第3話『時代の放逐者(アナクロニズム)ー③』
マリーナはエレンを連れ、真っ先に階段を上がった。
ホールの左右から緩やかなカーブを描いて伸びる階段を上がり、奥へと続く通路を進む。道中、マリーナは常に笑みを絶やさなかった。沈黙が嫌いな性格なのか、常に何かしらの話題をエレンにぶつけてくる。エレンはそれを流すようにして応じ、歩を進める。
しばらく変わり映えのしない――単調な装飾のみが施された――細い廊下を歩いたところで、道が開けていた。薄暗い照明の下、先程の倍近く広い廊下が先へと続いている。
どうやら、ここからがギルドの内部なのだろう。一般人の入れない、ギルドの内側。それが、口を開けてエレンを歓迎していた。
「ここからの部屋の大半は、自由に使ってもらって構わないからね」
そう言って歩き出したマリーナは、順路に沿って右へ左へと視線を動かし、扉を開けながら説明を始めた。
「ここがシャワー室。一人十五分までだから、使うときは気をつけてね。このギルド、立地条件が悪いから、水は割と貴重なの」
シャワー室の隣の部屋、薄暗い照明の下に浮かび上がっていたのは、窮屈に並んだ寝具だった。
「ここが仮眠室。休みたいときは使ってね。ただし、使うときは他の人を起こさないこと」
人差し指を立て、悪戯っぽく微笑む。
マリーナが、ある部屋の前で立ち止まった。他とは違う、豪壮なつくりの扉は、金のプレートに黒の文字で、その部屋の主を暗に示していた。
その人物こそ、このギルドの絶対的統括者。
「そしてここが、我らが《時代の放逐者》のマスター、リュオウ・グラフィッドがいる、総司令室よ。マスターは、普段は留守にすることが多いんだけど、帰ってきたときはメンバーの相談にも乗ってくれるの」
「はい。僕をここに誘ってくれたのもリュオウさんですから」
「あら、そうだったの」
「はい」
そう、彼がいなければ、恐らく今のエレンはない。もし彼が救いの手を差し出してくれていなければ、エレンは未だに一人ぼっちで孤独に苛まれていたことだろう。彼が、エレンを狭く暗い檻の中から引っ張り出してくれた。今のエレンを作ったのは、紛れもなくリュオウ・グラフィッド、その人だった。
(いくら感謝しても、しきれないな……)
たとえそれが、自分の心を再び抉るものであっても。
たとえそれが、癒えたはずの傷を再び開くものであっても。
「次が……って、エレン君? 聞いてる?」
「……えっ? あ、はい」
いけない。僅かながら意識が別のところに向いていたようだ。
間の抜けたエレンの声に破顔したマリーナが、頬を大仰に膨らませる。
「もう、人が話してるときはちゃんと聞くこと。いい?」
「はい……すいません……」
「分かればよろしいっ。それじゃ、次行くわよ」
茜色の髪を躍らせ、マリーナは身を翻した。
「あ」
と、踏み出そうとした足が急に止まる。エレンが覗き込んだ横顔には、軽い驚きが浮かんでいた。
エレンも、そんなマリーナにつられるように視線の先を見た。
(男の人……?)
エレンよりも二十センチ以上背の高い大男が、こちらに向かって歩いてくる。照明が薄暗いせいで、顔立ちが全く分からない。だが、ここに来た時に感じた、妙な刺々しさはなかった。
「マリ、そいつは?」
その男は、近くで見るとより一層大きく感じた。身長だけではない。肩幅も広く、筋肉質で、がっしりとした体躯をしている。体つきに自信があったわけではないが、男の目から見てもこの男は屈強そうだった。
黄金色の、刈り込んだ短髪を掻きながら、男は大きな欠伸をした。額に付いているアイマスクを見る限り、男は今まで寝ていたのだろう。所作という所作に、気だるさが見えた。
「その前に、言うことは?」
「あぁ…………おはよう」
「うん、それでよし」
「で、そいつ誰? 新人?」
「うん。 期待の新人、って言うとルイがまた怒るんだろうけど、会得者の子よ」
「会得者、ね」
男は何か不満げなのか、ふーんと呟き、舐め回すような視線を向けてくる。無精髭の生えた顎を擦りながら視線を這わせる、出会って早々の失礼さに、エレンは嫌悪を感じた。
「悪くないな。お前、名前は?」
「……エレン、です」
「エレンか。よろしくな。俺はレイドット。レイドット・ハーネス。《時代の放逐者》第二支部支部長だ。本部からのお達しで、しばらくこっちで世話になってる」
「支部長……」
その呼称を、聞いたことはあった。規模の――それも桁違いなほど――大きなギルドは、その監視領域の広さからギルドの人員を何分割かするという。《時代の放逐者》は、王家直属ギルド。三つや四つ支部を持っていても不思議ではない。他のギルドでいうところの《幹部》なのだろう。
差し出された、友好の証を示す手を取り、一応柔和な笑みを浮かべる。
「こちらこそ、色々とご鞭撻願います。けど、珍しいですね?」
「あ? 何がだ?」
レイドットは首を傾げ、マリーナを見やる。だが、彼女も黙って首を振るだけで、何も答えない。
エレンは、黙ってレイドットの腰を指差した。そこには、怪しげな光を放つ一対の魔具――双銃が厳重そうに収められていた。
「先輩が着けている魔具ですよ。それって、消費型の魔具ですよね?」
「あぁ、そういうことか。まぁ、珍しい部類だな」
魔具は、大きく三つに分類される。装備型、鎧型、消費型だ。エレンの魔具、脚甲は鎧型にあたり、レイドットの双銃は消費型に分類される。どちらも、装備型と比べれば圧倒的に普及率が低い武器だ。それほど、使う人間を選ぶということだ。
「そういうお前も、脚甲なんて中々アジなチョイスだと思うぜ?」
「……レイ、お取り込み中申し訳ないんだけど、まだ案内の途中だから」
「あーそうか。そうだったな。なら俺は、もう一眠りするかな」
「だーめ。少しは動きなさい」
「母親かお前は。んなことばっか言ってると、ますます老けるぞ」
「なっ――あんたねぇ、レディーに対してデリカシーってものがないの?」
レイドットもマリーナも、口調が少し変わっていた。お互いを「マリ」「レイ」と呼び合っているくらいだから、仲が良いのだろう。受付嬢とは少し違った、女性らしさがそこにはあった。
2人のやりとりを見ていると、何だか心が和む気がする。喧騒の中の、温かさ。
「あー、エレンだっけ? この女、さっさと連れてってくれ」
「言われなくても消えてやるわよっ」
マリーナは苛立ちを口調で示し、エレンの肩を叩いた。
「ほらエレン君、早く行きましょ。会わせたい人がいるの」
背後で変顔をしているレイドットに一礼し、先を行くマリーナの後を追う。
「会わせたい人? 誰ですか?」
「さっき言ったでしょ? もう一人の新人。そろそろお昼時だし、来る頃だから。あと、エレン君の教育係。ここでのこと、色々教えてくれるから」
「新人って、どんな人なんですか?」
自分と同じ、新規加入者。
魔法に触れたことのない、初心者。
如何なる才を見出すか分からない、未知なる者。
辣腕さを発揮するかもしれない、新人。
様々な思想を巡らせた。男なのか、女なのか。歳はいくつなのか。どんな印象を受けるのだろうか。様々な、本当に多種多様な空想だ。
だが、行き着く先は変わらない。その人物が、まだ何も知らないということだ。
法獣と戦うことの恐ろしさも、魔道を奔ることの困難さも、才のない者の末路も、何もかも。
(教えないと、いけないんだよな……)
それを知ったとき、その人物はどう変わってしまうのだろうか。
そう考えると、少しだが気分が暗くなる。
「会えば分かるわよ。面白い子だから」
だから、そう言って笑うマリーナが、ひどく白々しく映ってしまった。




