第3話 メイド道初日、張り切り過ぎて色々やらかしちゃいました。メイド長激おこでわたしのお尻は大ピンチです
「さあ、リコリス。これから仕事を仕込んでいきます。しっかり覚えるのですよ」
「その前に、ちょっといいですか? サディーナ様」
リコリスは一旦ヘンリーの執務室に戻り、あるものを持ってきた。
主人が使用済みのメモ紙や、不要になった書類。
それらをナイフで小さめに切りそろえ、裏紙を使用する即席のメモ帳だ。
使わなくなったペンも、貰ってきている。
「ふむ。メモを取るとは、やる気満々みたいですね。貴族令嬢や商人の娘達は、押しかけメイドになっておきながら仕事はやる気のない者ばかりだったわ」
「わたし、物覚えがあまり良くないのです。不器用ですし」
「相手が物覚え良くても悪くても、器用でも不器用でもわたくしは容赦しないわよ。グータラな押しかけ男爵令嬢メイドを、この鞭で泣かせ追い返したこともあるのですから」
サディーナの手にした乗馬鞭が、空を切る。
ヒュン! と痛そうな風切り音がして、リコリスは身をすくませた。
同時に、「男爵令嬢相手に、そんなことをして問題にならないのか?」という心配も湧いてくる。
だがそれだけレーヴァテイン家が、名門なのだとリコリスは納得することにした。
クレームを言いに来た男爵本人にも、サディーナが鞭を振るった姿を容易に想像できてしまったが。
ひと言でメイドと言っても、その仕事内容は多岐に渡る。
洗濯を担うランドリーメイド。
コックの下につき、台所の清掃や調理補助を行うキッチンメイド。
執事や召使いの代わりに、客の給仕や対応をするパーラーメイド。
そして主人達の給仕や裁縫、屋敷の掃除などをマルチにこなすハウスメイド。
他家にはいないレーヴァテイン家独自のメイドとして、図書室を管理するライブラリーメイドという仕事も存在していた。
このレーヴァテイン邸において、新人メイドはひと通りの仕事を経験させられる。
そして本人の希望や適性に合わせ、メイド長のサディーナが役割を振っていくのだ。
やる気満々で、メイドへの道を歩み始めたリコリスだったが――
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ガチャーン! という派手な音が、キッチンに響き渡る。
洗いもの中にリコリスが手を滑らせ、皿を割ってしまったのだ。
しかも、本日3枚目。
バシッという打擲音が、リコリスのすぐ背後から聞こえた。
サディーナの乗馬鞭が、テーブルを叩いた音だ。
震え上がる新人メイドの様子を、先輩キッチンメイド達はクスクスとあざ笑っていた。
「きゃっ! も……もうしわけありません、サディーナ様」
「旦那様が『初日はほどほどに』とおっしゃったので、今日は勘弁してあげましょう」
つまり初日ではない明日以降、あの鞭で打たれるのはテーブルではない。
リコリス自身だということ。
かなり痛そうな音だった。
身代わりに打たれたテーブルさんに「ごめんなさい、ごめんなさい」と謝りながら、リコリスは再び流し台へと向かう。
そして3分もしないうちに、4枚目の皿を叩き割った。
テーブルさんは、理不尽な4発目の鞭打ちを受けることとなる。
「まったく……。リコリス、あなたときたら……。すでに半月分のお給金ぐらい、損害が出ていますよ? 差し引いたりとかは、しませんが……」
「え? サディーナ様。わたし、お給金までいただけるのですか?」
「当たり前です。すべての使用人に、きっちりお給金が出ています。レーヴァテイン家の経済力を、甘く見ていませんか?」
サディーナは手の平で眼鏡の蔓を押し上げ、レンズをキラリと光らせながら続ける。
「旦那様には騎士団長としてのお給金以外にも、副収入が多いのです。弟君任せですが、商会も運営しています。他には剣術指南書の印税ですとか、武器職人ギルドと共同開発した武器・鎧の売り上げですとか」
騎士爵家とは思えぬ大きな屋敷の維持費について、リコリスはちょっぴり心配していたが杞憂だったようだ。
しかしリコリスは5枚目の皿を割り、レーヴァテイン家の経済に確実な打撃を与えた。
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洗いものの次にリコリスが命じられたのは、食材を包丁で切りそろえる作業。
レーヴァテイン家の厨房には、男性の専属コックが1人だけ。
キッチンメイド達もコック並みに調理ができなければ、屋敷全体の賄いが追いつかないのだ。
コックやサディーナの教えを真剣に聞きながら、リコリスは包丁を走らせる。
「あ、痛い」
そして盛大に、自分の指を切った。
みるみると血が溢れ出し、リコリスの白い手を伝ってゆく。
「アイヤー!!」
その場で1番焦っていたのは、男性コックだ。
他のキッチンメイド達も、オロオロするばかり。
絶叫する彼らを尻目に、サディーナは迅速に行動した。
清潔な布でリコリスの指を押さえ、止血する。
「ああ、ご心配なく。大丈夫ですよ」
血を流しながらもどこか余裕あり気なリコリス。
そんな彼女を、サディーナは押し殺した声で叱る。
「何が大丈夫なものですか。こんなに血を……」
「すぐ、治りますって。呪文を詠唱して……っと。【リカバリーライト】」
サディーナもコックもキッチンメイド達も、唖然としてしまった。
淡い燐光が血の滴る手を包んだかと思ったら、すぐに出血が止まる。
そしてリコリスが宣言した通り、1分ほどで傷口は治癒されてしまった。
「魔法……。リコリス、あなた、回復魔法を使えるの?」
「ええ、少しだけですが。興味があったので、勉強していた時期があるのです」
リコリスは患部の治りを確かめるように、手をニギニギと開閉する。
完璧に治ったと見て、間違いない。
「少しだけ……という、レベルじゃないわね」
回復魔法【リカバリーライト】は、割とスタンダードな魔法だ。
小さな切り傷を治せる程度の使い手は、ごまんといる。
しかしサディーナの見立てでは、リコリスの傷は割と深かった。
それをこんな短時間で治してしまうなど、なかなかの使い手といえるだろう。
ミラディース教会で、神官を務められる腕前かもしれない。
「……というわけで、わたしはよっぽど深い傷を負わないかぎり大丈夫です。皆様、作業の手を止めさせて申し訳ありませんでした。さあ、どんどん夕食の支度を進めていきましょう」
――あまりこの娘に、どんどん仕事をさせたくないなぁ。危なっかしい。
そういう空気が、キッチンには流れていた。
だが残念なことに、本人にはその空気が読めていない。
リコリスはその後も合計で7回自分の手を切ったが、全て回復魔法で治してしまった。
盛大な自爆調理法に、サディーナもコックも先輩キッチンメイド達もドン引き。
なのになぜか、リコリスはドヤ顔だ。
「サディーナ様。今回は、何も壊しませんでしたよ。わたしの指は魔法で治療できるので、損害はゼロです」
「リコリス! もっと自分の体も大切にしなさい! あなたは旦那さ……」
そこまで言いかけて、サディーナは口をつぐんだ。
よく意味が分からないと言った表情で、コテンと首を傾げるリコリスの姿は大変可愛らしい。
キッチンメイドの先輩達が、危険視するほどに。
彼女達がリコリスをヘンリー争奪戦の競争相手だと認識してしまったのを、サディーナは感じ取った。
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決定的な事件が起こってしまったのは、魚の揚げ物を作っている時だった。
「ん~。最近、コンロの調子が……。火力が足りないアル」
専属コックは、難しい顔をして火加減を見ている。
レーヴァテイン家のキッチンに備え付けられているのは、魔道具コンロだ。
魔力を貯めこんだ魔石から徐々に力を取り出し、弱い火の魔法を持続的に発動させて加熱調理をする。
だが今、その魔道具コンロの出力が不安定になっていた。
「あ、わたしに任せて下さい」
「任せません! リコリス! あなたは大人しくしていなさい」
専属コックの後ろから、何やら手を出そうとしていたリコリス。
サディーナは彼女を、強い口調で制止する。
「サディーナ様、大丈夫です。わたしが火の魔法で、ちょっとコンロの火力を増幅するだけで」
「火の魔法も使えるのね。……それでもダメです。魔道具は職人が複雑な魔力回路や術式を書き込んで完成する、繊細なもの。素人がそこに、魔法で干渉するなど……リコリス!」
サディーナの声は、もはやリコリスに届いてはいなかった。
彼女は何かに興味を持つと、衝動的に行動してしまう娘なのだ。
魔道具コンロに、自分の火魔法を絡めたらどうなるのか?
もうそのことで、頭がいっぱいだった。
リコリスはその場の誰も止められないほど素早い動作で、専属コックの前に回り込んだ。
そしてコンロに向かい火魔法を使用した瞬間、巨大な火柱が出現した。
コンロの火が強くなっただけではなく、鍋の油にも引火したのだ。
さすがのリコリスも、これには青ざめた。
このままでは、屋敷が燃えてしまう。
呆然としていたリコリスを、炎から引き離した者がいた。
「何をやっているのだ」
「旦那様!」
リコリスは大きな手で引っ張られ、逞しい背中の後ろに庇われる。
彼女はそのままサディーナに引き渡され、キッチン入口近くまで避難させられた。
ヘンリーは落ち着いた動作でキッチン隅に置いてあったタオルを濡らし、火柱を上げる鍋へと掛ける。
2枚、3枚と掛けていくうちに、鍋の油は完全に鎮火した。
呆然と床にへたり込み、その光景を見ていたリコリス。
ヘンリーは片膝を着き、彼女の青い瞳を覗き込んだ。
「何があったのか、話してみなさい」
「あの……その……」
屋敷を燃やしかけた。
その恐怖から、リコリスは上手く喋ることができない。
「旦那様。僭越ながら、わたくしが説明させていただきます」
サディーナの淡々とした状況説明は、実に客観的なものだった。
魔道具コンロの不調から、リコリスの火魔法発動、火柱が上がるまでを、事細かに語っていく。
リコリスを非難するような言葉は入っていないが、擁護してくれるような言葉も含まれていない。
ヘンリーは最後まで冷静な表情を崩さず、サディーナの話を頷きながら聞いていた。
一方で冷静に話していたサディーナだったが、報告が終ると表情が一変した。
ハシバミ色の瞳で鋭くリコリスを睨みつけ、静かだが怒気をはらんだ声で宣告する。
「リコリス……。旦那様が『初日はほどほどに』とおっしゃったので我慢してきましたが、小火騒ぎまで起こされてはもうフォローできません。あなたに罰を与えます」
彼女はテーブルをピシピシと乗馬鞭で叩き、有無を言わさぬ口調でリコリスに指示する。
「このテーブルに上半身を乗せて腹ばいとなり、お尻を突き出しなさい」
その台詞を聞いていた先輩キッチンメイド達は、楽しそうに「きゃあ♪」と歓声を上げた。
彼女らにとって、他人が罰せられるのは楽しい娯楽なのだ。
ましてやヘンリー争奪戦で障害になりそうな可憐な女が、痛くて恥ずかしい目に遭うとなればなおさらである。
歓声を上げた先輩メイド達だったが、サディーナがジロリと視線を向けると押し黙ってしまった。
彼女達とて、サディーナは怖い。
男性の専属コックは、両手で自らの目を覆ってしまった。
リコリスが手を切った時の反応から分かるように、彼は痛そうなことが苦手なのである。
それが、他人が受けるものであっても。
メイド修行を始めてから、空気の読めなさを露呈しまくっていたリコリス。
そんな彼女でも、これから自分がどんな罰を受けるのかは容易に想像がついた。
あの乗馬鞭で、お尻を叩かれるのだ。
公爵令嬢時代は、決して受けることのなかった屈辱的な扱い。
彼女は顔色を真っ青にしながらも、
「はい……」
と、しおらしく応えた。
羞恥心や屈辱感よりも、屋敷を燃やしかけたという罪の意識が強かったから。
リコリスはトボトボとテーブルに歩み寄り、上半身を預けようとした。
だがそんな彼女に対する懲罰に、待ったをかけた者がいた。
「サディーナ。私は君に、命じたはずだ。『初日はほどほどに』と」
「旦那様……。ですが……」
サディーナは横目で、キッチンメイド達をチラリと見た。
どうやら罰が執行されないようだと察し、彼女達は露骨につまらなさそうな表情をしている。
そのことは、ヘンリーにも分かっていた。
「君の細腕では、鞭の威力にも限界があろう。リコリスには、私自ら罰を与える。厳しく、たっぷりとな」
それを聞いたサディーナは、「なるほど」と納得した顔をしていた。
先輩キッチンメイド達は、「他人の不幸は蜜の味」とばかりに喜ぶ。
専属コックは自分が罰を受けるかのように、涙目だ。
「リコリス。片付けがひと段落ついたら、私の執務室まで来なさい」
当事者であるリコリスの胸中には、複雑な感情が渦巻いていた。
公衆の面前で鞭打ちを受けずに、ホッとしている安堵感。
これから待ち受けている、厳しいお仕置きに対する不安。
そしてヘンリーから罰を受けるということは、その間「推し」である彼を自分が独占できるという悦び。
それら複雑な感情を面に出すことなく、リコリスはキッチンを後にするヘンリーの背中を見送った。




