなら、彼女は確実に何かをやらかす。
それを厳しく罰して見せれば、「ヘンリーはこの娘を恋愛対象・結婚相手として見ていない」と思われるはずだ――と。
陰湿な嫌がらせや虐めを受ける可能性は、限りなく低くなると。
初日で屋敷を燃やされかけたのは、さすがに予想の斜め上だったが。
「リコリスが他のメイド達から、どう思われたのかは分かった。それで、仕事の方なのだが……。サディーナ。君の目から見て、彼女はどうだ? 伸び代はありそうか?」
「はっきり言って、心配です」
眼鏡の蔓を手の平で押し上げるいつものポーズを取りながら、サディーナは主人に報告した。
「伸び代だらけです。同じ仕事なら3日目からは中堅メイド並にこなし、1週間も経てばその部署のエースとなるでしょう。旦那様絡み云々ではなく、仕事で目立ち過ぎて虐めを受けないか心配です」
「ほう? 鬼のメイド長と呼ばれる君に、そこまで言わせるか」
「恐ろしい子ですよ。彼女は同じミスを、全くしない」
「5枚皿を割り、7回自分の手を切ったと聞いたが?」
「すべて、別パターンでのミスです。彼女はこちらの教えるやり方を忠実に真似するだけではなく、その真髄を探り、速度と精度を限界まで引き上げようと試行錯誤する。短時間で繰り返されるトライ&エラーの数が、常人の数十倍はあります」
「初日から、とんでもない攻めっぷりだな。調査書にある通りだ」
ヘンリーは机の上に積み上げられた、紙の束に視線を落とす。
これらは全て、リコリスについての情報である。
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リコリス・リスコルは公爵令嬢だけあって、貴族としての礼儀作法や教養を完璧に身に着けていた。
しかも、かなり幼いうちに。
ごく、短期間で。
なんにでも興味を持ち、貪欲に知識と技術を求める彼女は色々なものに手を出す。
初めは刺繍や絵画、文学、音楽など、貴族令嬢としての嗜みといえるような分野に進出した。
今回メイドに挑戦している時と同じように、最初はメチャクチャで家庭教師達を悩ませたらしい。
しかし1週間もすると、家庭教師達が絶賛するほどに知識と技術を身につけてしまった。
2週間もすると家庭教師達を上回り、彼らは頬をヒクつかせた。
1ケ月も経つと家庭教師達は、
「もうリコリスお嬢様に、教えることはありません。私達の方が教わっているのに、教師としてお給金を受け取るわけにはいきません」
と、涙ながらにリスコル公爵邸から離れていった。
次に彼女が手を出したのが、魔法学とその実践技術だ。
最初はナイン・スカーレットやタツミ・ユージーンなど、高名な魔道士達の著書を読み漁るだけだった。
だがある日突然、
「お父様。わたし、魔法が使えるようになりました」
と、父親であるリスコル公爵の前で手の平に炎を灯してみせた。
公爵は慌てて、領内でそこそこ名のある魔道士を家庭教師として雇う羽目になる。
独学で変な魔法を暴走させては、大惨事になると危惧したからだ。
リコリスはその魔道士が使える魔法を、数カ月で全部マスターしてしまった。
「今度は私を弟子にして下さい」と縋る魔道士にかなり多めの報酬を渡して解雇し、次に招聘されたのはミラディース教会の神官だ。
回復魔法や防御結界魔法に長けた神官から、それらを取得しようと考えたのである。
2ケ月後、父親のリスコル公爵は頭を抱えた。
家庭教師の神官から、リコリスを聖女候補として教会本部で教育すべきだと熱心に訴えられたからだ。
教会の看板娘であり、エース回復術士でもある聖女は、貴族出身の娘が就任した例も多い。
だが、貴族最高位となる公爵家からは前例がない。
公爵は、
「可愛いひとり娘を、自分の元から離したくない」
という親バカ的考えと、
「あの娘をミラディース教会に送り込んでしまっては、大騒ぎを起こすに違いない」
という極めて客観的な分析から、神官の提案を丁重にお断りする。
あまりに神官の勧誘がしつこいので、3ケ月目には大量のお布施を持たせて教会にお帰り願った。
その後もリコリスは魔道具職人や錬金術師に弟子入りしてみたりと、公爵令嬢が学ぶべきものとはかけ離れた分野に首を突っ込みまくっている。
その一方で、公爵令嬢として社交の場に出ることはあまりしなくなってゆく。
彼女とて、婿を定め公爵家を存続させなければならないという使命は重々承知していた。
しかしリコリス・リスコル公爵令嬢が好む貴族やその令息との出会いは、夜会などには転がっていなかったのである。
父親の公爵は娘に甘く、
「好みの男性からの縁談が来るまでは」
と、婚約者選定を先延ばしにしてしまっていた。
早くに妻を――リコリスの母を病で失っていたため、ひとり娘を夫となる人物に取られるのも寂しかったのであろう。
その結果、20歳になっても婚約者すらいない変人公爵令嬢が出来上がってしまったのだ。
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「リコリス・リスコル公爵令嬢に婚約者ができなかったのは、旦那様のせいでもありますね。見て下さい。調査書にある、好みの男性の特徴を。こんな物件、爵位や家格の釣り合う貴族男性の中から見つかるはずがありません」
調査書には、リコリスが婚約者候補に望んでいた条件が書き記されていた。
その部分をサディーナは、これみよがしにペシペシと指で弾いてみせる。
『剣などの武術に優れた戦士』
『教会聖騎士であれば、なおよい。騎士服のコスプレが似合う男性でも可』
『何か過ちを犯した時、叱ってくれそうな精悍で厳しい顔立ち』
『15歳以上、年上』
『黒髪黒目がストライク』
『わたしの全身を、すっぽり抱きしめてくれそうな長身』
『鋼のように鍛えられた筋肉(重要)』
そして最後には、
『聖騎士ヘンリー・レーヴァテインのような』
と具体例が挙げられていた。
「彼女が7歳の時、ヘンリー様は護衛任務に就かれたというお話でしたよね? 公爵令嬢の性癖を、ここまで捻じ曲げるとは……。いたいけな幼女に、いったい何をしたのですか?」
「いや。何かをしたというか、その時彼女が望んできたことをしなかったというか……」
「とにかく旦那様には、幼女の性癖を歪めた責任を取る必要があると思います」
「言い方ァ!」とツッコミを入れたかったヘンリーだが、口には出せなかった。




