第5話『埃っぽい住人』
※旧4話を分割しました。話の大筋には変化はありません。
「うわっ」
レイドットに言われた通り、エレンとリイシャンは地下室への階段を下りた。
下りてすぐの扉を開けると、むっとした熱気と淀んだ空気が肺の中に飛び込んできた。
埃臭さ、黴臭さ、湿っぽさ、薄暗さ。およそ人間が毛嫌いするであろう環境が、そこには見事に揃っていた。
床には工具や鉱石、がらくたの類が散乱し、足の踏み場がない。それらを踏まないようにして奥に進むと、より一層の埃臭さが鼻腔に飛び込んできた。反射的に、鼻を覆う。
(すごいな、ここ)
そこは、ギルドの第一印象からは想像もつかない世界だった。外観は豪壮で、ロビーや通路、その他の部屋は清掃が行き届き、清潔感が満ちていた。
だがここは、そんな外界からは隔絶されたように、静寧とした空気が漂い、不気味な雰囲気を醸し出していた。
エレンの後ろで、リイシャンが辺りをきょろきょろと見渡している。最初は怯えの表れかと思ったエレンだったが、彼女が好奇の表情を浮かべていたのを見て、関心の表れなのだと認識した。
「何だか、不気味ですね」
「うん。そうかも」
関心の意を示すリイシャンだったが、その表情はどこか引き攣っていた。無理もない。こんな薄汚いところに長居したい人など、そうはいまい。
本当にこんなところに人がいるのか疑問に思い始めたときだった。
背後から不気味な声が聞こえ、突然部屋が明るくなったのは。
「不気味で悪かったな」
「きゃっ」
「うわっ」
あまりに突然の出来事に、まずリイシャンが飛び上がった。その声の大きさに、エレンも驚き、飛び退く。
床に散乱するがらくたに躓き、つんのめる。慌てて体勢を立て直し、背後を見た。
薄汚れた白衣。目の下の隈。変色したマスク。ぼさぼさの髪。見るからに怪しげで、ひどく小柄な男がそこに立っていた。
「あん? 誰だよ、お前ら」
男は目を細め、ねめつけるような目でこちらを見ている。
「えっと……新人のエレンです。レイドット先輩に言われて、魔具の調整に……」
「同じく新人の、リイシャンです。私は、魔具の新調で……」
自分達の素性と来訪の理由を伝えると、男は合点したように手を打った。
「あぁ、お前らか。逼迫したギルドにわざわざ加入したっていうお人好しは。まぁ、俺はそんなんどうでもいいけどな。ここで魔工学技師をやってる、ティクグ・ラオスだ。よろしく頼む」
のっそりとした動きで手を上げたティクグは、これまたのそのそと近くの椅子に腰掛ける。
「で、そこのお前、調整したい魔具ってのは?」
「えっ?」
「だから、調整したい魔具だよ。そのためにこんな薄汚い所に足を運んだんだろう? 細かいことは抜きで、さっさと終わらせようぜ」
薄汚いという単語を嫌味な言い方で強調し、無愛想な男は僅かだが眉をひそめた。
「これ、です」
その表情に気付かない素振りで、エレンは持参した麻袋をティクグに差し出した。麻袋の中身は、当然のことながら脚甲だ。着替えの際、マリーナに外すよう言われたのだ。持っている分には差し障りはないが、持ち上げるとなるとそれなりの負荷が両腕に圧し掛かる。
ティクグは慣れた手つきでそれを取り出すと、机の上に乱雑に乗せる。
「脚甲ねぇ……また珍しいモンを使うんだなぁ」
ぼさぼさの髪を掻きながら、ティクグは観察の目を机上の魔具に向ける。その目は、先程までの覇気のない目ではなく、職人のそれになっていた。
ティクグがしげしげと自分の分身――脚甲を見ている間、エレンはしばし今日一日の記憶の中に意識を埋没させることにした。
マリーナ・アレフォック。美人。胸が大きい。
レイドット・ハーネス。面倒臭がり。
リイシャン・ルーレ。子リスのよう。
ルイ・シュバイツ。怜悧。
ティクグ・ラオス。変人。怪しい。
第一印象は横に流すとして、この小一時間で、五人もの人間と知り合った。以前の生活では考えられないことだ。
決められた人と決められた場所で決められた時間に会い、笑みの仮面を貼り付けて愛想良く振る舞う。自分で言うのも何だが、窮屈すぎる生活だった。殻に閉じ込められた毎日。いつか頭がおかしくなると思ったし、そんな生活を平然と享受している兄達が信じられなかった。
そんな生活に慣れてしまっていたからこそ、今の環境がきちんと受け入れられていない。環境の変化に、気持ちの整理がつかないのだ。
(多分、この先もっと……)
もっと多くの人と知り合い、関係を築き、親しくなるのだろう。そこに、遠慮や敬遠があってはならない。自分から積極的に、かつ前向きに人と接していかねばならないのだ。レイドットのように陽気に、マリーナのように気さくに、そして何より、《あの男》のように雄大に。
そんな風に変われるのだろうか。けど、変わりたい。
思案がそこまで至ったとき、ティクグがおもむろに言った。
「使っていて、少し窮屈だったことは?」
一気に現実に引き戻され、すっかり冷え切った心がそれに反射的に答える。
「……あります」
「足の成長に合ってないな。お前の足のサイズ、 二十六センチくらいだろ? 数ミリ、こっちの方が小さい。使いづらくて当たり前だな。おまけに伝導部位に欠損がある。表面もガタガタだ。お前、よく今までこんなのを使っていたな。称賛に値するよ」
エレンを見ることなく、ティクグは脚甲を眺め続けている。その強気な声色に、虚言が含まれているとは到底思えなかった。
「あの……今の、見ただけで?」
エレンのそんな疑問を打ち砕くように、ティクグは一言で切り捨てた。
「当たり前だろうが」
「でも、普通は分解検査とかするんじゃ……」
「お前、俺を馬鹿にしてんのか? 元王家専属魔工学技師だぞ? この程度の調整にそんな検査、いらねぇって」
(……王家……?)
エレンは、驚愕の色を露わにした。
この男が? 王家に仕えていた?
にわかには信じられない。だが、ティクグの観察眼は確かなものだ。風貌からは到底想像もつかないが、あながち間違いではないのかもしれない。
(けど……)
呆然とするエレンを鼻で笑いながら、ティクグは床に散乱した工具を一つ手に取る。
「この嬢ちゃんの魔具と一緒に仕上げる。明日取りに来い、一七四センチ、六十三キロ」
ティクグが並べた数字に、エレンは再度驚愕した。もちろん、彼にそれが気取られぬよう、ひっそりとだが。
寸分の狂いもなく、当たっていたのだ。優秀な技師は、魔具使用者の身体情報を見ただけで判断できるという。通常、技師は使用者の体のデータを詳細に知る必要がある。身長、体重はもとより、その他にも多くの情報を必要とするのだ。それらを元に、彼らはその人に最適な魔具を組む。
だからこそ、その者に合った魔具が作れるのであって、それらの情報なしには適切な調整が行えない。
だが、しかし……
(見ただけで?)
さすがに、信じられなかった。今までに、そんな人物に出会ったことがなかったからだ。
そんなエレンの心を見透かしたのか、ティクグは嘲笑したように言った。
「記憶の中にそういう人間がいないなら、それは虚構か?」
「い、いえ……」
途端に申し訳なくなった。風貌から判断してしまった自分と、それを暗にティクグに伝えてしまったことに。
エレンの魔具にペンで印を付けたティクグが、さて、と話題を変えるよう切り出した。
「じゃあ、次は嬢ちゃんだな」
「は、はい……よろしくお願いします……」
リイシャンは、すっかり縮こまっていた。肩を震わせるその姿が、エレンの双眸には子リスのように映る。
ティクグは、そんなリイシャンの様子など気にも留めていないかのように、液晶とキーボードの付いた大きな機材を机上に乗せ、自分のペースで話を進める。目が、炯々と光っていた。
「一五五センチ、四十三キロ、筋肉の付き方は悪くない……ちょっとこれを利き手で握ってくれるか? 思い切りやってくれ」
女性を目の前に平然と体重を言い当て、ティクグは小さな器具を差し出した。二本のコードが生えたその器具は、部屋の明かりを吸って青白い光を放っていた。コードは二本とも、先程の機材に繋がっている。
リイシャンは、赤面し、俯いたままそれを受け取り、力を込める。
「握力は二十四キロ……上々だな。次、これを軽く握れ。少し痛いが、我慢しろよ」
青白い器具をリイシャンから受け取ると、代わりに赤い箱のようなものを手渡す。今度のそれは、柔和なイメージを持っていた握力計とは異なり、何か硬質な雰囲気を持っていた。
リイシャンがそれを握ったのを確認すると、ティクグは手元のキーを叩いた。
「痛っ」
リイシャンの表情が、僅かに苦悶を含んだものに変わる。直方体を握る手から、赤い液体が数滴零れ落ちた。
「属性は炎ねぇ。レイドットと同じか」
慣れた手つきでキーを叩きながら、今しがた得た情報をぶつぶつと呟く。液晶画面には、何やら細い棒状のものと、人の手のようなものが並ぶ形で映し出されていた。
横から覗き込んだエレンは、そのシルエットに見覚えがあった。
(細杖と、手甲?)
遠距離から仲間を支援する魔具、細杖。近距離で敵を粉砕する、手甲。どちらも、強力無比な魔具だ。使う人間を極端に選ぶ、万人には扱い難い武器である。
それらを幾度となく見比べたティクグは、マスク越しでも分かる、悦を浮かべた。
「それじゃあ最後に一つ、質問がある」
「はい」
リイシャンが唾を飲み込む音が、やけに大きく響く。
「嬢ちゃんはSとM、どっちだ?」
「え……?」
瞬間、空気が凍りついた。




