第二章‐3
「さて、それじゃ話を始めましょうか、アッシュ」
これまで散々話を脱線させてきたのは自分なのに、レーナはしれっとした顔でそんな風に切り出す。だが、ここでまぜっかえしても話が始まらない。篤志はおとなしく頷いておいた。今はまた、レーナはベッドに、篤志はその脇の椅子に、向かい合って座っている。
「その石のことよね?」
レーナは彼の右手に視線を落として言う。篤志は右手を広げて彼女の方に向けると、問い返した。
「ああ。レーナ、なんなんだ、この石は?」
レーナは少し真剣な面持ちになる。
「それは『魔人血晶』っていう、人間を生きた魔法兵器に造り変える、危険な魔法兵器よ」
確か、昨晩は『ヴィシュトダ・グラーニャ』とか言っていたが、今度は『魔人血晶』と聞こえた。また、自動翻訳アプリが造語を作り出したのだろう。
「連邦法で製造、使用が禁止されてるご禁制の品ね。使用どころか、所持してるだけで騒乱準備罪に問われかねない代物よ」
「人間を……、魔法兵器に造り変える?」
予想以上に物騒な言葉に、篤志は鸚鵡返しに呟いた。
「ん。普通は、ここに埋め込まれるんだけど――」
ここ、とレーナは自分の青い眉の間を指差す。そういえば、確かに、眉間目掛けて飛んできた。それを、反射的に右手でキャッチしたのだ。篤志がそう言うと、彼女は納得したように頷いた。
「ふーん。それで、そんなとこに埋まっちゃったのね。――とにかく、普通はここに埋め込んで使うのよ。埋め込まれた『魔人血晶』は根を伸ばして脳に融合し、まず最初に対象者の意識を乗っ取るの。これで対象者は、施術者の命じるままに動く操り人形になるわ。それから『魔人血晶』は対象者の全身に侵蝕して融合し、抗魔法、耐物理攻撃の装甲を持った魔法兵器に造り変えるの。さらに、魔法兵器の素体となった対象者の魔力が低くても、強力な魔法が使えるように、周囲の大気や大地、生物、無生物、あらゆるものから魔力を吸収する機能も持ってるわ」
なんとも恐ろしげな話だった。思っていた以上に危険な代物だったらしい。篤志は改めて右掌の紅い石を、まじまじと見つめた。
「……危ないところだったんだな……」
あのとき、咄嗟に右手でブロック出来ていなかったら、と思うと、ぞっとする。
「反射神経がよくて、助かったわね。施術者のいない自律起動だったことも、要因の一つではあると思うけど」
レーナが笑みを作った。が、すぐに眉をくもらせる。
「安心させた後で悪いんだけど、でも、ちょっとおかしいのよ」
「おかしいって、なにが?」
「『魔人血晶』が頭以外の箇所に埋め込まれて使用された例なんて、わたしは知らないけど、――なにしろ、最後に使われたのが四十年以上も前のことだし――、だけど、埋まった場所が手だったからといって、それだけで、はい終わり、ってことはないと思うの。運がよければ、脳に融合されて意識を乗っ取られるってことはないのかもしれないけど、身体は――少なく見積もっても右腕の一本くらいは、侵蝕、融合されて魔法兵器に造り変えられてても、不思議はないと思うのよね」
「……おいおい。怖いこと言うなよ。無事だったんだから、それでいいじゃないか」
レーナの推論に、不安になって篤志は言い返した。それには、彼女も同意する。
「ん。それはそうね。……わたしとしては、『魔人血晶』の侵蝕がそれだけで済んだ原因は、アッシュ、あなたのほうにあると見てるんだけど」
「どういう意味だ?」
「まぁ、その件は後回しでいいわ。それより、あなたが気になってるのは、それが外れるかどうか、でしょ?」
それは勿論、その通りだった。篤志は頷いて問い返す。
「取れるのか?」
「とりあえず、スキャンしてみるわね。右手出して」
篤志は彼女の言葉に従って、右手を掌を上にして差し出した。すると突然、レーナの目の前の空中に、キーボードとモニターの立体映像のようなものが現れる。
「なんだ、それ!?」
いきなり空中に現れたそれを見て、驚いて問う篤志。
「魔装機の操作用の端末よ。……えーと、物体走査用のソフトは、確か、この辺に――」
モニターを指で触りながら、平然とレーナが答えた。どうやらポインティングデバイスはなく、モニターを直接指でタッチして操作するらしい。
「あったあった。起動っと」
レーナは発見した目的のアプリケーションのアイコンを、モニター上でダブルタップする。それから彼女は、自分の魔装具を着けた右手を、篤志の差し出した右手に重ねた。柔らかな手の感触に、少しドキッとする。
「見て」
と、レーナがモニターの向きを変えて、彼に示した。モニターには、手のレントゲン写真のようなものが映し出されている。掌の中心に『魔人血晶』であろう黒い影があり、そこから四方八方に根のようなものがぐねぐねと伸びていた。
「予想はしてたけど、簡単には外れないわね。『魔人血晶』から伸びた根の先が、あなたの手の血管や神経や骨の組織と完全に融合しちゃってるわ」
レーナの言葉に、篤志はモニターから彼女の顔へと視線を戻す。
「手術とかで――」
「この星程度の文明レベルの医療技術じゃ、無理だと思うわよ。多分、周りの組織ごと抉り取る、ってことになるんじゃないかしら。てのひらに大穴が開くわね」
あっけらかんと、物騒なことを言うレーナ。
「……他人事だと思って、怖いこと言うな」
「あら。下手に希望を持たせるよりはいいと思うんだけど?」
憮然と言う篤志に、澄ました顔をして彼女が答える。彼は両手を肩の高さに上げ、お手上げのポーズを取って言った。
「それは、最終手段として保留にしとくよ。これ以上、侵蝕だか融合だかの危険がないんだったら、とりあえず、このままでも不都合はないしな」
「そうね。『魔人血晶』は沈静化してるみたいだし、大丈夫じゃないかしら」
彼の言葉に、レーナも頷く。なんだか安請け合いのような気もしたが、ひとまず安心した。安心したら、今度は、先ほど彼女が言いかけていたことが気になってくる。
「で、さっき、なにか言いかけてたよな? こいつの侵蝕がこれだけで済んだ原因は、俺のほうにあるとかなんとか」
「あぁ、そのことね。それは、わたしもちょっと興味があるから、検査させてくれない?」
「なにを調べるんだ?」
「あなたの魔力を」
レーナが驚くべきことを、さらりと言った。
「俺の魔力? だって、この星には魔法がないんだぞ? 魔法がない星の人間に、魔力なんてあるのか?」
「魔力は全ての生命体――ううん、無機物にも宿ってるわ。魔法が使えるかどうかは、魔力の運用方法を知ってるかどうか、よ」
ぴっと人差し指を立てて、講義するように言うレーナ。
「だから、アッシュ。あなたの魔力を調べさせて?」
正直に言うと、面白そうだ、と思った。篤志は、一も二もなく同意する。
「ああ、いいよ。調べてくれ。で、俺はどうすればいい?」
「特に、なにもする必要はないわ。……ちょっと待っててね。魔力測定用のソフトを今、探すから――」
レーナは再びモニターに触れて、ここでもない、あそこでもない、と目的のアプリケーションを探し始めた。どうやら、片付けが出来ないのは魔装機の中も同様らしい。
(きっとディレクトリー構造とか、めちゃくちゃなんだろうなぁ……。整理してやりたい)
篤志はそんなことを思う。几帳面なのだ。
「――あ、これだわ。とりあえず、なんでもインストールしておくものねー」
レーナは、そんな、彼にとっては非常に同意しかねる感想を漏らしながら、発見した目的のアプリケーションを起動する。そして今度は、魔装具を着けた右手を篤志の胸の中心辺りにぴたりと当てた。
「はーい、動かないで下さいねー。痛くありませんからねー」
注射をする医者のようなことを言う。
「魔力値、二百五十二。やっぱり、かなり高いわね……」
「高いのか?」
スカウターみたいなものだろうか、などと思いながら、篤志は問い返した。
「ん。魔力値だけじゃ一概に言えないけど、技術次第じゃ魔法使いとして十分第一線でやってける数値よ」
答える彼女に、続けて問う。
「ちなみに、レーナは? あ、答えたくなかったら別にいいぞ」
「……わたしの測定魔力値は、百ちょっとよ。言ったでしょ? わたし、あんまり適性ないのよ。それでも、一応は平均以上だけど」
「ふーん」
(ということは、単純に考えて、彼女の二.五倍の魔力を持ってることになるのか)
勿論、なんの実感もない。
「問題はそこじゃないわ。――魔力特性、『停滞』と『減衰』? これね」
整った青い眉を寄せて、わりと真剣な顔付きでモニターを見ているレーナが言う。篤志は首を傾げた。
「魔力特性?」
「簡単に言って、魔法の種類との相性みたいなものよ。あなたは、なにかを停滞させたり減衰させたりする魔法と相性がいいってこと。結構、珍しい特性ね」
「珍しいのか?」
さっきから質問してばかりだ、と思いながらも、彼はまた問う。
「ん。あんまり聞いたことないわ。比較的多いのは、『増幅』とか『放出』とか――あなたと逆の特性ね。それよりは少なくなるけど、『炎熱付与』とか『電撃付与』なんて物騒なのもあるわよ」
答えるレーナ。篤志は最後の二つを想像する。
「それって、攻撃魔法が炎とか電撃になるのか?」
「そんな感じね」
それは格好いい。彼がよく読んでいる、特殊能力を持つ登場人物たちがバトルを繰り広げるようなマンガやラノベ向きの能力だ。
そんなことを思う篤志に構わず、レーナが説明を続ける。
「そもそも、なんの魔力特性も持ってない人のほうが多いのよ? 特性持ちは、百人中二、三人ってとこじゃないかしら。その中でも希少な特性を、それも二つも持ってるんだもの。アッシュ、あなた、わたしなんかより遥かに魔法使いとしての適性が高いわ」
レーナが少々興奮したように言うが、篤志としては全く実感が湧かなかった。
「この星にない技術の適性が高い、って言われてもなぁ……」
要するに、なんの役にも立たない才能ということではないか。だが、レーナは左手の人差し指を立てて、彼の鼻の頭に突き付けるようにして言った。
「でも、あなた、多分、この特性のおかげで助かったのよ? 意識的にやったのか無意識にかは知らないけど、活性化した『魔人血晶』の活動を、『停滞』の魔力を送り込むことで止めたんだわ」
「あぁ、そういえば……」
確かに、あのとき、激痛に対して必死で、(止まれ!)と念じていたように思う。それが、本当に効果があったということか。
「その髪は、そのときの急激で大量の魔力消費のせいね」
レーナが、篤志の白髪交じりの頭に視線を向ける。
「そうか……。命が助かった代償がこの程度の白髪で済んだ、っていうんなら安いもんだな」
「ん、そうね。運がよかったわ」
レーナは、彼の胸に押し当てたままだった右手を離した。空中に投影されていたキーボードとモニターも消える。
「……喋り過ぎて喉が乾いたわね」
どうやら、シリアスモードは長続きしないらしい。真面目な顔はそのままに、突然、レーナはそんなことを言った。
「はいはい」
篤志はキッチンへ行って、緑茶を注いだグラスを両手に戻ってくる。レーナの分は勿論、砂糖入りだ。グラスを手渡すと、彼女はこくこくと喉を鳴らして半分ほどを一息に飲む。篤志は椅子に座り直した。
「ところで、レーナはなんで『魔人血晶』なんて物騒なものを持ってたんだ? ていうか、そもそも、なんであんなところに倒れてたんだ?」
篤志は疑問に思っていたことを尋ねてみる。レーナは首を捻った。
「んー……、それは任務に関わることだから、本来は話しちゃいけないことなのよね。……でも、まぁ、いいか。あなたも、もう無関係じゃないわけだし」
アバウトだった。
「そもそも、どうしてこの星に来たのか、ってとこから話すわね」
そう切り出す彼女に、篤志は頷く。
「海軍第七艦隊の動きがおかしかったのよ」
「海軍?」
いきなり、話が見えない。
「あぁ。海軍っていうのは、宇宙軍のことね。伝統的にそう呼ぶのよ」
(なるほど。宇宙の海は俺の海、ってやつか……)
どこかで聞いた古いアニメの主題歌を思い出す篤志。彼女は、構わず話を戻した。
「第七艦隊がこの宙域に来る度にこの星に寄ってたのよ。正確には、第七艦隊旗艦ドラスネイルが単艦で、毎回わりと長期間、ね。旗艦だけが単独行動するなんておかしいでしょ?」
同意を求められるが、いま一つ、ピンとこない。それ以前に、気になることがあった。
「その第七艦隊とやらは、いったいなにをしにこの星に来てるんだ? まさか侵略する準備とか……?」
篤志のその懸念に、レーナは吹き出す。
「そんなんじゃないから、安心して。第七艦隊の任務は、辺境宙域の警備よ。宇宙海賊と戦ったり――」
(やっぱり、いるんだ。宇宙海賊……)
漢の浪漫だなぁ、などと、篤志は感想を抱いた。そんなことを考えているとは知らないレーナが、少し口篭りながらも説明を続ける。
「んー……、後は、まぁ、有体に言って、ある程度の文明レベルを持った有人惑星の監視をしてる、と思ってもらっていいわ」
「監視?」
「わたしたちの星の脅威となるような、危険な文明に育たないようにね」
異星人に勝手に上から目線で監視されている、というのも、気分のいい話ではなかった。しかし、それを彼女に抗議したところでどうにもならないだろう。篤志は、とりあえず文句を飲み込んで、話の続きを促す。
「話の腰を折って悪かった。先を続けてくれ」
「ん。――詳細は省くわね? いろいろ調査した結果、第七艦隊司令、レガード=ボルジモワ提督が、この星に、本星には未届けで秘密の施設を建造してたことがわかったの。それで、この星に直接調査しに来たのよ」
「ふーん……。この星に来た理由はわかった。で?」
「その施設に潜入してみたの。そしたら、それを見付けちゃって――」
それ、とレーナは篤志の右手を指した。勿論、『魔人血晶』のことだろう。
「それを見付けたところで、こっちも警備の兵に見付かっちゃって、咄嗟に一つ掴んで逃げ出したのよ。追われて、この街の上空に来たところで撃墜されちゃってね。不可視結界を張って隠れてたんだけど、いつの間にか気を失っちゃってたみたいなの」
「上空? 撃墜? ってことは――」
「飛行魔法よ。飛んできたの」
そういえば、彼女は三階のこの部屋の窓から入ってきたんだった、と篤志は思い返した。
「それで、目が覚めたら、白い部屋で、なんか白い細長い布でぐるぐる巻きにされて寝かされてて――」
「それは、俺が通報して、病院に運んでもらったんだ」
「あぁ、さっきもそんなこと言ってたわね。それは一応、ありがとう、と言っておくべきかしら。ともかく、目が覚めたら『魔人血晶』がないじゃない? 慌てて、隠れてた辺りに探しに行ったんだけど、見付からなくて――」
「……俺が持ってっちまったからな」
「それで、試しに魔力感知の魔法を使ってみたら、わりと近くで大きな魔力が働いてるし。急いで飛んできたらここだったってわけ」
その、大きな魔力の働き、というのは、彼が『魔人血晶』の活動を止めたときのことなのだろう。
「なるほど……」
これで、一通りの事情はわかった。
「ということは、レーナは今も追われてるってことじゃないのか? その魔力感知とかで、見付かっちまわないのか?」
急に心配になって、窓の外を見る。しかし、レーナはけろっとした顔で言った。
「追われてるでしょうね。でも、魔力感知は、魔法の使用で魔力が働いてるのを感知する魔法なの。だから、魔力感知魔法の効果時間内、効果範囲内で魔力を使ってなければ、見付からないわ。その為に、常駐魔法も全部解除してあるしね。自動翻訳とか今検査に使ったようなアプリとかは、魔法じゃないから魔力を使ってないし」
「さっき、治療魔法使ったろ?」
「……ん、そうね。ちょっと迂闊だったわ。でも、そのときに、運悪く魔力感知されてなければ、大丈夫――」
レーナがそこまで言ったところで、ピンポーンとドアチャイムが鳴った。続けて、ドンドンとわりと強めのノックの音。二人はギクリと動きを止める。